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035:歴史の足音 1

「リンナ、そんな格好じゃ寒いだろう。ひざ掛けを持ってきてやる」

「いらないです」

「リンナ、裏の白木蓮が咲いて綺麗だったぞ」

「今朝通りかかったときに見ました」

「庭の隅にツクシがたくさん生えててな、」

「そうですか」


 背後をうろうろと歩き回る気配に堪えかねて、リンナはペンを置いた。

「……さっきから、何なんですか?」

 資料を閉じて振り返ると、アルラスはわざとらしい笑顔でリンナの肩を抱いた。

「こんなに良い春の日に、部屋に籠もってかび臭い資料集めなんてよしたらどうだ」

「私は、ちっとも構いませんけど……」

 困惑を隠さずに答えると、アルラスは悲しげな顔になった。


 冬が過ぎ去り、雪は暗い岩陰や遠くの山々に残るばかりである。そこら中で草木が芽吹き、鳥たちは盛んに囀り交わしている。

 そして最近、アルラスの様子がおかしい。


 不死の呪いに関心が向いたことを気取られたのかと思ったが、どうもそういう訳ではなさそうだ。

 用事と言って城を空けることが増えた。今朝方も三日ぶりに戻ってきたばかりである。


 忙しいなら一人でのんびり休養を取ればよいところを、彼はどうしても外に散歩に行きたいらしい。根負けして立ち上がり、薄手の上着を羽織って外へ出る。

「そのセーターは買って正解だったな。紡織機の普及以降、ありとあらゆる衣服などが手に入りやすくなって、デザインにも幅が生まれた」

「はぁい」


 気のない返事をして、リンナは伸びをした。研究の邪魔にならないよう緩くまとめ上げていた髪を下ろす。

「膝上のスカートは破廉恥だとか言っていたくせに、デザインを語るなんて……」

「二百年早いって?」

 先を越されて、リンナは思わず笑ってしまった。


 破廉恥騒動が起こったのは数日前のことである。

 レピテと一緒に旧都まで買い出しへ出た際に、彼女の勧めで購入したスカートに、アルラスが突然怒りだした……というのが騒動の全貌で、それ以上のことは何もない。


 ちなみに彼はまだ自分の非を認めていない。

「だってあんなの何も履いてないも同然じゃないか」

「何も履いてないことないわ、中にだって下穿きを履くし、そもそも大した丈じゃないじゃない!」

 こんなくらいよ、こんなくらい、とリンナは膝頭の上に手刀を往復させて反論した。


「婦女子がそんなに足を出すなど嘆かわしい! 風紀の乱れだな」

 嘆かわしいのはその時代遅れの感覚と、それを大袈裟に振りかざす常識外れである。リンナはこれ見よがしに人差し指を振ってみせた。

「私は、閣下みたいに首の周りがフリフリの衣裳を着るような時代の人じゃないの」

「君は呪術以外の風俗にはまるで関心がないのか? 襞襟はもっと前の時代だ」

「じゃあ、白いタイツみたいなのは履いてなかったんですか?」

 アルラスが唇をひん曲げて目を逸らす。


「履いてたのね!」

「幼い頃の式典でだけだ」

 彼は苦々しい表情で答えた。リンナは首を傾げる。


「普段は違ったんですか?」

「俺はかなり小さいうちから従軍していて、城にはあまりいなかった」

 魔道具が存在しない時代の戦争においては、魔術に長けた人間は一人で戦況をも変えうる強力な兵器だった。

 そう語るアルラスの表情からは、感情というものが抜け落ちていた。息を飲んだリンナを振り返って、誤魔化すように口の端を上げる。


「君が絵画で見るような貴族もいたにはいたがな、あの時代の王侯貴族の使命というのはなかなか血生臭いものだったぞ」

 おどけた雰囲気をまといながら、彼は日の当たる遊歩道に出る。額に光があたり、目を細めた。

 うららかな陽射しが降り注ぐ坂道を見下ろす。雪解け水が四方から流れ込み、湖面は普段より高い位置にあった。

 澄んだ水は見るからに冷たそうだ。


「権利には義務や責任がつきものだ。魔術の才に恵まれなかった者は安全な内地にいたが、彼らにはまた別の苦しさがあっただろうな」

 遠くの水面を眺める横顔は、大木の年輪に似た年月を感じさせる。

 もう遠い昔のことで、彼自身、もはや痛みを伴う話題ではないのだろう。それでも語らずにはいられないようだった。


「貴族政治が廃れたきっかけは分かるか」

「魔道具の発明と普及……ですか?」

 アルラスは老人のようにゆっくりと頷く。

「当時の魔術は一部の知識階級にのみ使えるものだった。そもそも魔術というのは適性が各人によって大幅に異なるし、それは血筋によるものが大きい」

「アドマリアス王朝……閣下の一族も、元々は魔術に優れた家系で、それで国を興したって」

「ある程度は国威のために盛られた伝承だろうが、そうだ」

 他人事みたいな相槌だった。


 現在の王家はアルラスの兄から連なる子孫だが、百数十年前に傍流への継承が行われたために家名は異なる。そのことに寂寥を感じる時期はとうに過ぎたらしい。

「魔術を使える家系はすなわち貴族階級を意味した。まれに市井で親に似ず魔術に秀でた子どもが生まれれば、貴族の養子に取られることもあったくらいだ。逆を想像してみてくれ」

 酷い時代だ、とアルラスは毒づいた。「醜い血統主義だよ」


 子ども時代の話をするアルラスを、リンナは静かに眺めた。……どうして私にこんな話を聞かせてくれるのだろう?

 彼の素性を知っているのはごく少数の人間に限られる。公的な関わりとしては、王族や、政府の一握りだけだろう。私的な胸の内を語るには不適当だ。

 ロガスにこんな話をするとも思えなかった。見た目に惑わされなければ、彼の振る舞いは威厳のある父親そのものだ。

 清濁併せ呑んだあとの弱音を吐露する相手に選ばれたことは、悪い気分ではなかった。



 陽当たりのよい遊歩道を歩いていると、ヘレックが腕組みをして地面を睨んでいる。

 小柄で華奢、優しそうというよりは弱々しくも見える青年だが、こと魔術に関わる話題になると表情が変わる。何度見てもそのたびに少しおののくが、アルラスはヘレックのそうした一面がお気に召しているらしい。

 魔術によって制御されているレイテーク城の保安を任されるだけあって、ヘレックは魔道具の扱いが巧みである。元々は開発職だったそうで、最近はアルラスの許可のもと、新しい魔道具の開発にご執心だ。


 庭を自動で移動し、花壇に水を散布する魔道具を作ったと聞いていたが、どういうわけか城の壁に向かって延々と放水を続けている。

「庭木を認識する機能が悪さをしているみたいなんです」とヘレックはため息をついた。

「どうせ相手は動かない植物だし、一度水やりの位置と量を与えてやれば済む話ではあるんですが……どうしても対象を認識して水やりができた方が良いですか?」

「そうだな」

 膝ほどの高さがある魔道具を停止させ、蓋を開けて内部を覗く。アルラスも一緒になって膝に手をつき、何やら専門的な単語を交えた会話を始めてしまった。


 古くは金属板を読み取る魔導機関から始まった魔道具は、現在は何度でも呪文の書き換えができる複雑な機械が本体となっている。らしい。

 アルラスもレピテもヘレックもこの手の話題には強い。魔術についてからっきしなのはリンナとロガスだけである。

 後ろでリンナが退屈しつつあることに気付いてか、アルラスは話をそこそこに切り上げた。


 機嫌良く歩き出し、すいと手のひらを上に向ける。つむじ風が木陰の落ち葉を巻き上げ、目の高さで渦を巻く。童話で見る魔法使いの仕草だ。

 現代においてはかなり気障っぽいと指摘しようか迷って、結局黙っておく。


「魔道具が発明されて以後、魔術は個人の適性に依存しなくなった。血筋は大きな意味を持たず、ほかの学問や工業に近い性質になった」

 そう語るアルラスの表情は晴れ晴れとしている。貴族制が力を失い、自身の優位性が崩れたことを嘆く論調ではない。

 リンナは顎に手を当てて唸る。

「呪術は、術者の強い感情やイメージが物を言う代物です。どうしても、魔術みたいに道具で代用して普及するって訳にはいかないのよね」

「そこが難しいところだな」

 アルラスは素直に認めて肩を竦めた。


 どうも彼は本当にただ散歩をしたかっただけのようで、行き先も決めずに歩いていたらしい。

 いつの間にか湖畔まで降りてきてしまい、途方に暮れたような顔で振り返る。こちらが同じ顔をしたかった。

 リンナは両手をポケットに突っ込んだまま、距離を保って問いかける。

「閣下、どうしたの? 最近なんだか変よ」

「最近って、どれくらいだ」

「……雪が解けたくらいから?」

 首を傾げながら答えると、アルラスは自覚があったのか苦笑した。目を逸らした表情がわずかに翳る。

 水際に流れ着いた大きな岩のうえに立って、彼は風を受けながらこちらを見た。広い湖を背景に、まるで大昔の絵画のような光景だった。


「最近、お忙しいの? 城に全然いらっしゃらないでしょう」

 彼の表情が曇る。

「まあな」と答えて、アルラスはそれ以上語ろうとはしなかった。

 リンナは木道を大股で下ると、湿った砂利を数歩で横切り、アルラスの立っている岩へ飛び乗った。アルラスは心持ち横にずれて場所を空ける。


「はじめは、投資家って言っていたわね」

「本当だ。俺の名義に毎年転がり込む額面を見たら腰を抜かすぞ」

 彼の立場を思えば、その暮らしぶりは辛うじて清貧と言ってもよかった。彼の懐に金が入ってくるという話ではなさそうだ。

「よほど重要なお仕事なのね」

「なんだ、拗ねているのか?」

 探りを入れると、アルラスは嬉しそうな顔で覗き込んでくる。「いいえ」とあっさり答えて、額にかかる髪を手で払いのけた。


 城の外で行っている仕事の内容について、彼が言及するところは見たことがない。

 背後で指を絡めて印を作ろうとして、やめる。むりやり自白させるのは良くない、し、彼なら気付いた瞬間にこちらを湖に突き落としかねない。

「ん……いま、良くないことを考えていただろう」

 両手を挙げろと合図され、リンナは銃を突きつけられたときと同じように降伏の姿勢をとった。

「やけに心配そうだから、こっちも心配になっただけ」

「どうだか」


 呟いて、アルラスは岩場を歩き出した。凹凸の大きな岩の数々を踏み越えながら、よたよたとその背中を追う。彼はすぐに気付いて岩場から降りて「悪い」と手を出した。

 上向きに差し出された手のひらに指先を乗せて、そのとき、かつての記憶が蘇った。

 初めてこの湖を渡ってきたとき、小舟の上で、同じように手を重ねた。

 同じことを考えているのが分かる。地面に立って見上げてくるアルラスの眼差しには、あのときと同じ懸念が浮かんでいた。


 根拠もないのに確信していた。彼が最近レイテーク城を離れている事由は、あのときに釘を刺された内容と同じだ。一般市民に知られていない事件が起こっている。

「閣下は、私に隠したいことがたくさんおありなんですね」

「個人的な秘密のひとつやふたつ、誰にだってあるさ」

 個人的な秘密? よく言う。


 身を屈めて目線を合わせた。周囲の木々の大半より長く生きてきたアルラスは、小揺るぎもせずに微笑み返した。

「もし私が、知っちゃいけないことを知ってしまったら、口封じをしますか?」

 もう一歩踏み込むと、微笑みが強ばるのがわかった。真意を量るように、素早く表情や手先を見比べる。


「リンナ」と、口調は媚びて甘えるような響きを帯びていた。

「君は賢いから、きちんと弁えられるはずだ」

「私がほんとうに賢くて分別もある女なら、あなたから脅迫された時点で呪術の研究なんてやめていたわ」

 にっこりと笑顔で答える。


 手を借りて地面へ降り、リンナは乱れた裾を直してアルラスを一瞥した。額を押さえて心底うんざりした顔を作りながら、笑い出すのを堪えているようにも見えた。

「隠し事をしてもしなくても、私は自分の研究を続けるだけです。だったら、お互い手札はすべて明かしてしまった方が良いと思いません?」

「あまり思わないな」

 平然と答えて、アルラスは離れたところにある崖を目指して歩き出した。


 崖の上からは水面へ覆い被さるように広葉樹が枝を広げており、少し前にレピテの思いつきで小さな鐘が吊り下げられていた。手のひらほどの代物だが、風が吹く日に近づくと、ちりんと澄んだ音が聞こえる。

 砂利の上を歩くアルラスの向こうに、白い稜線が見えた。彼の背中は遠くの山々と同じくらい近寄りがたかった。


 彼が通ったあとに、規則正しい足跡が点々と残っている。彼の体格から考えると小さすぎる幅だ。

 彼の斜め後ろをゆったりと歩きながら、リンナはさざ波の音を聞いていた。


 ……秘密を明かした方が良いかどうか。これは私の質問が悪かった。


 額を上げて、穏やかに問いかける。

「ぜんぶ打ち明けてしまいたいって、思ったことは、ある?」

 アルラスの足が止まった。追いついて横顔を見上げると、彼は顎に力を入れたまま見つめ返してきた。

「あるよ」

 それだけ答えて、アルラスはまたゆっくりと歩き出した。


 日差しは暖かいが、初春の風は底冷えしている。日陰はまだ冬の気配を残し、ひっそりと息を殺していた。

 それ以上追究せず、リンナは歩調を合わせて横に並ぶ。

「……お花屋さんは、呼んでくれましたか?」

 アルラスが微笑んだ。「さすがに五百人は呼べなかった」


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