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呪術臨界点 -年上夫を呪い殺すための基礎研究-  作者: 冬至 春化
5章

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031:新年のこと 4


 兄は仕事で屋敷を空けているという。

 兄の妻と、甥にあたる長男に会うのはこれが初めてだった。義姉は軍に物資を下ろす商会の娘だそうで、ふくよかで可愛らしいひとだった。


「これまでご挨拶する機会がなくてごめんなさい。リンナさんとお呼びしても?」

「こちらこそ、挙式にも参列できずに申し訳ありません。エレルさん……でしたよね?」

 はい、と義姉は笑顔で頷いて、息子の肩を持って前に出した。見たところ、五つか六つ程度だ。兄の面影を探そうとしたが、兄の顔がはっきりと思い出せなかった。


「シェラト、叔母様にご挨拶して」

 甥は母に言われてずいと前に出ると、口をひん曲げてリンナを睨み上げた。つんと鼻先が上を向いて、生意気で挑戦的な表情である。


「母さまが今朝、父さまの妹なんて聞いたこともないって言ってたよ。おばさん、誰?」


 義姉は一瞬で息子の口を塞いだ。「何を言っているのかしら、この子」と乾いた笑いを浮かべながら、そそくさと息子を抱えて執事に押しつける。甥は素早く別室へと運搬されて見えなくなった。

 義姉は冷や汗をかきながら首を振る。

「ごめんなさい、最近変な本を読んだみたいで、影響されているんです」

「気にしないでください」

 リンナは薄い笑みを浮かべながら、慎重にアルラスの顔色を確認した。アルラスは目を眇めたまま、反応を示さなかった。



 久しぶりに会う母と、初めて会う義姉との会話は概ね平和的に進んだ。

「へえ、じゃあ来年の夏には、この屋敷は別邸扱いにして、お兄様と一緒にセラクトの屋敷に越してくるんですね」

「はい。いまは中央にいますが、来年から東部戦線へ配属されることになって」

 ふぅん、とリンナは唇を尖らせた。母をひとりで屋敷に残してしまったことが気がかりだったが、兄家族が来るなら安心だ。


 東部戦線? 内心で首を傾げる。どうもセラクト家は軍人やその関係者が多くていけない。軍の常識が分からないのだ。

 地図を思い浮かべるに、どうも実家の裏手にある砦もそこに含まれそうだ。

 斜め上を見上げていると、アルラスはずいと身を乗り出し「ところで」と声を発した。


「王都に来るのは久しぶりなのですが、変わりはありませんか」

 事情を知らない義姉の手前か、愛想の良い口調である。しかし、遮ってまで話す話題には思えず、リンナはアルラスの横顔を凝視した。

 始まってみれば出てくる内容も多い話題のようで、母は嬉々として、最近改築が済んだという王城について語り出した。

「門もすごく丈夫で分厚くて立派だったわ。分かりづらいけれど、城壁もただの修繕ではなくて改築ね。前と形が変わっていたもの。特に矢狭間が特徴的ね、まるで攻撃に備えてでもいるみたい――」


 アルラスが特大の咳払いをした。不本意そうな渋面だった。

 そのとき、家令が非常に遠慮がちに応接間に入ってくる。義姉に火急の用件だという。新年の忙しい時期に訪れたのはこちらなので、リンナは恐縮して義姉を送り出した。



 短いやり取りを終えて顔を正面に戻す。向かいの席で、母は穏やかに微笑んでこちらを見ていた。

「……なぁに?」

「いいえ。大人っぽくなったと思っていただけ」

 感慨深そうに、母は静かに呟いた。それからアルラスに目を移し、厳しさの混じる表情で微笑む。

「閣下のことは、どのようにお呼びすれば?」

「アルラスで構わない」

 義姉が席を外せば、立場を取り繕うのも妙である。アルラスはきまり悪そうに口調を崩した。


「そのような名前の王家の方は存じ上げません。偽名か、詐称ですのね」

 詰問されても、アルラスは余裕のある態度を保っていた。曖昧に首を傾げたまま答えない。

 母はしばらくアルラスを睨みつけていたが、途中で馬鹿馬鹿しくなったように肩を竦めた。

「何でもよろしいです。リンナが元気なら、それで」


 母の笑顔は自嘲を含んでいた。

「リンナは、そちらではどのように過ごしていますか」

「やりたいことを、やりたいように。……一般的な貴婦人とは異なる生活で、負担をかけていることもあるでしょう」

 リンナは笑顔でかぶりを振った。レイテーク城での暮らしに不満はない。華やかな舞踏会とも光輝く宝石とも縁はないけれど、美しい山河や溢れんばかりの歴史がある。

 母の顔がほころぶ。娘の結婚が訳ありであることは察していて、それ以上は深入りしなかった。

 覚悟していたほどの騒動にはならなそうだ。思いのほか平和な雰囲気に、安心するやら拍子抜けするやらで力が抜ける。


「すみません、ちょっと」

 そう言ってリンナはいちど中座すると、二、三の用事を済ませる。


 ――ごくごく簡単な用事である。





 応接間へ戻ると、アルラスの潜めた声が聞こえた。咄嗟に扉には触れず、影に隠れて耳を澄ませた。

「彼女は、いつから呪術を使うように?」

「そうね、遅くとも十歳のときには……」

 母の答えにアルラスは沈黙し、「早い」と呟く。


「家族のなかに、呪術を教えた人間がいたのか」

「いいえ。うちはリンナ以外、全員が軍人ですの。代々そうですわ」

「では、どういったきっかけで呪術を」

「ええと……あれ? 昔のことだからよく思い出せませんわね」


 怪訝そうな母の声を聞きながら、目を伏せる。母を問い詰めるアルラスの口調は、全く納得していないようだ。

「差し出がましいことを聞くようだが、家族関係は良好なのか」

 はたり、とリンナは一度まばたきをした。これ以上黙って聞いてはいられなかった。


 浅く息を吸い、扉に手をかける。唇を動かせば、ふわりと髪が浮く。

 母が答えるより早く扉を押し開ける。陽のあたる応接間で、母は笑顔を浮かべていた。

「――ええ、私たちは本当に仲の良い家族ですわ」

 幸せそうに目を細めて、母が断言するのを聞いた。アルラスが息を飲んで振り返る。


 リンナは口角を上げると、溌剌とした口調で言い放った。

「私について聞きたいことがあるなら、直接聞いてくださればよろしいのに」

 アルラスは長椅子に浅く腰かけたまま、底知れない眼差しでこちらを見上げる。

「すまない。君が照れるかと思ってな」

「あら」とリンナは三歩で部屋を横切ると、膝が触れ合わんばかりの近さでアルラスの隣に腰を下ろした。


「夫婦の間に隠し事はなし、じゃない?」

 目の奥を覗き込んだ。彼は「ああ」と喉を鳴らして応えた。

 あの冬の午後みたいに冷え切った目をしていると思った。氷の張った湖を思わせる瞳だった。

 触れたら飲み込まれそうだった。


 息を飲んで身を引こうとした瞬間、アルラスの手が素早く伸びた。

「そうありたいものだ」

 手首を掴んで囁く。切り返す言葉を思いつかず、リンナは黙って頷いた。



 ***


 久しぶりに会えば積もる話もあるようで、リンナは母親と会話に花を咲かせていた。取り留めのない話題がほとんどである。

 途中で戻ってきた義姉も人当たりの良い笑顔で相槌を打っている。

 さりげなく眉間を揉みながら、アルラスは嘆息した。


(リンナの周辺に軍人ばかりいるのには参ったな)

 セラクト家の女性陣ときたら、流行りの菓子やドレスと同じくらいの熱量で軍備について語りおおせるのだ。

 怖いのは自分の正体が彼女たちにばれることではなかった。

 何せ、横にいるこの勘の良い女は、気付かなくて良い可能性に、一足飛びで思い至りかねない。


 つい先ほど自分で口にした言葉が脳裏をよぎる。……夫婦の間に隠し事はなしでありたいものだ。

 秘密という言葉を思い浮かべるだけで目眩がする。


 母を一心に見つめて笑うリンナの横顔を見た。呪術書を見ているときのらんらんと光る目つきではないし、こちらを見るときのどこか探るような視線でもない。

(やっぱり、俺は未だに警戒されているんだろうな)

 理由はもちろん分かっている。最悪な出会いと、それから何度も重ねた釘刺しのせいである。もちろん聡いリンナのことだ、こちらの警戒に気付いていないとは思えない。 


 今でもあのときの判断を誤ったとは思っていないが、たまに、もっと別の時代に、別の出会い方をしていればと考えてしまうことはあった。

 けれど、どんなに考えても、結論はいつも同じである。

 この時代、この関係でなければ、きっと互いに姿を目にすることもなかった。



 帰り際、玄関ホールで定型的な挨拶を交わしているとき、表の方から人の気配がした。

「旦那様のお帰りです」と従僕の声がした瞬間、どういうわけか扉ではなくリンナに視線を向けていた。


 ここは彼女の兄の住む屋敷であり、もう何年も会っていないという兄が帰宅したのだ。だから、彼女は再会を喜んでしかるべきである。


 扉が開く。リンナが扉を一瞥する。

 柔らかい茶色の髪はつやつやとして、波打ちながら弧を描く。色づいた瞼が上下にまたたき、そして、彼女はぞっとするほど冷たい表情で兄の帰宅を迎えた。

 紛れもない冷気が、リンナの全身から放たれる。


「……お久しぶりです、お兄さま」

 異変は一瞬のことだった。彼女はすぐに顔を上げ、兄を見上げて微笑んだ。

 セラクト家の長男ローレンは、中枢でも覚えめでたい青年将校である。あのセラクト卿の息子ともあって、ゆくゆくは父と同じように国境線の防衛に尽力することが期待されている。


 リンナやその母と同じ色合いの髪を短く刈り込んで、生真面目な顔つきで、実際細かいところによく気がつく男である。背が高く、自分よりも更に肩の位置が高いが、父親ほどの恰幅の良さはない。

「ああ。リンナか」

 呟いて、ローレンはリンナの顔をまじまじと見下ろした。リンナは照れるように頬に手を当てる。その小指が、唇に触れる様子が、何故か妙に目に焼き付いた。


 リンナが微笑みかけた直後の、男の反応は奇妙だった。

 嫌悪を示すようにぴくりと目元が歪む、と思った瞬間、その両目がふっと虚ろになり、一度瞬きをすると顔全体がにっこりと笑う。

 不自然なほど明るい口調になって、ローレンは「久しぶりだな」と応えた。


 首筋の毛が逆立つ。

 銃口を突きつけられようが高所から落ちようが火だるまになろうが、もはやさして恐怖もしない身である。

 これほどまでに根源的な恐れを感じるのは、久しぶりだった。あまりの異常さに鳥肌が立つ。

 何より恐ろしいのは、ローレン本人に、周りで見ている家族たちに、異常の自覚がまるでないことだった。

 咄嗟に家令やメイドたちを振り返るが、表情が見えるほどの近くにはいない。


「父さま!」

 階段のうえから明るい声が響く。先ほど奥へ連れていかれたリンナの甥のシェラトである。

 父親の帰宅を聞きつけて喜んで降りてきたシェラトが、人懐こい表情でこちらを見た。

「あれ、おばさま、もう帰ってしまわれるんですか?」

 たった一言で、総毛立つ。


 すぐ横に、肩が触れ合いそうな距離に立っているリンナが、突如としてはるか遠くに感じられた。その間には、果てしなく深い谷があった。

 顔を動かして横を見るのには勇気が必要だった。恐る恐る首を回して、リンナを見やる。

 表情を確かめようとしたとき、リンナの目がふらりと空を泳いだ。体が前傾する。


「リンナ!」

 抱き留めて顔を覗き込むと、リンナはぐったりと目を閉じたまま呻いた。体の軽さに驚くが、同時に納得もしていた。

 彼女はもう三日余りも、ろくに飲まず食わずで休むこともなく資料を漁っていたのである。

 彼女の呪術に対する入れ込みようは尋常ではなかった。同時に、呪術に対する抵抗のなさも。


「どうしたの」と母親が近づいてきて、青ざめた顔でリンナの肩を撫でた。他の家族たちもそれで我に返ったように、笑顔でこちらに手を伸ばしてくる。

 悪寒がした。


「触らないでくれるか」

 彼らの手が触れるよりさきに、リンナを抱き寄せていた。

「医者に診せる。あとで追って連絡する」

 小声でリンナの母へ囁くと、アルラスは逃げるように屋敷を去る。全身が濡れたように震えていた。手足に力が入らない。


 馬車に乗っても、抱きかかえたリンナを人形のように抱えたまま放せなかった。かすかな呼吸が首筋にかかる。平常より早い鼓動を感じながら、アルラスは壁面を凝視して身じろぎ一つせずに考えていた。


 ……この女、一体、何をした?


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