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030:新年のこと 3


 転移ステーションへ移動し、所定の手続きを済ませると、あっという間に王都である。

 王都第一ステーションは国内で最も大きな転移基地だ。駅に直結する広い通路を進んでいると、左右の階段から次々に、各地方から転送されてきた旅客が吐き出されてくる。


「君は、いつも新年は兄上の屋敷で?」

「いえ、今年の春までは大学にいたので、寮で過ごしていました」

「アールヴェリ大学だろう? 列車一本の距離じゃないか」

「研究で忙しかったの」

 へえ、とアルラスは頷いて、そのまま視線を正面へ戻した。何か思案している様子だったが、顔を覗き込んでも何も言わない。


 駅から列車に乗り、普段降りることのない駅で下車する。観光客などはもっと先の駅で降りて繁華街へ行くから、この駅から外に出るのは初めてだった。

 駅を出ると、閑静な住宅街が広がっている。いわゆる高級住宅街で、国内の名だたる貴族や富豪などが住んでいることで有名な区域だ。リンナの生家では若干手が届かない。


 手入れの行き届いた街路樹が影を落とし、広大な庭から鳥の鳴き声が聞こえてくる。大きな箱馬車が横を通ったので見てみれば、世情に疎いリンナでも知っているような名家の家紋がある。

 レピテはイニャの入った籠を胸の高さに掲げ、物珍しそうにきょろきょろとしている。景色を見るのに一生懸命なようだ。


 リンナは慌ててアルラスに耳打ちをする。

「さっきの馬車、王家から分家したおうちですよね。閣下、顔出して歩いていても大丈夫なんですか」

「ああいう手合いと顔を合わせなければならないときは、俺はいつも顔を隠しているんだ。だから逆にこうして堂々としている方がいい」

 言う通り、彼の堂に入った態度はなかなかのものだった。本人がそう言うなら信じるしかない。


 それほど立派な屋敷ではないとの前置きで案内された別邸を前に、リンナは半目になった。これが立派じゃないって?

「一等地の豪邸じゃないですか」

「お隣を見てみろ、これが豪邸なんて言ったら笑われるぞ」

「でもこれ一般的には大豪邸ですよ。詰め込めば五十人くらい生活できるでしょ」


 レピテも呆然と屋敷を見上げ、こわごわとアルラスを窺う。

「こ……このお屋敷を、買われたんですか?」

 アルラスは顎に手を当てたまま言い淀んだ。察するに昔から彼の所有物らしい。


 いかに成功した投資家とはいえ、古い城に住んでいるだけでも妙なのに、王都にも屋敷を持っているのは流石にやりすぎだ。

 はらはらしながら見守っていると、アルラスは「祖父から受け継いだものだ」と落ち着き払った態度で答えた。レピテは「なるほど」と納得した。

(……なんだか、私ばっかり神経質になってない?)

 拍子抜けして、リンナは肩の力を抜く。

 これから、この屋敷を拠点に王都で十日間を過ごす予定となっている。旧都に比べると天候が過ごしやすく、行きたい観光地や施設が目白押しだ。



 ***


 翌朝、レピテとイニャに見送られて、リンナたちは別邸を出発した。小春日和の暖かい日で、出かけるにはたいへん適した気候である。

 昼過ぎに兄の住む屋敷へ向かう予定になっている。久しぶりに母に会えると思うだけでリンナの足は弾んだ。母は元気にしているだろうか。


 立派な馬車が道路を行き交う横を、駅に向かって歩く。アルラスは首を巡らせながら、立ち並ぶ豪邸と庭を見比べている。

「セラクト家の本家は、この辺だったな。由緒正しい貴族の一族だ」

「はい。新年の会合もそちらで開かれます。お母様もそのために王都まで来ているの」

 ふうん、とアルラスは視線を動かさないまま頷いた。含みのある相槌に、首を傾げる。


「何か言いたいことがおありですか?」

 腕を引いて問いかけると、彼は躊躇いがちに振り返った。

「君は、その会合には出席しなくて良いのか?」

 リンナは口を噤み、目を見開いてアルラスを見返した。意識の外で、自然と手が震え始める。

「私、分家筋の娘ですから」

「では、父や兄も参加はしないのか」

「父と兄は出席します。でも私は、そういうの、苦手ですし」

「出席したこともないのか? 顔見せくらいはしただろう」


 どうしてこんなにこだわるのだろう。リンナは戸惑いながら、半歩下がった。街灯に頭をぶつけかけ、よろめいて道路へ落ちそうになったところを、アルラスが咄嗟に捕まえる。

 すぐ横を、馬車が音を立てて通り過ぎてゆく。


 リンナを引き寄せた姿勢のまま、アルラスはしばらく葛藤するように視線を地面に落としていた。

「……その新年会とやらは、いつ開かれる」

「た、たしか、旧都へ戻る日の夜です。だから」

「参加するぞ。俺も行く。こちらでの滞在を延ばそう」


 リンナは目を剥いた。自分たちの関係は契約に基づいた期間限定のものであって、わざわざ自分から知らせに行くなんて間違っている。

 アルラスは全く問題ないと言い切り、「もちろん」と続けた。

「君がどうしても嫌だというなら、無理強いはしない」

「嫌です。絶対に行きません」

 反射的に答えていた。彼は目を細めて「そうか。仕方ない」と答えたが、納得はしていなかった。


「後学のために理由を聞いても?」

 手を挙げて頬に触れようとしたが、アルラスが両腕を捕まえていてできなかった。

 リンナは細い声で答えた。

「私が行ったら、一族の恥さらしだわ」

「どこの誰が、君にそんなことを言ったんだ?」


 肩を抱く腕に力が入るのを感じて、慌ててかぶりを振る。

 アルラスの目つきが恐ろしかった。全身から放たれる苛立ちが、肌を突き刺すようだった。

 少しでも和ませようと、リンナは両腕を広げて笑ってみせる。

「だって、見てくださいよ。私、美人でもないし、呪術なんて訳の分からないものを研究して、誰の役にも立たない穀潰しです。閣下にも恥をかかせたくないわ」

 でしょ、と小首を傾げる。


 アルラスは絶句したまま答えなかった。ようやく口を開いたのは、犬を連れた通行人が怪訝そうに通り、馬車が二台通り過ぎ、小鳥が近くの街路樹で一呼吸を置いて飛び立ってからのことだった。

「リンナ。公園を散策する予定は変更するぞ」


 語気も荒く宣言すると、彼はリンナの手を引いて大股で歩き出した。

「良いか――君は、確かに舞台女優ほど派手ではないが、かなり万人受けのする顔立ちだし、自分を見せるための装いのことも分かっていて、得意げな笑顔が可愛いし、君のことを不美人だとか言う人間がいたら、そいつの方が恥をかくべきだ」

「え? なに、いきなり、何ですか」


 早口で語るアルラスの背を叩き、リンナは慌てて制止する。アルラスは歩調を緩めない。

「人目につきたくないから徒歩だと……馬鹿だな。馬車を呼ぶから待っていなさい。明日までにはもっと良いものを用意させよう」

「結構です! 私、列車や途方移動には慣れっこだわ。むしろ好きですよ、列車。閣下もお好きでしょう」

 一体何をを起動させてしまったものだろう。両手を振って押しとどめようとするのに、アルラスの勢いは止まらない。


 駅に到着するやいなやどこかに連絡を入れ、あっという間に馬車がロータリーに進入してくる。

 冬だというのに、御者は汗だくだった。アルラスがよほど無理を言ったに違いない。

「閣下」とリンナは怖い声を出した。


「私、列車でも良いって言ったはずだわ。ひとに迷惑をかけないで」

「俺の部下だ。それに、いつもこんなことをしている訳ではない」

「私のことはお構いなく、奥様」


 御者台から息も絶え絶え返答があると、アルラスは「ほらな」と尊大に言い放つ。

 リンナは呆れ果てて閉口した。

 立派な馬車が駅前に鎮座し、その脇で言い争いをしている様子は良い見世物である。行き交う通行人の視線に、リンナは身じろぎした。


「閣下、なにか変だわ。何をそんなに怒っているの?」

 アルラスは馬車の扉を開くと、うやうやしい仕草で手を差し伸べながら、リンナを睨んだ。

「何に怒っているかって? わからんのか」

 一族の集まりに顔を出さないのって、こんなに怒られるほどの粗相だったかしら?


 馬車はアルラスの指示で調子よく走り出した。方向は間違っていない。

 リンナは眉根を寄せ、上目遣いでアルラスの顔色を窺う。彼はもはや口をきく気も失せたようで、むっすりと唇を引き結んでいた。

 腕組みをして足を組み、体を内向きに固めたまま動かない。

 考えれば考えるほど、彼のことが分からなかった。両腕を膝に突っ張って首を竦める。


 何度もちらちらと視線を向けていると、アルラスは箍が外れたように「くそ」と呻き声を上げて頭を掻いた。

「すまない、当たり散らした。君に腹を立てた訳じゃないんだ。いや立てていないと言ったら嘘になるが、原因は君じゃない」

 まったく要領を得ない。リンナは唇を尖らせて「つまり?」と促した。


「つまりだな、君の……自己認識が、おかしいという話だ。そして俺はその原因を憂慮している」

 身を乗り出し、座面に浅く腰かけ、アルラスは手を伸ばした。避けようとして、体を引くより数秒早く、指先が頬に触れた。

「……君は優れた人間だ。愛想良く挨拶をするときも、自分の権利を守るために怒っているときも、呪文を唱えているときも、いつも気高くて賢い女性だったよ」

 気恥ずかしさが、狭い馬車の中で跳弾のように何度も跳ね返って暴れる。顔に熱が集まってきて、リンナは「いやだわ」と上擦った声で答えた。


「私のこと、口説いてるの? 図に乗るわよ」

「君がちゃんと図に乗ってくれるなら、いくらでも言う」

 このひと、おかしくなっちゃったのかしら?


 開いた口が塞がらないまま、リンナは仰け反って横に逸れた。アルラスは手を引っ込め、膝に頬杖をついて顔を覗き込んでくる。

 思案顔でこちらを凝視すること数分、アルラスは出し抜けに自らの顔面を平手打ちした。ばちんと気持ちの良い音が鳴る。


「何してるの?」

 仰天して二度見すると、アルラスは目元を覆ったまま天を仰いだ。「まずいな」とその口から心底苦々しい呟きが漏れる。


「まずいな。本当にまずい」

「なにが」

 手を下ろして、彼はなぜか恨めしげな目つきでこちらを見た。

「ずっと、突き詰めて考えないようにしてきたんだぞ」

「だから、なにを!?」

 アルラスはうんざりしたように首を巡らせ、力なく壁に寄りかかって窓に顔を向ける。

 この数秒で干物みたいにしおれてしまった。

「君のことだ」

 それだけ答えて、今度こそアルラスは黙り込んでしまった。



 何度も固辞しても、アルラスは頑として譲らず、リンナを服屋と美容室へ順に突っ込んだ。どちらも大変に格式の高い老舗で、とうてい縁があるとは思っていなかったような場所である。

 ついでに「これから何かと入り用だから」と全身の採寸まで取られた。どこで入り用なのかは怖くて訊けなかった。


 おとぎばなしのお姫様じゃあるまいし、自分一人である程度よそゆきの身支度くらいできるつもりだ。

 家族の家を訪問するだけでしかないのだから、人に頼んでやってもらうなんて勿体ないと訴えたが、アルラスはどこ吹く風だった。

 困惑といたたまれなさで身が縮む思いだった。アルラスの真意も分からないし、不安になる。

 大きな馬車で兄の住む屋敷の門前に乗り付け、手を借りながら馬車を降りる。


 こんなに着飾って、みっともないと思われないだろうか? 憂鬱にため息をついて顔を上げ、玄関から駆け出してきた母の姿に目を見張る。

 リンナの姿を見た瞬間、母の張り詰めた表情が緩んだ。驚いたように目を丸くして、それから崩れ落ちるように破顔する。

 その表情ひとつで、疲労感もすべて吹き飛んでしまった。


「リンナ!」

 作法に厳しい母が、人の目も気にせず前庭を走ってくる。リンナも足を踏み出し、両手を広げると、その体を力一杯に抱きとめた。

「よかった。あなたが元気そうで、よかったわ」

「お久しぶりです、お母様」


 母の体は震えていた。その背を撫でながら、リンナは息を詰める。

 ……ずっと心配をかけていたのだ。

 母との抱擁を解いて顔を上げると、アルラスは満足そうに頷いた。


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