003:歴史に残る死の呪い 3
「閣下、そちらは……?」
屋敷の玄関先に控えていた御者の呼びかけに、リンナは殊更ゆっくり「閣下」と復唱した。大層な呼び名だが彼には妙に似つかわしい。
アルラスは問いかけと当て擦りを無視して、御者に転移ステーションのある近隣の街を指示する。リンナを馬車に押し込む手つきは慣れたものである。
箱馬車はアルラス本人によく似て、華美なところはなく頑強なつくりだった。窓が小さく息苦しい。
「荷物はそれだけでいいのか?」
足元に置いた旅行鞄一つを指して、アルラスが素っ気なく訊いた。
「普段から、動こうと思えばいつでも動けるように荷物はまとめてあるの」
短く応えて、リンナは窓際に頬杖をついて足を組んだ。
ほどなくして馬車が動き出す。流れ出した景色を横目に見ながら、リンナはたっぷりとした口調で指を立てた。
「そういえば、学生時代の友人に、男性の趣味が変わっている子がいたんです。今度紹介して差し上げましょうか」
「ほう。それはまたどうして」
「彼女、性悪を煮詰めたような救いようのないクズ男が大好きなの。きっと相性抜群だわ」
「結構。俺では君のご学友のお気に召さないだろうから」
予想通り密室の空気は最悪だった。
刺々しい雰囲気のなか、リンナは向かいに座っているアルラスを睨めつける。負けじとアルラスも顎を上げて高慢な顔つきである。
互いに一瞬たりとも視線を外さないせいか、かつてないほど気詰まりだった。
最寄りの転移ステーションまで半日かかる。今日中に大きな街に到着することは不可能だし、今日明日とこの狭い馬車の中で顔を突き合わせていなければならないわけだ。……非常に不本意なことに。
都からも遠く離れた街道はろくに整備されておらず、小石や雑草で車輪がたびたび跳ねる。そのたびに馬車の中では乗員の体が揺れ、アルラスの機嫌は降下の一途を辿っていた。田舎道に慣れ親しんだリンナはその限りではない。
屋敷を発って小一時間経った頃、リンナは咳払いをして切り出した。
「……それで、そろそろ説明して頂いてもよろしいですか? その……閣下の素性について」
「ふむ」
出発前に同じことを聞いたときは、「最高機密ゆえに誰が聞いているか分からない場では答えられない」という回答だった。
辺りは見渡すかぎり畑が広がっているが、収穫は半月ほど前に終わっている。休耕期の荒涼とした農地には、出歩く人の影すら見当たらない。
窓の外を一瞥して、アルラスは「良かろう」と偉そうに頷いた。
指先で軽く馬車の壁を打つと、車輪の音や馬の呼吸音が一瞬にして消え去る。
魔術を使えるのはリンナの中では好印象だった。
簡便な魔道具が普及している現代において、わざわざ自分で魔術を使う人はまずいない。彼は魔道具が開発されるより前に生まれたのだと実感し、リンナは唾を飲んだ。
「とはいえ、君は既に九割がたは事情を察しているだろう」
静寂のせいか、衣擦れひとつがやけに大きく聞こえる。
「あのとき、俺を見て何と言った?」
彼の逆鱗に触れた一言のことだとすぐに分かった。躊躇いがちに答える。
「ロルタナ・A・アドマリアス」
答えると、彼は「よろしい」と教師のように頷いた。
「アルラスは本来幼名だが、ほとんど知られていないからよく名乗っている。本名はどうしても二百年前の事件を連想させるから、もうずっと使っていないんだ」
久しぶりに聞いたな、とアルラスは懐かしそうだった。とても冗談を言っている風には見えず、リンナは思わず勢い込んで尋ねた。
「やっぱり、あなたがロルタナなんですか? その、……二百年前に、兄を庇って死の呪いを跳ね返したっていう、あの有名な」
そこまで言ったところで、彼は手のひらでリンナを制した。
「にしたって、一足飛びで俺の正体に気付くのは少々不可解だ」
「別に、私の中では一足飛びではありません。簡単な話だわ」
言いながら、リンナは人差し指を立てる。
「まず、軍にかなり融通が利く立場で軍人ではないとなると、王室の関係かもとは思っていました。たしか王子殿下もこれくらいの年齢だけれど、好青年だって噂だわ。だから王子ではない」
「おい」
声は上げたが、本人も否定しきれないらしい。分が悪いとみるとすぐに黙る素直さだけは結構である。
「それに、まだお若いようだけれど、どうにも老け……成熟したような雰囲気もおありですし、見た目通りの年齢ではないのかも、とか」
「……どの辺りに違和感があった?」
全体的に、とは言えずにリンナは目を逸らした。
膝の上で指を絡め、「そして決め手が」と呟く。
「閣下が口を滑らせた『二百年』という単語と、不死を示唆する発言」
「非常識にも客人に呪術を使って吐かせた情報、と言うべきだな」
口を挟んできたアルラスを黙殺して、リンナは続けた。
「私は呪術の研究をしています。今となっては呪術に関する資料は大半が失われていますが、数少ない記録のなかでも、死の呪いはとても恐ろしいものだと書かれている。それを受けて生き残ったというロルタナのことは、以前から調べてみたいと思っていました」
だから、いくつかの手がかりが揃った時点で正解に気付いたのだろう。リンナはそう結論づけ、アルラスを見上げた。
彼の表情は曇っていた。
「俺は、死の呪いを免れてから約十年後に病死したことになっている。葬儀を上げたあと八十年は、外で一度も顔を出さなかった。肖像画だって出来のいいものは全て燃やさせた。名前も捨てて、正体を隠して生きてきた」
暗い声音に、つい言葉が詰まる。彼の苦悩に共感することは簡単ではなかった。二百年もの間、身を潜めて暮らすというのは一体どんな気分だろう?
アルラスは眉根を寄せ、目を閉じて深々とため息をついた。
「……それが、こんな小娘に見破られて窮地に立たされるとは」
情けない、と額を押さえたアルラスに、リンナは白い目を向けた。
本人の身の上話かと思ったら恨み言で着地した。リンナは語気を強くして反論する。
「私だってあんな場面じゃなきゃ客人に呪術なんて使いません! ある程度は自分でまいた種じゃない」
「なんだと? これだから呪術師というのは嫌なんだ、君が呪術なんざ使わなければ君はいま連行されずに済んでたんだぞ」
呆れた口調で語るアルラスを見て、リンナはいちど口を噤んだ。
怒り顔で腕を組み反論を待ち構えている男の顔を見る。
「じゃあ、賢い判断をして、おとなしく研究を諦めればよかったっていうんですか」
言葉尻が揺れるのを抑えられなかった。怒りすら一線を通り越して、脱力感が全身を襲っていた。
俯いて、膝に置いた両手を眺める。力仕事とは縁のない細い指だった。
両親も兄も軍隊の人である。面識はないが、またいとこの女性もセラクト邸の裏にある砦に配属されているという。セラクト家に生まれた子どもは、当然のように軍やその関係組織に縁が深い。
それでも、軍隊に入りたいと思ったことは一度もなかった。
胸元に落ちてきた髪を掴んで呻く。
「私、どんな状況になったって呪術をやめたりなんてしません」
はじめて呪術を使ったときに解った――私はこれと、添い遂げる。
身じろぎ一つせずに宣言したリンナに、アルラスは少なからずたじろいでいた。
「どうしてそこまで」
自然とこぼれたような問いかけに、リンナは喉で音もなく笑う。
セラクト邸を出発したのが夕方だったから、窓の外は既に薄暗くなりつつあった。
遠くの雲の影が長くたなびいて、丘の起伏は絹のように滑らかに波打っている。
道の脇に等間隔に植えられた街路樹が、馬車のなかに影をおとす。
指先を絡ませて、爪先を上げて、リンナは窓に顔を向けた。
「きっと笑われるし、理解してもらえないわ」
突き放して、それきり唇を引き結ぶ。
地形に沿って大きく弧を描いた道の先に、小さな集落がみえた。今晩泊まることになるコーントの町だ。