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呪術臨界点 -年上夫を呪い殺すための基礎研究-  作者: 冬至 春化
4章

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026:記憶にも残らない 2

 レイテーク城の制御室は、正面玄関近くにある。冷暖房や防犯などはここで一括管理しているらしい。

「ヘレック、裏の門を一時的に解錠してくれ」

 いちど制御室に立ち寄ると、中にいたヘレックに声をかける。裏の門? 聞き慣れない言葉にリンナとヘレックは揃って首を傾げた。

 ヘレックが言われたとおりの操作を行うと、アルラスは大股で城の奥へと向かった。


 現在は使われていない廊下から外に出ると、すぐに森が広がっていた。元々はここまで鬱蒼と茂った森ではなく、明るい木立が広がる裏庭だったらしい。雪が積もって道はまるで見えず、行く手に目的地と思しき構造物も見つからない。

 アルラスは鼻を鳴らすと、一度腕を振った。彼の指先が指し示す方向にむかって、赤い炎が雪の上を直線に舐める。雪はあっという間に解け、煉瓦造りの遊歩道が下から顔を出した。


「しばらく歩くが、大丈夫そうか」

 首肯すると、アルラスは確かな足取りで歩き出す。上着の余った袖をまくりながら、リンナはその後ろを小走りで追った。

 いかにも山の天気らしく、朝は晴天だったのに分厚い雲が出てきている。また雪が降り出しそうだ。


 森に入って少し歩くと、行く手に背の高い鉄柵が待ち構えていた。これがさっき言っていた裏の門だろう。

「これまでもそうだが、ここから先のことは、決して人には喋らないでほしい。ヘレックやレピテはもちろん、君のご家族や、ロガスにもだ」

 門扉を押し開けるアルラスの声は暗かった。気配に飲まれて、リンナは束の間息をすることを忘れた。

「申し訳ないが、手を繋がせてくれ」

「……そんなに恐ろしいことが待ち構えているの?」

「違う。君が逃げないようにだ」


 軽口ではなかった。おずおずと手を伸ばして、アルラスの手を握る。彼の手は小刻みに震えていた。

 背後に柵が見えなくなったころ、彼は据わった目で呟いた。

「博物館の、あのメッセージは、俺に宛てられたものだ」

「皆様、って書いてあったわ」

 アルラスは口角を上げただけで返事をしなかった。



 足元の雪は溶かされていても、押し寄せる冷たさはどうにもならない。森の中は進めば進むほど暗く翳り、まだ昼間なのにまるで日暮れ前のようだった。

 無言で歩き続けるうちに、徐々に息が上がって足が遅れてくる。アルラスは歩調を緩めず、ほとんどリンナを引きずるようにして歩き続けた。


 その横顔は徐々に険しくなり、狼のような獰猛さが滲み出してくる。

「閣下、痛いです……ねえ、ちょっと!」

 つんのめりながら何度も呼びかけて、ようやくアルラスは足を止めた。我に返って始めて、リンナの手を掴んでいたことを思い出したらしい。

「悪い」と手を離し、ばつが悪そうに目を伏せる。構わないといって顔を上げて、そこでリンナは目を見張った。



 道の行く手で、森が途切れている。樹冠が口を開け、灰色の空が見えた。

 冷たく乾いた風が、ひたひたと、音もなく吹き寄せる。

 足跡や汚れひとつない白銀の地面の上に、異質な木組みのやぐらが佇立していた。風はそこから吹いていた。


「断頭台だ」

 アルラスは感情を込めずに告げた。



 開けた空間に足を踏み出そうとしたリンナを、背後から抱きかかえて押しとどめる。

 地面から一段上がったやぐらは、一見すると演説台のようだ。けれど、そこから立ち上がった長い木枠が、ただのお立ち台ではないと物語っている。


「当時は、あそこに大きな刃が取り付けられていて、」

 リンナは手振りで説明を制止した。アルラスは叱られた犬のように口を閉ざした。

 こんな仕掛けは、教科書にも、眉唾物の歴史本にも載っていない。でも……


 断頭台? 名前を聞けば、説明を皆まで聞かなくたって分かる。

 一目見たときには異様な気配を感じただけだった構造物が、ひどく禍々しく感じた。風化して黒ずんだ木の、その黒ずみさえもが恐ろしい。


「これ、何のために使われたの」

 縋りつくようにアルラスの腕を掴んだ。その指先に、力が入らない。

 背後から回された腕が、痛いほどに肩を締め付ける。アルラスの全身が打ち震えていた。

「これは、誰が、誰の首を切るために作ったの」

 問いかける声は大きくなり、語尾が揺れる。答えを聞きたくなかった。聞かなくても分かる気がした。



 アルラスは断頭台を見据えている。その瞳に、硬質な覚悟が宿っている。

「俺の兄が、呪術師を処刑するために作らせたものだ。完成後すぐに兄は死去したから、これの裁量は俺のものになった」


 返答に対して、なにか反応を見せることを、自尊心が許さなかった。唇を噛みしめたまま、リンナは必死に声を殺す。

 彼の口調は決して英雄的でも誇らしげでもなかった。けれど同時に、懺悔や自己憐憫などの弱々しい悔恨も一切見られなかった。


 いま、肩に触れている手や腕から、生臭い血が浸みだしてくるような錯覚を覚える。

 額を上げて、アルラスの目を覗き込んだ。きっぱりと帳を下ろしたように、個人的な感情が遮断されていた。


 博物館に残された毒々しい赤文字が、瞼の裏に蘇る。

 断頭台より、亡霊から。

 アルラスへ向けての伝言であり、宣戦布告ともとれた。


 それを目の当たりにしたときの、彼の青ざめた頬を思い出す。でも取り乱したのはほんの僅かの間だけのことだ。

 今のアルラスからは、人間味のある弱気や優しさが一切合切そぎ落とされていた。

(後悔なんてしていないんだわ)

 このひとは、済んだことに頭を抱えて、あのときああしていればと思い悩むことはしないのだ。突き進んでいる最中に、道の正しさを憂慮したりなどしない。


(まだ終わっていないから、まだ後悔なんてしない)

 初めてセラクト邸を訪れたときの、彼の目線を思い出す。素早く周囲を窺い、油断のない身のこなしで握手を求めた。警戒を隠そうともしない、あの目つき。


「呪術師の滅亡以後、私のほかに、呪術の研究者の記録はありません。私のときと同じように、ひとつひとつ芽を摘んでいたからですか?」


 ああとアルラスが躊躇いなく頷く。非難を受け入れる気はないと言いたげな顔で、しかし、食いしばった顎に力が込められる。

 触れたら切れそうだった。

 義理の息子の死に怯え、猫を撫で、園芸本を物色して、取り留めのない冗談を言ったり、むきになったり、雪玉を丸めて笑うひとと同一人物だとは、とても信じられなかった。


 肩に触れる手の甲に、そっと指先をのせた。

(――このひとは、まだ、戦場にいるんだわ)

 踏み入るな、手を引けと怖い顔で語るアルラスの言葉が、脳裏をよぎる。

 咄嗟に、腕を振りほどき、体当たりをするように正面から抱きついていた。頭上で怯えるような呻き声が漏れる。


 氷に覆われた仮面がずれ、激しい苦悩が露わになる。彼は決して抱き返すことはせず、発作のように「リンナ」と呻いた。

 顔を見ないように胸元に顔を埋めたが、リンナは大きく目を見開いたままだった。


 彼は何を恐れている? ロガスや猫に長生きしろと言い、いずれ離別する使用人に対しては一線を引く、それらの態度と、自分に対しての振る舞いとの間に、何の違いがある?


 限界まで身を縮め、アルラスの懐に潜り込む。それなのに、背後に回した断頭台から、さざ波のように冷気が迫ってくる。

「離れてくれ」

 アルラスの声は震えていた。「頼む」と片手で顔を覆う。

「嫌です」

 そう言って胸元に齧り付きながら、リンナは息を詰めた。

 こうして彼の鼓動を聞いたいま、彼が最も恐れていることの正体が、目の前にはっきりと見えた。


(このひとは、それしかないと判断したなら、私を殺す覚悟ができているのだ)


 彼は自らの強い信念に基づいて、自らの意思をきっと殺してみせるだろう。

 そのときすり潰される彼の魂を思うと目眩がした。

 手足はすっかり冷え切って、耳や鼻の先は痛いほどに痺れている。


「閣下……」

 ゆっくりと顔を上げて、両手を彼の胸に添えて、リンナは囁いた。

「あなたが、私のことを信じてくれて、本当に嬉しかった」

 呪術を私利私欲に使ったりしないと言ってくれたことだけではない。博物館で被害に遭った警備員らの解呪をしたいと言ったときに信じてくれたことも、期待をかけてくれたことも嬉しかった。


「私、逃げようと思えば、いつだってできたんですよ。痕跡ひとつ残さず消えることなんて、いつでもできるんですよ」

「でも、君は逃げなかったじゃないか」

 頭上から、音もなく、小さな雪の欠片が降ってくる。アルラスの頬に落ちた雪片が、一秒も経たずにふわりと潤んで消えた。


「だって、閣下と一緒にいるのが、楽しかったんだもの」

 目元を緩めたときに、大粒の雪がまなじりに着地した。瞬く間に解けて、雫になって頬を伝う。その感触に意識を向けながら、リンナは有無を言わせずに唱えた。


『硬直』

 瞬間、アルラスの四肢が強ばった。その表情だけが、焦りを雄弁に伝えている。

 宙を舞う薄片は、徐々に大きさと密度を増してゆく。

 肩に降り積もる雪をやさしく払ってやって、リンナは続けざまに呟いた。


『以下に記憶操作の呪術を命ずる』

「なにを……!」

 反駁したアルラスを、指一本で黙らせる。見えない大きな手で口を塞がれたように、アルラスの声がくぐもった。

 ふわりと髪が浮き上がる。腕に鳥肌が立つ。寒さのせいではなかった。

 身体の中を、巨大な力が駆け巡っている。


『条件を指定。対象が術者を攻撃し、死亡を確認した場合、その三日後に』

 ――もし、あなたが私を処刑しなければならないことがあれば、

『期間を指定。術者と対象が出会った時刻から、条件を満たした時刻まで』

『範囲を指定。術者に関する記憶のすべて』

 ――私とあなたが出会ってからの、私についての記憶を、


 見開かれたアルラスの両目が、眼窩で揺れていた。

 首を振る。駄目だ、とその唇が動いた。

 リンナは微笑んで、アルラスの蒼白な顔を見上げていた。


『以上の指定に則って、記憶消去の呪術および補間を実行する』

 ――すべて消去する。


 呪文の最後の一音の呼気が唇から漏れた瞬間、疲労感が肩を襲った。条件が複雑で大規模な呪いは、術者の体力を奪う。

 視線が重なると、アルラスは既に泣きそうな顔をしていた。

「私も、ここに来てから毎日楽しいです。あなたが私を見つけてくれて、ほんとうに良かった」

 雪がすべての音を吸い取ってしまったように、なにひとつ音がしなかった。


「この呪いのことも、ここでのことも、忘れてしまっていいですからね」

 頬を両手で包んで、リンナは踵を浮かせる。身動きの取れないアルラスに口づけるのは、石像を相手にするのと何も変わらなかった。


 外気で熱を失った唇に触れたまま囁く――『忘却』。



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