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002:歴史に残る死の呪い 2



「ああ、それは災難だったな」と、感情のこもっていない感想が返される。


「もう良い歳だと思うが、相手の一人もいないとくれば、母君もきっと気を揉んでおられるだろう。どうだ、これを機に女の幸せってやつをだな」

「やだ、随分と年寄りくさい物言いですのね。私、自分で生計を立てる目処はついていますし、研究一筋の人生で何も問題ありませんわ」


 互いにかちんと来たのが、目を見ただけで分かった。

 アルラスは肘掛けに頬杖をつき、苛々と指先でこめかみを打っている。

「そういうあなたは、さぞや素敵なご結婚を?」

「いや、俺は」

 痛いところを突かれたらしい。アルラスは目を逸らすと渋い顔で黙り込んだ。指の動きが止まる。


「……まあ、呪術なんぞに傾倒し、客人を言い負かすことに余念がないじゃじゃ馬は、嫁の貰い手もないだろうからな」

「下手な負け惜しみだわ。ご結婚されていない理由も察せられるというものですね。言葉を選ぶという芸当は、実直なあなたには少し難解すぎるみたい。女性に限らず、あなたと生活を共にするには並大抵の忍耐力では務まりませんわね。それこそ聖母のように無償の愛を注ぎ続けられる方を探した方がよくってよ……実在すれば、ですけど」

「ほら見たことか! そういうところを言っているんだ、そういうところを!」


 はん、と顎を上げたリンナを指さして、アルラスは鼻に皺を寄せた。

「どうして俺が、相手の顔色を窺って媚びへつらうような真似をせねばならんのだ」

「人は一人で生きられませんのよ。双方が円滑な人間関係を築く努力をするのが最低限の礼儀じゃありませんこと」

「どうやら貴様も、その最低限の礼儀を果たせていないように見受けられるがな」

「あら、私、礼儀を失している方に払うべき礼儀は持ち合わせていませんの」

 人払いをしたのは正解だった。来客にこんな態度を取っているところを見たら、母が泡を吹いて卒倒しかねない。


「だいいち、人間関係なんてのは根本的に無意味なものだ」

「分かった、あなた友達いないわね」

「それは貴様の自己紹介だ」

「大学に入ってからは友人もできました。高等部までは……ちょっと、水が合わなかっただけ」

 肩を竦めると、アルラスは憎たらしい仕草で真似をした。

 あまりにむかついて、目の前がくらくらする。

「友人がいた方が良いというのは、他人に縋らないと生きていけない弱者の言い分だ」

「あー、それって友達がいない人の常套句だわ!」

「どうせいつか失う友を得て何になる!」

「真心で接すれば、一生の友達だってできるものよ!」


 売り言葉に買い言葉。どんどん声が大きくなり、リンナはついに机に手をついた。

「友達を失うのは、あなたのせいなんじゃないの!?」

 立ち上がって言い放った瞬間、それまでの応酬が嘘のような沈黙が落ちた。恐ろしいほどの静寂だった。


 アルラスは心持ち顔を伏せたまま黙っていた。目元に影が落ち、表情が分からない。

 さすがに気圧されたリンナの眼前で、アルラスは低い声で呻いた。

「――何も知らない女に、とやかく言われる筋合いはない」

 あまりに暗い声だった。言葉を失ったまま、身動きもできなかった。

「し、知らないも何も、言われていないんだから知るはずないじゃない」

 臆したことを悟られまいと、返事は必要以上に強くなった。短い舌打ちとともに、威圧がふっと掻き消える。


「帰る」

 肘掛けを押して立ち上がったアルラスに、リンナはへなへなとへたり込んだ。

 長椅子の上で小さく体が跳ねる。心臓が今なお嫌な鼓動を打っていた。

 触れてはいけないところに踏み込んでしまった。ばつの悪さを噛みしめる裏で、好奇心が頭をもたげるのも否定できなかった。

 このひとは、どうやらここが急所らしい。


「待ってください。私、まだ何も聞いていません。どうして研究をやめさせたいのかとか、」

「貴様と話すことは、何もない。あとは他の人間を通して通達する」

 呻いて、アルラスは横を通って部屋を出て行こうとする。リンナは顔を動かさないまま、彼の様子を目で追った。

「どうして親しい人がいないのか、とか」

「君は論文の推敲より先にその減らず口を矯正しろ」

 その手が扉に伸びる寸前、息を詰めて体を傾けた。


 指を絡めて印を結ぶ。

 二百年もの昔に消え去った、古いことばでただ一言。

『真実を顕せ』

 紅を乗せた唇が空気を震わせ、微細な振動が広がってゆく。

 幸いにもアルラスは背を向けており、気付いた様子はなかった。

 慎重に言葉を選ぶ。

「どうしてご結婚されていないのかとかも、気になるわ」

 真鍮の取っ手を握ったまま、大きな背中が震える。

「俺だって、できることなら」

 呻き声は途中で掠れて最後まで聞こえなかった。取っ手に触れた指先は真っ白で、扉が軋むほど力が込められている。


「なあ。必ず置いていかれると分かっている相手に心を開いて、いったい何になる? なにが楽しい?」

 夜の湖を覗き込んだような心地がした。扉の前で項垂れた青年の背後に、果てしない深淵が見えた。

 リンナは息を飲んで後じさる。


「この二百年で嫌というほど痛感した。どうせ俺は永遠に死ねんのだ、……一人で生きようとすることの何が悪い。これ以上、誰も失いたくないと願うことが、貴様にそれほど責め立てられなければならない決意なのか!」


 吠えて、彼は弾かれたように振り返った。片手で口を覆い、その手がはたと落ちる。

 まるで時が止まったようだった。

「……貴様、何を……した」

 油の切れた蝶番が軋むみたいに、ゆっくりと、ぎこちない動きでアルラスが一歩踏み出す。


 リンナは咄嗟に印を結んだ手を背後に隠した。

「な、なにも」

「喋るな。一言でも口を聞けば殺す」

「あなたが訊いたんじゃない!」

 言い終わるより先に、リンナは無理やり腕を掴まれて悲鳴を上げた。踵が浮く。大きな手で顔を掴まれ、掌で口を塞がれた。


「なるほど、自白の呪術だな? 尋問官気取りとはお見それした」

 指を組んでいた片手を捻りあげられ、掌の下でくぐもった呻き声を漏らす。絡めていた指を崩し、指先まで動かせないように握られた。あまりに強く顔を覆われて息ができない。


 拘束されながらも、リンナの思考はかつてない速度で回転していた。

(……にひゃくねん)

 脳裏をよぎるのは、この世で、呪術が歴史に刻まれた最後のできごとである。

 二百年前、呪術師が消滅する、寸前のこと。

 時の王弟であり、兄の戴冠式で暗殺者によって放たれた死の呪いを、身を呈して跳ね返した英雄そのひと。


 教科書に載るような偉人ではない。けれど、リンナにとっては、当代の王や王子などよりもはるかに重要な王族の名だった。

 呪術師がかつて民を震撼させたという、悪名高き死の呪い。免れることは決してできず、ゆえに呪術師は恐れられてきた。

 死の呪いを受けてなお生き残った人間の記録を、リンナはほかに見聞きしたことがない。

 まさに奇跡だ。どうせ、呪術師の滅亡の理由として後世に創り出された話だろうと思っていた。


「ロルタナ・A・アドマリアス……」

 口の端で呻いた瞬間、アルラスの顔色がさっと変わるのを見た。無理に微笑もうとでもしたのか、頬がぴくりと動く。

「今なんと言った? もう一度言ってみろ」

 自分で口を塞いでおいて無茶を言う。首を横に振るが、手は離れなかった。

「……さすがはアールヴェリ大学首席の呪術研究者どのだな。素晴らしい洞察力だ」

 全く思っていなさそうな口調で吐き捨てる。


 リンナをくるりと反転させると、アルラスは突如として嘘くさい笑顔を浮かべた。

「気が変わった、君を妻に迎えることにしよう。ああ、これは良い案だな」

 両手首をまとめて掴まれたまま、リンナは顔を覆う手を振り払った。

 肩で息をしながら、とうとう耳がおかしくなったかと疑う。

「……何を仰っているのか、さっぱり分からないわ」

「なに、れっきとした恋愛結婚をしようって話さ――つい一目惚れしてしまってな。現代的かつ社会的だろう? 君の忠告を受け入れてのことだ」

「だから、何の話だって……」


 踏ん張って手をはずそうとするが、万力のような手はびくともしなかった。

 他に誰もいない、陽当たりの良い真昼の応接間の真ん中で、両者は鼻が触れ合いそうな距離で睨み合っていた。

「君はこの期に及んで、自分に拒否権があるとでも思っているのか?」

 吐き捨てられた一言に、リンナは冷水を浴びせかけられた思いがした。知らないうちに、背中に汗をかいていた。


 アルラスは頬を釣りあげて囁いた。

「俺の名前が刻まれた墓はすでに随分と寂れている。肖像画はすべて焼かせた。俺が今なお生きていることを知っているのは、直系の王族などごく少数の人間に限られる」

 あまりに縁の遠い単語がいくつも並んだから、理解に時間がかかった。

 このひとは、肖像画が描かれる時代から生きている王族なのだ。気付いた途端に手足が震え始める。


「立場が必要とされる際は、王家の傍流を名乗ることを許されている。これは大抵の横暴が許される切符というやつだ」

 指を立てて語る姿が恐ろしかった。芝居がかっておどけた口調なのに、彼が激昂しているのが手に取るように分かる。

「どうだ。才女殿なら、状況を踏まえて正しい返事ができるな?」

 いや、と答えたが、蚊が鳴くような声しか出なかった。アルラスは長椅子に向かってリンナを放ると、苛立たしげに両手を腰に当てた。尻餅をついた拍子に、足が机に当たった。


 鈴が床に落ちて、高く澄んだ音を響かせる。用があれば合図するようにと置かれていた鈴だった。

 リンナは弾かれたように扉の方を見やった。

 程なくして人が来ると分かっていても、アルラスは泰然とこちらを見下ろしている。

「分かっていないな。軍隊が突入して強制的に連行されるか、誰ひとり怪我もなく穏便に連行されるかの二択が、そんなに難しいか?」

 ろくでもない択一式に、開いた口が塞がらない。腰が抜けたリンナに手を差し伸べて、アルラスは横目で扉を一瞥する。


 足音は板一枚挟んだすぐそこまで近づいてきていた。

 素早いノックから間を置かずに扉が開く。

「失礼します」と入ってきたのは母だった。言葉には出さないまでも、半開きにしたはずの扉が閉め切られていたことを不審がる表情である。

 長椅子に転がったリンナと、その前に立ちはだかるアルラスの姿を認めた瞬間、母の眼差しは一気に剣呑になった。


「リンナが、なにか粗相をしましたでしょうか」

 問いかけを受けて、アルラスとリンナは互いに目配せをした。したかしていないかで言ったら、明らかに「した」。


 彼は心底文句を言いたそうだったが、母を向いたときには笑顔になっていた。

「いや、少しふらついてしまったところにお手を貸そうとしていたところで」

 言いながらリンナを助け起こし、親しみを込めた手つきで背中を軽く押す。なれなれしい振る舞いに母は目を剥くが、すんでのところで言葉を飲んだ。

 お母様、と駆け出そうとして、背後から腕を取られる。

「君を黙らせる手段はいくらでもあるぞ。君のお母上が泣き叫ぶのが見たいか」

 それまでとは異なる寒気が背筋を襲った。燃え盛っていた反抗心が音を立てて折れる。

 言うことを聞かせるためなら、そこまでするの?

 振り返ったときには、悔しさのあまり涙さえ浮かんでいた。アルラスの手を掴み、爪を突き立てながら囁く。


「……お母様に手を出したら、私、ぜったいに許さないから」

 アルラスは虚を衝かれたように瞬きをした。その隙を突いて、リンナは素早く身を翻して母のもとへ駆け寄った。

「お母様」と両手を伸ばす。母は応えず、片手をリンナの頭に掲げた。

 転んだ拍子に乱れた髪を優しく撫で下ろしながら、母はじっと目の奥を覗いてくる。背後から突き刺さる視線を黙殺して、リンナも母の両目を見つめ返した。

「お母様、私ね」

 微笑みかけると、母の眼差しは素早くリンナとアルラスの間を行き来する。

 どうしたの、と母は不安げな声音で問うた。


 薄曇りが過ぎ去ったか、窓から射し込む陽射しが明るさを増す。母の顔に光が当たり、飴色をした瞳がなめらかに光った。瞳の中に自分の顔が映っている。

 母の瞳よりすこしだけ赤みの強い両目と、お揃いの茶色の髪。幼い頃から何度も櫛を通してくれた髪である。

 母はどんなときだってリンナの味方だった。

 それ以上見ていられず、目線を下げた。

 背後に立つ男の影が、すぐ足元まで伸びてきていた。

 目を伏せたまま、リンナは口を開く。

「私、このひとと結婚するわ」

 平坦な声で告げたとき、耳の奥は激しく脈打ち、今にも血が吹き出そうだった。


 母の顔は見られなかった。体ごと横を向くと、リンナはアルラスに向かって踏み出した。

「待って、リンナ。そんないきなり言われたって困るわ」

「私がそうしたいの。おねがい、お母様」

 右手で左手を強く握りしめる。声が震えないようにするので精一杯だった。

 アルラスはリンナの肩を抱いて「よくやった」と囁き、母に向かって笑顔を向ける。


 彼は大股で距離を詰めると、懐から何かを取り出した。鎖がついた金属で、懐中時計に見えた。

 母が目を見開く。けったいな紋章が刻まれていたのだろう。母はすっかり恐縮した様子で顔を上げた。

「お……王家の方でいらっしゃる?」

「ええ、ただし傍流かつ、あまり公にはできない立場で。今日のこともどうか内密に」

 嘘ではない説明に、母に見えない角度で唇をひん曲げる。きっと母は、近年の王家にまつわる政治関係について想像を巡らせていることだろう。


 アルラスは胸に手を当てて眦を下げた。彼の役者ぶりは賞賛に値する。

「けれど、それゆえに、身の回りに関することは裁量が効く。彼女にこうして話を持ちかけたのは、俺個人の我儘です」

 降って湧いていきなりまとまった話に、母は警戒を捨てきれない様子だった。何度も目配せをしてくるのに、リンナはどうしても顔を見ることができなかった。

 アルラスはつと黙り、腕を伸ばしてリンナを捕まえる。母と向かい合わせになるよう手を引いて、彼は慎重な手つきで背を押した。

 ついに耐えきれず、リンナはおずおずと顔を上げる。心配そうに眉根を寄せて、母の両手が指先を包んだ。


 リンナが一言でも助けを求めれば、母はすぐにでも壁に飾っている剣を手に取るだろう。骨董品も同然の古めかしい代物だが、今でも定期的に職人に手入れをさせている真剣である。

「お母様。私、お母様が思っているより強い娘よ」


 リンナは素早くそう告げた。母の唇が歪んで、言葉を飲み込む。

 ゆっくりと手を引くと、手のひらを冷たい空気が撫でた。

 母娘の顔を見比べて、アルラスはひとこと言った。

「大切にします」


 たったそれだけの会話で、リンナの嫁入りはあっさりと決定したのだった。

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