018:古城でのこと 3
「紹介しよう、こちらはレイテーク城の管理、保全担当のレピテ」
「レピテです。奥方様の身辺に関しても担当させていただきます」
一礼してレピテが顔を上げる。十代後半といった年頃で、今どきの流行に敏感な少女にみえた。吊り目がちの大きな目が、不躾なくらいにリンナを凝視している。
「そして、こちらがうちの料理長兼、警備担当のヘレック」
「料理長と警備を兼任ですって?」
そんな兼業、聞いたことがない。目を剥いたリンナをよそに、へレックは平然と一礼してみせる。細身で色白、垂れ目気味で優しそうな青年である。
「へレックです。前職では、王都のほうで魔道具の開発をしていました。料理に関しても、別れた彼女がいつも美味しいと言っていたので、腕前は確かだと思います。まあ、彼女の胃袋は掴みきれなかったんですけどね! ははは、はは……」
……これはどうやら様子がおかしい。
乾いた笑い声を上げるへレックから視線を外し、リンナは城の外壁を端から端まで眺めた。しんとして、物音ひとつしない。
「……他の皆様は、お城の中に?」
慎重に確認したリンナを見下ろして、アルラスが首を傾げる。
「ロガスはあとから来るぞ」
「いえ、ロガスさんのことではなくって」
片手を左右に振って、リンナは城の方を指し示した。
「たとえば、庭師の方とかは?」
「あ、お庭のお掃除はわたしが担当しております!」
「門番とか」
「見張りは、僕とレピテと旦那様が交代で行っています」
これはいよいよ雲行きが怪しくなってきた。
「アルラス」とリンナは努めて気楽な声を出した。
「このお城で働いている方って、何人くらいいらっしゃるの?」
「三人だ」
「だと思った!」
被っていた猫を脱ぎ捨てて叫ぶ。
考えてみれば分かったはずだ。
人に素性を知られるとまずいアルラスが、何十人何百人と使用人を雇って傍においているわけがない。
慌てふためくのはレピテとへレックである。
「旦那様、もしかして奥方様は人がたくさんいる賑やかなお城を想像していたんじゃないですか!?」
「お、奥方様、わたしたち、一人あたり百人くらいは働きます、実質三百人です!」
懸命に弁明する二人を、こちらも慌てて落ち着かせる。
「ごめんなさい、不満がある訳じゃないんです。ただ、本当に何も聞いていなかったものですから、驚いて……」
アルラスを振り返り、リンナは白々しく頬に手を当てた。
「あなたったら、いつだって説明が少ないんだから。口を開けば意地悪ばかりで、ほんとうに性格の悪いひと」
もう、と胸の辺りを指先でつっついてやると、一瞬、恐ろしいほどの殺気が漂った。こわごわ視線を上げれば、両目をかっぴらいたアルラスがこちらを睨めつけている。
「……そうだな、驚いた君の顔があんまり可愛いものだから、つい」
この笑顔がいっそ怖い。引きつった表情でアルラスを見上げていると、すぐ目の前で声がした。
「おやおや、まだ城門すら開けていなかったんですか」
閉じたままの城門の向こうから、ロガスがふらりと姿を現す。「玄関で待っていたんですよ」と言いながら、彼はちらと視線を動かした。
「へレック、奥方様をご案内して差し上げなさい」
ロガスに合図されて、へレックは浅く頷いた。
「下がってください」
へレックの声音が変わる。
にわかに真剣味を帯びた声に、リンナは目を丸くした。アルラスに促されて数歩下がる。
蔦の絡んだ鉄格子と、流線型を描く金属の装飾。左右に苔むした石柱を構え、黒ずんだ門は堅牢に城への入り口を塞いでいる。
一対の門には錠前のようなものは見受けられず、押せば簡単に開いてしまいそうにも見えた。来客を出迎えるための、華やかな飾りの門に思える。
そうでないことは、すぐに知れた。
門の鉄格子の間が大きく揺らめいた。
驚いて瞬きをすれば、格子の間に膜が張っているのが分かる。膜はさざ波のように震えて、虹色の輝きを放っている。油膜にも似ていたが、あれよりずっと柔らかい色彩である。
膜が大きく揺れた直後、門の向こうのロガスの姿が、ぼやけて消えた。その光景の違和感に、一拍遅れて気づく。消えたのはロガスだけで、その背後の景色はさっきと全く変わらないのだ。ロガスだけが、こちらから見えなくなった。
……いや、初めから彼は門の向こうになどいなかったのだろうか?
「奥方様は、この城を、歴史に取り残された、古くて寂しい遺跡と思っておられるかもしれません」
腕を真っ直ぐに伸ばして両手を前に突きだし、へレックが呟く。
「けれどここは、この国で最も高度な魔術で守護され、すべてを魔術によって制御されている、世界で唯一の城です」
若い青年の瞳が、瑞々しく輝いていた。
「わたしたち、普通のメイドや兵士の百倍は働きます」
レピテが熱のこもった声で囁く。
「この城のシステムは、すべて旦那様が作られました。この城では、わたしみたいに不器用なメイドだって、人一倍にお役目を果たせるんです」
すべてが魔術で制御された城。ひとりの人間が作り上げた、一体のシステム。
門の向こうに見えていたロガスは、恐らく城内から投影された幻影だ。そうした魔術は現に存在する。
だが、全身を映し出し、まるでその場にいるかのように見せる魔術なんて、聞いたことがない。
「さしずめ、この門すべてが大きな画面だと思ってくれればいい」とアルラスは指をさした。
「この門は、門の前に立つ人間の両目の位置を認識し、その地点から門の向こうが自然に見える光景を算出して映し出す。現状では五人程度しか対応できないが、十分な性能だ」
あえて何気ない口調で語りつつ、浮き足立っているのを隠しきれない様子だった。こちらを見るアルラスの目が、なにかを期待するように輝いている。
リンナは顎に手を添え、まじまじと門を見上げた。
「つまり、五人までなら、それぞれの視点から別の映像が見せられるってことですか?」
「城内に、応対用の姿見を設置してある。それを起動させれば、姿を投影することも可能」
「すごい……!」
上気した頬で隣を見れば、アルラスが得意げに口の端を上げている。してやられた、と思った。
悔しいと思うのに、それなのに、興味を引かれて仕方がない。
「良い城だろう?」
目を細めて、アルラスは誇らしそうだった。憎まれ口はいくらでも思いついたが、あえてそれらを却下する。
「……ええ、最高」
「君はこういうので喜んでくれると思った」
素直に頷くと、アルラスは破顔した。
へレックの声かけで、リンナは揺らめく門へと歩み出した。
幻影が解かれたのだろう、城の入り口は先程までとは様変わりして、色とりどりの花で飾られている。歓迎ムードである。
「奥方様が入城できるよう設定を行いますね。そこの突起に手を触れて、お名前をお願いします」
説明を受けながら、リンナはおずおずと手を伸ばす。ひんやりと冷たい鉄格子に手のひらを触れた。
「エディリンナ・リュヌエール」
初めて口にした名前が、舌に違和感を残す。
思わず唇をひん曲げると、「おい」と背後から声が飛んだ。
「いま、入城許可の帳簿に、その顔が記録されたからな」
「ええ! 聞いてないです」
「こんなところでふざける奴があるか! 俺の注意不足だとでも?」
「だ、だって知らなかったんですもん! すぐ消してください!」
「不正な操作を防止するため、記録の消去、改竄はできないようにしてある」
厳格な口調で告げられ、リンナは青ざめる。じゃあ、これから城を出入りするたびに、毎度あの顔をしなければならないのか。
(そんな重要な登録ならもっと早く言ってほしいわ)
言葉を失ったリンナを眺め下ろして、アルラスが鼻を慣らした。
「……待ってろ。三日で城の登録システムを改修して、別の顔で登録できるようにしてやる」
「一日でやってください」
「半日で済ませる」
「だいたい、説明が足りないのよ、説明が」
「貴様の常識と理解力が不足しているんだぞ」
散々言い合ってから、同時に我に返る。まずい。息を飲んで、ゆっくりとレピテたちの方を振り返った。
二人揃って、満面の笑みである。
「お二人とも、とっても仲がよろしいんですね」
「ねぇ! 素敵ですよね」
にこにこと頷き合っている使用人ふたりに向かって、リンナとアルラスは「そんなんじゃない!」と同時に吠えた。
一拍おいてから、再び大きな声を出す。
「そんなんじゃないって何!?」
「そんなんじゃなくないよな、俺たち仲良しだもんな」
「ええ! もちろん」
仲良く肩を組んで、揃って親指を立てた。
引きつった笑みを浮かべながら、巨大な疑問が頭に浮かぶ。……新婚夫婦って、こういうことだっけ?




