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呪術臨界点 -年上夫を呪い殺すための基礎研究-  作者: 冬至 春化
3章

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017:古城でのこと 2


 アルラスはしばらく水の中に手を突っ込んで奮闘したのち、疲れた様子で体を舟上に戻した。

「もう少ししたら動き出すから、待っていてくれ」

 はぁいとわざと間延びした返事をして、リンナは膝に頬杖をつく。


 深い水の上で身動きが取れない、この状況が不安じゃないと言えば、嘘になった。

 自らの頬を指先で軽く叩きながら、リンナは平常心を保とうと、空や足元などを順に見る。

 水音がなくなると、舟の上は今度こそ本当に静寂に包まれた。アルラスは手を振って水を切り、ため息をつく。

 一連の大袈裟な仕草をこなして、それから彼はちらりと上目遣いでリンナを見た。


「リンナ」

 初めての呼びかけだった。目を丸くしていると、アルラスは静かに手を差し伸べる。

 伸びてきた手を避けられるほどの広さはなかった。

 握手でも求められているんだろうか? おずおずと手を出すと、彼は慎重に掌をすくい上げる。


「まだ若い君の将来を一方的に奪ったことに関して、申し訳ないと思っている。でも他に手段はなかったし、今でも君を自由にしてやるつもりはない」

 リンナは無言でその言葉を受け止めた。反抗心と好奇心が喧嘩をして、何と返事をして良いか分からなかった。

「君のお母上に言ったことは、嘘ではない」


 山を吹き下ろした風は、水面を舐めてひんやりと湿っていた。遠くの水面に空の色が写っていることが何だかやけに興味深かった。

 アルラスの肩越しの景色を眺めながら、リンナは平坦に返す。

「……閣下、何か言いましたっけ?」

「大切にする」

 アルラスは生真面目な口調で告げた。


 彼はこんなときばかりは照れないようだった。

 気恥ずかしさが込み上げて、リンナは変に頬を曲げた。舟の上じゃなかったら走って逃げていたのに。

「君を、万難から排する……ように努力すると誓う。君を危険な目に晒したりしない」

 妥協した誓いの言葉を笑おうとして、その視線の鋭さに気付いて、息を飲む。


 彼の目つきは、初めてリンナを見下ろしたときと同じように鋭く光っていた。

「だから、君も約束してほしい。どんな話でも聞くから、俺に相談もなしに勝手な行動を起こさないでくれ。俺が手を引けと言えば、ぜんぶ忘れて退いてくれ」

 先日の事件に関しての忠告だと悟って、リンナは唇を引き結ぶ。

 軍の到着が早いことや、箝口令の厳重さには不信感があった。彼はそうしたリンナの警戒に気付いていて、いまこうして釘を刺している。


「約束できるか」

 もう一度低い声で迫って、アルラスはじっとこちらを注視した。

 彼の親指が手の甲を撫でた。懐柔するような手つきだった。

「努力するわ」

 躊躇ってから、リンナはぎこちなく答えた。

 アルラスは満足しなかったようだが、それ以上は求めなかった。


 舟がふたたび動き出す。アルラスは舵を取ると、微笑んでこちらを見た。

「ありがとう。歓迎するよ――レイテーク城へようこそ」

 湖へ張り出した尾根をひとつ回り込んだとき、その姿がようやく見えた。

 湖畔に建てられた石造りの大きな城が、山に抱かれるようにしてこちらへ口を開けていた。ところどころの壁に蔓草が張っていたが、それが風情になる程度にはこざっぱりとした外観だ。


 空中に渡された通路や尖塔を見上げながら、舟は城の引込口へと吸い込まれてゆく。

 城壁に等間隔に空けられた小さな穴を横目に見た。なるほど、敵が船で押し寄せてきても、左右から大量の矢を雨あられと降らせるわけだ。

 城の足元の水路へ入ると、一気に辺りが暗くなる。行く手の舫い杭のそばに、人影が見えた。

「お帰りなさいませ、旦那様!」

 明るい声が響くのと同時に、アルラスは特大のため息とともに額を押さえた。


 満面の笑みを浮かべた紳士が、舟を待ち構えて小躍りしている。

 いかにも執事といった風貌で、白いものが混じった髪をひとつに結わえ、丁寧に撫でつけた髪型だ。

 それが、脇を締めて小さくステップを踏んでいる。

 アルラスが顎をしゃくって囁く。

「言っておくと、あれが俺を除いて最年長だ」

「お城の雰囲気はだいたい分かりました」

 リンナは頷いて、視線を前方へ戻した。


 舟から上がるのを率先して手助けし、執事は崩れ落ちそうな笑顔でリンナを覗き込んだ。

「初めまして、ロガスと申します。家令のようなものをしております」

「初めまして、ロガスさん。エディリンナです」

 握手を求められたので手を差し出すと、予想の三割増くらいの強さで握り返される。

「ようこそいらっしゃいました。旦那様をどうぞよろしくお願いいたします」

「あは、あはは……」

 熱のこもった口調に、リンナは乾いた笑いを返すしかない。「ロガス」と呆れた声が飛んできて、アルラスが割って入る。


「あまり圧をかけないでやってくれ、慣れない土地で緊張しているんだ」

 ロガスは申し訳ありませんとすぐさま手を離したが、それでも笑顔のままだった。

 舟を繋いでおくよう声をかけると、アルラスはリンナの手を取って足早に船着き場を出た。

 外へ出てすぐに、城の庭園が広がっている。ぱっと手を離して、アルラスは逃げるように距離を取った。


 灰色の石畳がきっちりと敷かれた小径を通って、城の外壁を回り込む。木立に降り注ぐ木漏れ日は、まるで星空のようにも思えた。

 実に幻想的な風景である。

 大きな減点要素としては、頻繁にため息をついているアルラスが挙げられる。

 五度目のため息を数えると、リンナは呆れ顔で呼びかけた。

「……さっきから、何なんですか?」

「ロガスにいきなり会うとは思わなかった、あれは勘が良いんだ。今のうちに俺たちの出会いの物語を考えておくぞ。やっぱり街角でぶつかるのが王道だろうか」

「嘘くさいだけでなく古くさいわ」

 率直な感想を述べると、目に見えてアルラスの機嫌が降下する。


「演技派は被害面限定か。良妻のふりはできないのか? もう少し夫を立ててみたらどうだ」

「いやです……」

 せめてもの良妻のふりとして、しおらしく答えてみる。猫かぶりでおちょくったことにはちゃんと気付いたらしい。アルラスはかちんときた様子で「もう少し友好的にしろと言っているだけだ」と声を大きくした。

 リンナも負けじと顎を上げる。

「無理難題を強制するのって、さっき言ってた『万難』じゃないですか? 排してください」

「本当にすぐ図に乗る……」


 アルラスが聞こえよがしにぼやく。聞こえないふりをして、リンナは人差し指を立てた。

「いっそ、今は喧嘩中ということにしておくのはどうです? ラブラブ新婚夫婦のふりをするよりは現実的だと思います」

「なるほど、名案だ。君との間に火種になりそうな話題はいくらでもあるぞ」

「奇遇です。私もね、言いたいことなら五分以内に三十は出てきますよ」

 言い合ううちに、城の正面が見えてくる。


 昔は城への主要な通行路だったと思しき道の方に目をやった。石畳は隆起し剥がれ、木の根が食いしばってでこぼことしている。

「あちらには、かつては軍の施設や魔術の研究所、使用人らの寝泊まりする官舎なんかがあった。さらに行くと商店なんかも並んでいて、まあちょっとした城下町だ。そのどれもが既に取り壊されて、今管理下に置かれているのは城の敷地内とその周辺のみだ。それすら全ては管理しきれていない」


 正門が見える。そちらを目指して並んで二人歩きながら、リンナは不思議な心地であたりを見回す。

 よく見ると、太い木の陰に建物の基礎のようなものが見え隠れしていた。

「まあ、人が少ない方が、俺が生きていく上では好都合だからな」とアルラスは嘯いて顔を背ける。

「人がいるところに住んでいちゃ駄目なんですか?」

「俺の素性がバレると色々と面倒だろう」

「ぱっと見普通の人と変わりませんが」

「色々あるんだ」


 ふうん、と言いながら、リンナは木の根に蹴躓いてつんのめった。地面に倒れ込みそうになったリンナの背を、アルラスが咄嗟に支える。すぐに立ち直したのに、腰に回された手がなぜか離れていかない。

「まあ、要するに――」

 アルラスの視線を追って、前方に顔を向ける。

 正門の前で、侍女が両手を口に当て、こちらをじっと凝視している。その横でにこにことこちらを見ているのは下男だろうか。


 アルラスが耳元で囁く。

「――彼らは俺が不老不死とは知らないし、俺がかつての王弟だということも、それらが機密だとも知らないわけだ」

「つまり、訳アリの偽装結婚だと知られちゃ駄目ってことですね?」

「話が早くて結構。賢いな」

 甘やかすように言われて、リンナは耳を疑った。眉をひそめて見上げると、言葉とは裏腹に小馬鹿にしたような顔である。


「流石に到着早々大げんかではあまりに不自然だろう。しかし、どうやら君には人前で態度を装うといった高等技能はないようだからな、俺がいくらでも取り繕ってやることにした。君は一人でへそを曲げていればいい」

 偉そうな態度で言われて、リンナは口元を引き攣らせる。

「それで、私のこと犬みたいに扱おうって?」

「おお、よく分かったな。良い子だ、賢い賢い」

「やめて! 何でそう私の嫌がることばっかり思いつくんですか」


 憤慨して肩を怒らせたリンナは、これこそ思うつぼだと必死に自分に言い聞かせた。ここで声高に文句でも言おうものなら、ほれみたことかとばかりに馬鹿にされるに決まっている。

 勢いよく鼻を鳴らして、リンナは素早くアルラスの腕に前腕を回した。

「これからよろしくお願いしますね――アルラス」

 わざと甘えるように肩口へ頬を寄せる。「お……」とアルラスは何かを言いかけて、それきり黙ってしまった。


「何で黙るんですか!」

 両手で突き飛ばして距離を取る。唇を引き結んだまま、アルラスは虚空を睨みつけていた。

 信じられない。二百歳も生きてきて、この照れっぷり? リンナは肩を竦めた。

「さ、行きましょ! ダーリン」

 ぐいと腕を引いて歩き出す。「誰がダーリンだ」と憎まれ口を聞きながら、リンナは挑戦的に城を見上げた。


 まずは女主人としてこの城を掌握し、発言権を得ることから始めよう。これほどの規模のお城だ、きっと使用人などは二百人を優に超えるはず。

 その過半数も懐柔できれば万々歳である。


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