015:博物館でのこと 10
他の被害者たちの解呪も済ませると、ようやく肩の荷が下りた心地だった。
呪術が犯行に使われたという事実は、一般には伏せておくことになったそうだ。リンナが行った解呪のことも、世間には秘密になる。
精密検査ののちの聴取結果は、報告書のかたちで送付してもらうことで話がついた。
家族の再会に水を差しては無粋である。警察と軍の面々に見送られながら、リンナたちは病棟を出た。
「なんだか、良いことした気分!」
正面玄関からポーチへ出て、明るい往来へと歩いてゆく。真昼の太陽に向かって両の拳を突き上げながら、リンナはまた大きく伸びをした。
両手をポケットに突っ込んで、半歩後ろを歩いていたアルラスが顎をしゃくる。
「さて、ようやく本来の目的地に行くぞ」
「旧都のお城でしたっけ?」
「そうだ。可哀想に、君がここの街で長々滞在していたせいで、うちの料理人が君の歓迎会を開こうと準備をしていたのに、食材がすっかり古くなってしまったらしい」
「まあ、それは勿体ない」
「なので、俺たちを除いた一同でパーティをしていたそうだ。既に酒蔵が空だとか」
「まあ、自由な職場」
もうそろそろ、アルラスが意外と寛容で愉快な人間なのは分かってきたつもりである。
……もちろん、やり口が横暴で、いちいち尊大で、最低限の倫理観と人権意識が足りていない面も否定できない。
「じゃあ、改めて豪勢でゴージャスで超立派な楽しい歓迎会を開いて頂けるのね」
「言っとくが、俺の金だからな」
「閣下の生活費って、私たちが納めた税金とかじゃないの?」
「自分で工面している。はじめに言ったとおり、投資事業なんかが主な収入源だな」
想像より健全な生業に、リンナは唇を尖らせた。どうせ人には言えない商売をしているんだろうと思っていた。何かこう……恐喝とか?
転移ステーション行きの馬車に乗り込みながら、リンナはちらとアルラスを見上げた。
「私の部屋は、陽当たりの良いお部屋にしてくださいね」
「角部屋とその続きの部屋を既に用意させてある。おまけに、書庫に続く廊下の近くだ」
得意げに言って、アルラスが胸を張る。よっぽど良い部屋らしい。
馬車の中は混み合っており、座席はどこも空いていない。片手で手すりに掴まって、リンナは流れてゆく街並みを眺めていた。
事件が起こった博物館の前を通るとき、門扉の脇に掲げられた看板に目が留まった。
特別展示、古代魔法の世界。
門には休館を伝える張り紙がされ、目を上げれば壁が吹き飛んだ一角が見えた。本件は実演展示において使用した機械の不調として片付けられる。関係者には厳戒な箝口令が敷かれた。
窓から吹き込んできた風に髪をそよがせながら、リンナは手すりに肩を預ける。
……こんなふうに、自分が知らないうちに水面下で起こっていることはたくさんあるのだろう。
看板の隅に描かれた呪術師の姿を思った。
突然家へ訪れたアルラスと、彼の用件を思い返す。
(閣下が、呪術の研究をやめるよう言ってきたのは、こうした事件が以前から起こっていたからだろうか)
視線に気付いて、アルラスが振り返った。眩しそうに目を細めて、「どうした」と囁く。
ううん、なんでもないと答えながら、リンナはそっと視線を外へ移した。
(軍が来るのが、早すぎるって思ったの)
自分が川から上がってきたとき、エルウィの証言を聞き届けたのは軍人であるイーニルだった。
警察が駆けつけるなら分かる。でも、この街に駐屯地があるわけでもなく、発生直後は事故か事件かも分からない一件を、軍があの時点で取り仕切っているのは不自然だ。
「……閣下は、私は犯人じゃないって信じているんですか?」
吊革に掴まりながら、アルラスは横目でこちらを見た。
彼の空いていた指先がリンナの肩を軽く打つ。周囲の物音が一気に遠ざかり、防音の魔術をかけられたと分かった。
アルラスは言葉少なに答える。
「君じゃない」
「どうして言い切れるんですか? やろうと思えば、絶対に不可能とはいえないわ」
食い下がると、彼は目を閉じて嘆息した。
「二百歳の、勘だ」
体よく逃げられたと気付き、リンナは片眉を上げてアルラスを睨む。彼は睨まれても堂々たる態度である。
当然といえば当然だが、アルラスはもう少し事情を知っている様子だ。そしてそれを話してくれる気はない。
これ以上つついても彼は何も言わないだろう。
諦めてそっぽを向いたリンナに、横から野次がとぶ。
「そんなに軍に連行されたかったか?」
「閣下に拘束されるくらいなら、そっちの方がよかったかも」
売り言葉に買い言葉で答えると、アルラスの口元に意地悪な笑みが浮かんだ。
「一人であんなに泣いてたのに?」
牢に入れられ、すっかり弱っていたときの記憶が蘇る。迎えが来て、安堵のあまり随分としおらしくなってしまった。ちょっとは泣いた覚えもある。
リンナは真っ赤になって口を開閉させた。今になって、あんな非常事態のことを掘り返すなんて!
「あれは……寒かったし、心細かったから! 誰だってあの状況だったら少しは泣くに決まってるわ」
猛反論から逃げるように、アルラスが身体を反らして笑う。
悪かったと苦笑する顔からは、不自然に大人びた仮面が外れていた。
目的地である転移ステーションの姿が見えてくる。そろそろ降車の準備をしなければと視線を動かすと、アルラスが素早く荷物棚に手を伸ばした。
リンナはしばらく躊躇って、「閣下」と呼びかけた。
荷物を下ろしながら彼が振り返る。怪訝な顔のアルラスを見上げて、リンナは口を開いた。
「鞄、下ろしてくださって、ありがとうございます」
「うん。……どういう風の吹き回しだ?」
ますます不思議そうな表情で、アルラスが首を傾げる。リンナはもじもじと両手の指を絡ませると、「その」と口先を尖らせた。
「話も聞かずに、勝手に呪いをかけて、抜け出してごめんなさい。助けに来てくれてありがとう」
真ん丸に目を見開いたまま、アルラスはたっぷり十秒は固まった。
「今朝、俺は君になにか変なものを食わせただろうか」
一度冗談で返したが、リンナが本気だと気付いて表情を改める。
「あのな」と言いかけたところで馬車が止まった。話は中断してそそくさと馬車を降り、アルラスは歩道の真ん中で向き直った。
風で頬にかかった髪を払いのけ、彼の言葉を待つ。見上げた双眸の奥で、複雑な感情が蠢くのが見えた気がした。
アルラスは慎重に言葉を選ぶ。
「俺は君よりうんと年上で、君が多少の……粗相をしたところで、本気になって怒ったりしない。そんなに改まられると、こっちが困るんだ」
「でも」
聞こうともせず、アルラスはさっさと歩き出して施設の玄関へ向かう。その半歩後ろを小走りで追いながら、リンナはアルラスの顔を覗き込むために首を伸ばした。
目元から耳にかけてが、真っ赤に染まっている。
「いい歳して、これくらいで照れているんですか!」
思わず大きな声を上げると、アルラスは「黙りなさい」と教師のような声を出した。
「こちらが少し優しくしたと思えば、すぐ図に乗りおって」
これ以上つついたら本格的に怒られそうだ。リンナは黙った。
受付で規定の手続きを済ませ、手荷物の検査を受ける。
受付から転移装置までの廊下は長い。大きな街にある転移ステーションということもあって、大勢の旅客が大きな荷物を持ってめいめいの目的地へ向かって歩いている。
大半は王都へ向かう通路に吸い込まれていくようだ。大きな街から大きな街へは、利用者も多いから比較的安価に移動できる。
行き交う人混みをかいくぐりながら、天井近くの看板を頼りに指定された発着場を目指す。
「言っておくが、旧都についたらその反抗的な態度は抑えておくんだぞ」
「はい?」
思い出したような一言に、リンナは首を傾げた。
「どうしてですか」と反抗的に返すと、アルラスは顎を撫でながら目を逸らした。
「……城の人間に連絡した際、根掘り葉掘り聞こうとするのを躱していたせいで、君は人格的に優れ、才能と気品溢れるご令嬢ということになっている」
「あら、なにも間違っていませんよ」
アルラスはもの言いたげな目でこちらを見た。
「で、俺はそんな君に一目惚れし、出会ったその日のうちに素晴らしい景観の公園で求婚し、君もそれに応えてくれたことになっている」
これはひどい。回答をどう誤魔化せばそんなことになるのだろう。現実味がないうえに嘘過ぎる。
十分後には旧都に着いているのに、城に着くまでの間に口裏を合わせろって?
「無理です、無理。お城の人には『俺が脅迫して強制連行しました』って説明してください」
「それこそ無理だ」
声高にごねるリンナに、アルラスはしれっとした様子で応える。
「まあ、善処してくれ」
先行き不安なんてものでは済まない事態が待ち受けるなか、リンナは眼前に近づいてきた転移装置を睨んだ。入り口に様々な装置が取り付けられた小部屋で、何度見ても物々しい風貌だった。
設定と調整は済んでいるらしく、入り口のところで係員が笑顔で待っている。
あれに入ったら、一瞬ではるか遠くの旧都。知らない土地で、知らない人に囲まれて、いけすかない二百歳と新婚生活。
(……いいわよ、やってやろうじゃない!)
ここまで来たら、もうどうにでもなれという境地である。
リンナは勢いよく大きな一歩を踏み出した。
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