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呪術臨界点 -年上夫を呪い殺すための基礎研究-  作者: 冬至 春化
2章

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14/66

014:博物館でのこと 9


 ……そう宣言してから、丸二日が過ぎるのはあっという間だった。

 丸二日も通り越し、三日目の日の出まで迎えそうな勢いだった。

 ケージの底でくったりと横たわり動かないネズミを覗き込んで、リンナは人差し指を立てた。さすがのアルラスも、疲れ果てた表情でケージを見つめている。


 業者の用意したマウスは、数時間前にすべて検証に使ってしまった。明日の昼過ぎにならないと次の個体は手配できないという。

 そういう訳で、いまケージの中にいるネズミは、アルラスが始めに捕まえてきた代物だった。

 近くの住居の基礎をかじった咎で殺処分されようとしていたところを救出したらしい。本来なら今ごろ水に放り込まれているはずだったが、現在は呪術で眠らされ、身体の時間を遅らされている。

 博物館の警備員らとまったく同じ症状である。


 度重なる調整を繰り返し、何度呪文を唱えたか分からない。

 二人揃ってホテルのテーブルを囲み、既に疲労は限界に達しようとしていた。

 アルラスが眉間を揉む。

「次の呪文、自信のほどは?」

「かなり手応えがあります」

 いよいよ大詰めの段階だと分かれば、彼はそれ以上口を挟まなかった。


 窓から射し込む月明かりを受けてなお、目を閉じたまま動かないネズミを二人揃って見つめた。ごくりと唾を飲む。小さく咳払いをしてから、リンナは口を開いた。

『対象の身体の時刻を現実の時刻に変更』

『以下の作業は対象の身体に異常が発生した場合すぐに停止する』

『心肺、脳、臓器の機能、内臓筋を現実の速さに変更』

 解呪に失敗するたびに長くなってきた呪文は、既に一ページを超えていた。上から順に呪文を読み上げるリンナを、アルラスがじっと見つめている。


 人差し指で文字列を追いながら呪文を唱え続け、ついに呪文の終盤に差し掛かる。否応なしに緊張が増す。

『……その他のすべての身体機能を現実の速さに変更。身体の時間の正常化を確認』

 手書きの呪文を読み終え、リンナはこわごわネズミの様子を窺った。

 ネズミの身体が破裂するだとか萎むだとか、目にも留まらぬ速さで動き出すといった様子はない。手応えはあった。

 リンナはケージの扉を一旦開け、薄い手袋を嵌めた手でネズミの身体をひっくり返した。


 真ん丸に膨れた腹が忙しなく上下しているのを見て、思わず歓声を上げそうになる。

「時間を戻せたのか」

「た……たぶんっ」

 アルラスが身を乗り出した。上擦った声で頷きながら、リンナは震える手で指を鳴らした。

『め……目覚めよ』

 眠りの呪いを解くための定型文である。言い終えるか終えないかのうちに、ケージの中のネズミがぴくりと体を動かした。瞼が上がり、黒々とした瞳に光が宿る。

「わ……!」


 言葉にならない声を上げて、リンナはアルラスを見た。大きく目を見開いたアルラスと視線が重なる。

 机の上いっぱいに積み上げられた資料とぼろぼろの辞典、書いては消しを繰り返して真っ黒になった手記が、ここまでの苦労を物語っていた。

「できました! 解呪、成功です!」

「やったぞ!」


 深夜に似つかわしくない大声を上げ、勢い余って抱き合う。

 三秒後に正気に戻って離れた。


 気まずさを誤魔化すように、アルラスが大きな咳払いをする。

「さて、警察に連絡……」

 腰を浮かせかけて、そこで彼は言葉を切った。なにか問題でもあったのか、と視線を追って、リンナは今日で一番の悲鳴を上げた。

 ケージの中はもぬけの殻だった。


「ネズミがいないです!」

「探せ!」

 有事の際の軍隊くらいの声量で怒鳴られ、リンナは飛び上がった。高級ホテルのスイートにネズミを放ったなんて知れたら大問題である。

 貴様がケージを開けっぱなしにするからだぞ、いや目を離したのはお互い様だ、詰めが甘すぎる、間抜けすぎると口汚い罵倒が飛び交う。


 アルラスがでっぷり肥えたネズミを掴み上げたときには、部屋は散らかり放題、双方すでに疲労困憊であった。


 ***


 薄く目を開いた警備員が、困惑したように辺りを見る。

「ここは……?」

 掠れた声が漏れた瞬間、病室に歓声が響いた。「お父さん!」と高い声を上げて、姉弟がベッドに飛びつく。妻は両手で口を覆って崩れ落ちた。


 事件が起きてから四日目である。大きな声を上げて泣く姉弟と、二人を両腕で抱きかかえる父親の姿を眺めながら、リンナは詰めていた息を一気に吐いた。

 安堵のあまり、膝から力が抜ける。リンナは無言で数歩さがると、壁に背を付けて天を仰いだ。

 人の輪から離れ、片手で目元を覆って、涙をそっと拭った。


(よかった。……ほんとうに、よかった)

 ずっと不安でいっぱいだった。得体の知れない呪いを解くのなんて初めてだった。こんなに注目を受けながら呪術を使うのも初めてだ。

 医師や看護師が雪崩のように病室に入ってくるなか、イーニルが被害者の枕元にかがみ込んだ。その手がすいとこちらを指し示し、目覚めたばかりの被害者の顔がこちらを向いた。


 リンナの顔を、じっと見る。

「いいえ、あの人ではありません」

 その一言を確認して、イーニルは浅く頷いた。

 医師による簡単な問診が行われ、心身に異常はなさそうだと結論が出る。解呪は無事に成功したといって良さそうだ。


 リンナはよろよろと病室を出て通路脇の長椅子に腰かけた。深呼吸をしたところで隣の座面が沈みこみ、リンナは顔を横に向けた。

 アルラスがいつになく柔らかい表情で微笑んでいた。隈を作ったリンナとは対照的に、実に肌つやの良い顔色である。すこし腹が立つ。

「やったな」

「……はい」

 握り拳を差し出され、拳を軽くぶつけて応じた。そのやり取りで、ようやく現実味が湧いてくる。


「この調子で、とっとと死の呪いを作ってくれよ」

 人目を憚って囁かれ、リンナは曖昧に苦笑した。

「頑張ります……けど、さすがに絶対とは言えないわ」

 簡単に安請け合いできる内容ではない。何せ、死の呪いに関する資料は全くと言っていいほど残っていないのだ。自信の持ちきれない態度で答えると、アルラスが口を閉じる。


 膝の上で十指を組んで、彼は言葉を選ぶように視線を上下させた。「あー……」と曖昧に漏らして、それからアルラスはしっかりとした声音で告げる。

「……前言を、撤回しよう。君には無理だと言ったのは、俺の見込み違いだった」

「いいえ、もっと酷いこと言っていましたよ。馬鹿な小娘とか」

「悪かった。俺が間違っていた。謝罪する」

 思いのほか素直に頭を下げたアルラスに、意外な思いで眉を上げる。


「難しいのは分かっている。君が本意ではない経緯でここにいることも、理解している。その上で頼みたい」

 廊下を行き交う人々の顔を眺めてから、彼はこちらを振り返った。

「俺は、君に賭けたい。この二百年、誰も打破することのできなかった状況を、君が、変えてしまう可能性に賭けたいんだ」

 驚きが先に来て、それから、じわじわと口元に笑みが浮かぶ。

「報酬は弾んでくださいよね」

 ふふん、と得意満面で胸を張ると、彼は苦い表情になった。


「とはいえ、今回うまくいったのは結果論でしかないからな」

「どうしてそう一言多いんです。人に優しくしたら死ぬ病気ですか?」

「もしそうなら、俺は今ごろ慈善事業の第一人者になっている」

「全財産を寄付してそう」

「実を言うと、我が家は犬小屋を改築して作ったんだ」

「あはは」


 病院ゆえに笑い声を上げられず、リンナは喉を鳴らして笑った。

 と、ふと足元に影が落ちる。顔を上げると、背の高い女が、にこりともせずにこちらを見下ろしている。

「イーニル少佐、」

 さきほど警備員から、犯人ではないと証言を聞いたはずである。これ以上なんの用事だろう?

 咄嗟に身構えたリンナに、彼女は目を伏せてしばらく黙っていた。リンナは戦闘態勢のままどきどきと待機する。


 ややあって、イーニルは腰から勢いよく頭を下げた。

「……これまでの度重なる無礼を、心よりお詫び申し上げます」

「え!」

 とてもではないが、あの刺々しいイーニルの口から出てきた言葉とは思えない。仰天してアルラスを見やるも、彼は当然だと言わんばかりの態度である。


「いえ、まあ、状況からすれば私が一番犯人でしたし、仕方ないところもありますよ」

 なぜこちらが相手を慰めているのか分からないが、リンナはイーニルに頭をあげるよう声をかける。

 顔を上げたイーニルは、真剣な顔つきで片手を胸に当てていた。式典の場でしか見ないような、儀礼的な敬意の示しかただった。


「エディリンナ様。解呪に関するご尽力に、心から感謝します。……本当にありがとうございました」

 イーニルの顔を見上げて、リンナはちょっと微笑んだ。本当は飛び上がりたいほど嬉しかったが、そこは見栄である。

 家族に囲まれている警備員の方に視線を向けながら、平然と肩を竦めてみせた。

「べつに、大したことじゃないです」


 この数日をずっと見てきたアルラスが、隣で口の端を上げる。

 咳払いひとつ、彼はイーニルに向かって身を乗り出した。

「失礼。この事件に進展が見られたら、連絡していただけるだろうか」

「本当はあまり褒められたことではありませんが……正直、こちらとしても助言をいただけるなら、たいへん助かります」


 イーニルは躊躇いがちに頷いて、それから周囲の目を気にするような仕草をした。

 素早く立ち上がって、リンナは人気のない廊下の先に移動する。

 十分に人気をはばかって、それから彼女は重々しい口調で告げた。

「ご報告が遅れましたが、じつは事件の翌日から、参考人であるエルウィ・トートルエと連絡がつかず、行方も分からない状況です。なにかご存知ではありませんか」


 リンナとアルラスは顔を見合わせた。

 エルウィが行方不明?

「先ほどの面通しで、あなたが犯人ではないという回答を確認しました。もちろん、詳細な取り調べは後日になります」

 イーニルは難しい顔で腰に手を当てた。

「が、エルウィ・トートルエが行方をくらましたことと合わせると、あなたが犯人だと言った彼の証言の信ぴょう性を疑わない訳にはいきません」


 あいにく、エルウィの行先に心当たりはなかった。

 もちろん、彼が嘘の証言をする理由にも心当たりはない。

 イーニルがため息混じりに呟く。

「共犯者の可能性が高い人物の証言ですから」

 リンナは眉をひそめた。「共犯者?」と聞き返すと、イーニルはしまったという顔をした。


 彼女の視線がすいと泳ぐ。

「他に主犯の心当たりがあるんですか?」

 手を緩めることなく追加で問いかけると、彼女は観念して両手を挙げた。

「実は、このような事件はこれが初めてではありません」


 アルラスがぴくりと反応を示し、イーニルに目配せをした。

「それは俺たちが知っても良い内容か?」

「今後、ご協力をお願いするからには仕方ありません」と頷いて、イーニルが声を小さくする。

「これほどの人的被害が出たのは本件が初めてですが、五、六年ほど前から、各地の博物館や図書館などが襲撃される事件が散発しています。そのどれもが、呪いや古代魔術と呼ばれる、昔の魔法技術にまつわる品々が所蔵されていた施設です」


 ……リンナは傍らのアルラスを見上げた。この人は、そういうのの現役世代のひとだし、興味もありそうだけど。

(やったんですか?)

(俺じゃないぞ)

 何も言ってないのに首を振って、アルラスはこちらを睨んだ。

 イーニルは目を伏せていたから、やり取りには気付かなかったらしい。

「素性も、居場所も、目的も分かっていません。ですが、古い技術に対して強い執着をみせる様子から、我々は、その犯人を仮に『博士』と呼称しています」

 背筋に嫌な予感が走ったのは、アルラスも同じだっただろう。


 知らず知らずの間に、彼の前腕を強く掴んでいた。

「ひとつ言えるのは、その者は、何の罪もない人々を害し、その人生を奪うことに躊躇いのない、殺人鬼にも等しい精神性の人間だということです」

 イーニルの言葉が、重くのしかかる。得体の知れない冷たい手が、首筋を撫でるような心地がした。

(人を人とも思わない、殺人鬼……)

 瞬間、リンナの脳裏で何か嫌な既視感がよぎる。


 考えれば考えるほどに、ひたひたと冷たい予感が背後から迫ってくるようだった。

(もし、私が一歩先に気付かなければ、博物館で人が死んでいた)

 魔導機関の目の前に立っていた子どもや、すぐ横で説明をしていた学芸員が、真っ先に爆風を受けただろう。そのあと倒壊した壁や柱に全員が潰されていたかもしれない。


 未だに子どもの歓声が絶えない病室を一瞥した。アルラスと視線が重なる。同じことを思っているのが分かった。

 この事件の裏には、途方もない悪意が広がっている。

「もしかして、古代魔術って、悪いことに使われるものなんですか?」

「さあな」

 アルラスはすぐに答えたが、なにか奥歯に引っかかったような物言いだった。眉をひそめて注視すると、彼は目配せをしてきた。


「問答無用で相手に呪いを使う、無作法で非常識な呪術師なら、ひとり知っているがな」

 何ですって!

 リンナは目を真ん丸にして身を乗り出した。

「呪術師のお知り合いがいるんですか?」

「君のことだぞ」

 鼻先に指を突きつけられて絶句する。

 イーニルは無言で肩を竦めた。


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