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012:博物館でのこと 7



 王家の後ろ盾というものの凄まじさに、リンナは改めて舌を巻いた。

「転移装置のある街、およびそこから短時間で移動が可能なすべての街に対し、白い上着を着た人間の捜索命令が発令されました。この条件では芳しい結果は得られないと思いますが」


 うんざりした顔で報告してきたイーニルに「ありがとうございます」と応じて、リンナは少し唇を尖らせる。アルラスが現れてから一時間もしないうちに、この手際である。

(最初に私が頼んだときは「見つからなかった」しか言わなかったのに……)

 複雑な思いを抱えながら、リンナは慎重に病室の入り口をくぐった。


 日が翳って、病室は仄暗く影が落ちていた。

 椅子に座って啜り泣く少女の横で、三歳ほどの男の子がきょとんとした顔で立ち尽くしている。二人の前には真っ白なベッドがひとつ。

 横たえられた男性は、目を閉じたまま微動だにしない。

 頬の血色は良い。死んでいるようには見えなかったが、呼吸をしている気配もない。

 母親は仕事で遠方に行っており、急いでこちらに向かっている最中だという。


 姉弟は病室に入ってきたリンナを見て、怪訝な顔をした。

「このひとは……?」

 イーニルは少し躊躇ってから、「専門家です」とだけリンナを紹介した。

 一歩前に出ると、リンナは膝に手をついて目線を合わせた。

「初めまして、エディリンナといいます。……お父さんの容態を、少しだけ見させてもらっても良いかな」


 泣き腫らした目で、少女が場所を譲る。まだ十一、二くらいだろう。歳の離れた弟に手招きをして、ぎゅっと抱き寄せる。

「怪しい動きをみせたら、私の全責任で、即座にあなたの頭を撃ち抜くぞ」

 耳元で囁いてきたイーニルを黙殺して、リンナは枕元まで歩み出た。

 眠っているのは、襲撃された保管庫の近くを担当していた警備員だ。事件発生から半日経つが、外界からの刺激に反応する様子は一切見られないそうだ。


「当院で可能な検査はすべて行いましたが、致命的な損傷のようなものは何一つ見つけられませんでした。本件の患者は、全員生きています。それは確かなのです。しかし、」

 医師は説明の途中で、息を詰まらせた。

「――誰もが息をしておらず、脈もありません」

 リンナは浅く頷くと、患者の片手をそっと持ち上げた。


 触れた手のひらは温かく、柔らかかった。眠っている人の手の、しっとりとした感触がある。

 しかし、医師の言うとおり、脈拍はない。口鼻の前に手をかざすが、呼気を感じない。

「これは……」とリンナは患者の顔を覗き込んだまま呟いた。

 可能性をひとつずつ挙げては、順に否定する。


 手首の内側に親指を押し当てたまま、リンナは目を伏せた。

 指先に意識を向け、ともすれば勘違いにも思えるような感覚を探す。

 黙り込んだまま動かないリンナに、イーニルは不審がる声を上げた。

「何をしている」と尖った詰問に返事もせず、リンナはじっと患者の顔を見つめ続けていた。警備員は目を閉じたまま動かない。


 呼応するように、ゆっくりと瞼を下ろした。

(この呪いは、)

 ゆっくりと、本当にゆっくりと、動脈が浮いて、沈んでゆく。わずかな脈動が、親指の下で緩慢に一巡りした。

 業を煮やしたイーニルが銃に手を伸ばしかけた頃、リンナは静かな声で結論づけた。


「身体の時間が、極端に遅らされているんだわ」

 言われて患者の脈を取り始めた医師が、しばらくして息を飲む。

「本当だ……信じがたいほどゆっくりですが、確かに脈拍がある。一般的な脈拍の十倍から二十倍ほどの時間をかけてですが……!」

 まさか、と声を漏らして、イーニルが患者のそばに膝をついた。手袋を外して、患者の首元へ、揃えた指先を当てる。


「脈がある!」

 驚愕の眼差しでこちらを見上げてきたイーニルに、リンナはにこりともせずに応えた。

「でも、それだけではないんです。身体の時間を遅らせるだけじゃ、意識を失ったまま目覚めないことの理由にはならない。別の呪いが一緒にかけられています。それを突き止めなければ、この呪いを解くこともできません」

(拘束の呪い? 体が動かせないようにされているの?)

 顎に手を添えたまま考えこむ。こうなると病室の誰も口を挟もうとはしなかった。


「……彼らは、眠らされているんじゃないか? 君が俺にやったみたいに」

 それまで病室の入口で静観していたアルラスが、おもむろに口を開く。嫌味混じりなのは気にせず、彼の言葉を何度か反芻する。

「眠り……」

 口の中で繰り返して、リンナは息を飲んだ。

「それだわ!」


 指をさして大きな声を出したリンナに、アルラスがちょっとうるさそうに顔を振る。

「呪いは、複数の効果を持たせれば持たせるほど複雑になって、思った効果を持たせるのが難しいんです。眠りの呪いなら、時間を遅らせる呪いと干渉しあうことなく発動できると思います」


 饒舌になったリンナに、一同は呆気に取られたような表情になった。「つまり……?」とイーニルが苦し紛れに問うが、その声はリンナの耳には入らなかった。

「身体の時間を遅らせてから、眠らせる……ちがうわ、眠らせてから時間を遅らせたのね。その方が効率が良いもの」

「目撃者の口を封じるのに、都合が良いという意味だな」


 アルラスだけが、合点がいったように小さく頷く。「はい」と短く応じて、リンナは改めて被害者の顔を見下ろした。

「人の動きを止める呪いはいくつかありますが、最も簡単なのが眠りの術です。元々人体に備わっているはたらきだからです。拘束の呪文は精々数分が限界ですが、眠りの場合は最長で十年にもわたって眠り続けた例が記録されています」


 じゅうねん、と娘が小さな声で呟く。見開かれた両目に涙が浮かぶのを見て、イーニルは膝をついたまま少女の肩を抱いた。非難の視線を向けられて、リンナは目だけで謝罪する。

「もし、十年間眠るようにと呪いをかけられてから、身体の時間を十倍に引き延ばされたと仮定して、……この人は、百年ものあいだ、眠り続けることになる。百年後に目覚めても、事件を知る者は誰も生きていません」

(一人を除いてはね、)


 何気なく一瞥した先で、アルラスの口元は薄く弧を描いていた。が、その苦笑はすぐ普段の仏頂面に取って代わられた。

「しかし、どうしてそんな面倒なことを? 口を塞ぎたいなら、目撃者を全員殺してしまう方が早いでしょう。人を呪い殺すなど、呪術師の十八番のはずです」

 釈然としない様子で、イーニルが食ってかかる。示し合わせたわけでもなく、リンナとアルラスは顔を見合わせた。


「死の呪いは、もう滅んだんですよ。人を呪い殺せる呪術師は、この世に一人もいないんです――いまは」

 言葉尻にわずかな含みが混じったことに気づいたのだろう。アルラスの両目が意味深に細められる。

「もう少し時間をください。使用された呪いが分かっているのなら、解呪できる可能性があります」

 言い切った拍子に頭がくらりとしたが、子どもたちが見ていると気づいて何とか踏みとどまる。寝不足だ。


「……お父さん、助かるんですか?」

 潤んだ瞳で見上げられ、リンナは何とか口角を上げた。

「全力を尽くすね」とだけ応えて、彼女はイーニルを振り返った。

「図書館の一角をお借りしたいです。監視はつけて頂いて結構です」

 ひと晩まともに寝ていないうえ、ろくな食事も摂っていないせいか、全身が重い。しかし、何かに突き動かされるようにリンナは歩き出した。


 やはり被害者は呪いを受けていた。その事実が意味することに、リンナは首筋の毛が逆立つような思いを覚える。

 爆発は、古い呪文札を書き換えた模造品によるものだ。

 ふたつの呪いを掛け合わせて、目撃者の口封じをする。

 どちらも生半可な知識や覚悟でできることではない。


 これほどまでの呪術を使える人間が、この街にいた。あるいは今もなお、すぐ近くにいる。


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