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010:博物館でのこと 5


 警察の取調室には、鉄格子の嵌められた小さな窓ひとつしかない。深夜の空はとっぷりと闇に沈んで、ちっとも明るい気分にはなれなかった。

 複数人の刑事が周囲を取り囲み、威圧的にこちらを見下ろしているとなれば、なおさらだ。


「ですから、私は博物館の企画展を見にきたただの来館者です。あの爆発で死者が出なかったのは私のおかげよ、むしろ表彰されるべきだわ」

 首にかけたタオルで毛先を拭いながら、リンナは強い口調で語った。

 服は着替え、分厚い上着を羽織っても、芯まで冷えた体はなかなか温まらない。こんな状況だから無理もなかった。


 自分では理路整然と話しているつもりなのに、この手応えのなさは初めての経験だった。

「ふーん」と向かいに腰掛けた歳若い刑事はまったく信じていない顔でメモを取っている。その内容の曲解ぶりといったらない。

「待ってください、その記録はおかしいわ。私が『計画的に犯行に及んだ』ですって?」

 どんと机に拳をついて、リンナは身を乗り出した。

「いいから早く、さっき言った橋まで様子を見にいってください! 私、犯人を追いかけて、絶対に捕まえたんです。でも、一瞬のうちに消え失せたの。それで、隣の橋に移動してて」

「既に確認した。言っているような不審な人物は見つからなかった」


 刑事は額を掻きながらため息をつく。

「だいたい、転移装置もなしに人が瞬間移動したって? そんな夢の技術が使えるならどの企業も目も眩むような大金を積むだろうよ。博物館なんて襲っている暇ない」

 自分でも、これが荒唐無稽に聞こえる自覚はあった。でも本当なんだから仕方ない。

 どうすれば信じてもらえるだろう? 目撃者だって皆無じゃないはずだ。


 ……というより、

「エルウィをここに連れてきてください! あのひと、頭が馬鹿になってるわ。犯人を一番近くで見たのは彼よ。それなのに私が犯人だなんて、寝言もいいところだわ」

 返す返すも、彼が川から上がったリンナを指さして妙な証言をしたせいで、自分はこうして取調室に監禁されているのである。


 いったい、どういうつもりだろう?

 まさか共犯者? 可能性が浮かぶが、リンナは頭を振った。

 あの、お調子者とボンボンを絵に描いたようなエルウィを、共犯者に。それってちょっとセンスがなさすぎる。

 まだ震えが止まらない手で、リンナは湯気を立てるコップを口元に運んだ。味のしないただの白湯である。高級な紅茶と焼き菓子を出せとは言わないが、あんまりにも素っ気がない。


「彼にもう一度話を聞いて。衝撃で頭蓋骨にひびでも入ってるかもしれないから、お医者さまにもかかった方が良いわ」

 尖った声で言い放つ。刑事らは肩を竦めて顔を見合わせ、やれやれとため息をついた。

 こちらを怒らせたいのだ。意図には乗るまいと思っていても、自然と頬に熱が集まる。

 背後から控えめな咳払いが聞こえた。

「……現場の状況からして、犯行を行ったのは古代魔法に詳しい人間と推測されている」

 それまで黙って聞いていた刑事の一人だ。女の声だった。エルウィに確認を取っていたのと同じ人間だろう。


 リンナは眉を上げて耳をそばだてる。

「エディリンナ・セラクト。アールヴェリ大学卒業、同大学の研究院に進学して、古代魔法――特に、呪術の実用化に向けた研究を行っていたそうですね」

 女の声が鋭さを増す。リンナは体ごと振り返った。


「私のこと、調べたんですか」

 険しい口調で睨みつけると、相手は口の端だけをちょっと持ち上げて冷笑した。

 三十路ほどの女で、麦わらのように色の薄い金髪を顎の高さで切り揃えている。涼しげな目元で背が高く、厳格そうな雰囲気があった。

 アルラスの性別を変えて、縦の長さを縮めて、横にとても押しつぶして、厚みもなくして脱色したらこんな感じだと思う。


 彼女は細い顎を持ち上げて、冷ややかにリンナを睥睨する。

 その姿をよく見て、女が警察官ではないことに気づく。

 一人だけ異なる形をした制服と、胸の勲章、肩から垂れる飾緒。

(軍の人だわ)

 リンナは密かに目を見開いた。


「この事件の調査を任じられたイーニルです。あなたとは良い関係を築きたい」

 軍の主な仕事は、国の防衛である。こんな地方の街ひとつに常駐などしていないし、大事件とはいえ、公共施設の一部屋が吹き飛んだくらいで軍が出てくるだろうか?

「待ってください。この取り調べって、博物館での爆発についてですよね。どうして軍が出てくるの」

 思わず腰を浮かせると、両側から肩を掴んで引き下ろされる。

 目を細めてイーニルが語る。

「……博物館内の保管庫にて、警備員が倒れているのが発見されました。開館前を狙って、博物館の保管庫に押し入ったとみられます」


 リンナは目を見張った。

 爆発は呪文札の取り違えによるものだと推測していた。事件前に保管庫が襲われていたとなると、話が繋がる。

「その際、犯人を止めようとした警備員六名が、業務に支障の出る大怪我を負いました。彼らは誰も犯人の顔を見ておらず、年齢、性別はおろか、人数さえも分からないと言っています」

 静かな語り口を聞いているうちに、きぃんと耳鳴りがするような気さえする。


 イーニルは平坦な口調で続けた。

「加えて、三名の学芸員、二名の警備員――計五名が、今も意識不明のまま入院しています。医師によれば、これまでに前例のない症状であり、再び目覚める保証はない、と」

 薄い表情は、彼女が怒りを必死に押し殺している裏返しなのだ。そうと気づいて、背筋に嫌な予感が走る。


 断固として頭を振り上げ、イーニルはこちらを正視した。

「我々は本件を、国家の安全を揺るがす重大な事件と位置づけ、軍の管轄下に置くこととしました」

 素早く周囲を見回す。警察は軍の介入に否やを唱える様子はない。

「彼らの人事不省は何らかの術によるものです。しかし、現代魔術は人の意識を奪うことなどできません。専門家のエディリンナ嬢なら、どういうことかお分かりでしょう」

 何を言わせようとしているのかは分かっていた。けれど、それを口にすることは、自白も同然だった。


 イーニルは無言で、リンナに答えを迫っている。解答を出すまで、朝までだって待ち続ける覚悟はできているようだった。

 答えようとして、喉が乾燥で張りついて声が出なかった。いちど唾を飲み、リンナは目を伏せた。

「生物というものは、閉じたひとつの膜に包まれた生命活動のことだと思っています」

 十指を広げた両手を顔の高さに掲げて、掠れた声で囁く。

「その、内側。……生物の状態に影響を与えることができるのは、呪術だけです」


 リンナは、この時代に呪術を扱う人間を、自分以外にひとりも知らない。

 その段になってようやく、リンナは自分が大変な状況に置かれていることを悟った。

 名前を出して、大学で呪術の研究をして、あまつさえ論文まで出した。呪術による犯罪が行われて、たまたま居合わせただけだと言い逃れる?


 はっと息を飲んで見回せば、向けられているのはまるでおぞましいものを見るような、軽蔑の眼差しである。

 気味が悪い、と誰かが吐き捨てる。

 ――呪術はすでに廃れた技術である。

 自白の呪文。服従の呪文。死の呪い。

 他人の意識や身体を術者の思うがままに操る技術を持った呪術師たちは、いつしか忌避され、嫌悪される存在になっていったのだという。

 リンナは無言で首を巡らせた。目が合えば、咄嗟に顔を背ける者もいる。得体の知れないものから目を逸らして、遠ざけようとする。

 これが、当時の呪術師たちが見ていた景色なのか。



 冷たい独房には寝台がひとつきり。シーツに染みついた汚れを眺めながら、リンナは壁に背を預ける。足の多い虫が部屋の隅にいるのは、たぶん気のせいだ。

 大捕物を繰り広げたせいか、川に落ちたせいか、倦怠感で動けない。静かな独房の中にいると、あらためて血の気が引くような思いになる。


 警察はリンナの証言を聞こうとする気は毛頭ない。唯一話が通じそうなイーニルも、あれはあれで生半可な言葉では意見を変えそうにない。

 明日には、軍の本部まで護送され『より厳しい尋問』を受けることになるらしい。

 要は、あまり公言できないような手法で行われる取り調べである。想像しただけで体が震えた。拷問には耐えられそうだろうか? 初めての自問に苦笑する。


 アルラスに連行されたと思えば、数日後には縄を打たれて軍に拘束されるときた。厄日続きだ。

(一体私が何をしたっていうのよ)

 項垂れながら、本当は自分でも分かっていた。

(私が、考えなしに行動をしたから)


 母の顔が咄嗟に浮かんだ。今まで何度もたしなめてきてくれたのに、いつも耳を傾けなかった。

 アルラスだって、全く話が分からないひとではない。きちんと要望すれば、後日また博物館を訪問することだってできたかもしれない。


 独房に暖房設備はなく、冷え切っていた。長時間の尋問を受けた体は疲弊しきっており、まともに目を開けていることも困難だった。

 天井近くに並んだ窓からは、朝焼けだろうか、赤みを帯びた光が淡く射し込んでいる。それを見ながら、リンナは崩れ落ちるようにして意識を失った。


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