事件当日 昼③
王の魔法――故意過失に関わらず、人の行動を起因とする人の死を強制的に阻止する魔法。
ウォールヴルク王国民だけでなく、世界中の人間は王の魔法を前提とした生活を送っている。
その魔法を王族から奪うという行為に目的があるとすれば、それは解除以外考えられない。
そして、解除の先にあるのは……。
だが、大臣達の様子がおかしい。
「……え?」
王の魔法が奪われたことを気にも留めていないかのようだった。
「なぜアンタたちはそんなに平気にしているんだ? 王の魔法が解除されるってコトは、人が人を殺せるようになるんだぞ!? 人類全員が王の魔法が止めてくれる、って油断しているんだ! 間違いなく街がめちゃくちゃになる!! 三日を待たずにみるみる人が死ぬぞッ!!」
まくし立てる俺に、
「そうはならん」ニクソンが侮蔑の眼差しを向けていた。
「……どういうことだ?」
「王の魔法は常にその瞬間に生きている王族に継承されるのだ。よってカイロス陛下が死のうと瞬時に別の王族に引き継がれる為、ミネルヴァ・マーズが王の魔法を奪うことは出来ん」
「だがその王族が全員殺されたんたぞ?」
ミネルヴァは王族を皆殺しにした、と言っていた。
カイロスを最後に殺害したことから考えるに、予め継承先を無くしておくという意図が感じられ、ミネルヴァは平民には知らされていなかった王の魔法の秘密を知っていたと思われる。
王の魔法が奪われたことは明白。それなのに何故これほどまでに落ち着いていられる?
「全員――ではないということだ」
ニクソンの短い言葉は、真相を物語っていた。
「王族には世に公表されていない血族が存在した……?」
おそらく他の街などで隠居し、こういった万が一に備えていた、ということなのだろう。
だが、
「何故隠す必要があった?人間に殺されることはない上、魔物に王族を狙ったり出来るような知能は無い。そもそも今回の事件は極めて稀――予想されていたはずがない。一部の王族は一体何から隠されていたんだ?」
意図の分からない隠蔽に不自然さを覚え、訴えるように尋ねた。
「彼らを何かから隠しているのではなく、彼らを見せられないから隠しているのです」
クボルが呆れ口調で呟いた。
意味が分からずに呆然としていると、ヒューゲルが詳しく説明してくれた。
「アポロ君は、王族の特権――という言葉を聞いたことがあるかな?」
王族の特権。
王族だけに許されたいくつかの行為がこの国にはある。
だが、そのどれもが誰がこんなものやりたいんだと思わせる歪なもので、普通に生きていれば接することはない。
「近親婚……とか」
俺がうろ覚えな知識を披露すると、ヒューゲルが頷く。
「うん。一部の王族を隠匿しているのは、まさにその近親婚が関わっているんだ」
近親婚――いわゆる兄弟姉妹や親子、血の繋がりが濃い男女で婚姻することだ。
偉大なる血を薄めない為、とかそんな理由がついていた気がするが、雅な方々なりの考え方があるのだろうと興味すら抱いていなかった。
「それで?」
「初代王ラーボルトは自身に流れる王の血を神聖視するあまり、『穢れた血』が混じることを拒んだ。その思想は子や孫、代々の王族に受け継がれていき、五百年近くに渡って近親婚を繰り返してきたんだ。その結果として、今代の王族にはラーボルトと全く同じ血が流れている。でも、近親婚にはある重大な欠陥があった。それが先天的な心身の異常」
並べられた死体を思い浮かべる。
確かに小柄で痩身ではあったものの、何か異常を抱えているようには見えなかったが……。
「その異常の度合いが大きい者を隠匿していたと?」
俺が尋ねると、ヒューゲルが頷く。
「王族は皆大なり小なり病気を抱えているけれど、それは定期的な治癒魔法でどうにかなる。でも、隠匿されている四人は特に精神疾患の影響が強くてね。ひどく暴力的だったり、不安定だったんだ。だから王族の権威を損ねないよう、他の街で静かに暮らしてもらっているんだよ。まあ彼らの疾患が受け継がれてしまわないよう、他の王族と一緒に居させたくなかった、という意味合いもあるんだけどね」
悪い種を遠ざけておく、ということのようだ。
「近親婚にあるという悪影響を抑える為にしていた策が、偶然今回の事件で功を奏した、と」
「うん。その認識で間違ってはいないよ」
王の魔法が消えていないことが分かった。
俺は安堵を覚え、ひとまず腰を落ち着かせる。
「何を座っているのだアポロ・ウルカス。これ以上貴様に用はない。早く失せろ」
ニクソンが煩わし気に手を払う。
「は? これはミネルヴァをどうするか、っていう協議なんだろ? なんで唯一礼拝堂に入れる俺が出て行かなきゃならないんだ?」
意味が分からず、憤るままに食ってかかる。
すると、クボルが眼鏡の奥を鋭くして言った。
「貴公には後ほど役割のみ伝えます。早く退室しなさい」
「だからその役割の協議が必要だろう!?」
「アーノルド一等騎士。この者を退室させなさい」
「……はっ!」
立ち上がったアーノルドは俺の腕を掴み、そのまま扉まで引きずっていく。
これまでで一番騎士らしさを感じる力強さだが、その理由はただコイツがここから出て行きたいからに違いない。
「はァ……誰か換気して頂戴!この部屋、平民臭くて仕方がないわぁ!」
急に元気を取り戻したらしいダリニアがこちらに視線を向けながら、侮蔑を込めた笑みを浮かべていた。
「離せ――ッ!」
足を踏ん張るが、アーノルドの手甲には青い魔法陣――身体能力を底上げしているらしく、軽々と小脇に抱えられてしまう。
このままじゃ駄目だ。
カイロスの固有魔法というミネルヴァの真意への手がかりが消失しただけじゃないか。
大臣共から聞き出せることはもっとあるはず。
こんなところで締め出されるワケにはいかないのに。
「にしても次の王はなに? あのロクに喋れもしないような王兄殿下でしょ? 他国に笑いものにされてしまうわね! いっそのことアレはこれまで通り隠れていてもらって、他に王たる器の御仁を見つけたほうがいいのではなくてぇ? 」
「言葉が過ぎますキルシュテン卿」
「そうだわ!私が女王として君臨してあげるわぁ!近親婚なんて気色の悪い風習に囚われた愚かな王族よりもよっぽどいい国になるわよ?」
無力感にダリニアのたわ言が合わさって、激情が顔を歪ませる。
殺意とはこういうもののことか。
そう思えるほどに、腸が煮えくり返っていた。
俺は全く抵抗が出来ないまま、出口の扉が開いた。
「すまない。アポロ」
アーノルドの呟きが聞こえ、唇を噛みしめる。
「あぁ! ミネルヴァ・マーズもきっとそう思ってたからあの十一人を殺したんじゃない!? そうよ!きっとそうだわぁ!」
扉をくぐる直前、ダリニアが嬉々としてミネルヴァを侮辱した。
だが俺は激怒するどころか、指の先まで凍り付くような感覚を覚える。
「……十五人だ」
俺は小刻みに震える唇をこじ開けた。
そして、ピタリと静寂が訪れた会議室に向け叫ぶ。
「十五人だ……ッ! 俺が見た死体は……騎士が一人と十五人……! 皆、青い髪だった……! ミネルヴァは言っていた……王族を皆殺しにしたと……ッ!」
面々は目を見開いたまま、まるで時間が止まったかのように硬直した。
数秒、もしくは数分とも思えるような凪の時間。
アーノルドはそっと俺を床に降ろすまま、その場で項垂れる。
「王の魔法が奪われた……」
ガイアスのその言葉を皮切りに、ダリニアを除く大臣達の表情がみるみる戦慄に歪む。
「アーノルドォ!なぜそれを早く言わなんだァ!?」
ニクソンが机に拳を叩きつけ、獰猛に叫ぶ。
「い、いえ……ッ! 私が見た限りっでは! じゅ、十一人で……」
アーノルドは呻きを混ぜたような声を僅かに答えるが、ニクソンの耳には届いていないようだった。
「クソッ!! クボルッ! ミネルヴァ・マーズなど後回しだァ! ガイアスッ! 今すぐ近衛騎士を集めろォ!」
各々に怒号とも近しい指示を飛ばすニクソン。
ガイアスは黙って頷き、席を立つ。
だが、
「待ちなさい騎士団長。作戦協議を続けます」
クボルが微動だにせぬまま、無表情に呟いた。
「クボル貴様ァ、何を言っているぅ!? 今協議すべきは『魔物』の処理方法などではなく、『王の魔法』消失が招く混乱の対策であろうがァ!?」
憎悪に近しい形相を携えたニクソンが立ち上がり、今日一番に声を張り上げた。
クボルはレンズの奥だけを向け、
「カルバニス卿……貴公こそ何を戯言を。貴公の言う混乱というのは誰が命を落とすのですか? どうせ平民でしょう。我々が住まう壁の中に『魔物』が居座っていることこそ早急に解消すべき事案です」
「あの『魔物』の処理が早急にできると……!? とうとう老いに頭がやられたかクボルゥ!! あの結界は壊せず、アポロ・ウルカスも何の役にも立たんッ!!どうやって『処理』をするのか言ってみろォ!」
「……だから後回しにする、という貴公の考えこそ論ずるに値しない」
「後回しではなくヤツが出てくる気配が無い間に外の憂いを取り除いておくべきだと言っているのだァ! 何度も言わせるなこの老いぼれがァ!!」
両者の主張は完全に対立。
ガイアスは結論を待っているようだが、固く結ばれた唇が逼迫した状況を物語る。
ダリニアだけが、どうでもいいとばかりに下唇を突き出していた。
このまま無為に時間を費やすワケにはいかない。
俺が口を開こうと立ち上がったその時、
「今、王の魔法はどうなっているのか……」
深刻な面持ちのヒューゲルが呟く。
確かにそうだ、と思った。
ミネルヴァが隠匿されていた王族を含めた全員を殺害した上でカイロス王の脳を摂食していたことから、此度の事件の目的が王の魔法の簒奪であったことはもはや否定のしようがない。
カイロスの脳を摂食したことから考えて、隠匿されていた四人は予め殺していて、アーノルドが俺を呼ぶ間に空間転移させたのだろう。
最後に王の魔法を確認したのは入城時。
あれから数時間が経過し、ミネルヴァは王の魔法を解除したのか、それともしていないのか。
それ次第では今頃、既に街は未曾有の事態に陥っている可能性すらある。
「じゃあ確かめましょう!」
会議室の全員が熟考する中、ダリニアが軽薄な声で宣った。
確かめる?
引っ掛かりを覚え、ダリニアに視線を回す。
すると、嬉々とした表情を浮かべたダリニアが、
「あっははは!死ね平民――ッ!」
――俺に向けて手をかざしていた。
反射的に抜剣するが、俺の胴体には既に無数の赤い魔法陣が浮かぶ。
魔法陣から感じる魔力は死を容易に予感させるものであり、鈍い赤光は瞬く間に眩い閃光となる。
――死ぬ。
そう思った刹那。
風を受けた蝋燭の火のように、魔法陣が消失した。
「――はァ……!はァ……!」
安堵が体内を駆け抜け、呼気となって生を実感させる。
王の魔法の存在を喜ぶには、あまりにも恐ろしい体験だった。
「貴様ァ――ッ!!!」
ニクソンが怒鳴りを上げるが、ダリニアは何の後ろめたさも覚えていないらしく、
「なによォ? 私はただ『王の魔法』が機能しているかを確認してあげただけでしょう?」
「解除されていたらどうするつもりだったのだァ!?」
「そんなの平民の死体が一つ増えるだけでしょう? それの一体何がいけないっていうのぉ?」
ダリニアは扇子で口元を隠していたが、その奥にはニヤついた顔があるのは明らかだった。
「……ガイアスッ! この女を拘束しろォ!!!」
ニクソンが怒りに歪めた形相で命令を叫び、威圧感を携えたガイアスがダリニアに歩み寄る。
「ははっ! バカじゃないの? 平民一匹に何ムキになっているのかしら!? 一切理解できなぁい!っははは!あはははははは――ッ!!!!」
嘲るような口調を飛ばし、腹を抱えて笑い出したダリニア。
狂気に満ちた笑い声がこだまし、常軌を逸した光景は見る者を硬直させた。
「――ぇ?」
刹那、ダリニアはくぐもった声を漏らす。
扇子が落下し、パタンと音を立てた。
同時に、俺を含めた面々も一様に唖然とした。
あまりに唐突なことだった。
ダリニアの右手が突然捩くれたのだ。
「ぇ? ぁ……え……?」
ダリニアは自身の右手がぎちぎちと音を立てながら捻じれゆくのを、困惑したまま凝視する。
手、前腕、上腕と捻転が徐々に範囲を広げていく中、可動域を優に超えた肘が遂に弾け、血と共に縦に割れた上腕骨が飛散する。
同時にダリニアの悲痛な慟哭が始まった。
誰も状況を理解出来ていない中、俺の目の前に白の魔法陣が出現する。
「ミネルヴァ……?」
魔法陣から現れたミネルヴァは紅蓮の髪をはためかせながら俺の前を通り過ぎ、ダリニアの元へ歩いていく。
俺はその横顔を、生涯忘れることはないだろうと思った。
あれほど怒ったミネルヴァの顔を見たことが無かったから。