事件当日 昼①
「ア……!ァア!アポロ……!」
礼拝堂を出ると、アーノルドが城の玄関の前から名を呼ぶ。
死んだとでも考えていたのか、彼の表情には安堵の色が濃い。
俺を待ち構えていたのはアーノルドだけでなく、熊を思わせる特に大柄な騎士もいた。
礼拝堂に入る前にもいた四人の貴族は居なくなっていた。
彼らに向かって歩いていると、
「ふぅ~む」
大柄な騎士がドシドシと音を立てて近づいてきて、いかつい顔を前のめりにして俺を観察する。
「何か魔法の気配は感じたか?」
騎士は名も名乗らずに言った。
「……いや。何も感じなかった」
そう答えると、「そうか」と言って踵を返し、
「ついてこい。大臣連中が話したいらしい」
と野太い声で言い残し、城に入っていく。
その騎士のことを俺は知っていた。
ガイアス・ヴァルダート――近衛騎士団の団長だ。
年齢は確か四十を超えているが、撫でつけた黒髪が若々しく、全身は甲冑越しでも相当に鍛えていることが分かるほどに膨張している。
彼の固有魔法は「殴ったものを爆散させる魔法」で、騎士団最強と謳われる実力者。
近衛騎士にならなければ勇者に選ばれていたのはこの男だったと言われている。
この男がここにいるということは、当然ミネルヴァとの戦闘を視野に入れてのことだろう。
警戒の視線を送りながら、後をついていく。
城の内部を十分以上進み、地下に降りる。
それから更に五分。
「ここだ」
魔法陣が大きく描かれた両開きの扉の前で、ガイアスが止まる。
「ガイアス・ヴァルダートだ」
扉に手を当てて名乗ると、魔法陣が光を放ち、扉が開かれる。
「はいってくれ……!」
後ろに控えていたアーノルドに促されて入室すると、そこは青と白を基調とした絢爛豪華な一室。
一面に金の装飾が施された壁、いくつものシャンデリアが吊るされた天井。中央の円卓を囲うように八つの椅子が置かれている。
平民の感覚ではこの部屋が何の為に作られたものなのかは一切分からないが、円卓に腰を下ろす四人の大臣の神妙な面持ちからして、とにかく今は会議室――もしくは俺を審問する部屋らしい。
彼らは入口が見えるよう四人並んで座っており、こちらから見て右に詰める形でガイアス、アーノルドの順に腰かける。
屈強に見えていたアーノルドだが、ガイアスと並べばとても小さく見えた。
「座りなさい」
左手前の男――眼鏡の奥に理知的な眸を覗かせる痩躯の老人が言った。
「ちょっと!? 平民を同じ席に座らせるなんて何考えているの!?」
手持ちの扇子で机を叩き、甲高い声を響かせたのはその隣の痩せこけた中年女性。
吊り上がった眸と尖った唇からヒステリックさが窺える。
貴族らしい貴族、嫌いだ。
「いいじゃないかダリニア。礼拝堂の中でのことを知るのは彼だけなんだから」
ガイアスの隣に座る小太りの老父が物腰柔らかな口調で言った。
下がり眉がいかにも温厚そうで、貴族特有の刺々しさがない。
「見なさいよコレ!? 平民と同じ部屋にいるだけで蕁麻疹が出るの!貴方達はよく平気で座っていられるわねぇ!? どこかおかしいんじゃないかしら!?」
「ヒューゲル卿の言う通りです。落ち着きなさい」
瘦躯の老人が侮蔑の視線を送るが、
「生い先短い老人共は黙ってて頂戴!いい!?そこの平民! そこから一歩も近づかず、聞かれたことだけを話し、すぐに退室なさい!」
狐を思わせる顔を赤くして、ダリニアと呼ばれた中年女性がまくし立てる。
髪を振り乱す様子は明らかに平静を欠いており、俺は怒りというよりも哀れにすら思えた。
「黙れ」
自分の口から出たのかと思ったが、自分以外の声だった。
内臓に響くような低い声を発したのは、意外にもニクソン・カルバニス――俺が最も嫌いな貴族だった。
俺の知るニクソンは自分の主張をさも全国民の総意のようにぶちまけるヤツで、ダリニアと気が合いそうだったのに。
ダリニアが硬直する中、ニクソンは眉間に皺を寄せたまま続ける。
「金のことしか頭にないクズが。今はウォールヴルク建立以来の大事だということを分かっておらんのか? 恥を知れ愚か者」
ダリニアは何か言いたげに顔を震わせていたが、ニクソンに抗議の視線を送るだけ。
「早く座れアポロ・ウルカス。時間を無駄にするな」
「……あぁ」
思いがけない展開に呆然とした俺はニクソンに言われるがままアーノルドの隣に座る。
「続けろ。クボル」
「ではアーノルド一等騎士。改めて事件発生時の様子を」
「はっ!」
ニクソンにクボルと呼ばれた眼鏡の老人の指示を受け、アーノルドが立ち上がる。
「私は朝の礼拝に向かわれるカイロス陛下並びにウォールヴルク一族の皆様を居館から礼拝堂まで警護した後、ローグ二等騎士と共に礼拝堂前にて警備をしていました。警備開始より五分ほど経過した時、突如堂内より悲鳴が聞こえた為、危急と判断し堂内に突入。すると堂内中央――壇上にて礼拝をされていた皆様方の前方に第三十五代勇者:ミネルヴァ・マーズの存在を認めました。その後、ミネルヴァ・マーズはおそらく彼女の固有魔法である『見えない斬撃を放つ魔法』により、脳を切除する形で王族の皆様の頭部を次々と両断。途中、ローグ二等が彼の固有魔法『高速で移動する魔法』によりミネルヴァ・マーズの背後を取ったものの、ミネルヴァ・マーズの振り返り様の裏拳による殴打が頭部に直撃し死亡。最後にカイロス陛下の頭部が正体不明の魔法により爆散した後、ミネルヴァ・マーズは私にアポロ・ウルカスを連れてくるよう要求し、解放されました」
未だ平静とは言い難い面持ちをしていたものの、淀みなく報告した。
俺が見た現場から想像したものと何ら変わりない内容だった。
「チッ……貴様は己がどうゆう理由で王の身辺警護を任されていたのか、何も理解しとらんらしいな」
報告後、ニクソンが憎々しくアーノルドを睨み、吐き捨てる。
アーノルドは黙ったまま身体を震わせて、罪悪感と闘っているようだった。
「じゃあ全ての責任はこの騎士にあるってコトよねぇ!? それは決まりでしょ!?」
「黙れと言ったのを忘れたか?」
「……ッ!」
ここぞとばかりに騒ぎ始めたダリニアをニクソンが制し、咳払いをしたクボルが続ける。
「えー。アーノルド二等の報告内容からして、我らがウォールヴルク王国の当主:ウォールヴルク一族の皆様が逝去されたとみて間違いありません。そして、王族を殺害するという建国きっての凶事をなしたのがミネルヴァ・マーズ――あの人の皮を被った『魔物』。よって我々の最優先事項はミネルヴァ・マーズの処理。本会議は対ミネルヴァ・マーズの作戦協議の場とします」
クボルの淡々とした説明に対し、その場の面々は大した反応を見せない。
俺が来る前に方向性を決めていたのだろう。
ただ、ダリニアを除く彼らの落ち着き様に違和感を覚えた。
代々王として君臨し続けたウォールヴルク一族が皆殺しにされたというのに、悲観的な様子は一切見えない。
それは政治家としての責任感ゆえなのか、はたまた……。
「それではアポロ・ウルカス。本会議の趣旨を念頭に置いた上で、内部の状況、ミネルヴァ・マーズとの会話内容等、全て報告しなさい」
疑問は残るが、俺の話すべきことは決まっていた。
一応立ち上がり、ニクソン、クボルを順々に睨みつけながら、
「まず訂正してもらおうか。ミネルヴァ・マーズは『魔物』じゃない。紛れもない人間だ」
「貴様……この期に及んでまだそれを言うか?」
ニクソンは嘲笑を飛ばすが、鋭くした目に宿るは敵意に他ならない。
「そんなことはどうでもいい。早く報告しなさい」
クボルはこちらに僅かにも関心を向けていない。
貴族連中はいつもこうだ。
平民を見下して、使い捨ての道具か何かだと思っている。
「いいから聞けよバカ共」
嘲笑を含めて言ってやると、空気がピンと張り詰める。
視線には殺意とも近しい怒気が込められていて、今にも飛び掛かってきそうな勢いだ。
だが、幸いにして沈黙と注目を手にする。
「ミネルヴァはウォールヴルク一族を殺した。どうやらそれは真実らしい。だが、それは正体が魔物だったからじゃない。ミネルヴァは人間でありながら、『人が人を殺せない魔法』を搔い潜り、王族を殺したんだ」
「バカはどちらですか平民風情が。それが不可能だからミネルヴァ・マーズは魔物だと言っているのです」
クボルのレンズの奥には侮蔑が込められていた。
「近衛騎士ぃ!早くこの無礼なゴミを捨ててきなさい!早く早く早くぅ!」
ダリニアは半狂乱といった様子で喚き散らすが、どうやら熟考中のガイアスは微動だにせず、アーノルドは不安を湛えた表情でガイアスを見つめている。
「……待て。その方法に心当たりでもあるのか?」
ガイアスが野獣のような鋭い眸だけをこちらに向け、言った。
「いや、残念ながらこれっぽっちもない。ミネルヴァが魔物でなければこの事件は起こし得ないと思っているのは俺も同じだ」
俺が首を振って答えると、
「ならば何が言いたいのだ貴様ァ?」
ニクソンが太い腕を組みなおし、クボルと同じ目をして言う。
「人が人を殺せない魔法がかけられた中で人が人を殺す方法――この不可能としか思えない難題を三日以内に明かす。それがミネルヴァが俺に課した条件だ」
「条件……? 何の条件だ?」
ニクソンの表情が強張るのが分かった。
他の貴族共も察しはいいらしく、沈黙している。
「三日以内に正しい答えをミネルヴァに披露出来なかった場合、お前ら諸共人類は皆殺しにされる」
怒りと侮蔑に満ちていた貴族共の顔に、絶望が滲む。