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事件当日 朝①


「もう朝か」

 窓から一日の幕開けを告げる陽光が差し込み、俺は恨めし気に呟いた。

 後ろ髪を引かれる思いで身体を起こすと、机やらベッドを押し込んだ狭い部屋が視界に映る。

 一階は酒場、二階は安月給の冒険者の為の集合住宅。俺はそこの一室に五年以上も住んでいる。

 

 ベッドに腰かけ、じっとりと汗に濡れた寝間着を放り投げる。

 身体中が酷く重いように感じるが、これは昨晩の酒が残っているワケでも風邪を引いたワケでもなく、昨晩かなりうなされて、うまく眠れなかったからだろう。

 それ自体はよくあることで、眠気や倦怠感なんてものは魔法でどうにでもなるから特に気を揉むことではない。


「治れ」

 胸に手を当て、魔力が癒しの光となって全身を流れるイメージを作る。

 すると、起き抜けの縮こまった身体がすっと伸びあがる。

 

 だが、気持ちが一緒に晴れてくれるワケではない。

 俺が眠れなかった翌日は大抵悪いことが起こるから、朗らかな朝日ほど元気いっぱいにとはいかないのだ。

 

 前はグリフォンの群れが王都近くの村を襲撃し、六十人が死んだ。その前なんて王都に来た旅商人の腹から産まれたゴブリンが七人に種を蒔いた。 

 ただ俺が昨晩の終わりと今日の初めを失敗しただけだというのに、それを世界の事件と結びつけるのはいささか傲慢すぎるのかもしれない。

 魔物が人を殺す、なんてのは毎日どこかで起こっていることだから、俺がよく眠れようが眠れまいが関係ないのかもしれない。

 だが、一度結び付けてしまったものを簡単に拭い去れるほど人の魂は単純ではない。

 

『アンタなんて産まなければ良かった』 

 

 何か出来たんじゃないか。もっと多くの人を救えたんじゃないか。未然に防ぐ手立ては本当に無かったのか。 

 ハンネスに「ごちゃごちゃうるせえ」と怒られるから口に出したりしないが、俺はそんなどうしようもないことを考えずにはいられない。

 それは俺が生来のネガティブ野郎だからというだけではなく、俺が勇者に憧れていたからであり、今も勇者の背中を追っているからであり、勇者に恥じない俺でいる為でもある。

 自分に出来ることはやりたいし、出来ないことでも出来るだけ出来るようになりたいのだ。

 そういう意味では俺はただのネガティブ野郎ではなく、夢見がちなネガティブ野郎と言える。

 ……もしかして変な奴なのだろうか?

 

 周りの評価が気になりだしてしまったが、とりあえず着替えだ。

 今日はハンネスがギルドの新米冒険者を連れて討伐に行くと言っていたから、そこについていくことにしよう。

 ハンネスがいれば安心ではあるのだが、俺の「固有魔法」があれば、新米が生きて帰ってこれる確率はグンと上がる。

 彼らが今日を生き残れば明日誰かの命を救うかもしれないのだから、きっと世界は良くなるはずだ。

 そんなことを考えながら、椅子に掛けていたシャツに袖を通し、おぼつかない足をズボンに滑り込ませる。

  

『魔物に食われて死ねばいいのに』

 

 鏡に映る二十歳とは思えない老け顔の白髪頭を撫でながら、すっかり部屋の装飾品と化した白鉄の鎧を横目に見る。

 せっかく大枚はたいて新調したこいつは、ハンネスやライザから似合わないと酷評されて着づらくなってしまった。

 売ればいい金になるのだろうが、ミネルヴァなら褒めてくれるかもなんて期待して、いつまでも手元に置いている。

 女々しすぎやしないか、と自分でも思うから、ハンネスにバレた日にはそれはもうからかわれるだろう。

 前借りした恥ずかしさに悶えそうになる身体を、何度も修理してツギハギになった革の鎧で締めていく。 

 

『アンタを殺せないなんてどうかしてる』


 腰にベルトを回し、壁に立て掛けていた愛刀を拾い上げる。なんの肩書もいわくもない、細身の鉄剣。

 魔物に効果が薄いとはいえ、俺みたいな魔力が少ないやつにとっては重要な武器だ。

 なんでも元々は人が人を殺す為に作られたそうで、統一戦争の頃は実際にかなり人を殺したらしい。

 人と人が殺しあうなんて今じゃ信じられないが、昔は領土や資源の取り合いだけでなく、恨み妬みで人を殺める、なんてこともあったと聞く。

 そんな暇があったなら魔物を少しでも減らしてくれたらいいのに、といつも思う。

  

『国王様お願いします。こいつを殺させてください。お願いします』

『死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!!』 

『なんで死なないのォ!?ねぇ!? 早く死んでよォ!!!』 

 

 準備の手が止まる。

 かつての俺に向けられた強烈な殺意が身体を強張らせる。

 

 母の口が繰り返し唱えたいくつもの凶気は、十年以上の月日が経って尚、錆びた刃先を俺に突き立てる。

 朝だろうが夜だろうが独りでいようが仲間といようが頭の中に現れて、見えない傷口がズキズキと痛むのだ。

 夜にくれば眠れなくなる。食事時にくれば味がしなくなる。太刀筋を鈍らせることもあれば、魔法に支障が出ることもある。

 

 あの頃の俺は間違いなく死の目前にいた。あと一歩進むだけで死ぬところを、『王の魔法』が食い止めていただけだった。

 全人類にかけられた「人を殺せない魔法」は、当時小国の一貴族であった初代王:ラーボルト・ウォールヴルクが人同士争うことなく団結して魔物に立ち向かえるようにと願いを込め発動した大魔法だ。

 剣や魔法、毒、果ては軽くこづく程度の暴力まで、潜在顕在に関わらずあらゆる殺意から人命を守ってくれるだけでなく、事故等の不慮の死すらも未然に防ぐ。

 ラーボルトの死後五百年経った今もその魔法は効力を維持し続けている。この世界において、人を殺すのは魔物と寿命だけだ。

 

 王の魔法がなければ、俺は間違いなく母に殺されていたことだろう。ワケも分からず、世界を知らないままに。

 今もこうして生きていられるのは、俺が生まれた時代が偶然「人が人を殺せなかった」からだ。

 

 でもこうしてかつての母の殺意に苛まれ、生きた実感がせり上がる時。

 思い出すのは現国王カイロスの顔でなければ壁画の初代王でもなく、赤い髪を靡かせる快活な少女――ミネルヴァの笑顔だ。

 

 ミネルヴァ・マーズ。

 魔物に蹂躙された世界を救う為、魔王討伐を使命とする勇者――その三十五代目に当たる人物だ。

 その戦闘力は歴代最強と言われ、命を賭して魔物を屠り民を救う誇り高き女性。

 俺の親友で、かつての仲間で、目標で、夢を託した人で、生きる理由。

 

 彼女が単身で旅に出て、もう二年になる。

 俺は彼女が俺達の夢を叶えて帰ってくるのを、ずっと待っている。

 

 「よし。今日も頑張ろうな」

 西側の無骨な壁の遥か遠くに互いの健闘を願ってから、腰のホルダーに剣を携える。

 俺に出来ることをやろう。救える人を救おう。

 

 母の言葉はいつの間にか頭から消えていた。

 彼女の存在が、どんな魔法よりも勇気をくれる。

 俺は今日も戦える。

 

 ドアノブに手をかけたその時、

「なんだ……?」

 ドア越しの朝の喧騒に混じる奇妙な音が聞こえてきて、思わず息を潜める。

 

 木材が軋む音と金属同士が擦れるようなイヤな音だ。早いペースで近づいてくる。

 おそらく階段を金属製の鎧、いや甲冑を着た何者かが登ってくる。それも大急ぎな様子。 

 この集合住宅にそんな高級品を身に着けられるような高給取りは住んでいるわけがないし、用があるわけもない。

 となると、この音の正体は兵士だ。兵士が何かのっぴきならない事情を携えて、ここに住む誰かの元へ向かっている。

 

 何かがあった。それもかなり悪いことが、この王都で起こっている。

 頭の中に蹂躙される人々の姿が浮かび、心臓が早鐘を打つ。

 俺は焦燥感に追い立てられるようにドアを開き、声を上げた。


 「何かあったのか!?」


 兵士はちょうど階段を登り終えたところで、四つある扉を順不同に兜の奥から睨みつけていた。

 相当走ってきたようで、肩が上下するのに合わせて白銀の甲冑がぎちぎちと音を立てる。

 兵士は俺の声に身体を跳ね上げると早足で近づいてきて、

「ア、アポロ・ウルカスはここにいるか……?」

 何故か声を顰めて言った。


「俺がアポロだ」 

 盗みをやった覚えも公共物を破壊した覚えもない俺は、とにかく兵士の思惑を円滑に進める為に速やかに、そして端的に答えた。

 一方で頭の中は疑問符ばかりが積み上がり、えも言えぬ不安がイヤな汗をかかせる。

 

 甲冑の胴に刻まれた刻印を見て、彼がただの兵士ではないことに気付いた。

 羽を広げた鷲の紋章――ウォールヴルク近衛騎士団の証。

 王族を守ること()()が仕事のはずの騎士様が、なぜ一介の冒険者でしかない俺を探しに平民街のボロ家に出向いてきたのか?

 王族に対する侮辱やらなにやらで俺を逮捕したいのであれば、声を張り上げて俺を呼びつけたはずだ。

 だが、それをしなかった。それどころか声を顰め、周囲に視線が無いことを確認しながら、まるで甲冑の中身は弱弱しい小心者ですと言わんばかりの様相である。

 王族の身に公に出来ないコトが起きた、という予想をしてみたものの、かと言ってそれを俺自信と結びつけることは出来なかった。

 

「そ、そうか……! と、とにかく……ついてきてくれないか? すまない。すまない」

 ただひたすらに何かに怯えている。そんな様子だった。王の盾としての威厳は微塵も感じられない。

 彼らよりも強い人間なんて一人しかいないほどの実力者が、これほどまでに平静を欠く出来事とはなんだ?


「……分かった」

 湧き上がる猜疑心を抑え込んで短く答えると、騎士は返事をしないまま走り始めた。

「すまない。すまない。ごめんなさい」 

 道中、騎士の背中は挙動不審に身体を揺らしながらブツブツと謝罪を繰り返していたが、それが俺に向けられているものではないのだろうと、なんとなく思った。

 

 


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