最終日① 正体
城を出て空を仰ぎ見ると、深い藍色が広がっていた。
僅かに赤みを帯びた陽光が滲むが、じきに夜が追いやってしまうだろう。
三日目、日没。
ミネルヴァが人類に与えた猶予――その最後の瞬間が訪れようとしていた。
「まさかあのクソガキに世界の命運を背負わせることになるとはなァ」
憎たらしい物言いに振り返ると、ニクソンが苦笑を携えていた。
昨晩から今朝までは城内の書類を片っ端から当たり、朝から今までずっと推理の整合性の協議。
疲労でくたびれる様に貴族たる高圧的な印象はなく、どこか充実感めいたものを感じさせる。
ニクソンは家族ともう会えないかもしれないという不安を抱えながらも、民を導く者としての責任を果たす為、懸命に取り組んでくれた。
今なら三年前にミネルヴァを追放しようとしたその思いも理解が出来る。
彼は民が危ぶまれる可能性をミネルヴァに見た。ゆえに排除したかっただけなのだ。
「俺こそあのクソ大臣と手を取り合う日が来るなんて思いもしなかった」
僅かに笑みを携えてそう言うと、ニクソンは鼻を鳴らして微笑する。
「頼んだぞ。アポロ・ウルカス」
表情を引き締めたニクソン。
覚悟を決めた、そういう目をしていた。
「あぁ。そっちこそ、後のことは頼んだ」
互いに頷きあって、もう一度空を仰ぐ。
夜が始まる色だ。
「行ってくる」
それだけ言い残して、礼拝堂へ歩を進める。
二日前は何も知らなかった。
何も分からないまま、不安だけを携えて歩いていた。
でも、今は違う。確かな自信を身体の中心に宿し、ミネルヴァが待ち受ける扉の前に立つ。
大きく息を吐き、身体の空気を丸ごと入れ替えてから、両開きの扉に手をかける。
――勇気をくれ。ミネルヴァ。
意を決し、扉を押し開ける。
凄惨な死が蔓延る礼拝堂内部。
赤くゆらめくおぼろ気な空間の中心に、後ろ手を組んだ華奢な背中が佇んでいた。
「ミネルヴァ」
声を掛けると、赤髪をふわりと靡かせて彼女が振り返る。
シャンとした立ち姿、しかし眉を下げた柔らかな笑みが儚げだった。
「やぁアーくん。昨日は眠れなかったのかい? 顔色が良くないねぇ」
表情をとりなして、からかうような口調。
でも、こちらを見据える黄金の眸は僅かに滲んでいるように見えた。
「あぁ。調べ物があってさ? 徹夜なんて久しぶりだったよ。それも嫌なおじさんと二人きりだ」
「わわ。それは災難だったねぇ。でもあのおじさん、意外と悪い人じゃなかっただろう? それに、あのおじさんが騒いでくれたから、僕は勇者になれたんだよ?」
史上最強であるミネルヴァは本来、最高戦力をかき集めて構成される近衛騎士に選ばれるはずだった。
だがニクソンが魔物だなんだと騒ぎ立て、王城内への立ち入りを許さなかったのだ。
ミネルヴァが勇者に選ばれたのは俺達にとっては喜ばしいことだったが、ニクソンにとっても計算通り――魔王討伐という途方もない責を負う旅に向かわせることで、実質的な追放を果たしたのだ。
ニクソンの弾劾騒動は結果的にミネルヴァを自由にした。
「まぁ……。でもやっぱりちょっと嫌いかな。ミネルヴァを殺そうとしたし」
苦々しく言うと、「あれはビックリしたねえ」とクスクス笑う。
「でも僕にとってはね? アーくんが僕の為にたっくさん頑張ってくれた良い思い出なんだよ? あぁ、アーくんは僕のことを大事に想ってくれているんだなぁ、って、思い出しただけで心が暖かくなるんだ。だから僕は何を言われたって平気なのさ。僕にはアーくんがいるから」
ミネルヴァは足元を見ながら、慈しむように語る。
「俺だってそうだよ。どんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、俺にはミネルヴァがいる。いつもそう思って生きてきたんだ」
「……それはそれは」と顔を上げたミネルヴァは顔を赤らめ、
「お揃いさんだねぇ……?」
恥ずかしそうに言った。
ミネルヴァは何度か咳払いをして、
「……それにしてもすごく疲れているように見えるけれど、ひ、膝枕してあげようか……?」
こちらをチラチラと窺いながら、口元をもにょもにょとさせている。
実際、俺は本当に疲れていた。
どれだけ固い地面だろうが一度横になれば眠れる自信があるし、膝枕なんてされた日には死んだように眠ると思う。
だからこそ、このありがたい申し出を今は断らないといけない。
「じゃあ誰かさんとの大事な約束を済ませてから頼むよ。遅れると大変なことになるらしくてさ?」
からかいを含めて返す。
するとミネルヴァは顔を俯けて、何度も「そっか」と呟いて、最後に大きく息を吐く。
再び顔を上げた彼女の表情は、確かな覚悟を宿していた。
「アーくん。キミのくたびれた身体から自信と充足感を感じるよ。真相を明かす準備が出来た、と考えていいのかな?」
いつも通りの穏やかな口調だが、真剣な面持ちをしている。
これは最終勧告だ。
――誤れば人類を皆殺しにする。その覚悟は本当に出来ているのか?
そういう意味が込められている。
俺は目を閉じて、精神を研ぎ澄ますように息を吐く。
早鐘を打つ心臓に耳を傾けて、重責を理解する。
緊張と静寂、二つが均衡を保った時、
「あぁ。待たせたな」
ミネルヴァと視線を交わらせる。
「では始めようか。この僕――ミネルヴァ・マーズが引き起こしたウォールヴルク一族殺害事件。その真相を明かす『推理の時間』だ」
静寂の中を理知的な声色が響き、燭台の炎が瞬いた。
ミネルヴァは俺に歩み寄りながら語り始める。
「アーくんにはこれから三つの問いを答えてもらう。
『勇者ミネルヴァは何故王族を殺したのか?』
『勇者ミネルヴァはどうやって彼らを殺したのか?』
『勇者ミネルヴァとは一体、何者なのか?』
答える順番は自由だ。キミが話しやすいようにしてくれて構わない。でも、キミの推理が当てずっぽうじゃないことを確かめる為、僕は逐一質問をする。それについても誤っていたり、根拠が無かった場合、不正解とみなす。それでもいいかい?」
俺の眸を下から覗き込むように言った。
「問題ない」
そう答えると、ミネルヴァは頷きながら俺の周りを漫遊し、
「じゃあ一つ目の問いだ。アーくんはどれから答えるんだい?」
「正体からにするよ」
「ほほ~。正体かぁ。分かったよ。では、僕は一体何者なのかな?」
「ミネルヴァの正体は――人間だ」
「その根拠は?」
「ミネルヴァが『王の魔法』に守られる対象だからだ。十四年前に母を殺し、三年前の弾劾騒動で人間であることが証明されている。時系列的に考えて、ミネルヴァは産まれてから三年前の時点まで人間ということはこれで確定する。その上、この二年で魔物に変えられてしまった、という推論をミネルヴァが否定した以上、今も同様に王の魔法に守られる人間、ということになる。よって、ミネルヴァは人間――『王の魔法』を掻い潜る手段を持つ人間だ」
ミネルヴァはふむふむと頷いた後、
「でもそれだと、僕が『王の魔法』に守られる魔物、という可能性もあるんじゃないのかな? その可能性は如何にして否定するつもりだい?」
「それはあり得ない。約三十年前、王城に勤めていたワグナー老人が『固有魔法を調べる』固有魔法によって『王の魔法』の効果を調べ上げており、その正式な名称を『いかなる手段をもってしても人間が人間を死に至らしめることが出来ない魔法』と定めている。つまり効果対象はあくまで人間だ。二足歩行の生物~、一定以上の知能を持った~、といった曖昧な表現をしていたならば特定の魔物が対象に含まれる可能性もあったかもしれないが、ワグナー老人が国事という重責の中で調べた以上、曖昧な内容を自身の判断で確定的な表現に差し替えるワケがない」
「もしそんなことをして何かあれば、責任問題になるからねぇ。うん。確かにワグナーさんは意外とそういうところはキッチリしているから、調べた結果はそっくりそのまま報告しているだろうね」
ミネルヴァはこちらに向かってワグナーの髭を撫でる仕草を真似して見せ、またフラフラと歩き出す。
「では、もう一つだけ質問だ。僕が大臣のおばあさんを殺した時、なぜ拘束魔法で皆を拘束したのだろう? 僕が『王の魔法』に守られながら人を殺せる人間だったのならば、僕を殺そうとする彼らは僕が何もしなくても動けなくなったんじゃないかい?」
「ニクソンがミネルヴァを魔物だと主張する根拠として同じことを言っていた。あの時は何も言い返せなかったが、今はその理由が分かる。ミネルヴァは魔物だから皆を拘束する必要があったんじゃない。人間であることを証明する決定的な証拠を残すことを避けたんだ」
「なぜそう思うんだい?」
ミネルヴァは背を向けたまま立ち止まる。
「それは、俺に真相を推理させているというこの不可解な状況を作り出した理由に関わっている。方法、目的を提示した後に話そう」
ミネルヴァはうんうんと頷いてから、こちらに振り返る。
「正体については大体わかったよ。じゃあ次は方法だ。人間の僕は一体どうやって人を殺せない魔法を掻い潜り、人を殺したんだい?」
勇者ミネルヴァはどうやって人を殺したのか。
この問いこそが最大の謎であり、全ての謎を紐解く為の最も重要なカギだった。
そしてその答えは、この俺――アポロ・ウルカスの幼少期と密接な関わりがあった。
『なんで死なないのォ!?ねぇ!? 早く死んでよォ!!!』
かつて受けた心の傷が疼くのを覚え、胸に手を当てて平静を保つ。
「人が人を殺せない世界で人が人を殺す、という不可能と言わざるを得ない事件を成立させたのは、ある固有魔法――ミネルヴァが十四年前、俺の母:レト・ウルカスから奪った固有魔法だ」




