二日目 朝②
――人を殺せない魔法を掻い潜る魔法。
ミネルヴァが魔法を隠蔽できるという手がかりを残したことが未知の魔法の存在を証明している。
勇者ミネルヴァは人間である。
自分の主張がぐっと鮮明になった心地がした。
「貴様はミネルヴァ・マーズを信用しすぎだ」
だが、ニクソンがため息交じりに言った。
「儂がミネルヴァが魔物だと主張する最たる根拠を教えてやろう。三十年ほど前、当時の大臣が『固有魔法を調べる』固有魔法を持つ男に王の魔法を調べさせた。王の魔法の正式名称は、『いかなる手段をもってしても人間が人間を死に至らしめることが出来ない魔法』だ。いかなる手段には当然固有魔法も含まれ、それが魔物由来の固有魔法だろうがそれを使用するのが人間だった場合、殺すことは出来んのだ。つまり――王の魔法の影響下で人を死に至らしめる魔法は存在しない」
真っ向からの全否定だった。
『固有魔法を調べる』固有魔法の男は村にいたから知っている。本人でさえ認識出来なかったミネルヴァの固有魔法を言い当てたことからしても、情報の信頼度は極めて高い。
昨日ヒューゲルがまるでなんでも知っているかのように王の魔法の実態を語っていたのも三十年前の調査の賜物、ということだ。
掴みかけたものがすり抜けていくような悔しさが込み上げるが、何も言い返すことは出来なかった。
「アポロ・ウルカス、現実を見ろ。ミネルヴァ・マーズは魔物だ」
ニクソンが追い打ちをかけてくる。
『いかなる手段を持ってしても』という言葉が重くのしかかり、反論を躊躇わせる。
だが、すんなりと受け入れるワケにはいかなかった。
「ミネルヴァが人間であることはアンタが一番知っていることだろ? なにせ殺そうとして殺せなかったんだから……!」
ミネルヴァの弾劾騒動を終息させたのは、ほかならぬニクソンだった。
――ミネルヴァ・マーズは魔物である。それを証明する為、この首を叩き斬る。
彼は公衆の面前でミネルヴァを拘束し、細首に向かって剣を振り降ろした。
だがミネルヴァは王の魔法に守られ、奇しくもミネルヴァを魔物だと主張するニクソン自身が、ミネルヴァを人間だと証明したのだ。
「その通りだ。当時の発言を撤回しよう。ミネルヴァ・マーズは人間だった」
憮然とした面持ちでニクソンが答えた。
俺は心が無性にざわつくのを感じた。
ニクソンがすんなりと受け入れたことよりも、あれほどしつこく主張していたにも関わらず撤回したことよりも、
「人間……だった……?」
含みを持たせた言い回しが、これからニクソンが口走る主張の悍ましさを物語っていて、恐ろしかったのだ。
俺の心情を察してか苦々しいため息をついて、ニクソンが答える。
「貴様と儂の主張が食い違う最たる理由は、ミネルヴァ・マーズとの付き合いの長さ、あるいは信頼関係の有無だ。三年前、貴様は『四歳の頃から一緒にいる』だの『俺がミネルヴァを一番知っている』だのとほざいておったが、ミネルヴァが此度の探偵役に貴様を指名したことからしても、それは真実だったのだろう。事実としてヤツを『魔物の脳を食い際限なく強くなる化け物』としてしか見れんかった儂の主張は誤りで、『人間』だと信じ続けた貴様の主張が正しかった。だが、それはあくまで三年前の話だ」
ニクソンは片肘をつき、俺の目をじっと見据える。
「貴様はヤツの直近の二年間を知っているか? 何を食べ、何をして、どこにいたのか? 貴様は何一つ知らないのだろう? ヤツは確かに人間だったのかもしれないが、今もそうであるという確証はない」
ニクソンの指摘はぐうの音も出ないほどに事実だ。
俺はミネルヴァの二年間を全く知らない。
ただ魔物の根城があるという西の方角へ向かって彼女の無事を祈り、彼女がくれた言葉を励みに毎日を生きてきただけだ。
「だが……! 人が魔物になるなんてことがあるワケがない……!」
「ではなぜ昨日ガイアスに拘束魔法をかけた? 王の魔法に守られているのであれば、その必要はなかったはずだ」
返す言葉が見つからなかった。
ミネルヴァの行動に何らかの意図を探そうとして、やめた。
五百年もの間人同士の殺生を許さなかった王の魔法を掻い潜る魔法があるならば、人が魔物になることだってあるかもしれない。
そもそもミネルヴァが事件を通じて俺に何かを伝えようとしている、という前提自体が俺の願望でしかなく、事実としてミネルヴァは十七人もの人を殺している。
そこにどんな理由があろうとミネルヴァは重大な罪を犯したにも関わらず、それを何とも思っていないかのように振る舞っているのだ。
俺は結局、自分の知らない二年間を棚に上げ、自分が憧れたミネルヴァの幻影を追い続けているだけだ。
人を殺したミネルヴァ・マーズ――という現実を直視出来ていない。
それを今、ようやく思い知った。
「期限は明日だ。もういいだろう。ヤツが人間であるという貴様の根拠は三年前のもの。一方でヤツが現在魔物であることを示す根拠はヤツの行動全てが物語っている。これ以上はもはや時間の無駄だ」
項垂れていると、椅子を下げる音がして顔を上げる。
すると、ニクソンが席を立とうとしていた。
「どこへ行く……?」
ニクソンは俺を一瞥し、
「残された時間を家族と過ごしたい」
そう言って、扉へ向かって歩いていく。
「ま、まってくれ……!俺はどうしたら……」
情けなく、縋るように言った。
ニクソンは扉の前で立ち止まり、こちらを見ずに言葉を残す。
「魔物の考えなど分かるはずもないが、これだけは言える。魔物が人にもたらすものは、害悪だけだ」
ニクソンの退席後、ガイアス、続いてアーノルドも席を立つ。
午前中にして、二日目の会議が終了することとなった。
一人残された会議室。
受け入れたくない現実をにらめっこをして、無為に時間が過ぎていく。
『家族と過ごしたい』
ニクソンの言葉を聞いて思い浮かべたのは、ミネルヴァだった。
俺の知らないミネルヴァの二年間。
四人で魔王を討伐し、世界を平和にする――ミネルヴァは俺達がずっと掲げてきた約束を破り、単身で旅に出た。
きっと、俺が足手まといだったからだろう。
俺一人残していくとまた無茶をすると思ったから、ハンネスとライザも置いていったのだ。
ミネルヴァは優しいから、きっと俺に言えなかったんだ。
いくら彼女が強いとはいえ、独り魔物を討伐し続ける旅は辛く過酷なものだったに違いない。
魔王討伐、世界平和。華奢な肩にはあまりにも大きすぎる重責を担い、それを打ち明けられる仲間もいない。
ミネルヴァは意外と泣き虫だから、寂しさに泣いた夜もあっただろう。
彼女を此度の凶行に及ばせたのは、彼女を魔物に変えたのは、きっと俺が弱い所為だ。
「クソ……ッ!」
悔恨のあまり、机に拳を叩きつける。
鈍く弱い音が、絢爛な会議室に響く。
お前は弱い――そう言われているような気がした。
「俺がもっと強ければ……! ミネルヴァの隣にいてあげられたのに……ッ!」
己に対する激情が涙を作る。
ポタポタと机に雫を落ちて、何も出来ない惨めな自分が写っていた。
その時、ふとミネルヴァの言葉を思い出す。
『頑張ってね。私も、頑張るから』
昨晩、眠りに落ちる間際、彼女は確かにそう言っていた。
彼女は今何を頑張っている?
なぜ俺に頑張ることを求めている?
ニクソンが「魔物は害悪しかもたらさない」と言った。
それはおそらく、真相究明の猶予である三日間はただ人類を弄ぶ為のものであり、推理の正誤問わず人類が滅亡することを嘆く意味合いがあった。
あえて手がかりを残しているのも、推理の邪魔になるダリニアを殺したのも、ひねくれた見方をすれば、正答=人類存続の可能性があるようにみせかけただけ、と考えることも出来る。
だが、昨晩の添い寝は? 床で寝ようとした俺をベッドに持ち上げた理由は?
そこに害悪だけが存在したと、どうしても思えない。
「行かなきゃ……!」
俺は突き出されたように会議室を飛び出した。
薄暗い地下の廊下を走り、地上へと続く長い階段を駆け上る。
息が切れ、肺が燃えるように熱くなる。
それでも、足を止めることは無い。
ずっと考えていたことがある。
あれほど優しく気高かったミネルヴァを変えてしまったのは何か?
彼女が魔物になったとするならば、可能性は一つしかない。
この世界には、魔物を産み出し、使役する固有魔法を持つと言われる魔物が存在する。
それが――魔王だ。
彼女は二年間の旅の末、魔王に遭っていた。
そして魔王に敗北し、魔物に変えられた。
ミネルヴァは今、必死に抗っているんじゃないのか?
魔物と化し、魔王の傀儡となった彼女は、誰かに止めて欲しいと願っているんじゃないのか?
だから、俺に三日間という猶予を与えた。
彼女が魔物になってしまったという事実を、俺自身が導き出す為に。
そして、彼女は望んでいる。
全てを理解した俺に――殺されることを。
「ミネルヴァ……!ミネルヴァ!!」
城を出て、礼拝堂へ走る。
体調なんて気にもならなかった。
一番大事な人が、助けを求めているから。
礼拝堂の扉をぶつかるように開けて、堂内に倒れ込む。
息も整えぬままに肩肘をついて、ミネルヴァを仰ぎ見る。
堂内は昨日と変わらなかった。
燭台の灯りに滲んだ光景に、十六体の死体が転がっている。
ミネルヴァは教壇に座りこんだまま、こちらをじっと見据えていた。
「ミネルヴァ!俺は……!俺は――ッ!?」
息を吸おうとする身体で無理やり叫んだが、ミネルヴァの表情を見て絶句する。
あまりにも冷たい視線。固く結ばれた唇。憎悪、もしくは侮蔑――いずれにしろ俺が見たことの無いミネルヴァだった。
「アーくん。キミの眼差しから並々ならない決意を感じるからあえて言ってあげる。僕が設けた推理の期日は、明日の夕刻だ。まだ一日以上猶予があるというのにも関わらず、キミは勢いのままに願望を押し付けた推理を披露しようとしている。賢い選択とは言えないな」
いつもと変わらぬ穏やかな口調。だが、俺の軽率さを咎める彼女の眼差しに込められていたのは、紛れもない侮蔑。
押し黙る俺に、ミネルヴァは続けた。
「僕は言ったよねぇ? キミの推理が誤っていた場合、人類を皆殺しにすると。それを忘れてしまったのかなぁ?」
「い、いや……違う……! でも、俺は、ミネルヴァに……!」
ミネルヴァが俺を侮蔑している。
その事実に悲しみが込み上げて、決意も覚悟も何もかもが消え失せた。
「なんだい?アーくんは僕に? 何してくれるって言うんだい?」
しどろもどろに呟く俺を追及するミネルヴァ。
答えることが出来ない俺に、大きなため息をついた。
「アーくんは仕方ないなぁ。でも、皆居なくなってしまったし、困ったなぁ。うーん」
何やら思案をくぐらせた後、
「一つだけキミの誤りを訂正してあげよう」
そう言うと跳ねるように立ち上がり、倒れ込む俺の前にしゃがみ込む。
そして、衝撃的な事実を口走った。
「僕があの魔王に何かされた、という君の推論は誤りだ。だって――
私が初めて人を殺したのは、六歳の時だから」
刹那、頭に鋭い痛みが走る。
ありえない。そのはずなのに、
「誰を……?」
俺は答えに心当たりがあるかのような質問をした。
「アーくんのお母さんだよ」
脳が脈打つように、ズキズキと痛みだす。
その中で、いつの間にか忘れ去っていたかつての情景が思い起こされる。
俺は思い出してしまった。
魔物に襲われて死んだはずの母の頭部が空だったことを。




