事件当日 夜③
ミネルヴァが自分の固有魔法に気付いたのは五歳の頃。
昔王都で働いてたという老人が、リキルの村に越してきたすぐ後のことだ。
「お嬢ちゃん、すごい固有魔法持ってるねぇ」
その老人は「固有魔法を調べる」固有魔法を持っていた。
大抵の人は産まれながらに自分がどういう固有魔法を持っているのかはなんとなく理解していたのだが、ミネルヴァだけは分かっていなかったのだ。
ミネルヴァの固有魔法は「固有魔法を取り込む魔法」だった。
脳を食べることでその脳に刻まれていた固有魔法を自分の物にする、というもの。
俺はさすがミネルヴァ!すごい!と思ったが、ミネルヴァの表情は晴れなかった。
当然だ。
脳みそなんて絶対に美味しくないから、誰も食べたくない。でも食べないと固有魔法が無いも等しくて、自分の固有魔法が分かるのをずっと楽しみにしていたミネルヴァはひどく落ち込んだ。
ミネルヴァが悲しそうにしているのを初めて見て、俺はどうすればミネルヴァを笑顔にしてあげられるのかをずっと考えていた。
でも、その頃の俺は体調をかなり悪くしていて、一度眠れば二、三日寝込むのはざら。
その上、ようやく目覚めても発狂した母からの「なぜお前なんかが生きているのか」「なぜ死なないのか」といった趣旨の罵詈雑言が夜を徹して続き、やがて憔悴した母に「臭いから外で死ね」と追い出されるのが翌日の朝。
俺には彼女を笑顔にする時間なんてなくて、その間にミネルヴァは自分の力で元気を取り戻していた。
何の力にもなってあげられなかったけれど、ミネルヴァが笑っているのが本当に嬉しくて、自分の体調なんてどうでもよくなるくらいだった。
王都に来て、ハンネス達と冒険者組合に加入してからのこと。
度々依頼をこなしたが、俺とミネルヴァは正直なところ足手纏いだった。
俺は戦闘の素質はからっきしだったし、ミネルヴァもセンスはあったが脳を食べていなかったから簡単な攻撃魔法を使うだけで火力不足。
一方でハンネスの「巨大な槍を落とす」固有魔法は強力で、ライザの「沼を作り出す」固有魔法は窮地から何度も俺達を救ってくれた。
俺とミネルヴァは二人の邪魔にならないようにするくらいしか、出来ることは無かった。
ミネルヴァが魔物を食べる決心をしたのは、俺がミネルヴァを庇って大ケガをした時だろう。
何も出来ない俺が仲間を庇うことは当然のことだったのに、ミネルヴァは「僕のせいだ」とわんわん泣いた。
「アーくんがもうケガしないように、僕が一番強くなる」
ミネルヴァは涙ながらに決意を言葉にして、俺もみんなの役に立ちたいと強く思うようになった。
だが、魔物の脳を食うということがどれほど苦痛を伴うものなのか。
ミネルヴァは何度も口へ運んだが、その度に胃の中身ごと吐き出して、どうしても食べることが出来なかった。
「もう止めよ!? ね!?」
「見てらんねえよ!!」
ライザもハンネスも堪えきれなくなり、ミネルヴァに止めさせようとする。
「嫌だ……! 絶対に食べる……!食べなきゃ……!」
ミネルヴァは諦めなかった。
吐きすぎて喉が切れ、血が混じるようになっても、何とか飲み込もうと魔物の脳を口に運ぶ。
口を押え、せり上がる胃液を零さないようにして、大粒の涙を流しながら、懸命に戦っていた。
――ミネルヴァには笑っててほしい。
そう思った時、身体が自然と動いた。
ミネルヴァが食べるはずだった脳を、自分の口に運んだ。
酷い味だった。とても人間が食べるものじゃない。脳が拒絶して、内臓が裏返る。
でも、次から次へと脳を口に押し込んで、
「うっ……!」
無理矢理飲み込んだ。
三人が唖然とする中、ミネルヴァの手を握る。
「これからは二人でハンブンコしよう」
そう言うと、ミネルヴァはまたわんわん泣いた。
それから、ミネルヴァは魔物の脳を食べられるようになった。
どの魔物が一番美味しくないとか二人で言いあって、笑い話に変えようとした。
ミネルヴァはまた前みたいにたくさん笑うようになって、俺はそれが心の底から嬉しかった。
――――――――――――――――――――――――――
「俺も真似して食べてみたことはあるが、ありゃあ無理だ。頑張って食えるようなもんじゃねえ。だから俺は思ったんだよ。『お前は本当にすげえヤツだ』ってな」
ハンネスが感慨深げに言った。
「俺は凄くない。凄いのはミネルヴァだ」
俺はただ笑ってほしかっただけだから。
「いや、お前もすげえ。というより、お前とミネルヴァは二人ですげえんだ。お互いの為なら何でもできるだろ?」
俺とミネルヴァの反応を見るような眼差しを向け、
「そんなの、好きじゃなきゃやれねえよな?」
したり顔をしたハンネス。
確かにハンネスの言う通り、俺はミネルヴァのことが好きだ。
俺を絶望から救ってくれた彼女を、好きにならないワケがない。
ハンネスが何やら目配せをしてくる。
ライザも同じようにウインクをして、俺に何かを促している。
告白しろ、とでも言いたげだ。
だが、とてもそんな気分じゃない。
ミネルヴァの俯けた横顔も、同じことを思っているように見える。
俺とミネルヴァが一緒になることも、互いの想いを明かし合うことも、絶対に無い。
それが今回の事件で決定的になってしまった。
「閉店でぇす」
ものぐさなウェイターに声を掛けられて、俺達は退店する。
外に出るとほとんどの店が営業を終えていて、街灯だけが辺りを照らしていた。
平民街に訪れる、一日のたった数時間の静かな時間。
「お前ら明日も組合に顔出すのか?」
去り際にハンネスが言った。
「まだ分からない」
「そっかよ。じゃあまたな!」
「あぁ。また」
ライザとハンネスに手を振って、遠くなっていく背中を眺める。
暗がりを歩く二人はぼおっと明るく見えた。
恋人みたいに腕を組み、朗らかな笑顔を向けあっていて、本当に夫婦になったんだと、思う。
それが今の俺には耐え難い痛みになって、胸を締めつける。
「俺達も帰ろう」
罪悪感に気付かないフリをして、歩き出す。
「送っていくよ。僕は勇者だから」
ミネルヴァがトタタ、と駆け足で前に出る。
「関係あるかな?勇者」
「あるよ。暗くてアーくんが転んでしまうかもしれない」
「……それも勇者の仕事?」
「うん。そうだよ」
「そうか」
家まで五分程度の帰り道。
話さなきゃいけないことはたくさんあるのに、俺達は何も話さずに歩いた。
俺の前を歩くのは十七人を殺し、人類の滅亡を宣言している人。
だけど、俺の一番大事な人で。
不安と罪悪感。安心と愛情。
静かな夜道を二人で歩く。胸中は複雑にせめぎ合う。
――俺は一体どうすればいい?
頭の中で、華奢な背中に問いかけた。
大通りを曲がり、路地に入る。
集合住宅の一階の酒場はまだ営業しているらしく、明かりがついていた。
家に着いた。そう思った時、ふと気づく。
「ミネルヴァ、今日はどこに泊まるんだ?」
二年前までは隣の部屋に住んでいたミネルヴァだが、今はもう入居者がいる。
「王都にいる内は礼拝堂に泊まるよ」
ミネルヴァがあの死体を並べた場所で寝泊まりすることを想像すると、
「ダメだ」
自然と言葉が出ていた。
「……じゃあなにかい? アーくん家に泊まらせてくれるのかなぁ?」
何故かおどけた口調をするミネルヴァの提案。
「そうだな。うん。狭いけど良かったら」
良い案、というよりも、それしかない。
「えっ……! えと……あの……」
ミネルヴァは俯いてもにょもにょとしていた。遠慮しているらしい。
「この時間に受け付けてくれる宿屋を探すよりはいいだろ? ほら、行こう?」
「……んぅ」
ミネルヴァは俯いたまま曖昧な返事をしたが、結局家に上がった。
「あ、明かりつけるね!」
「うん。ありがとう」
ミネルヴァが手をかざすと、天井から吊った魔灯が光る。
ベッドと机を押し込んだ小さな部屋。
今朝ぶりなだけなのに、やけに懐かしさを覚える。
「おっと……?」
安堵かあるいは酔いが回ったか、少しフラつく。
すると、「大丈夫!?」とミネルヴァが深刻な面持ちで駆け寄る。
「うん……全然平気だ。ちょっと疲れただけ。なんともない」
ベッドにもたれかかり、目を瞑って息を整える。
「……鎧、脱がそうか?」
表情が透けて見えるくらい不安を湛えた声。
気だるい身体を叩き起こし、
「ううん。自分でやるから平気」
剣を置き、鎧を外していく。
「あ、ベッドはミネルヴァが使っていいから。服もクローゼットに入ってるから好きなのを使って。まあ楽にしてよ」
じっと立ったままのミネルヴァが視界の端に見えるのが気がかりだったが、倦怠感のままに横になる。
今日は本当に疲れた。
身体が鉛みたいに重くなって、冷たい床の上だろうと熟睡できるような気がする。
もうこのまま眠ろう。
「ア……!アーくん!」
ミネルヴァが一際大きな声を出した。
破裂を思わせる声色。意識を向けざるを得ない。
「……どうした?」
身体は起こさず、ぼんやりとしたまま言った。
すると急に身体が宙に浮いて、
「ベッドで寝なきゃダメだよ!」
ミネルヴァが何かの魔法を使っているらしく、ベッドの上に転がされる。
「ミネルヴァを床で寝かせるわけにはいかないって……」
布団の柔らかさが眠気を誘うのを我慢して、上体を起こす。
その時、
「うっ」
並々ならぬ決意を湛えた表情をしたミネルヴァのタックルが俺を襲う。とはいえ小柄で華奢な彼女がもたらす衝撃はそれほど強くなく、ベッドを少しだけ跳ねた俺の胴体の上に柔らかな感触があった。鎧はいつの間にやら脱いでいたらしい。
「えっ……な、なに……?」
彼女の突然の行動にはまどろんでもいられず、間近にある彼女の赤らんだ顔に問う。
「……ゆ」
「ゆ?」
聞き返すと、ミネルヴァがぎゅっと俺を抱きしめて、顔を首元に埋める。
「勇者の……そ、添い寝……」
躊躇いがちな声で呟いた。
「……そういえば、王都に来てしばらくは一緒に寝てたっけ」
毎晩うなされる俺のことを、ミネルヴァはいつもこうやって抱きしめて安心させてくれていた。
懐かしくて、心が暖かくなって、脱力する。
「うん……。今日は久しぶりだから……と、特別」
彼女の力が強くなる。彼女の体温が熱くて、少しだけ苦しい。
死体に囲まれて笑う彼女を見た。
惨殺する彼女を見た。
それなのに、俺はミネルヴァのことが世界で一番大事だ。彼女の為ならなんだって出来ると思ってしまう。
――愛おしいなぁ。
気付いた時には、抱きしめ返していた。
「ねえアーくん?」
「ん?」
「頑張ってね。私も、頑張るから」
意味深な言葉だった。でも、まどろみに沈みゆくのに抗うことは出来なかった。
朝になると、ミネルヴァは居なくなっていた。
良く眠れた、という感覚が残っているのに、体調は昨日と変わらない。
胸に手を当てて、強く念じる。
「治れ」
魔法陣は出ない。




