事件当日 夜①
「あっ! アーくんおかえりぃ」
礼拝堂に入ると、教壇に腰かけていたミネルヴァが立ち上がる。
朗らかに緩めた笑顔と優しさの込められた言葉は、まさしくミネルヴァのものだ。
故に、王族を皆殺しにしたのも、ダリニアを惨殺したのも、ミネルヴァだ。
「うん。ただいま」
ダリニアだったものは堂の隅に転がされていた。
十七体の死体を燭台の炎が照らす中、俺の胸中は悲しく冷えていく。
二人で礼拝堂を出て、街へ向かって歩く。
二つの城門は簡単に通り抜けることが出来た。おそらくガイアスの指示だろう。
藍色の空の下では街灯が灯り、貴族街は絢爛で華やかな夜の町へと移り行く。
ミネルヴァは小柄だが、軽快で伸びやかな歩き姿は見る者を魅了する。
俺よりもずっと足が速いのにいつも足取りを合わせてくれて、俺を導くみたいに少し前を歩く。
だから俺の前にはいつも華奢な背中があって、その背中に憧れと夢を見ていた。
「アーくんは何食べたい? 」
ミネルヴァが華麗なターンで振り向いて、心臓が跳ねる。
「……ミネルヴァは? 王都は久しぶりだろ?」
表情を取り繕って答えた。
「ん~……僕はねぇ……ええとねぇ……」
彼女は僕の隣を歩きながらしばし頭を悩ませて、
「ハンネスシチューがいいなぁ!」
パッと表情を明るくした。
ハンネスシチュー。
ハンネスが勝手にそう呼んでいるだけの、冒険者組合酒場の獣肉シチューだ。
とろけるまで煮込んだ獣肉が柔らかく、ミネルヴァも俺もよく好んで食べていた。
「じゃあ組合酒場に行こうか」
「うん!」
貴族街を抜けてから馬車に乗り込む。
今朝乗った幌馬車よりも随分しっかりとした、木製のキャビン。
「うんしょ」
ミネルヴァは向かいではなく、隣に座る。
四人で乗る時も二人の時も、いつもこうだ。
「どちらまで?」
御者は振り返りもせずに言った。
「冒険者組合まで」
「あいよ」
ぶっきらぼうにそう応えると、馬車が走り出した。
「お客さん。もしかして勇者ミネルヴァじゃないか?」
走り出して数分。唐突に御者が尋ねた。
「そうだよ。僕は紛れもなく勇者ミネルヴァだ。髪も赤いしね」
ミネルヴァがおどけた口調で答えると、御者はただ「そうか」とだけ。
でも、いつもそこで終わらないのがミネルヴァだ。
「もしかしておじさん……カルネちゃんのお父さん?」
御者の肩がピクリと跳ね、
「……あぁ。あの時は世話になった」
感慨深げに呟いた。
「ほらアーくん。キッツ鉱山近くの村にいた親子だよ」
ミネルヴァに言われ、過去を追想する。
最近物忘れがひどくて嫌になる。
「あ……アイアンリザード討伐の……!」
「そうそう。あの時に助けたカルネちゃんのお父さんだ。声に聞き覚えがあったんだよねぇ」
思い出した。
キッツ鉱山に迷いこんでしまった女の子を助けたことがある。
その時の子は確かカルネ、という名前だった。
「俺が足をやっちまったから王都に越してきたんだが、アンタらのお陰でカルネは今も元気だ。ありがとよ」
「どういたしまして。勇者として当然のことをしたまでさ」
そう言いながらも顔は大層自慢げなミネルヴァ。
御者がこちらも向いていなくて良かった。
「アンタ、しばらく王都にいるのか?」
「まあ二、三日はね。どうしてだい?」
「足が必要ならいつでも使ってくれ。金はいらねえ」
「そうはいかないよ。なにせ勇者だからね。半額ならいいけれど」
「……じゃあ半額だ! ありがとよ」
御者は声を弾ませて、背中越しでも笑顔なのが分かった。
ミネルヴァは関わる人を幸せにする。そういうところが、勇者だ。
「……あまりじいっと見つめないでくれるかい?」
ミネルヴァはそう言った後、赤くした顔を俯けた。
「……あっ、ごめん」
ミネルヴァがあまりにも思い出のままのミネルヴァで、つい見惚れてしまっていた。
今日のことは白昼夢だったんじゃないか、とさえ思ってしまうほど。
でも、今日見た凄惨な光景は紛れもなく現実として網膜に刻まれている。
ミネルヴァはミネルヴァのままなのに、人を殺した。
それが悲しくて、信じたくなくて、俺はそれ以降ミネルヴァの方を見ることが出来なかった。
馬車に揺られ数十分。
街の外に向かって大通りを進み、王都の端の端に位置する場所――冒険者組合に着いた。
御者と挨拶を交わし、馬車を降りると、本当は今朝も来るはずだった三階建ての建物が出迎える。
「二年ぶりだ」ミネルヴァがでかでかと掲げられた冒険者組合の看板を見上げながら、感慨深げに呟いた。
扉に向かって歩き出した時、
「ミネルヴァか……!?」
背後から聞き馴染みのある男の声。
「やぁハンネス。それにライザも。元気してたかい?」
振り返ったミネルヴァが朗らかな笑み、俺も遅れて振り返る。
「おめえ帰ってきてんなら言えよォ!? バカやろぉ!」
頬の傷が印象的な、短く切った金髪の男――ハンネス・ボル。
荒くれ者ですと言わんばかりの風体と相違ない荒っぽい性格だが、仲間想いの戦士だ。
「急に居なくなったと思ったらまた急に帰ってきて……! もー!!!」
ストレートの黒髪を腰まで伸ばした聖職者風の女性――ライザ・ミール。
治癒魔法が得意で優しい、俺達の姉のような存在。いつも何らかの理由で誰かに怒っている。
「ごめんごめん。色々ワケがあってさぁ?」
はぐらかそうとするミネルヴァだったが、
「「いいからこいっ!」」
容赦なしと言わんばかりの二人に両手を掴まれ、冒険者組合の中へ連行されるのだった。
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討伐帰りの冒険者達で賑わう酒場の隅。
「さあ! ぜんぶ話してもらうわよっ!」
四人掛けの席に座って間もなく、ライザが声を張り上げる。
俺の右隣にミネルヴァ、前はハンネス。ミネルヴァの前はライザ。申し合わせることなく、自然と皆が定位置に座った。
「エール四つ! 後は適当につまめるヤツ頼むわ!」
ハンネスがウェイターに雑な注文をし、
「ハンネスシチュー人数分!」
ミネルヴァが付け加える。
「ちょっと聞いてるのミネルヴァ!? 私怒ってるのよ!?」
「いやぁ……それは分かってるんだけど、お腹が空いてしまってねぇ?」
「言い訳しないっ!!!」
「ごめんなさい……」
ミネルヴァは申し訳なさそうに俯いてみせ、ライザの様子を窺っていた。
「……懐かしいな」
気付けば言葉にしていた。
「だよなぁ!? 俺も思った!」
ハンネスがくしゃりと破顔して、
「依頼の後はいつもこうやって無茶したミネルヴァをライザが叱んだよな? なっつかしいなぁ~!」
「あぁ。その度にミネルヴァはああやって俯くんだ」
「ぜんっぜん反省してねえのにな?」
俺も思わず笑みがこぼれる。
「……そうなのミネルヴァ?」
俺とハンネスの話を聞いたライザの表情が悲し気になる。
まずい。こうなると長い。
「……そ、そんなワケないじゃないか!? 僕はライザ姉に叱られる度に『もうしないぞ!』ってなっているんだよ? ホントだよ?」
ミネルヴァも予感を覚えたらしく、珍しく慌てている。
が、間に合わなかった。
「でも……ぐすっ……いっつも……ぜんぜん言うごど聞いてぐれないじゃない……!」
ライザの眸がみるみるうちに潤いを帯びて、涙の雫がポロリと落ちる。
「あぁ……ごめん!ごめんねぇライザ姉!」
「うええええん……!」
ミネルヴァの謝罪も空しく、ライザの涙は本腰を入れる。
やらかした……!
俺とハンネスは目配せで責任を咎め合い、意を決したらしいハンネスがライザの背中をさする。
「なぁライザ。その……なんだ。せっかくミネルヴァが帰ってきてんだからよ? まぁ……楽しく飲み食いしようぜ?」
おそるおそる言葉を選ぶハンネスだったが、
「……よ」
「え?なんて?」
「あなたもよハンネスっ! たっくさん言いだいこどがあるんだからねっ!!」
見事に飛び火。
ハンネスとミネルヴァの助けを求める視線が痛い。
正直逃げ出したい。
「ライザ……一度落ち着こう? まだ酒も来てないからさ?」
二人の懇願の眼差しに負け、可能な限り優しく、諭すように声をかける。
だが、こちらを向いた水浸しの眼差しには確かな怒りが込められていて、全てを察する。
「アポロっ! いっづも優等生みだいにしてるけど……! あなたがいっちばん問題児なんだがらっ!! もー!!!」
泣き虫ライザのお説教が始まった。
俺達が出会ったのは、王都の孤児院だ。
六歳の頃、リキルの村が魔物に襲われて、親を亡くした俺はミネルヴァと二人で王都に来た。
そこで俺達を受け入れてくれた孤児院に、ハンネスとライザがいたのだ。
ハンネスは俺やミネルヴァと同い年で、ライザは一つ上。
俺は人見知りだったが、快活なミネルヴァのお陰ですぐに仲良くなれた。
ライザが十二歳になった時、孤児院を出て行かなければならなくなり、俺達も一緒についていくことになった。
家と仕事が必要になったものの、王都で暮らす孤児に選択肢は少ない。
それなら人の役に立つ仕事の方がいいだろう、ということで冒険者組合に入った。
初めはその程度の志しか持たなかった俺達だったが、依頼をこなすうち、凄惨な光景を度々見るようになった。
グリフィンはある程度腹が満たされると、人を生きたまま木に突き刺して保存食を作る。
ゴブリンは女性を攫い、子を宿した状態で村に帰す。
魔物に襲われるとはどういうことなのか――それを思い知って、俺達は世界から魔物を駆逐したいと思うようになったのだ。
寝食と苦楽、夢を共にしてきた俺達は、本当の仲間だ。
「アーくん……?」
ミネルヴァに呼ばれ、ハッとする。
「あ……ごめん。えっと……」
ライザの説教が全く耳に入っていなくて、どうしようかと考えを巡らせる。
「ごめんねアポロっ! 言いすぎちゃったかしら!?」
いつの間にやら泣き止んでいたらしいライザに謝られるが、意味が分からない。
「ちげえだろ? アポロはまた四人で集まれたのが嬉しくて泣いてんだよ! なぁ?」
ハンネスに肩を叩かれ、頬を伝う暖かさに気付いて、ようやく状況を理解する。
俺は泣いていたのだ。
ミネルヴァ、ハンネス、ライザ。
家族同然の四人でまた集まることが出来た。それはどうしようもなく嬉しい。
だが、嬉し涙ではない。
ミネルヴァは人類を皆殺しにすると言っていた。
そこにはハンネスとライザも含まれているのだろうか?
それを考えて、辛くなってしまったのだ。
ミネルヴァがどういう人間かを知っている。ミネルヴァがどれだけの人を救ってきたのかも知っている。
でも、ミネルヴァが王族を皆殺しにしたことを知っている。ダリニアを惨殺したことも知っている。
ミネルヴァが何をしたいのか。何を考えているのか。今はまったく分からない。
分かってあげられない。
「ごめんね……?」
ミネルヴァが俺の手を握って、言った。
「……うっ……うう……!」
俺は堪えることが出来ず、嗚咽を零す。
ミネルヴァの謝罪の意味を、分かってしまったから。




