事件当日 昼④
「イヤアアアアアアア――!!!」
耳をつんざく断末魔の如きダリニアの絶叫。
荒縄を思わせる捩くれた前腕が弧を描き、夥しい量の血液が飛散する。
よく見るとダリニアの足元の床には白い魔法陣が浮かんでいた。
その場の皆が悍ましい光景に自失する中、俺の眸だけは突如現れたミネルヴァの背中を追っていた。
彼女の形相は、ダリニアがこれから本当の断末魔を響かせることになるだろうと確信させるものだった。
「――ッ!?」
ニクソンがミネルヴァに気付き、何かを叫ぼうとした。
だが、ミネルヴァの一瞥がそれを遮る。
貴族の中でもとりわけて獰猛な表情を作るニクソンの眸が、瞬く間に恐怖に塗れていく。
他の者も連鎖するようにミネルヴァを視界に捉えるが、一様にして指先すら動かせず、言葉を発することもない。
だが、王の魔法による完全停止でなければ、魔法陣がどこにもないことから考えて拘束魔法でもない。
同じ空間に理を超越した暴力が存在するという事実。
それを理解しただけで、全身の筋肉がただの棒切れになったように動けなくなっていたのだ。
近衛騎士団最強――つまり唯一ミネルヴァに匹敵しうる実力者とみられていたガイアスでさえも、恐怖に顔を歪め立ち尽くす。
「ミネルヴァ!」
このままではまたミネルヴァが人を殺してしまう。
衝動的に彼女の名を叫んだ。
「アーくん。少しだけ静かにしててくれる?」
彼女は振り返りもせず、穏やかな声を発する。
すると途端、何らかの魔法が込められた魔法陣が首をすり抜けて、俺は声を失った。
でも諦めるわけにはいかなかった。
全身の筋肉に筋肉であったことを思い出させるように力を込め、硬直を振り払う。
「ダメ」
ミネルヴァはまたもこちらを振り向かず、今度は俺の足元に魔法陣を作る。
正真正銘の拘束魔法。俺の身体はピクリとも動かせなくなった。
「おばあさん」
ミネルヴァの問いかけが、苛烈な痛みの中にいるであろうダリニアの意識を捕まえる。
「――ァ……!ァア!!アアアアアアア――ッ!!!」
恐怖が痛みを凌駕した――それが手に取るように分かった。
ダリニアは膝から崩れ落ち、涙ながらに何かを訴える。
右肘の歪な断面からは、裂けて尖った骨が突き出していた。
「さっきアーくんに魔法を打とうとしていたけれど、もし王の魔法が無かったら……おばあさんはなんて言ってたかなぁ?」
「ゥウウウ――!」
「ねえ? 早く答えておくれよ?」
「……ァ!」
ダリニアの様子は不自然だった。
苛烈な痛みが彼女を錯乱させ、恐怖が自尊心をへし折った。
それだけでは説明のつかない苦悶が見て取れた。
「ォ――!!」
突如、えずき始めたダリニアの口から何かが飛び出した。
それは、右手だった。手首から先が、彼女の口から生えていたのだ。
ねじ切られた彼女の前腕が無くなっているのを見るに、空間転移の魔法。
ミネルヴァはダリニアの食道に、ねじ切った前腕を転移させたのだ。
「苦しいかい? でもこれはおばあさんが僕の問いに答えなかった報いなのさ。これからたくさん質問をするから、次はちゃんと答えておくれよ?」
ミネルヴァはダリニアと目線を合わせるようにしゃがみこむと、至極穏やかな声で言った。
それから、ミネルヴァによる二十五の質問が為された。
あまりにも惨たらしい光景が続き、絢爛豪華な会議室は赤黒い血に染まっていく。次第にダリニアの呻きは聞こえなくなり、肉体が壊れていく音だけが反響する。
最後に残ったのは、中身が沢山詰まったダリニアの胃。
それと、
「これでアーくんも集中できるねぇ」
太陽を思わせるほどに一切の濁りがない、ミネルヴァの笑顔。
いつの間にか、俺に掛けていた魔法は解除されていた。
「あと……」ミネルヴァが軽妙な足取りでヒューゲルに歩み寄り、憔悴しきった顔を覗き込む。
「おじいさん。アーくんに時限式の忘却魔法をかけているねぇ? 部屋を出た頃に会議の内容を忘れる、といったところかな? さも良い人のように振る舞っていたけれど、あれは偽物の姿だったワケだ?」
時限式、というのは予め魔法を対象にかけておき、任意のタイミングで発動させる、という技術だ。
そんな魔法を掛けられていたとは思いもしなかった。扉をくぐったタイミングが怪しいか。
「か、解除する……!」
物腰の柔らかな様子は微塵もなく、ヒューゲルは怯えるままに震えた声を絞り出す。
近親婚の弊害や隠匿されてきた王族……国家機密であろう情報を饒舌に語っていたのは、俺が忘れることを前提としていたから、ということのようだ。
「当然だよ」ミネルヴァは頷いた後、
「それで……両手、両足、皮膚、全ての感覚器官。どれがいい?」
「な、なにが」
「おじいさんからこれから失う場所のことだよ。さぁ――
答えて?」
ミネルヴァの問いに、ヒューゲルは硬直させていた身体をガタガタと震わせて、戦慄に強張らせた唇は乱れた呼気を漏らすのみ。
問いに答えることが出来なかった者の末路は、その場の皆が知っていた。
これ以上ミネルヴァに人を傷つけてほしくない。
「ミネルヴァ!」
咄嗟に駆け出して、彼女の手を握った。
「こんなコトもうやめよう……? 」
頼むことしか出来ない自分が腹立たしい。
でも、祈りを込めて言った。
すると、彼女は思案をくぐらせた後、
「やめたら夕飯を一緒に食べてくれるかい?」
上目遣いで俺の目を覗きながら、不意をつく要望を出した。
「分かった。一緒に食べよう」
考えるまでもなく、即答した。
意図は全く分からないが、人が死ぬよりもよっぽどいい。
「ふふふっ! 楽しみだねぇ」
彼女は思い出と同じ爛漫な笑みを携える。
俺はもう、見えているものが真実なのかどうか、分からなくなってしまった。
「じゃあ日が落ちた頃に礼拝堂に迎えにきてね? 推理頑張ってね!」
姿勢を伸ばして言ったミネルヴァに「分かった」と返すと、「ん!」とにっこりとした笑顔を残し、消えた。
同時に、ダリニアだったものも消えた。
その瞬間、部屋中に張り詰めていた緊張が弛緩し、ガイアスがその場にへたり込む。
「ミネルヴァ・マーズは……怪物だ……」
弱々しく漏らす彼の姿には、もはや騎士としての威厳どころか生きる希望すらも見当たらない。
彼は騎士団長という肩書だけでなく、その強さがミネルヴァを討伐しうると見込まれ、この会議に呼ばれていたはずだ。
その男が、ミネルヴァの振る舞いを見ただけで、動くことすら出来なかったのだ。
人類の敗北を決定づけて余りある、ミネルヴァの強襲。
何らかの魔法で保護は十全だったであろう会議室でありながら、会話内容は筒抜け。
ひとたび彼女の機嫌を損なえば、地獄という言葉さえ軽いと思える惨たらしい死を迎えることになる。
――全てはミネルヴァに握られている。
それが各々の胸に刻み付けられた。
その後皆が絶望を表情に携える中、ニクソンの主導により「王の魔法」消失に備えた緊急措置として以下の対策が決まり、即時施行となった。
①王族、ダリニアの死、及び「王の魔法」消失の可能性は、一切公表しない(現時点の暫定措置)。
②治安改善という名目で近衛騎士を王都の各地に配備し、馬車の危険運転の抑止にあたらせる。
③死亡事故が発生するなど、「王の魔法」消失を思わせる事案が発生した際、関係者及び目撃者を拘束。その後「正体不明の魔物の魔法によるもの」という情報を流布し、騒動の鎮静化を図る。
貴族らしい横暴な、かつあまりにも付け焼き刃な対策だ。
だが、公表すれば面白半分で人を殺そうとする輩が現れる可能性もある。そうなればこの王都は地獄絵図だ。
俺の胸中はミネルヴァのことでいっぱいで、何も発言できなかった。
誰も俺が参加していることを咎めなかった理由は、火を見るよりも明らかだった。
結局ミネルヴァをどうするか、という問題に触れる者はおらず、真相に一切近づけないまま、初日の協議が終了した。




