悪徳不動産屋
独り暮らしをはじめるため、賃貸物件の見学にやってきた青年は、一人の不動産屋と運命的な出会いをするのであった。
「お客さん、ここはよくないよ」
中年の不動産屋さんは、そう言った。
「え?」
確かに先程から、怪訝そうな顔をしていた。外観からしてあまり上等とは言えない物件ではある。しかし、普通、仲介業者と言うのは駄目な物件でも勧めるものなのではないのだろうか。
「いや、ね。私の持論なんですが、聞いていただけますか? 」
ずずい、と顔を前に付き出して男は尋ねる。この状況で、
「はい…」
以外の返事は、気の弱い僕にはできない。
「人間ってのはね、お日様に当たらないといけない生き物なのよ」
「はい…?」
彼は窓を軽く叩いて見せた。フラワーボックス、と書かれていた窓の外に据えられたスペースの向こうにわずかに空き地が覗く。その向こうにアパートが見えた。日当たりは確かに悪い。
「お日様に当たらないと、元気でいられない生き物なのよ。私、この仕事はじめて2年の駆け出しですけどね」
「2年ですかー」
完全にベテランの顔をしていたので驚いた。実際、お年は召してらっしゃるし。
「でも、こういう、日の当たらない建物を借りたお客さんはね、本当に元気がなくなっていきましたよ」
何がでもなのかはよくわからないけれど、彼は心から残念そうに溜め息を吐いた。心を痛めているのだろうか。
「バストイレ別、温水洗浄便座、インターネット無料、まあ、こんな好条件でこの値段なんてそうそうないですよ。これは、借りるべき物件ですよ」
「えっと…」
どっちなんだろうか。僕もその条件に引かれたんだけれど。
しかし、言葉とは裏腹に彼の表情は暗い。
「でもね、お日様が当たらないんですよ。今、午前10時。どうです? 当たってますか?」
「そこそこ」
空き地があることもあって、そこまで暗い、というわけでもないが。
彼はおおいに嘆いて見せた。
「当たってませんね! だから、元気が出ない。分かりますか、お客さん、これなんですよ!前にアパートがあるでしょ? これがいけない。もう、このアパートの価値はゼロだ」
「そこまでいわなくても…」
さっきと言ってることが違うじゃないか。
と、口を挟めるような雰囲気でもない。
「お客さん、人間ってのはね、お日様に当たらないといけない生き物なのよ」
「はい…。さっきも聞きましたけど」
彼は、何度でも言いますよ!と叫んだ。流石に隣の部屋から壁を殴られた。割に、響くようだ。
「お客さん、この世にはね、二種類の人間がいます。賢い人間と愚か者。これもね、お日様が絡んでくるのよ」
「はあ」
僕が壁の向こうを気にしていることなど知らんぷりで彼は続ける。
「お日様浴びてるとね、小さなことはどうでもいい、と思えてくるのよ。生きてるだけで十分だ、ラッキーって、思えてくるの」
「はあ」
「でもね、じめっとした雑巾みたいな部屋だともう駄目だ。生きてたくないだの、死にたいだの言い出すわけ」
「…」
また壁を殴られた。
「死にたいなんて思う人間が賢いわけがないのよ。時間を無駄にしてるだけなんだから。人生を謳歌するのはいつもポジティブな人間。どちらが賢いか解るでしょ? ネガティブなキャラクターで成功している人なんて全員嘘吐いてるんだから。彼らに共通してるのは、お日様をしっかり浴びてるってこと」
な、何を根拠に…。
と、つっこむ気にはなれなかった。
「だからね、こんな部屋を借りてはいけません。そりゃ、安かったらお金は浮くかもしれないけどね、貴重な人生をこんな暗い部屋で浪費するなんて愚か者のすることですよ! もっとポジティブに! 駄目で元々! がつんと稼いでガンガンやって、明日は明日の風が吹く!」
隣の部屋の方ががつんと殴ってガンガンやってるのを気にも止めずに、彼は鞄から冊子を取り出した。
でしてね、と彼はこれでもかってくらいにこやかにそれを差し出した。
「こちらの物件よりも1万円高くなりますし、温水洗浄便座とインターネット無料はなくなるんですが、日当たり抜群のこんな部屋がね…」
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午前6時に目が覚めた僕は、ベランダに続く大きな掃き出し窓に設置したカーテンを開いた。
部屋の中いっぱいに光が差し込む。もう10月なのに、まるで夏場のように眩しい。…眩しすぎる。遮るもののない太陽の光に、目を細める。とても、目を開けてはいられない。
「人間ってのはね、お日様に当たらないといけない生き物なのよ」
自分に言い聞かせて、ベランダに出、大きく伸びをして、窓を閉め、カーテンも閉めた。
もちろん、二度寝をするために。睡眠をしっかりとることももポジティブに生きるためには大切なことなのだ。
構想の時点で既に、「あれ、これ、言ってることがそこまで間違ってない」と思ってしまった。
おかしな部分をこっそりと訂正…。