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第一話

僕は今、岡崎公園のベンチに座っている。平安神宮側のベンチではなく、交番側にあるもの、階段やらスロープやらがあってごちゃごちゃしている方にあるものだ。そして、およそ1.5人分の面積を占領している。公園の入り口に近い方から1人分の面積を僕の体が占めていて、残りの0.5人分にはパナソニックの携帯ラジオと180mlのウイスキーが置いてある。


深夜の岡崎公園はとても静かで、小説について考えるにはうってつけだ。木々が時々さざめき、遠くから車の走る音が聞こえ、應天門をすり抜けた風が小さくうなる。冬の空気は賑やかだ。“何か素敵なお話を聞かせてよ”と。僕は彼らの声には耳を貸さずにラジオから流れる音楽に集中する。エド・シーランの「Bad Habits」が流れている。何か思いつきそうだ。若い男性の話。彼は恋人とうまくいっていない。ある日、老人から電話がかかってきて、そしてゾンビが出てくる。最後は岡崎公園で・・・。だめだ、考えがまとまらない。アウトプットが過剰なんだ。少し整理しよう。僕はウイスキー瓶に手を伸ばす。腕の動きにつられて首もそちらを向く。瓶の先にある新品のスニーカーが目に入る。いつの間にか誰かが座っていたようだ。

 僕が首を起こすと、そこには僕と同い年かそこらの青年がベンチに腰掛けている。彼の顔は紅潮し、体は心地よさそうに揺れている。髪は明るい茶色でキノコみたいだ。多分、明日すれ違っても分からない。

「隣、失礼してるよ。集中していたみたいだから声をかけるのに気が引けてな」

 青年は会釈する。酒臭い。

「いえ、お構いなく」

「このウイスキー、あんたの?」

「ええ」

「少しだけもらっていいか?」

「どうぞ」

「どうも」

 彼は瓶の腹を大きな手のひらでがっしりとつかむ。ブロロロロ、とバイクの排気音がすぐ近くから聞こえる。そちらを見やると、2台の白バイが交番の駐車スペースに入る。ゴン、と瓶を置く音がする。

「いやあ、生き返る。やっぱ冬のウイスキーは温まるね」

「それは良かった。それにしても、ずいぶんと酔っ払ってるみたいですけど」

「ああ、飲み会の帰りでね。・・・そうだ、その時になかなか愉快なことがあったんだよ。聞きたいか?」

「是非とも」

「んっ・・・んん!そうか、いいか?すげえ痛快な話だからな。よく耳を澄ましとけよ?・・・っんん!ええと、つい二時間前のことなんだが・・・」

 酔っ払いの大学生の例に漏れず、そして、賑やかな飲み会のハプニングにありがちな、わざわざ他人の耳に入れる価値のない話が語られている。どうやらそれが彼の言う“愉快なこと”のようだ。要約すると以下のようになる。彼は同じ大学の男友達二人と女子大の学生三人とで合コンに行った。ほどなくして王様ゲーム、王様と書かれたくじと数字が書かれたくじを用意し、王様を引いた人が任意の数字を指定して命令をするという昔はやった(今もはやっているのか?)ゲーム、が催されたらしい。そして、彼の友人が王様になった時にその人は「四番は王様とラブホテルで一泊する」と命令したのだが、四番を引いていたのは相手の女子大生の中で“一番おしゃれじゃない子”だったそうだ。

「これがなかなか面白いだろ?」

「ええ、大した話ですね」

「まあ、少し冷めてるけど悪いやつじゃないんだよ。でも、いつもの澄まし顔がどんどん曇っていくさまは本当に・・・」

 彼は思い出し笑いを堪えているのか、口に手をあてるが、僕には吐き気を堪えているようにしか見えない。

「機会があれば参考にしますよ」

「ご自由に。それにしてもあんたの顔があいつに似てるから、つい思い出しちまっていけないな」

「そうですか?」

「ああ。まあ、あいつの方がずっと賢そうだし、男ぶりもいいけどな。・・・っと、話しすぎたな、ウイスキーをありがとう。それじゃあ」

 青年は立ち上がり、舗装された道は通らずに芝生を突っ切って平安神宮の方へ去っていく。彼が街灯の下を通るたびに影が伸び縮みしている。僕は手に持ったままのメモ帳に目を戻す。


 何か思いつきそうで思いつかない。アイデアは喉元で表面張力のようになっている。“創作とは絶え間ない運動である。それが前進か後退か、それ自体に大した意味はない”と誰かがかつて言った気がするが、今の僕は前進も後退もしていない。停滞だ。ラジオは知らない音楽を流し始めている。僕はメモ帳を手の中で弄ぶ。ゾンビなんてアイデアはどうして浮かんできたんだ?B級映画じゃあるまいし、いくらなんでも頓狂だ。そう、こういう風に少しずつアイデアを整理していこう。イヤホンから聞こえる曲がサビに突入する。特徴的な清涼感のある歌声が突如として現れ、その曲を自らのものにせんとばかりに堂々とみずみずしく歌い上げている。そこでようやくこの曲がロックウェルの「Somebody's Watching Me」だと気づく。そしてサビを歌っているのはマイケル・ジャクソンだ。彼の曲はさておき、その歌声自体には何か特別なものがあると思う。心に熱を点す何かが。おそらく彼の歌声は熱源なのだろう。いい感じだ。僕はメモ帳から目を離さずにウイスキー瓶へと手を伸ばす。指に固くてつるつるとしたガラスの感触にぶつかる。冬の空気がすっかりしみこんで氷のようだ。不意にガラスが指先から逃れ、僕は慌ててそちらを見る。小さな手に包まれているウイスキー瓶が目に入る。いつの間にか誰かが座っていたようだ。

 僕が視線をあげると、そこには僕よりいくらか若い少女がベンチに腰掛けている。彼女はメイクが濃いというか、なんだか奇妙だ。とりわけ目と鼻の周りに丹念なメイクが施され、できるだけ目は大きく二重に、鼻は小さく高く見えるようにしているようだ。でも光の具合か時間の経過のせいでその化粧は妙に浮いていて僕には道化師にしか見えない。

「黙っててごめんね。なんだか集中してたから話しかけるのに気が引けて」

 少女は笑う。顔に街灯が当たって白くなっている。本当にピエロみたいだ。

「いえ、お構いなく」

「このウイスキー、おじさんの?」

「ええ」

「ちょっとだけもらってもいい?」

「どうぞ」

「どうも」

 彼女はその手に包んでいた瓶の蓋を神経質そうに指先で回す。ガザラガザラ、と突然の北風によって背中を押された枯れ葉たちが一斉に駆け出す。そのかけっこを目で追いかけると、公園の階段で彼らは止まる。コン、と瓶を置く音がする。

「んん、久しぶりに飲んだけどやっぱり苦いね。それに喉が焼けるみたい」

「そうですか。それにしても、どうしてこんな時間にこんな場所へ?」

「うん、彼氏と喧嘩しちゃって。・・・そうだ、その時にとっても面白いことがあったの。ちょっと聞いてみる?」

「是非とも」

「ん・・・えへん。そっか、いい?すごい楽しい話なの。よく聞いてね?・・・えへん!ええと、つい二時間前のことなんだけど・・・」

 この年ごろの女性の例に漏れず、そして、若いカップルの喧嘩にありがちな、結論や争点が見えない上に話題が行ったり来たりする話が語られている。どうやらそれが彼女の言う“面白いこと”のようだ。要約すると以下のようになる。彼女は同棲中の恋人とバラエティ番組を見ていた。やがて今を時めいているらしい清楚系女優(清楚という概念と女優という概念は両立するのか?)が出演したらしい。そして、彼氏があまりにもその女優を褒めたので2人は喧嘩になり、彼は「もう出て行け」と言ったのだが、この少女がいざ出て行こうとした時に「お風呂はどうする?」と尋ねたそうだ。

「すっごく可笑しい話でしょ?」

「ええ、大した話ですね」

「まあ、ちょっと抜けてるけどいい人なの。でも、喧嘩したすぐ後に『お風呂はどうする?』って、いくらなんでも・・・」

 彼女は思い出し笑いを堪えているのか、口に手をあてるが、僕にはマジックを披露しようとしているピエロにしか見えない。

「機会があれば参考にしますよ」

「どうぞ、ご自由に。それにしてもおじさんの顔があの人に似てるから、つい思い出しちゃっていけないね」

「そうですか?」

「うん。まあ、あの人の方がずっと優しそうだし、若々しいけどね。・・・っと、話しすぎちゃった。ウイスキーをありがとう。それじゃあ」

 少女は立ち上がり、舗装された道を右回りに通って平安神宮の方へ去っていく。彼女が街灯の下を通るたびに顔を真っ白に照らす。僕は手に持ったままのメモ帳に目を戻す。


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