神さま
「神さま……」
あまりにも突拍子のない答えに何か反論しようと思ったが、それ以上言葉が続かない。絶対有りえないことだと分かっているのに、なんだか、自分の中にその答えはストンと落ちる。
「はい、そうです。神さまです」
それに、自称神さまは笑顔で答える。
そもそも、神さまとはなんだろう。八百万という言葉があるくらい、日本にはたくさんの神さまが存在するとされている。僕の名前の由来も実は、生まれたばかりのころ身体が弱かった僕を見て、両親が万の神さまから愛されますようにという思いを込めてつけたものだと聞いたことがあるが、正直神さまなんて胡散臭いなと思っていた。
だから、神がどういう存在なのか興味もなく、全く分からない。
もちろん、目の前で胸を張る少女が神だと認めたわけではないが、一体どんな神なのか聞いてみてもいいのかもしれない。
「おや、私がどんな神なのか気になっているようですね」
口にしていないのに、僕の考えが読み取られた。
「なんで分かるんだって顔をしてますね。そりゃあ分かりますよ。神ですから」
嘘つけ、と心の中で毒づく。
「むっ、信じてないですね。なら、証明して見せましょう」
「証明って、どうやって?」
「そうですね。消えて見せましょうか」
そう言うや否や、少女の姿が僕の前から消える。
「こんなかんじでどうでしょう」
声が僕の前、彼女が消えた場所から聞こえるが姿は見えない。ドラえもんの透明マントでもないのに消えてしまうなんて、これは信じるほかないだろう。
「分かった。信じる。だから、姿を現してくれ」
次の瞬間、僕の前にパッと姿を現す。
「まあ、ざっとこんなもんです。それで、私がなんの神かっていう話ですよね。私は、七福神の一人、弁財天です」
弁財天。聞いたことはある。七福神の一人ということも、一応知っている。でも、それ以上は特になにも知らない。
七福神の中でも、地味な方なのではないだろうか。恵比寿や毘沙門天とかの方がよっぽど馴染みがある。
「むっ。あまり、私のことを知らないようですね。私は、福徳や財宝を司る神。そして、七福神の紅一点なんですよ」
それを聞いても、なんだかピンとこない。そもそもの話、あまり七福神というものに興味も縁もない。だから、少女の懸命な説明を聞いても、なるほどで終わってしまう。
でも別に、そんなことは正直どうだっていい。項垂れている少女に他に聞きたいことがある。
「えーっと、弁財天さん、でいいかな」
「弁天でも弁ちゃんでも弁様でも好きに読んでください」
唇をとがらせる少女。神さまの癖に器が小さい。
「じゃあ、弁天さんは――」
「呼び捨てで構いません」
なんでもいいと言ったくせに、そこを気にするのか。
「……弁天は、なんで僕に土下座をしたの?」
その言葉に、弁天は見るからに動揺して、顔を青くする。
「ああ、えーっと、はい。その節は本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。こうなってしまっては神さまの威厳もなにもない。
「いや、頭を上げてよ。別に謝って欲しいわけではなくて、単純にどうしてだろうと思って」
「あー、えーとですね。それはまあ、話せば長くなるのですが。えー、端的に言うとですね、あなたが最近不幸続きだったのは、私のせいなんです」
言いづらそうに少し目をそらす。
私のせいという部分が引っかかる。それはどういう意味なのだろう。弁天が僕の身に起こる不幸を引き起こしているということなのか。ただ、正直、もう夕暮れであまりここに長居している余裕はない。
「あのさ、僕、そろそろ帰らなきゃならないんだ。だから、時間が厳しそうだったら、その話はまた別の機会で聞きたいんだけど」
「そうですか……。分かりました。ただ、もう少し、私に時間をいただけないでしょうか」
真剣な瞳が僕を捉える。
「うん、もう少しなら、大丈夫だよ」
それに弁天はありがとうございますと小さく答えて、それからふうと息を吐く。
「あなたの不幸の原因は私だと先ほど言いましたが、より具体的に言い直すと、不幸の原因はハガキにあるんです」
「ハガキっていうと、あなたの人生に幸あれって書いてあったあれのこと?」
「はい、そうです。詳しくはまた今度話しますが、あのハガキに人間を不幸にする負因子というものを込めて送ったんです」
なるほど。やはりハガキが原因だったのか。それは薄々分かっていた。僕の不幸の始まりはあのハガキの訪れだったからだ。
しかし、負因子か。負の因子と聞くと、なんとなくネガティブなものを想像することはできるが、具体的にどんなものなのかがいまいちよく分からない。
ただ、今日はそこまで聞いている時間はない。取りあえず、次の質問だ。
「あれは、僕以外の人たちにも届けていたりするのか」
「ご明察です。ハガキは私たちが負因子を込めて、無作為にいくつかの家々に送りました」
これも予想通りだ。喫茶店のマスター以外にも送られていたようだ。そしておそらく、あれを触った人間がその負因子とやらを取り込んでしまうという認識でいいのだろう。
しかし、弁天はそのことで僕に謝ったわけではないはずだ。それに関連しているが、別の理由がきっとある。そうじゃなきゃ、僕以外にもたくさんの人に謝罪することになる。
僕と、他の人たちに何か違いがあるのだろうか。僕とマスターの違い。
一つ思いつくことがある。
「もしかして、その負因子とやらが僕には過剰だったとか」
弁天はばつの悪そうな顔で、小さくうなずく。どうやら正解みたいだ。
「その通りです。だから、あなたの身にあれだけ過剰な災いが降り注いだのです」
「えーっと、それっていうのは、そちら側の不手際っていうこと?」
「はい。それで、あなたに多大な不幸が起こってしまったので、負因子を回収しようと思いまして」
まだ疑問に思うことはたくさんあるが、大まかなところは分かった。幸との件が多大な不幸というやつだろう。
「でも、別にそれはいいよ」
僕はそれを断る。正直なところ、この問題の根本的なところでは負因子とやらは関係ないと思う。
「ですが、あなたは、その、ご友人とは――」
「もしも、このまま終わったら僕らの仲はそこまでだったってことさ。だから、君が気にする問題じゃないよ」
心の底からそう思う。それに、僕は幸のことを信じている。きっと、このまま終わることはない。おそらく、きっと。なんだか不安になってきたけど。
それに、なんだか意地みたいなものも湧いてきた。ここで自分の不幸を認めてというのも、癪だ。
「なるほど。そうでしたか。分かりました」
弁天はとくに食い下がることもなく、慈悲深げな笑みを浮かべて頷いた。
「ところで、負因子とかそれに伴う不幸についてもう少し詳しく教えてくれるの?」
まだ完全に信じたわけではないけれど、その話はもう少し聞いてみたい気がする。
「はい、それを貴方が望むのであれば、お教えします」
神妙な顔つきで頷いた。
「それじゃあ、今日は帰るよ。次、いつ会えるんだ?」
「そうですね。私もこれでもまあまあ忙しいというのと、ある程度説明には時間も必要ですし、今度の土曜日はどうですか。場所はここで。時間は十時くらいでどうでしょう」
じゃあそれでと応じ、手を振って別れる。
薄暗く、街頭が照らす住宅街を歩きながら、ふと思う。
今日の出来事は到底信じられるような話ではなかった。でも、なんだかすんなりとあの神さまの話を信じてしまう自分がいる。とても不思議だ。もしかしたら、あの見た目が僕の警戒心を和らげているのかもしれない。
そんなことを考えながら道を右に曲がると不意に目の前から自転車が突っ込んでくるのに気づく。とっさに身体を捻って間一髪で躱す。
すれ違いざま、運転手の舌打ちが耳に響く。僕は気をつけろと、その背中に叫ぶ。
そして、ふと思う。この不幸体質もまた、負因子と深く関わっているのではないかと。弁天に負因子を取り除いてもらえば良かったと後悔するも、もう遅い。一度断った手前、もう一度というのは言い出しにくい。
僕は大きくため息をつく。
結局、家に帰るまでに、それから二回ほど自転車と接触しそうになった。