神の告げる真実
「万、今日の学校中止みたいだよ」
パソコンの前に座る月夜さんが僕にそう教えてくれる。学校のホームページに中止の連絡が来ていたようだ。昨日、先生から明日は台風で学校が中止になりそうだと聞いていたので、特段驚きはしない。ただ、まだ風も風もそこまで強くなく、一応準備はしていたため、少し肩すかしを食らった感じだ。きっと、学校側としては生徒を帰すのが大変だということで休校にしたのだろう。どうせ外には行けないのだから、受験勉強を頑張ろうと教科書を開く。
「って、あれ?月夜さん、今日、仕事は?」
「有給取ってたんだよ。折角の休日だってのに、この雨とは……。しょうがないから今日は家の片付けでもするかな」
月夜さんはおもむろに立ち上がると、部屋の片付けを始めた。珍しい光景である。普段は僕が片付けはしていて、月夜さんが部屋を荒らす役割を担っている。
「大丈夫?」
「いや、大丈夫だよ。たまには片付けしようと思っただけ。私のことは気にしないで勉強しろよ」
今日は嵐でも起こるのかなと思ったが、絶賛台風が接近中だった。なるほど、月夜さんが片付けをしようと思ったのもうなずける。
「あー、そうだ、万。買ってくれた非常食と水はどこにやったんだ」
台所の方から声がかかる。非常食と水。あれっ?
「そういえば、買い忘れてた……」
「ありゃま」
「いまから行ってくるよ」
幸い外はまだ小雨で少し風が強いくらい。家の近くのコンビニに行って帰ってくるくらいならなんの問題もないだろう。いや、別になくても大丈夫だからと月夜さんは僕を止めるが、もしものことがあったらいけない。僕は買い物袋と財布を手に取ると、自転車にまたがってコンビニへ向かう。
雨の雫が風に煽られ真横から僕に降りかかる。僕は腕で顔についた水滴を拭い、必死で自転車を漕ぐ。本降りになる前にさっさと済ませなくては。
ただ、運がいいことにコンビニまでの道には人一人おらずスピードをかなり出すことができたので、比較的早くたどり着くことができた。台風が来ているのだから当然と言えばそうなのかもしれないが。
コンビニに入ると、暇そうに欠伸をしている店員の姿が目に映った。まさか、台風が近づいてきているこの時間帯に客なんて来ないと鷹をくくっていたのだろう。僕の姿を見るやいなやすぐさま口を抑えて、いらっしゃいませと会釈する。僕もそれに適当に頭を下げてお目当ての品物のところへ向かう。水と非常食。カップ麺をいくつかと一本だけしか残っていない二リットルの水を抱え、さっさとレジで会計を済ませる。
それからコンビニを出て、買い物袋の口をきつく縛ってかごに入れるとペダルを漕ぎ出した。帰り道もまた、人の姿はなく、他の動物や鳥もいなかった。きっと、危険を感じ取ってどこか安全なところにでも避難しているのだろう。
雨が降っていなければ、とても快適なサイクリングになったに違いない。帰ったらシャワーでも浴びようかと、そんなことを考えながら、路地へ入るために左に曲がろうとすると、突如僕の目の前に人影が映った。反射的にブレーキを握るが勢いのついた自転車はこのままでは止まりそうにない。まずい、ぶつかると思わず目をつむる。次の瞬間、僕の身体に衝撃が走り、自転車は動きを止めた。衝突したのだろう。もしかしたら、吹っ飛ばしてしまったのかもしれない。おそるおそる目を開けて、驚愕する。僕の自転車の荷台を握りしめる拳。そして、そこから腕を辿っていくと、見知った顔がある。
彼は、呆れ顔でこう言った。
「危ねえだろ。気をつけろ」
こうして、僕は毘沙門天と再び相まみえることとなった。
「すいませんでしたー」
自転車から降りて、僕は勢いよく頭を下げて謝った。多分、いままで生きてきた中で一番深く頭を下げたんじゃないだろうかというくらいの角度だった。勢い余って自転車のサドルに頭をぶつけ、とても痛かったがそれどころではない。戦神を怒らせてしまったら、下手したらどうなるか。八つ裂きにされてカラスの餌にされてしまうかもしれない。
「あー、いいから頭上げろ。それから敬語も止めろって」
だが、毘沙門天は自転車による衝突未遂事故を別段気にとめた様子もない。器の大きさを感じた。これが神さま。どこぞの三百歳は持ち合わせていない寛容さである。
僕は頭を上げて毘沙門天を見た。前回会ったときと同じように金と黒の長袖ジャージを着ている。暑くないのだろうかと思ったが、きっと大丈夫なのだろう。雨で髪が濡れてツンツンしていて、さらにワイルドな感じになっている。
しかし、そんなことよりも、聞いておかなければならないことがある。
「なんで毘沙門天はここにいるの?」
弁天を探しに来たというわけでもないだろう。なにせ、弁天はいまこちらにはいないのだ。そして、それを毘沙門天が知らないわけがない。
「お前に会いに来たんだ」
その問いに簡潔に答える。とても真剣な表情だ。僕に。なぜ。頭を疑問が駆け巡る。
「取りあえず、歩きながら話すか。本降りになってきたら困るしな」
毘沙門天は空を見上げ、そう呟く。僕に気を遣ってくれたのだろう。僕は自転車を押して毘沙門天についていくことにした。
「それで、話っていうのは」
「ん、あー、そうだな」
毘沙門天はやや目線を下にして、考え込むような素振りを見せたが、やがて口を開いた。
「あいつの……、弁財天の話は聞いたか?」
話というと、この間神社で話した捧身のことだろう。僕は首を縦に振る。
「そうか。あいつはなんて言っていた?」
「えっと、大災害を止めるために捧身、をする必要があって、社の中で祈り続けなければいけないからしばらく会えないって」
僕は端的に、弁天の言葉を伝えた。すると、毘沙門天は口をきゅっと結んで押し黙ってしまう。その沈黙は、僕を無性に不安にさせた。なぜ、いまその質問をするのだろうか。そこに何か事実とは異なる要素があるのか。僕は自転車のハンドルを握りしめ、毘沙門天の次の言葉を待った。
「これは、正直俺の口から話すべきではないのかもしれない。ただ、いや、そうじゃないな……。単刀直入に言おう。あいつは――」
不意に、ビュンと一際激しい風が吹いた。思わず顔を背ける。言葉が風に攫われていく。再び正面を向いたとき、僕の目に映る毘沙門天の頬には雫が見えた。きっとそれは雨粒なのだろうけど、僕にはこぼれ落ちる涙に見えた。それほど、いまの毘沙門天の声音は暗く湿ったものだった。そしてまた、その声が僕の耳に届く。
「あいつは、嘘をついている」
「嘘……?」
それはとても不穏な一言だった。そして、なんとなく、どこに彼女の嘘が隠されているのか分かったような気がした。それは一番あってはならないことで、僕が恐れていることだ。
毘沙門天は僕の瞳を真っ直ぐに見据え、ゆっくりと口を開いた。
「捧身のことだ」
その瞬間、ぐにゃりと視界が曲がるような錯覚に陥った。身体から汗がこぼれてくる。足下もおぼつかなくなる。
「嘘っていうと、あれかな。実は弁天が捧身せずに、いつもみたいに遊んでいるとか、そういうことだよね」
「いや、違う」
そんな僕の無意味な悪あがきを毘沙門天は切り捨てる。
「捧身は祈ることじゃない」
僕と毘沙門天の間を突風が通り抜けた。しかし、戦神は微動だにしない。ただ、彼の瞳は僕を貫いている。
「捧身は、文字通り、身を捧げ、消えることだ」
ガシャンと、自転車が大きな音を立てる。それと連動するように膝から崩れる。
「なあ、毘沙門天。弁天はなんで教えてくれなかったんだろう」
僕らはこれまで負因子を減らすためにいろいろなことをしてきた。僕は弁天のことを本当に心から信頼していたし、相棒のように思っていた。なのに、なのにどうして。どうして本当に大切なことを隠したんだ。
「そんなのお前が一番分かってんだろ」
毘沙門天は淡々と僕の心を見透すように言った。
僕はそれに何も返すことができなかった。
「風が強くなってきたな。激しくならないうちに、向かわねーとな」
小さな戦神は、僕に背を向けると、嵐に向かって歩き出した。




