不穏な優勝劇
次の日。
僕と弁天はまたいつものように川原で待ち合わせをして、それから町の方に出向いていった。
「よし、じゃあ今日もちゃっちゃとやっちゃおうか」
目的地の駅周辺について自転車の後部座席に座る弁天に声をかける。しかし、いつまで待っても返事はない。
「なあ、弁天。聞いてる?」
後ろを振り返ると、何か考え込んだ表情の弁天。先日とは打って変わって、会ったときから少し戸惑ったような表情を見せていたが、その表情は先ほどよりもさらに苦悶している。僕は腰を捻り、肩を軽く叩いた。
「ど、どうしたんですか、万さん」
すると、ハッとしたような表情でこちらを見る。
「いやっ、どうしたって、さっきから話しかけても弁天の反応がなかったんだよ」
「あっ、そうだったんですか……。それはすいません」
なおも心ここにあらずといった様子の弁天は自転車から降りようとしない。
「なあ、弁天。もう着いたんだけど……」
呆れ気味にそう言うと、それで初めて到着したことに気づいたようで、辺りを確認して、それからゆっくり自転車から降りた。
自転車を適当なお店の前に置いて、それからいつものように高架下に陣取る。ここの高架下には金網で囲まれた放置自転車の回収場や駐車場があり、僕らとしても待機がしやすくなっている。そして、車通りはそこまで多くないためか、学生や社会人、お年寄りが頻繁に通る道となっている。
それから三十分ほど、いつものように、幸福な人々に負因子を浴びせていたが、依然として弁天の様子はおかしかった。頻繁に思い悩むような表情を浮かべていた。
いままでこんなことは一度だってなかったことで、僕もその様子に不安を感じてしまう。しかし、その理由がいまいち分からなかった。
そんな状態がそれからもずっと続き、僕はついにしびれを切らし弁天に尋ねることにした。
「なあ、弁天。さっきからずっと空を見ているけど、何かあったのか?」
その言葉にはっとしたように顔を上げる。つっと一筋の汗が頬をつたる。弁天は眉をひそめ、なにかをためらうように歯を噛みしめていたが、やがて、その身体がふっと脱力し、ゆっくりと口を開いた。
「万さんが先日、負因子が増えているんじゃないかって言っていたじゃないですか。それであれから私も負因子の量を改めて確認してみたんですよ」
「それで、どうだったんだ?」
その芳しくない反応から答えは分かっていたが、僕はおそるおそる尋ねる。
「万さんの言ったとおり、空を覆う負因子の量が明らかに増えています。それも日を追うごとに勢いを増してです」
そうこぼして空を睨み付ける。
以前とは違い、神さまたちは負因子を減らすために行動しているはずだ。それでも、増えてしまっている。
「一体、何が原因なんだろう?」
「何らかの原因はあるはずですが、いまの段階ではそれが分からないんですよ。ただ、なんとなく雲行きが怪しい感じがしますね」
きっと弁天は長年の経験から、直感的に何かを感じ取っているんだろう。ただ、僕はなんだか怖くなって、それ以上その話を続ける気にはなれなかった。
「あっ、そうだ、弁天。疲れたし何か飲まない?」
それで、僕が次に発したのはこのしんどい空気から逃れる言葉だった。
「そうですね。そうしましょう」
弁天は僕の気持ちを察してか話に乗ってくれる。そして、駐車場の中にある自販機の前に立つ。
「私、アクエリがいいです」
「そっか。僕はコーラにしようかな」
先に買うのだろうと思って待っているが、弁天は一向に動こうとしない。
「えっ、買わないの?」
「おごってくれるんじゃないですか?」
驚いた顔で聞き返される。いや、そんなことは一言も口にしていない。
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
「うわー、万さんのケチー」
小学生かよと突っ込みたくなる反応だ。しかし、僕だってそんなお金があるわけではない。少ないお小遣いで上手くやりくりしているのだ。
「というか神さまなら賽銭のお金を使えばいいんじゃないか」
「うわっ、なんて罰当たりな。あれは修繕費やその他もろもろに使われるものですよ。そんなこと、できません」
じゃあ、僕からお金をむしり取るのはいいことなのだろうか。支離滅裂である。
「万さん。そんなこと言っているといつか自分自身が賽銭泥棒をしかねないですよ。僕、神さまと一緒にいろいろやっているからこれもらえるよね。ぐへへ……、みたいなかんじで」
気味の悪い笑いを浮かべる弁天。そう言われると反論しないわけにはいかない。
「いや、そんなことしないよ。それに弁天だってどうせ、考えたことはあるんでしょ。賽銭もらっちゃおうかなあって」
「えっ、そ、そんなこと、あ、あるわけないじゃないですかー。や、やだなあ」
そう言って、顔を逸らす。酷い棒読みである。絶対考えたことがある顔だ。
「ねえ、弁天。よく考えてみて欲しい。弁天を祀っている神社に賽銭をしている人たちは、お金を渡すから願いを叶えて欲しいって思っているんだよ。つまりそれは、弁天へのプレゼントだといっても過言じゃないんじゃないかな」
「た、たしかに……」
ごくりとつばを飲む。目はキラキラと輝いている。やる気満々である。
「まあ、そんなことしたら僕が警察に突きつけるけどね」
「万さんの人でなし」
僕を鋭く糾弾する。ただ、弁天の方がよっぽど人でなし。いや、神でなしと言った方が適切か。
「いやあ、しかし、弁天が賽銭泥棒をしたって知ったら毘沙門天はどんな顔をするかなあ」
うっと顔をしかめる。七福神最年長の弁天がそんなことをしてしまったことが他の神に広まった日には、神罰が下るだろう。神から神へ。
「まあ、今日はここいらでおいとましましょうか。ねっ、万さん」
分の悪さを感じてか、さっと身を引く弁天。どうやらこの勝負、僕に軍配が上がったようだ。僕はつい、笑みをこぼして、それからその小さな背中を追った。この居心地のいい関係がいつまでも続けばいいなと、そんな淡い期待を抱きながら。
不意にその背中が止まる。弁天はゆっくりと辺りを見渡してそれから僕の方を振り返った。
「万さん、自転車ってどこに置きましたっけ?」
「自転車?それならあそこのお店の前に置いたけど……」
しかし、僕の視線の先、お店の前には何も置かれていない。
「あれっ、僕の自転車は?」
途端、背筋が冷える。来たときには何台も止められていたはずだが、いま僕の目の前には綺麗さっぱりとした道が広がるだけだ。置いた場所が違ったかなと辺りを見渡すが自転車は見つからない。
混乱している僕の横で、弁天はなにかを見つけたようで、駆けだした。そして、ある看板の前で止まる。
「何々、ここには自転車を止めてはいけません。放置自転車と思われるものは下記の場所へ移動しました。心当たりのある方は、所定の自転車置き場へご移動お願い致します、か。うーん、心当たりしかありませんねえ」
その通りだ。心当たりしかない。
「場所は……、って、あれっ、ここってさっきまでいた駐車場の隣じゃないですか」
僕は全てを察して、弁天と自転車を取りに行くことにした。コツコツ貯めていたお小遣いは消えてしまったのであった。
その夜。
失意の底にあった僕は勉強に手がつかず、途中で切り上げて居間に向かった。
「うわーーーーーーーー」
唐突に叫び声が聞こえてきた。テレビの前に座る月夜さんのものだ。酔っ払いすぎたのだろうか。近所迷惑になるから注意するかと近づくと、ちょうど野球を観戦しているところだった。そういえば、今日は決勝戦。幸と須佐さんの二人はこの試合を見に行っていた。自転車のおかげで、いまのいままでさっぱりと頭から消えてしまっていた。
「いま、どんな感じなの?」
「ああ、万か。聞いてくれ。いま九回裏なんだが同点にされちゃったんだよ。せっかく祝杯しようとしてたのに……。このままサヨナラは止めてくれよー」
もう終盤も終盤のようだ。三対三の同点。一歩間違えれば負けてしまう展開。観客たちの熱狂も最高潮に達している。
「ねえ、月夜さん。これって、どれくらいの人が見てるんだろうね?」
「ん、あー、どうなんだろう。視聴率で言えば四、五十パーセントくらいいきそうだけど。なんたってこの時間はみんな家に居るからなあ」
たしかに、日本開催のおかげでちょうどみなが家で団らんをしている時間に中継することが可能になっている。テレビ会社としてはウハウハなのではないだろうか。
「ふーっ、これで首の皮一枚つながったな」
月夜さんのほっとした声でテレビに視線を戻す。気づけば、九回裏が終わっていた。なんとか相手の攻撃をしのいだようで、延長戦が始まるみたいだ。心なしか、僕の心臓の鼓動も早くなっているように感じた。もしかしたら興奮しているのかもしれない。それまで、スポーツ観戦に熱を入れたことはなかったからちょっと不思議な感覚だ。隣に座る月夜さんもビールを開けながら、テレビを食い入るように見つめている。そのビール、一体何本目なのだろう……。
しかし、僕らの熱い眼差しとは裏腹に、簡単にツーアウトを取られてしまう。ツーアウトランナーなし。
「まずいなあ。これは九回裏で勢いが向こうにいっちゃったかあ」
月夜さんが不安げな顔で頭を掻く。たしかに、完全に相手のペースだ。相手投手に圧倒されている。しかし、人間、あと少しというところで力が抜けることもある。
「見送って、フォアボール。ツーアウトからランナーが出ました。ここで代走を送ります」
実況の声が響く。案の定、ランナーが一人出た。ここで足の早い選手を代走に送れば、より相手ピッチャーの心理にダメージを与えられる。
「次のバッターは……、サブロー?サブローって、たしか大リーグでプレーしてる選手だよね?」
野球について全く詳しくない僕でも知っているその名前。期待が高まる。
「ああ、そうだな」
しかし、月夜さんの反応はあまり芳しくなかった。
「どうしたの?」
「うーん、実はサブロー、この大会での成績があまりよくなくてな……。大丈夫かなあ」
たしかに、テレビに映るこの大会の通算打率は一割台。決して高いとは言えない。でも、ここで回ってきたということは、この巡り合わせはなにかを起こしそうな、そんな予感を抱いてしまう。
ピッチャーが振りかぶり一球目を投じる。大きく腰を引くがストライク。厳しいコースだ。しかし、その間にランナーは盗塁に成功して二塁ベースまで進んだ。二球目はボール。そこからストライク、ボールと続いて五球目。ギリギリのところでカットする。背中がぞわぞわとする。隣の月夜さんもふーと安堵を漏らす。いつの間にかビールを机において、試合に入り込むかのようにテレビを見つめている。そこから三球ファールが続いて九球目。ピッチャーはゆっくりと間合いを見極め、ボールを投じる。カキーンと、痛快な音が響いた。打球はドライブ回転をしながら二遊間を抜ける。二塁ランナーはそのまま三塁を回って一気にホームへ駆け込む。外野からの返球でキャッチャーがボールを捕球してクロスプレーに。土煙が立ちこめる。審判はその様子をしっかりと確認して、手を左右に振った。判定はセーフ。
よしと月夜さんが叫び僕の肩を激しく揺らす。実況が興奮を抑えることなく裏声になりながらもまくし立てる。僕は身体を前後に揺すられながら、喜びを感じていた。人々にこんなに熱狂と幸福を与えてくれるなんて、スポーツ観戦はなんて素晴らしいんだと感嘆もしていた。
興奮気味なまま僕は洗面所に向かいお風呂に浸かる。すると次第に冷静さが戻ってきた。僕はそれで、最近増加傾向にある負因子について考えることにした。その原因は一体何なのだろうか。幸福を感じる人々が増えた原因。
僕の中でふとある仮説が浮かぶ。いや、そんなはずはないと頭を振るが、否定しようとすればするほどパズルのようにピースがはまっていく。お湯に浸かっているはずなのに寒気がする。何か恐ろしいことが起こるような、そんな予感がしてしまう。僕は考えることをやめて、お風呂を出た。
それから全く別のことを考えようとするが、不安は拭えなかった。きっと大丈夫だと自分に言い聞かせて、布団をかぶった。
しかし、そんな僕の予感は的中することとなる。




