お祭り
ピンポーン、ピンポーン。
甲高いチャイムが鳴り響く。時計を見ると午後三時を少し回ったところ。何かのお届け物だろうか。今日はこのあと五時頃にいつもの河川敷で弁天たちと待ち合わせをする予定だから、あの三人ではないはずだ。でも、もしかすると幸が心の準備ができないんだ、助けてくれとかなんとか言って駆け込んでくるかもしれない。
僕が立ち上がろうとすると、私が出るよと言って月夜さんが出て行く。まあ、もし幸だったとしたら別に僕が出る必要はないか。そんな安堵を浮かべながら、英単語の勉強をしていると、玄関の方から月夜さんの驚く声が聞こえた。なぜか無性に嫌な予感がして玄関まで行ってみると、驚き立ち尽くす月夜さんの前に、着物姿の弁天の姿があった。
「えっ、なんで?」
思わず突っ込む。まだ、三時だ。
「いやあ、あまりにも楽しみでつい」
それにえへへと照れる弁天。いや、えへへじゃない。
「万。その子はどなた」
「き……」
「き?」
危うく兄弟と言いそうになったが、その弁明は月夜さんの前では意味をなさない。僕に兄弟がいないことを一番よく知っているのだから。
「近所の子だよ」
だから僕は慌ててごまかす。
「こんな子いたかなあ?」
「さ、最近引っ越してきたんだよ」
なおも訝しげな視線を送る月夜さん。なかなか手強い。そして、隣の弁天と言えばお祭りのことでも考えているのだろう、えへへと薄ら笑いを浮かべている。なんだか気味が悪い。
「ほら、行くぞ」
弁天の肩を叩いて意識を現実に引き戻し、さっさとこの場を去ろうとする。が、後ろから月夜さんの質問が投げかけられる。
「幸はどうするんだ?」
「幸も一緒に行くよ。四人で行くんだ」
そこを真っ先に質問するあたり、先日の件を僕たちが引きずっていないか心配してくれているんだろう。ただ、それももう大丈夫だ。なんの問題もない。と、月夜さんがここで何かに気づく。
「さては、最近よく遊んでいる子だな。仲良くやるんだよ」
うっとうしいなあと思いながら、適当にはいはいと返して先に行く。きっと、帰ってきたらいろいろと聞いてくるのだろう。
「ほら、万さん、置いていきますよ」
いつの間にか弁天が僕の前にいて、振り袖をパタパタとはためかせながらそんなことをぬかす。僕はそれに苦笑いして、いま行くよと歩を進めた。
「赤にするか、それとも黒にするか……。迷いますね」
神妙な面持ちの弁天。その前には優雅に泳ぐ金魚たち。
「いや、どっちでもいいだろ」
その横で金魚をすくいながら突っ込む僕。捕った金魚は三匹。もう紙は水に浸かって半分以上破けてしまっているが、もう一匹くらいはいけるだろうか。小さめの金魚をすくう。その拍子に紙は破けてしまうが、なんとか金魚の救出に成功した。
「結構上手なのね」
左隣に座る須佐さんがそう褒めてくれる。その手元の紙はすでに破れている。そして、かごには二匹の金魚。金魚すくいは例年あまりしないが、今年は弁天がやる気満々で、それにつられてやってみたが、案外上手くいったものだ。そのさらに左に座る幸はというと、恨みがましい視線を僕に送っていた。しょうがないなあ。
「幸、そっちはどう?」
すると、須佐さんも幸の方を向く。幸はというと、緊張しているのか震えた手つきでいまからやるとこと息巻いて見せた。しかし、その小刻みに震える手から金魚たちは華麗にすり抜けていき、紙だけが濡れてへたっていく。こういう遊び全般は幸の得意分野なはずだが、須佐さんに見られて緊張しているからか、ひどい有様だった。なんだか見ていられなくて、僕は右の弁天を見やると、破れた紙を前に呆然としていた。赤、黒の問題ではなかったようだ。
「も、もう一回」
涙目になりながら、がま口を開いた弁天はしかし、その動きを止めた。どうしたのだろうとのぞきこむとその理由が分かる。がま口にはもう千円も入っていなかった。とんだ貧乏神である。先ほど僕にアイス代を返すときにとても苦しそうな表情を浮かべていた理由がようやく分かった。
弁天は金魚たちと、店主の顔を口惜しそうに交互に見やって、それからやっぱり止めておきますとだけ言って俯いた。しょうがないなあ。
「弁天。僕が捕った金魚、いる?」
ぱっと、勢いよくその顔が上がる。曇天の中に光明が差したような、そんな顔だ。
「万さんは金魚を持って帰ったりしないんですか?」
「うん。うちは水槽とかの機材がないからね。そのまま逃がそうと思ってたんだよ」
「そうですか……。では一匹いただいてもよろしいですか」
おずおずと尋ねる弁天に僕はうなずいた。
「もちろん」
すると今度は僕の取った四匹の中で吟味を始める。赤にするか、黒にするかと。ただ、弁天が金魚を持って帰るのはいいとしてそのあとどうするのだろう。
「弁天は金魚をどこで飼うんだ」
「銭洗弁財天に人工の池があるのでそこに放流しようと思います」
たしかに、あそこにはそんな感じのところがあると思うがそれは果たしていいことなのだろうか。アメリカザリガニを川に放流するのと同じようなことだから、もしかしたら罪になるかもしれない。神さまに法律は通用しないかもしれないけれど……。
「この子に決めました。赤いので、朱雀と名づけましょう」
なんだかいまにも飛び立ちそうな名前である。店主のおじさんに袋に入れてもらい、それをかざしてはにかむ弁天。まあ、放流うんぬんのことを言うのは野暮だろう。
ふと幸はどうなっただろうと思い左隣を見ると、一匹も取れなかったようで須佐さんに慰められていた。哀れなやつだ。
「さて、次はどうしようか」
幸が復活するのを待って金魚すくいの屋台を立ったあと、そんな質問をする。
「あそこに行きたいです」
弁天が勢いよくあるお店を指さす。そこはわたがしのお店。子供が好きそうなところだ。須佐さんもそれに賛同した。
「そっか、じゃあ僕と幸はあそこで待ってるね」
道の端を指さす。たまたま二、三人くらいが立てるスペースが残っている。幸は何か言いたそうだったが、有無を言わさぬ僕の視線から何かを感じ取ったのか黙って着いてきてくれた。
「それじゃあ万。ここで待つことになった理由を教えてくれ」
道の端まで来たところで、幸が口を開く。
「作戦を立てようと思って」
「作戦?」
「うん。幸を須佐さんと二人きりにする作戦」
そもそも、幸が今回お祭りに須佐さんと行きたいと考えた理由は距離を縮めたいからだ。だから、どこかのタイミング、おそらく花火が打ち上がるあたりで、二人きりの状態にしたいのだ。
「二人きりってなんだか甘美な表現だな」
なぜか全然違うところに反応してた。違う、大事なのはそこじゃない。いや、そこもたしかに大切ではあるんだけどいまは二人きりについて話す時間ではない。
どうしたんだ、幸。今日は一段とポンコツじゃないか。僕は呆れながらも話を進める。
「花火が上がるのは八時からだから、あと一時間ちょっとあるわけなんだけど、とりあえずはこのまま回ろう。七時半くらいになったら僕が適当な理由をつけて弁天を連れて行くから、そしたらあとは頑張ってくれ」
僕の計画に、幸は首を縦に振った。
「ありがとな、万」
「うん」
それから二人でがしっと握手する。友情が育まれる瞬間だ。
「ところで万。あの子は一体何者なんだ?」
弁天をさして尋ねる。なんて答えればいいのだろう。以前もそんな質問をされた。だが、僕が答える前に、幸が呟いた。
「まるで、神さまみたいだな」
僕の胸はその言葉にドキリと震える。まさか、弁天の正体に気づいているのだろうか。でも、一体どこから。もしや、幸にも神さまの知り合いがいるのだろうか。
「神さまみたいっていうのは……」
「だってよ、須佐さんを呼んでくれたんだぜ。もう、感謝感激だぜ」
どうやら僕の早とちりだったようだ。ほっと胸をなで下ろす。たしかに、幸の立場からいえば、弁天は神さまみたいな存在なのかもしれない。須佐さんをいとも簡単に誘ってこの四人を集めてしまったのだから。僕や幸には難しい芸当だ。
「おーい、万さん」
と、わたあめ舞台の二人が帰ってくる。僕らはそれに合流して、しばらくそこで雑談を繰り広げた。横から見る感じ、幸と須佐さんはとてもお似合いに感じた。
それからまた、弁天が提案した場所を回っていき、いつの間にか時間は七時半を回る。そろそろ頃合いだ。
「万さん。次はあれ、あの打つやつがやりたいです」
弁天が射的を指さして身体をはためかせる。これを利用させてもらうか。
「須佐さん、幸。僕は弁天と射的をやっていくから、花火の場所取り、お願いできるかな」
須佐さんがそれに怪訝そうな顔をする。
「私もこのお祭は毎年行っているけど、場所取りの必要なんてあるの?どこからでも花火は見えると思うけど」
その通りだ。ここの花火大会は別にどこからでも鑑賞することが出来る。でも、実は花火を最も見やすい場所が存在する。僕と幸が毎年どこで花火を見るのがいいのか走り回ってようやく見つけたベストプレイスだ。そのくせ、割と人が集まるから困った場所だけど。
「幸がその場所を知ってるからさ、先にそこまで行っててよ」
須佐さんはまだ余り納得がいかないようだったが、幸がじゃあ行こうかと歩き出すと渋々その後ろについて行った。僕はほっと一息ついて、それから弁天に向き直る。
「じゃあ、射的やりにいこうか」
僕がそう促すが、弁天は一向に動き出そうとしない。
「弁天……?」
「いや、行きませんよ」
きっぱりと言い放つ。その毅然とした態度には、先ほどまでの好奇心旺盛な子供のような素振りは一切見られない。
「えっ、どうしちゃったの、弁天」
弁天はそんな仰天している僕に呆れ混じりのため息を一つついて、それから人差し指を立ててまるで学校の先生みたいな口調で喋り出した。
「あのですね、万さん。いままでの私は演技です。あの二人を私たちと分けるための作戦です。もしかして、素で私があんなに阿呆だったとでも思っていたんですか」
「うん」
「心外です……」
僕が正直にうなずくと、弁天はがっくりと肩を落とす。でも、それもしょうがないことだ。弁天はいつもあんな感じだから、あれを演技だと見抜くのは至難の業である。
「はあ、まあいいです。それより、あの二人のあとを追いましょう」
弁天はそう言って、どんどんと遠ざかっていく二人の背中に目を向ける。そういうことは不粋だが、ここまでお膳立てをしたわけだし、少しくらい二人を盗み見ても文句は言われないだろう。
「そうだな、追おう」
だから僕もそれに首肯して二人のあとをつけることにした。
「あー、天部くん」
しかし、僕らの行く手はすぐに阻まれる。
「天部くんもこのお祭りに来てたんだ」
陽気で朗らかな聞き覚えのある声が後ろから投げかけられる。僕は一瞬振り返るか迷ったが、ここで無視するのもどうかと思い、とりあえず挨拶することにした。
「こんばんは、清水さん」
清水さんは振り袖をバタバタと上下に揺らしながら僕に近づいてくる。その後ろには、連れの女の子たち。なんとなく見覚えがあるので、おそらく同じ中学校の子だろう。
「いやあ、奇遇だねえ、天部くん。誰と来てるの?」
それは、と横を見るも弁天の姿がない。慌てて振り返ると、数メートル先で追跡対象の二人と僕を交互に見やっている。その表情からは、そんなやつほっといて早くいくぞというオーラが溢れている。
清水さんはというと、僕の視線の先に立つ弁天気づいたようで、口に手を当てて驚愕した表情を浮かべる。
「私、天部くんは仲間だと思ってたのに……。このリア充め」
けっと毒づいて敵対心をあらわにする。なんて短絡的なんだろう。
「いや、あの子はそういうのじゃないって。それに、二人で来てるわけじゃないし――」
「あーーーー」
だが、そんな僕の弁明を切り裂くように清水さんは叫んだ。
「ど、どうしたの?」
驚く僕。清水さんは鳥居くんと常世だ、とわなわなしながら呟いていた。
その視線の先には、とても離れていて小さいがたしかに須佐さんと幸の姿が見える。僕は二人があの辺りにいることを分かっていたけど、清水さんは何も知らないのに気づいたわけだ。超常的な視力か、はたまた二人の行く末が気になりすぎた結果の超敏感な嗅覚か。
「ね、ねえ。二人が一緒にお祭りに来てるの、知ってた?」
興奮して息を荒げ僕の肩をゆっさゆっさと上下に振る。僕は何度も首肯しながら、先ほどまでの話はどうでも良くなったんだろうなという安堵を感じた。
「というか、そんなに揺らさないで……」
清水さんはあっ、ごめんと言って僕を解放してくれた。それから、少し自分を落ち着かせるようにごほんと咳払いして、口を開く。
「えっと、天部くんは常世と鳥居くんが一緒にお祭りに行くことを知ってたんだよね。私、常世から何も聞いてなかったよ」
「いや、そこにいる女の子と僕たち四人で来たんだよ。それで、いまは上手く二人きりにして、幸が頑張るっていう感じ」
「えーーー。私、もしかして仲間外れにされたかんじ?恋のキューピッド作戦の一員だったのに。そして、いつの間にか新参者がいるし……」
ブツブツと恨み節をお経のように唱える清水さん。恋のキューピッド作戦は置いておくとして、たしかにあの二人を一緒に見守っていたという意味では、何かしら声をかけてあげた方が良かったのかもしれない。そうしたら、十中八九清水さんは僕たちと一緒に祭に参加しようと思ったはずだ。
でも、弁天と清水さんが一緒に仲良くしている未来は見えない。いまも清水さんは弁天に敵対心を丸出しにしているし、弁天は弁天で心底うっとうしそうな眼差しを向けている。二人は意外と似たもの同士だと思うが、相性はすこぶる悪そうである。
ただ、清水さんの方が少し大人だったみたいで、先に落ち着きを取り戻した。
「まあ、いいや。とりあえずその話は置いこう。それで二人はいまから恋のランデブーだと」
「恋のランデブーかはよく分からないけど、逢い引きみたいだよね」
言葉のセンスが不思議だ。ランデブーって何語なんだろうか。
「なるほど、なるほど。じゃあ、尾行開始だね」
「いや、待って」
全力で制止する。清水さんは前回の屋上での一件でもそうだったが、基本賑やかな人で、場を壊しかねない力を持っている。もし二人が清水さんを認知してしまったら、二人の時間が消滅してしまう。
「むっ。止めるんだ。仲間外れにしたくせに」
それをつかれると痛いが、ここは毅然として言い返そう。
「ほら、友達もさっきから困惑してるしさ」
先ほどから屋台の前で訝しげな視線を向ける清水さんの友人方。実はちょっと申し訳なさがある。友人と遊んでいるときにその友人の別の友人が現れてそっちに行ってしまうと絶妙ないらつきがあるものだ。
その言葉で思い出したように友人を見て、それから戸惑ったような顔を見せた。ただそれも一瞬で、清水さんは僕に今回は諦めるよと耳元で囁いて、小走りで友達の方へ戻っていった。少しドキドキしてしまったのは内緒だ。




