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あなたの人生に幸あれ  作者: 緋色ざき
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月夜さんとバッティングセンター

「おい、万。起きろ」

 肩を激しく揺すられる。目を開くと、ショートヘアーの女性の顔が映る。寝ぼけ眼を見開くと、それが月夜さんだと分かる。

「うー、こんな朝早くにどうしたの」

 目をこすりながら布団の横に置かれた目覚まし時計を見ると八時。別にそんな早い時間でもなかった。

「今日は土曜日だ。久しぶりに遊びに行くぞ」

 月夜さんはそれには触れず、ほら早くしろと手を叩く。僕は欠伸をしながら立ち上がって、ふらふらした足取りで洗面所へ向かい、洗顔と歯磨きをする。

 目が覚めてきたところで月夜さんを見ると、バットを持っていた。

「えっ、どうしたの。誰かをぶっ飛ばすの?」

「いや、そんなわけないだろ。万、これからバッティングセンターに行くぞ」

「バッティングセンター?」 

 馴染みのない言葉だ。いや、もちろん、バッティングセンターがなにかってことは知っているけど、家ではまず耳にしない。二人でバッティングセンターに行ったことなんてないし、野球やソフトボールの話をしたことだってほとんどない。それがいきなりどうしたというのか。

「む、なんだよ、その顔は。こう見えて私は若い頃はよく行ってかっ飛ばしてたんだぞ。あっ、いまも若いけどな」

 それは初耳だ。僕がこの家に来てからは多分一回も行ってないはずだ。

「ところで、そのバットは」

「これか。私のマイバットだ。名前も刻んである」

そう言って、バットの持ち手の方を見せてくる。そこには三日月マークが刻んであった。月夜の月をもじったマーク。マイバットまで持っているということは、本当によく行っていたのだろう。

 僕はそこではたと気づく。

 僕が小さい頃、月夜さんは虫取りやプールなどさまざまな遊びに付き合ってくれた。きっと僕が興味のあるものを一緒にやってくれていたんだ。当時の僕は月夜さんも仕事で疲れていて、遊びたいんだろうな、なんて思っていたけど思い違いもいいところだ。

 じゃあなぜ、今日はバッティングセンターに行こうなんて言いだしたんだろうか。それは良く分からないけど、多分月夜さんなりに何か考えがあるのだろう。それに、最近は月夜さんの仕事が忙しくて、こういう風に二人でどこかに行くなんて久しぶりだ。

「早く食べて行こう」

 だから僕は月夜叔母さんに笑顔を向ける。おっ、乗り気だな、なんて言って月夜さんも食卓に着く。朝ごはんはとてもおいしかった。


 スカッとバットが空を舞う。

 おかしい。イメージではホームランだったのに。

 さっきからバットがボールに当たらない。まるでバットをボールがすり抜けているみたいだ。

 月夜さんはしばらく僕を眺めていたが、不意に口を開いた。

「万。お前、すごい下手くそだな」

 その言葉に、僕はがっくりと肩を落とす。

「野球をしているところなんて見たことはなかったが、いやはや、こんなに下手くそだったとは」

 オブラートに包む気は全くないようだ。マシーンが球を投げ終えたようで、僕はバットを戻して外に出ると、一度その場で構えてみる。ふむ、そんなに悪くないと思うが。

「いや、万。そんなへっぴり腰じゃ打てないぞ」

 出鼻を即座に挫かれる。

「じゃあ、どうすればいいのさ」

 そうだな、と少し考える素振りを見せたあと、月夜さんは僕に近づき、不意に僕の腰に手をやる

「ひゃっ、なにするんだよ」

 声が裏返ってしまう。でも仕方ないだろう。急に脇の近くを触られたら誰でもこうなってしまう。

「なにって、構えを直そうと思ってな。いいか、腰をもっと入れるんだ。重心を意識して、上半身を腰に乗せるような感覚で立つんだ」

 そう言って今度は僕の肩をつかみ腰と逆の方に押す。それから離れて僕の構えを確認する。

「こんな感じ?」

 軽く腰を回転させると、月夜さんは満足そうにうなずいた。僕は先ほどよりも遅い九十キロに挑戦してみることにした。さっきは球が速くて打てなかっただけかもしれない。

 マシーンの電光掲示板に映し出されたピッチャーが振りかぶり、そして投げる。

 ここだ、とフルスイングするも空振り。

「あれっ、おかしいなあ」

 僕の後ろで弾む球を見て首を傾げる。

「万、次の球が来るぞ」

 どうやらマシーンは僕に考える時間をくれないようだ。再び振りかぶり、投げる。

 ここだ、とフルスイングするも空振り。全く当たる気配がない。後ろを振り向くと、月夜さんが爆笑していた。

 結局十球やってかすりもしなかった。

「いやあ、最高に笑わせてもらったよ。ありがとう、万」

 バッティングを終えて戻ってきた僕に月夜さんは嬉しそうに親指を立てていた。

「さては、適当なフォームを教えたな」

 きっとそうに違いない。さっきのフォームだったらこんなことにはならなかったはずだ。

「えっ、あー、いや、フォームはちゃんとしたのだぞ。ただ、万に合わなかったのかもなあ」

 そう言ってまた笑う月夜さん。僕はそれに首を傾げる。その納得のいかなげな僕の表情を見て、月夜さんはじゃあお手本を見せてあげるよ、と自信ありげな笑みを浮かべて百三十キロのところに立った。

 先ほどの僕と同じフォームで構える。電光掲示板のピッチャーが振りかぶる。

 そして、マシーンから球が放出される。

 カキーン。

 月夜さんの流れるようなスイングがそれを捉え、打球は低い弾道で弾丸のようにまっすぐに飛んでいきネットに突き刺さった。

「あれえ、ちょっと鈍ったかな」

 手に持ったバットを見て首を傾げる。そんな馬鹿な。あんな良い当たりで鈍ったって、本来どれだけの打撃を披露していたのかという話だ。

 月夜さんは気を取り直すようにふうと一つ息を吐いて再び構える。

 マシーンから球が放たれ、先ほどと同じようなスイングが球を捉える。

 今度は球が上がっていき、ホームランの的のすぐ横に着弾する。

 前言撤回。腕が鈍ったというのは間違いではないようだ。月夜さんはというと、とても生き生きとした表情でバットを握っていた。なんだか、野球少年みたいな顔つきである。

 結局、そのあとの八球も全て快音を響かせてネットの上段に持っていった。

 バッティングを終えて月夜さんが戻ってくる。額や首筋には汗を浮かべ暑そうに手でパタパタと風を送っている。

「いやあ、久しぶりだったけど案外いけるものだな」

 そう言って、愛用のバットをしげしげと見つめる。その楽しげな表情に僕もなんだか無性にうずうずしてきて、もう一度、挑戦してみようという気になる。

 そこから小一時間ほどバッティングを続けた。結局ボールにかすらせるので精一杯だったけど、とても楽しかった。

 打ち終わり、満足そうな笑みを浮かべる月夜さん。僕はずっと疑問に思っていたことを聞いてみる。

「なんで今日はバッティングセンターに来たの?」

「うん。あー、ストレス発散にはこれが手っ取り早いかなと思ってさ」

 そう言って微笑む月夜さん。大雑把そうな月夜さんでもストレスがたまるというのは少し意外だ。案外繊細なのかもしれない。

「よし、じゃあ次行こう」

 生き生きとした表情の月夜さん。今日は思う存分付き合おうと決めた。


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