管理者
無言の空間。今日初めて会った二人。僕は本日二度目の気まずさに震えていた。隣の少年も同じような心持ちのようで、困惑した顔をしている。
「取りあえず、座りましょうか」
僕はそう持ちかけると、毘沙門天はそうだなと首肯して座る。
僕はゆっくりと椅子に腰掛けながら、ふと思い浮かんだ疑問を口にする。
「あの、毘沙門天さんは五十歳なんですよね?」
「ああ、たしかにいまそれくらいだな。あと、敬語じゃなくていい。あんまし堅苦しいのは得意じゃないんだ」
「えっと、分かったよ」
毘沙門天はそれでいいとでも言うように頷いた。
それにしても、その見た目で五十歳というのは普通に考えればおかしいけれど、神さまと考えるととても若く感じてしまう。それは、弁天が三百歳だからというのが大きいからだろう。しかし、毘沙門天という神さまの存在は五十年以上前、もっとずっとずっと前から信仰されているはずだ。五十年しか存在していないというはあまりにおかしい。それに、弁天にしてみても、弁財天の信仰は江戸時代なんかよりももっと昔からあったはずだ。このあたりは一体どうなっているのだろうか。僕はその疑問をぶつけてみることにした。
「ん、それについて、あいつから何も聞いてないのか?」
あいつ、というのは弁天のことだろう。僕はそれに頷く。すると、そうかと呟いて、毘沙門天は話し出した。
「そもそも、俺たち神さまという存在についての話からだな。あいつからどこまで聞いている?」
「えっと、管理者としての役割を担っているってところまでは」
僕は記憶を辿りながらそう答える。弁天は、川原で僕に負因子と管理者について教えてくれた。そして、このままでは日本が未曾有の大災害に襲われるということも。
「そうだな。俺たちは管理者という役割がある。そして、この管理者というのは中立的な位置づけにある」
「中立的な位置づけ?」
「ああ。つまり、人間個人への過度な介入をしないってことだ。バランスを調整する役目の俺たちがそこに介入するということは崩壊につながる。だから、そういった行動を取った神は厳重に罰せられる」
「罰するって、具体的には……?」
思わず固唾をのむ。神からの罰である神罰なんて言葉はあるけど、その逆というと、どんなものがあるのか想像もつかない。そもそも、神とは不老不死の存在であるわけで、人間のように死罪になることはないだろうが。
だが、毘沙門天の答えは僕の全く予想だにしないものだった。
「罰として、存在が抹消される。それは、そう、人間でいうところの死に近いな」
存在の抹消。中立を破った神に課される罰。それは、管理者としての役割を全うするために必要な措置なのだろう。でも、それだと神さま自体がいなくなってしまって管理者がいなくなってしまう。だから、そこには何かがあるはずだ。人間の死とは異なる摂理が。
「神さまは抹消されるとどうなるんだ?」
「その記憶や人格を持った神は消える。ただ、その神自体が消えるわけじゃなく、前の情報を引き継いでいない新しい神が生まれるんだ。人間でいうところの、クローンに近いな」
つまり、同一個体ではあるが、中身はリセットされるということか。そして、それが毘沙門天が五十歳であるからくり。
「ということは、前の毘沙門天が五十年前に何か起こして抹消されて、いまの毘沙門天になったっていうことか」
「ああ、そういうことになるな。まあ、そんなわけだから他の七福神にしたって年はばらばらってことだ。いまの最年長はあのアホだがな」
「えっ、そうなのか……」
弁天が最年長。それはなんだか、ものすごい不安になる事実だ。年の功なんて言葉があるけれど、弁天にはお世辞にもそれがあるとは思えない。
ただ考え方を変えると、三百年もの間弁天は中立的な位置づけを守ったとも言える。
でも、ふと思う。いまの状況を鑑みるに、弁天は僕に介入している。いや、僕が介入していると言った方が正しいのかもしれないけど。どちらにしても、これは毘沙門天が言うところの抹消の対象になるのではないだろうか。途端、全身に鳥肌が立つ。
「えーっと、毘沙門天?」
「なんだ?」
おそるおそる尋ねる僕に怪訝そうな顔を向ける毘沙門天。
「それまでの話をまとめるとさ、弁天は抹消されるってことになるのかな」
いまの弁天の行動は間違いなく神の規定に抵触している。だから、このままでは弁天が消えてしまうのではないか。
だが、毘沙門天はなんだそんなことかとでも言いたげな顔をするだけだった。
「その件は例外だ。いまのところとくに問題もないだろう。そもそもこっちの、いや、あいつの落ち度だからな。そこを補填するのは当たり前だ。それにきっと――」
「きっと?」
「いや、なんでもない。とにかく、お前は例外だから問題はないってことだ」
毘沙門天は適当にごまかす。僕もそれ以上は追求しない。
それよりも、弁天がいなくならないという事実に安堵する。
「はー、良かった」
思わずそう漏らしてしまう。心が落ち着きを取り戻す。
しかし、ふと思う。僕はなぜこんなにもほっとしているのだろう。
弁天との偶然から始まった関係。行きずりの関係。それが失われることに漠然とした不安がある。
「おい、どうした?」
毘沙門天が不可解そうな顔でそう尋ねる。ただ、僕にもこの感情の正体は分からなくて、適当に話を逸らすことにした。
「ところで、神さまって、どんなことをしたら抹消されるんだ」
毘沙門天はなおも怪訝そうな視線を浮かべてはいたが、僕にそれ以上は追求しなかった。
「そうだな……。例えば、歴史上の偉人と呼ばれたやつに肩入れした神なんかがいたな」
「それって、ものすごくまずいんじゃないか……」
中立的な位置づけを課された神が真っ向から矛盾した行動を取ってしまっているわけだ。間違いなく、そこから起こる未来が変わってしまう。
「もちろん大問題だ。ただまあ、そもそも神単体にそこまで突出した力はないのと、基本未然に食い止められるから大した実害は殆ど起こっていないはずだがな」
たしかに、弁天について考えてみても、その能力は消えることと因子の配分くらいだ。因子はかなりの影響力があるが、他の神さまからすぐにばれてしまいそうで、そう気軽には使えない。
そういう意味では、管理者はいいバランスの上で運営されているのだろう。
「でもさっきの話だと、神さまが消えたとしても記憶には残るんだから齟齬が生まれそうだね。それに、そういう記述が文献に残りそうだし」
綺麗さっぱりいなくなるわけではないのだから、痕跡は残ってしまうはずだ。しかし、僕はいままでそういった類いの話は聞いたことがない。神さまたちがあとからもみ消しているのだろうかとも思ったが、毘沙門天の答えは僕の予想の斜め上をいく。
「そんな必要はない。神の存在が消えることによって、その神に関する一切の情報がこの世界から消失する。記憶からも記述からも消える。それが摂理だ」
「摂理……」
それが僕らの知らないこの世界のルールであり、神という存在を人々が残すことができない理由。きっと、それまでの時代に神と出会い、それを日記や文献に記載した人だっていたはずだ。でも、その記憶も記述も残らない。神さまと過ごした時間は永遠に消え去っていく。
「それから、神が消えることはある種白紙に戻すともいえて、人間たちと神々の関係は全て消える」
「それはつまり、どういうことなんだ?」
抽象的な説明に首を傾げると、毘沙門天がそれにこう続けた。
「他の人間の神との記憶や記述も同様に消滅するってことだ。つまり、人間界と神界の関係が初期状態になる」
初期状態になる。リセットされる。それは、なんだかとても怖いことだ。例えばいま目の前に立つ毘沙門天が消えたとき、弁天との記憶が僕から消えることになる。そして、そのことにも気づかずに日々が過ぎ去っていく。
「それだと、他の神さまと人間の関わりが消えて弊害が起こったりしないか」
「たしかに、弊害は起こる。だが、そもそも神は人間と関わるべきではない。中立的な立ち位置から離れるべきではない。だから、そういう意味ではいい機会なんだよ」
人間との距離を置くにはな、と毘沙門天は付け足す。たしかにそうなのかもしれない。彼らの立場からすれば、むしろ人間と関わることがリスクとなる。個人に対して情けをかけてはいけないのだ。あくまで管理者として全体への奉仕を行う。
「だから、俺はこの五十年の中で、神という立場を明らかにして人間と話すのはお前が初めてかもしれないな」
それは意外な言葉だった。目つきや威圧感は人並み外れて、見た目だけでいえばかなり怖いが、話してみると意外と気さくな感じだ。
「そうなのか……。結構話し慣れてるとは思うけど」
「こっちにいることが多いから人間と接する機会はある。ただ、自分の正体を明かすことなんてないってことだ。あいつと同じでな」
あいつとは弁天のことだろう。
「弁天こそ、人と関わっていそうだけど……」
「いや、その逆だ。あいつは徹底して人との関わりを避けていた。それこそ、一人の人間とここまで接触をするのは三百年ぶりくらいなんじゃないか」
「そんなに……」
「少なくとも、俺はあいつからそういう類いの話を聞いたことがないな」
たしかに弁天とのあれこれを思い返してみるとなんとなく、分かるような気もする。友達がいないとか言っていたし。そんな弁天がなんで僕に会おうと思ったのかといえば、それほど僕にしたことに責任を感じたからだろう。そして、そんな弁天に僕はさらに介入していったわけだ。
「って、毘沙門天は僕にこんなに重要なことを話しちゃっていいの?」
人との関わりはなんだと言いながらも、僕にいろいろと教えてくれた毘沙門天。少し不安になってくる。ただ、それに毘沙門天はけろりとした顔で答える。
「まあ、あいつがいろいろと話している時点でまずいわけだ。いまさら俺が一言二言付け加えたところで変わらねえよ」
たしかにそうなのかもしれないけど、神さまがそんなに適当でいいのだろうか。不安である。弁天も大概だが、毘沙門天もなかなかのものだ。
「っと、お姫様のご帰還だぜ」
毘沙門天が指さす先には、鳥居から顔だけ出してこちらを伺う弁天の姿。こちらの視線に気づいて、ビクッと肩を揺らすと身体を捻って逃げようとする。
「逃げるみたいだな」
呆れ声で隣の毘沙門天の方を向くも、そこには誰もいない。えっと、驚きを漏らし視線を前に戻すと、弁天を後ろからしっかりと捕まえていた。僕の横から鳥居まで数十メートルはあるだろう。その高速な動きに僕は唖然とする。もしや、これが毘沙門天の特異な力なのだろうか。流石、戦神だ。
毘沙門天は暴れる弁天をそのまま持ち上げると、僕の方へ戻ってくる。弁天は降伏の意でも表すかのように諸手を挙げて、解放された。
「さて、万さん。用事も終わりましたし帰りますか」
そして何事もなかったかのように歩き出そうとする。僕はその腕を力強く握った。
「ど、どうしたんです、万さん。そんな不機嫌そうな顔をして」
「いや、どうしたもこうしたもないよ……」
僕がそのまま弁天に不機嫌そうな目を向け続けていると、弁天はすいません、と頭を掻いた。全く反省の色合いが見えないけど、僕もまあ別に怒っているわけじゃない。
「アイスおごりで手を打とう」
弁天はそれに再び頭を掻いてこう返した。
「実はいま、一文無しなんですよ」




