神さまとサイクリング
「次のニュースです。――」
寝ぼけ眼をこすりながら、パンを口に運ぶ。
今日は土曜日。弁天との約束の日だ。
牛乳をぐいっと飲んで少し落ち着いたところで顔を上げる。部屋にかけてある時計の針は九時を示している。そろそろ準備をするかと立ち上がると、たまたまテレビの画面に目がいく。
「次のニュースです。最近、日本全国でおかしな手紙が出回っているようです」
思わず画面を二度見する。おかしな手紙。なんだかものすごい心当たりがありそうなニュースだ。いや、しかし僕が思い浮かべるものとは違うはずだ。あれがニュースに取り上げられるなんて――
「手紙には、あなたの人生に幸あれという文言が書かれていて、現在、警察が調査しているとのことです」
まんま、僕たちの犯行だった。しかし、全国にばらまくほどの分量なんてないはずだ。僕が弁天とあのハガキをチェックしたのは一回きりで、枚数も百枚くらいだったはずだ。
「あれ、あの手紙、もしかしてマスターのところにも届いたっていうやつか。前国規模とは恐れ入ったなあ」
紅茶を飲みながら、純粋な感想を口にする月夜さん。
僕もその横で思わず首を傾げた。ただまあ、このことは考えても仕方がないし弁天に聞けばはっきりするはずだ。そう早々と結論づけて僕は着替え始める。
「あ、そうそう、万。幸恵がさ、万が女の子と歩いてるのを見かけたって言ってたんだけどさ」
僕はその言葉にぎくりとする。女の子。弁天か、須佐さんか。それとも清水さん。いや、しかし後ろの二人は幸恵さんと面識があるはずだし……。
あれやこれやと考えていると、月夜さんがははーんと顎に手を当てうなずいていた。
「さては、本当に彼女ができてたのか。あのときは冗談で言ったんだけどなあ。そっかそっか。今度うちに連れてきなよ」
「彼女じゃないし、連れてなんか来ないよ」
「ってことは、女の子と一緒にいたっていうのは正しかったんだな。さては今日もこれからその子と会いに行くのか?」
僕は月夜さんの質問に答える代わりに行ってきますとだけ言って家を飛び出した。後ろからは上手くやれよとエールが送られる。全然そんなのじゃないけど、説明しても無駄だろう。なにせ、神さまなのだから。
僕はふっと笑って、それから自転車に飛び乗る。すると、お尻が湿るのを感じた。
「そう言えば、昨日、雨降ってたもんなあ」
僕は顔を歪める。朝から落ち込んだ気分で自転車を漕ぐこととなった。
「万さん、こっちです」
弁天が芝生の上で手を振る。僕がその目の前で自転車を止めると、いつも通り後ろに乗る。
「それで、どこに行くんだ?」
「ふっふっふ、それは着いてからのお楽しみです」
どうやら、話すつもりはないらしい。しょうがなく、息をふっと吐いて、ペダルを漕ぎ出す。弁天はその後ろから、どう進めばいいのかナビゲートしてくれる。
しばらく自転車で進んだところで、ふと、今朝のニュースを思い出す。
「なあ、弁天。変なハガキが出回っているってニュースが今朝やっていたんだが心当たりはあるか?」
「はて、変なハガキですか。身に覚えがないですね」
とぼける弁天。追求を続ける。
「そのハガキ、あなたの人生に幸あれなんて文言が書いてあるらしいんだよ。警察が調査に乗り出したらしいんだ」
「そうなんですか。そんな御利益がありそうなものが警察の厄介になってしまうとは、世知辛い世の中になったものですね……。あっ、次の角を左です」
「ああ、了解……。しかし、一体誰の仕業なんだろうな?」
弁天は後ろでむむっと何やら考え込むように唸る。
「本当に、誰なんでしょうかねえ。って、あれ、なんで止まるんですか、万さん」
僕はブレーキに手を置き、ペダルから足を下ろすと勢いよく振り向く。
「お前だよ。お前の仕業だよ」
「万さん、うるさいです。そんな大きな声で叫ばなくても聞こえますって。それに、万さんだって共犯ですよ」
僕は出鼻をくじかれぐっと唸る。それを言われるのは痛い。たしかに、僕は弁天と一緒にうちであのハガキの負因子を確認したわけだ。そう考えると、限りなく主犯に近いのかもしれない。
「でも、それだって元を正せば――」
プーーーー。クラクションが耳につんざく。なんなんだと前を向くと、トラックの運転手が鬼の形相でこちらを睨んでいた。僕は頭を小さく下げて、道の端による。トラックはその横を恨みがましそうにゆっくりと通り過ぎていく。僕はトラックが完全に見えなくなるのを確認して、ほっとすると、再び自転車を漕ぎ始めた。
「狭い道なんだから、中途半端なところで止まっちゃだめですよ」
弁天が後ろから苦言を呈する。耳が痛い話だが、それなら、トラックが前から来ていることを教えて欲しかった。
「ところで、さっきの話なんですど、万さんの家で作業したとき、万さんが字を掠れさせちゃったハガキがありましたよね?」
「ああ、負因子を吸い込んじゃったやつね。それがどうしたんだ?」
たしかにそんな悲しい出来事もあったが、それが一体何の関係があるのだろうか。いまいち要領を得ない弁天の話に続きを求める。
「そのハガキ、万さんの指紋がついたわけですけど、配布したものの中に混ざっちゃってるんですよね。あっ、次の角を右です」
「えっ、待って。いまなんて言った?」
「次の角を右です。あっ、ここを右です」
「いや、そんなのどうだって良くて、その前だよ、その前」
僕はハンドルを右に切りながら、背筋が凍るのを感じた。聞き間違いであってくれと願いながら弁天の言葉を待つ。
「ですから、万さんの指紋がついたハガキが配られちゃったんですよ」
「オーマイゴッド」
「神さまですが、呼びましたか?」
「そういう意味じゃねーよ。というか、えっ、もしかして僕、警察に捕まっちゃう」
ようやく様々な問題を解決して平穏な生活を手に入れたというのに、また僕は渦中に飲み込まれていくのか。しかも今回は相手が警察。ど、どうすればいいんだ。
「安心してください、万さん。変なハガキを投函するくらいじゃ、そこまでの罪にはなりませんよ」
どこに安心する要素があるのだろうか。残念ながら、日本では前科がつくとその先のあらゆることが不利に働くのである。まあ、神さまからしてみればそんなルールは知ったこっちゃないだろうが。
「なあ、弁天。もし僕に何かあったら、月夜さんのことをよろしく頼んでもいいか」
あの人はあんまり料理が上手じゃないし、家事も雑だ。僕がいなくなったら、どうなってしまうかとても心配である。
しかし、弁天はそれに答えず、わずかに笑みを漏らしただけだった。
「おい、弁天」
「冗談です」
「はっ?」
「だから、冗談ですよ。そのときの物はいま、私の手の中にあります」
楽しそうな笑い声が僕の耳に届く。振り返ると、その手には本当にハガキが握られていた。
「お前、さては神さまじゃないな。神さまはそんな非人道的なことはしない」
「いえいえ、私は神さまの中では割と性格が良い方ですよ。裏では七福神の天使と呼ばれています」
嘘つけ、と思う。きっと性別的な問題のはずだ。戦神の毘沙門天が天使だったら僕は発狂する自信がある。
それにしても、弁天がそういった話をするのは珍しい。弁天はあまり自分のことを多く語るタイプではない。とはいえ、いま目指している目的地でこれからまたそう言った話を聞くわけだが。
「というか、その手紙、幸ないんだから、もう不幸の手紙だろ」
「幸あれっていう応援の言葉ですから、幸がないことを言及されるのはお門違いですよ」
酷い神さまだ。手紙に負因子を込める時点でもう性格がしれているが。
「いっそもう、人生いいことあるかもくらいの方がいいんじゃないかね?」
負因子によって悪いことがある前提な分、そっちの方がむしろ僕的には好感が持てる。
「いや、それなら私はありがとうの方がいいと思います。短くて書きやすいですし」
「もう、好きにしてよ」
呆れてため息をつく。こんな適当なハガキに不幸にされるなんて、なんだか虚しさが増していく。
「ちょっと試しにここに書いてみましょう」
弁天はどこから取りだしたのか、鉛筆と消しゴムを手に持ち、僕の背中を下敷きにして書き直していた。
「あっ、万さん。「あ」の文字はそのまま使わせてもらいますね」
余計なお節介も込めて。もう好きにしてくれと自暴自棄になって、視線を道に移す。
「なんかさっきから緩やかな坂が続いてるなあ」
ふと、そう感じた。かれこれ数十分は漕いでいるだろう。額がじんわりと湿っている。
「もうすぐ着きますよ。あっ、見えてきました。あの坂の途中に入り口があるんですよ」
弁天が示す坂を見て、僕は顔を歪める。コンクリートで塗装されているが、ボコボコとした坂だ。それも、なかなかの斜度である。ここは二人乗りで登っていく道ではない。
「なあ、弁天。降りてくれないか」
坂までの距離があと百メートルほどのところで、僕はそう懇願する。
「えー、万さん。折角の腕試しの機会なんですからこのまま登りましょうよ」
「腕試しって、僕たちは何と戦っているんだよ……」
「取りあえずやってみましょうよ。無理そうだったら降りますし」
僕の腰にしがみつき、全く降りる気配がない弁天。僕は小さく息を吐く。
「分かったよ。チャレンジしてみる。でも、無理そうだったらすぐ降りるんだぞ」
「それでこそ万さんです。さあ、当たって砕けちってください」
砕けちれなんて、まるで僕が失敗するかのような言葉だ。ただ、この坂を前にしては、僕もそう思ってしまう。が、チャレンジすると言った以上、引くことはできない。僕は残った余力を足に込めて、力強く漕ぎ出す。自転車は風を切り裂き、勢いのついた車輪は急な斜面をものともせず登っていく。
「おー、良い感じですね」
弁天が感嘆する。しかし、勝負はここからだ。次第に、自転車の勢いは落ちていき、ペダルの重みが増す。そして、スピードもそれに比例して落ちていく。ハンドルを握る手に自然と力が入り、くっと声が漏れる。
「あそこ、あの鳥居があるところが入り口です」
弁天の声に顔を上げると、坂の左側の苔や植物が茂る壁の所にポツンと石でできた灰色の鳥居。そして、その先には地下道のような入り口が見受けられる。
僕は最後の力を振り絞って、なんとかそこまで自転車を漕いでいく。
「到着です」
僕が止まると同時に弁天が自転車からさっと降りる。僕もそれを確認して、息が絶え絶えになりながら自転車から降りた。あたりをゆっくりと見渡すも、駐輪場のようなものは見当たらない。
「なあ、自転車ってどこに置けばいいんだ?」
「入り口に立てかけて置けば大丈夫です。この辺はあまり人も来ないので取られることもないでしょうし」
なんでそんな場所に連れてきたんだと思いながら、自転車を立てかけ、一応鍵をかけておく。それから、改めて入り口に目を向ける。鳥居の左側には縦長の石が置いてあり、何やら字が書かれている。
「銭洗……、これなんて読むんだ」
その次の文字が読めず、弁天に尋ねる。
「辨財天です。表記は万さんたちがいつも見る弁とは違うんですよね」
たしかに普段見ない字である。しかし、辨財天ということは、つまり
「弁天縁の場所っていうことか」
「はい。ここは厳密にいうと弁財天が祀られている神社なんです」
僕は改めて、入り口を見渡す。鳥居の上も横も青々とした植物が繁茂している。そして、目の前の小さなトンネルのような通路から、本殿に繋がっていくということだろう。
「なんというか、あまり整備されてない感じだな」
これだけ見ると、綺麗な印象は受けない。わざとそういう雰囲気を醸し出す寺院もあるが、ここはそれとも違う気がする。
「昔はしっかり整備されていたんですがね。いまはそんなに参拝客も訪れなくなりましたし。それじゃあ、行きましょうか」
弁天はそう言って、先陣を切って通路を歩いて行く。僕もその後ろに続く。通路は案外上も横も余裕があり、後ろと前から光が入ってきていることもあって明るかった。
そして、その通路を抜けると、いくつかの鳥居があり、さらにその先には木々に囲まれた神社が出現した。




