意外な助っ人
どうしたものだろう。本当に、どうしたものだろう。僕は三年三組の教室の前で盛大に考え込んでいた。
弁天との約束から二日経った現在。僕は未だに須佐さんと公園に行くという約束を取り付けられないでいた。その理由は単純明快、須佐さんを誘う口実が思いつかないからだ。お兄さんとの話の場を設けたいと行ったら来てくれるだろうか。少し怪しい気がする。そもそも僕らにそんな芸当ができるのか疑われるだろう。じゃあ、一緒に帰ろうとでも言えばいいのだろうか。家の方向が全然違うし、それじゃあまるで僕が須佐さんのことが好きみたいじゃないか。それを、幸に見られたらどうなるか分かったもんじゃない。
「天部くん、こんなところで何してるの?」
「ちょっと、僕史上二番目に困難な問題に直面しているんだ」
ちなみに、一番目は幸との絶縁問題。あれほどではないが、今回もかなり大きな山だ。しかし、二番目というのは流石に盛りすぎかもしれない。両親の事故死とか、世界が滅びそうだとか他にも様々なことがあった。
「そっか。鳥居くんを待っていたのかと思ったけど、そんなに深刻なことを考えていたんだ」
「そうなんだよ。本当に、困ったものだよ……。って、須佐さん」
いつの間に、目の前に須佐さんが立っていた。一体、いつからいたのだろう。
「そうだけど。そんなに大声で名前を呼ばれると驚くわ」
「あっ、ごめん……」
まだ教室に残って掃除をしていた生徒たちから訝しげな視線が集まるのを感じる。僕は慌てて教室の入り口から見えないところに移動する。
一応、須佐さんに水をかけた一件は僕の疑いが晴れたみたいだが、未だに少し周りの視線に対する拒否反応のようなものが残ってしまっていた。
「それで、何を考えていたの。もし私に手伝えることがあれば手伝うし、聞くだけでも聞かせて欲しい」
真剣な瞳が僕を捉える。以前公園で話したときと正反対の立場になってしまった。しかし、今回に関して言えば、須佐さんに助けてもらうことはできない。なぜなら須佐さんは当事者なのだから。
結局都合のいい口実も思い浮かばず、適当にごまかすことにした。
「大丈夫だよ。ちょっと冗談を言ってみただけだからさ」
「そう……。もし本当に何かあったら言ってね」
須佐さんは心配そうな声音でそう告げると去って行った。僕はその後ろ姿が見えなくなったところではあと小さく息を吐いた。
「こんなところで何してるの?」
「うわっ」
急に背中を叩かれ、思わず肩がビクッと震える。
恐る恐る後ろを振り向くと、演劇部のホープ、八幡が立っていた。
「なんだ、八幡か」
ほっと胸をなで下ろす。
「そんなに驚かれるとショックなんだけど」
視線を落とし、キュッと唇を結ぶ八幡。
「あっ、ご、ごめん。ちょっとこうさ、緊張の糸が解けたところだったからさ――」
お前、そんなキャラだったのかという戸惑いが僕を襲うがそれは口にするべきではないだろう。僕が不安げに顔をのぞき込もうとすると、八幡は小刻みに身体を揺らし始めた。
「ふっ、ふふっ、あはははは」
初め、僕は泣いたのかと思って頭の中が真っ白になったが、八幡は爆笑していた。笑いすぎて、うっすら涙目ではあるが。
「いや、冗談だったんだけど、良い表情を見せてくれてありがとう」
目元を拭って笑う八幡。八幡は演劇部だということを僕は改めて実感した。こういう演技は朝飯前なのだろう。なんだか心配損で、はあと肩を落とす。
「あ、そうそう。鳥居との一件は解決したみたいで良かったよ」
「うん、なんとかね」
どうやら八幡もそのことについては知っているようだ。それで、あの件が無事に収まったであろうことが改めて確認でき、胸をなで下ろす。
しかしいま、僕は別の問題に悩んでいるわけだ。一難去ってまた一難。とはいえ、八幡はそのことを知る由もないが。
「それで、うちのクラスの前で一体何をしているの。鳥居だったら委員会に行ったよ」
「うん、知ってるよ」
既にそのことは把握済みだ。学級委員の打ち合わせがあるとかで先に帰ってくれと幸に事前に言われている。だから、用事は完全に別件であるが、その対象の須佐さんはもう帰ってしまった。すると、僕はもうここにいる必要はないのかもしれない。しかしこのまま帰って一人で誘い方を考えていても案は浮かばないような気もする。
「じゃあ、なんでここにいるの?」
それは、須佐さんを誘いたいからで、でも、そのことは自分では解決できない。自分ではなんともできない壁にぶつかったとき、人はどうするか。そんなの一つだ。
「ちょっとさ、悩みがあるんだけど聞いてくれない」
だから僕は、両手を合わせて、苦笑いを浮かべた。
「なるほどね。そんなことが」
僕の話を八幡は神妙な顔をして聞いていた。八幡に話した内容は、弁天が神であるとかそういうややこしいところは完全に省いたもので、須佐さんに話をつけなきゃいけない相手がいて、僕らがこれから二人を鉢合わせさせようとしているという旨を簡潔に伝えた。
「どうすれば須佐さんを公園に呼べるだろう」
「それは、動機づけが必要ってことかな」
「うん。なんの理由もなく呼ぶのって、おかしくないかな」
そんなことになったら、不審がって来てくれないんじゃないだろうか。
「うーん、私はそうは思わないけどなあ」
八幡は顎に手を当て、小さく首をひねる。
「というと?」
八幡は僕の問いかけにゆっくりと口を開く。
「私はそこまで天部と須佐の関係に詳しいわけじゃないけどさ、おそらく二人は仲良しとは言えないまでも、大分深い間柄だと思うんだよね。鳥居との一件で須佐が天部の弁明をしていたときも、人柄についていろいろ言及してたし。だからきっと、思い悩んだ顔をして、ちょっと公園で話したいことがあるんだけど、なんて言えばなんだかんだ来てくれると思うよ」
須佐さんは僕のために動いてくれていたのか。それはすごい嬉しい話だ。
それはそうと、果たして八幡の言うように物事が進むだろうか。たしかに、今日の別れ際にいつでも相談にのるとは言ってくれていたから、僕が懇願すれば上手くいきそうではあるが。しかし、
「なんだか騙してるみたいで罪悪感みたいなものがあるな」
「そうかもしれないけど、須佐と因縁の相手が話す場を設けるわけだから、結局は罪悪感を感じることになると思うよ」
たしかにその通りだ。どう転んでも騙すことになるのだから、罪悪感は拭えない。
「でも、僕はそういうのって顔に出ちゃう気がするなあ」
なかなか人を騙し続けることは難しい。月夜さんについていた嘘もあっさり見破られてしまったわけだし、僕はきっと表情や仕草を意識して演じることがあまり得意な質ではない。それこそ、八幡くらいの能力があれば余裕を持って臨めるが。先ほどの八幡の演技を見て、改めてそれを痛感した。
「大丈夫。私がよく使う方法を天部に伝授するから」
そういうと、八幡はリュックサックを下ろし、そこから一冊の本を取り出した。
「夏目漱石の、こころ?」
単行本のタイトルを読み上げる。
「そう。読んだことはある?」
「読んだことはないなあ。タイトルは聞いたことがあるんだけど」
僕はいわゆる純文学と呼ばれる作品はあまり読んだことがなかった。ただ、夏目漱石がどんな本を書いたのかと聞かれれば、吾輩は猫であるや坊っちゃんと言えるくらいの知識は持ちあわせていた。
「この本は、まあ、端的に言えば暗いお話なの。それで、これを読むことで天部は暗い雰囲気を出すことができる」
「よく、言っていることが分からないんだけど……」
「例えば、明るい音楽を聴けば楽しい気持ちになるでしょ」
たしかにその通りだ。僕は頷く。
「それと一緒で、暗い物語を読めば気持ちも暗くなる」
「つまり、この本を使って、僕の気持ちをコントロールするってことか」
「うん。私もよくやってるから効果は保証できるよ」
八幡もやっているのであれば効果は期待できる。僕は差し出された本を受けとる。これくらいの厚さなら二時間くらいあれば読み終えるだろう。
「それで須佐さんの方はなんとかなると思うけどもう一人の方は大丈夫なの?個人的にそっちを呼び出す方が大変だと思うんだけど」
まさにその通りだ。でも、僕にはなんとなく自信があった。弁天は普段はポンコツだけど、やるときはやる神さまだ。だから僕は八幡の問いに問題ないだろうという旨を強く返した。
「天部は、その子のことをすごい信頼してるんだね」
「信頼かあ。そうなのかも」
改めて言われてはたと気づく。なんだかんだ、弁天との付き合いも一ヶ月くらい。僕はいつの間にか弁天との間に信頼関係を築いていたみたいだ。少し、口元に笑みが浮かぶ。
僕は八幡にお礼を言って、それから本を読む時間を少しでも確保するために足早に帰路についた。




