偶然の邂逅
「なるほどね」
状況が飲み込めていなかった僕にしてくれた須佐さんの説明はこうだ。
部活帰りに公園の横を歩いていると、なにやら不思議なことをしている二人組が見えた。初めは不審者に見えて、関わらない方がいいかなと考え立ち去ろうとしたが、その脇で真剣な顔で見守る少女と、枝に引っかかっている風船を見てその行動の意図を理解した。それで、助太刀に入ったということらしい。
ちなみに弁天は僕が膝を曲げたときにバランスを崩したため、肩から飛び降りたということだった。
僕はその話を聞いて、気が抜けてしまい、ベンチに勢いよく腰掛ける。弁天も同じ心持ちだったようで、フーッと息を吐いて僕の横に座った。少女も風船をしっかりと握ったまま僕らの真似をしてフーッと声を出してベンチに座る。
「ところで、天部くんたちはなんで肩車みたいなことをしていたの?普通に木に登れば取れるのに」
僕と弁天が夕焼けを眺めて黄昏れていると、そんな当たり前の質問がとんできた。
「いや、実は二人とも木登りができなくて……」
なんだかすごい恥ずかしさに苛まれながら、正直に答えた。須佐さんは、そう、とだけ言って、それ以上そのことに追求することはなかった。
僕は須佐さんの不審者に見えたという言葉を思い出し、いたたまれない気持ちになって俯いていると、いつの間にか須佐さんは屈んで少女と目線を合わせていた。
「お名前、聞いてもいいかな?」
「みか」
少女はニコッと微笑んで答える。
「そっか、みかちゃんか。みかちゃんは、公園に一人で来たの?」
「えーっとね、ママとだよ」
「ママは今どこにいるの?」
みかちゃんはその言葉にくりくりとした瞳を見開いて辺りを見渡し、驚きと不安からかいまにも泣きそうな顔をする。風船に夢中で、それまで母親のことを忘れていたのだろう。
「じゃあ、ママが来るまでお姉ちゃんたちと一緒に待っていようか」
須佐さんはみかちゃんの頭を優しく撫でて、笑顔を向ける。みかちゃんはそれにうんと小さく頷いて、須佐さんにしがみついた。
僕はそのやりとりに温かみを感じて、思わず口元を緩める。みかちゃんはお母さんとはぐれてしまったみたいだが、この分だと大丈夫だろう。須佐さんもみかちゃんの笑顔を見て安心したようで、こちらに視線を移す。
「ところで、天部くん。隣の子はどちらさま?」
「げ――」
「従兄弟だよ。従兄弟。うん、そう、従兄弟」
とっさに弁天の口を塞ぎ、叫ぶ。須佐さんは不思議そうな顔でそう、と曖昧にうなずく。僕は口を塞がれてジタバタとする弁天にきっと視線を当てた。すると、少女とも目が合って、びくっと身体を震わせる。
「万さーん。小さい子を怖がらせちゃだめですよ……」
呆れ口調で僕を諭し、少女の頭をもう怖くないよ、と優しく撫でる弁天。イラッときたが、我慢だと必死に自分を律する。
「それで、お名前はなんていうの?」
「弁天です」
須佐さんはそれに、べんてんと呟き首を傾げる。それに合わせてみかちゃんも可愛らしく首をひねる。しかしそれも仕方ないだろう。日本広しといえど、弁天という名前の人物はいないと思う。
弁天はベンチから立ち上がると、近くに落ちていた枝を拾い、地面に弁天と書いた。
「ああ、弁天様の弁天ね。とても珍しい名前なのね」
須佐さんはそれで合点がいったようでうなずく。みかちゃんは尚もよく分からない様子でじーっとその文字を見つめていた。
「実はうちの両親、七福神が大好きでして、男の子だったら恵比寿、女の子だったら弁天っていう名前をつけるって決めていたそうなんですよ」
現実味の欠けた説明を腕を組みながらしみじみと語りだす弁天。その設定、流石に無理があるのではないかと思ったが、そう、弁天ちゃんのご両親は不思議な人だったのね、と頷く須佐さん。
こんな荒唐無稽な話を信じるなんて、さては須佐さん、ちょっと天然なのかもしれない。
弁天は、なおも頭を悩ますみかちゃんに、神さまの名前ですよと教えてあげていた。すると、みかちゃんの目が輝き、弁天が調子に乗って胸を張る。それがなければ見直したのだが。
僕はため息をついて、戯れる弁天とみかちゃんから目を背け、須佐さんの方を見る。
「それにしても、まさか須佐さんと会うなんて思わなかったよ。この辺りに住んでるの?」
「ええ、そうよ。天部くんは学区外から来ているのよね」
「うん、そうだね」
前回、幸の家に一緒に行ったとき、この近くに住んでいるという話をしていたのを覚えてくれていたらしい。
しかし、この辺りは学区内というのは盲点だった。あまり知り合いに見られたくはないし、もう少し場所を選ぶ必要がありそうだ。
「弁天ちゃんもこのあたりに住んでいるの?」
「いえ、万さんの家に居候しています」
弁天がまたでまかせを言う。みかちゃんはその音が気に入ったのか、いそーろーと可愛らしく反復する。これ以上話しているとぼろが出ていけないと思い、止めに入ろうとしたが、それは後ろからかかる須佐さんを呼ぶ声に遮られた。
振り返ると、自転車に二人乗りする大学生くらいの男女。二人とも、髪を明るい茶色に染めていて、大人びた印象を受ける。二人は自転車を止めると、こちらに近づいてくる。あの二人とどういう関係なのか。そのことを尋ねようと須佐さんの方を向いて、驚く。
須佐さんはひどく切なげな瞳を二人に向けていた。その姿に、僕は口をつぐんでしまった。その様子はとても見覚えがあるものだったが、どこで見たのかどうにも思い出せない。
「常世、こんなところで何してるんだ」
僕が思考にふけっているうちに、いつの間にか、二人の男女は僕らの前に立っていた。
「ちょっと風船を取っていたの」
いつものように、至って冷静な声で須佐さんが答える。しかし、その表情は少し硬く、視線も心なしか僅かに下を向いているように見える。
ただ男はそれに全く気づいていないようで、いつの間にか弁天の背後に非難したみかちゃんと弁天、僕へと視線を順に移していく。それから、また須佐さんへと向き直った。
「そちらの二人は?」
「私の友達」
ちらっとこちらに目配せをして、間髪入れずに答える。やはり、何かがおかしい。普段とは明らかに何かが違う。しかし、僕の思考を遮るかのように男が距離を詰めてくる。
「常世は結構クールな感じだけどすごい優しい子だからさ、仲良くしてやってね」
そう言って僕と弁天に気さくな笑みを浮かべる男。大人の余裕がある。年の差を感じる。
だがそもそもこの人たちは誰なのだろうか。
「ところで、あなたは誰ですか?」
その質問を先に唱えたのは弁天だった。男はというと、しまったというような顔をして、それから自己紹介を始めた。
「俺の名前は八坂海月。それで、こっちが――」
「須佐永久。常世の姉だよ」
その予想外の言葉に、思わず視線が吸い込まれる。たしかに、髪色は違うがその端正な顔立ちは須佐さんと重なるところがある。ただ、見た目でいえば須佐さんよりも落ち着いていて大人びた印象だ。きっと、須佐さんも将来、さらに磨きがかかって綺麗になるんだろうと、そんな予見を与えてくれる。
「そんなにじっと見られると恥ずかしいな」
「あっ、すいません」
僕はその切れ長の瞳からさっと顔を逸らした。須佐さんのお姉さんはそれに茶目っ気ある笑顔を見せる。須佐さんのお姉さんというのだから、落ち着いたクールな人かと思っていたが、まるで正反対で人なつっこさがある。茶と黒の髪色がそれを分かりやすく示しているような、そんな印象を受けた。
「結構似てるでしょ、私たち」
そう言って、須佐さんの横に立ち肩を寄せるお姉さん。須佐さんはそれに煩わしいとでもいうように距離を取る。むっと、ほっぺたを膨らませるお姉さん。そこに割り込むように、八坂さんが口を挟む。
「俺たちは幼馴染なんだよ。ところで常世、その子は迷子なのか?」
その視線は弁天の後ろに隠れるみかちゃんに向けられていた。
「ええ、そう。いま、お母さんが来るのを待っているの」
みかちゃんを安心させるように、その柔らかそうな髪を易しく撫でる。
「そっか。じゃあ、俺たちも一緒に待とうか」
お姉さんはそれに応じて、それから、先ほどの須佐さんと同じようにしゃがんでみかちゃんと目線を合わせ何やら話し出す。みかちゃんは初め不安げな様子で俯いていたが、しばらくすると笑みをこぼして話すまでになっていた。
須佐さんはというと、八坂さんと木を見ながら何やら話をしている。きっと、風船を取ったときのことでも話しているのだろう。
僕はそんな中で、いたたまれない気持ちを隠せないでいた。ここにいま、自分がいる意味を見いだせない。不意に背中を軽く叩かれる。弁天だ。弁天もまた、退屈そうに目の前で繰り広げられる会話を眺めていて、僕と同じ心境であることがまざまざと伝わる。
どうしたものかと考えていると、それまで、楽しそうに話していたみかちゃんが突然勢いよく走り出した。その先には、母親と思しき女性の姿がある。
「ママ」
「みか……、よかった。急に走っていなくなっちゃうんだもの」
みかちゃんとお母さんはひしっと抱き合う。お母さんの肩には野菜やお肉のパックなどの食べ物が詰まっていた。二人は買い物に出ていて、その途中ではぐれてしまったのかもしれない。
お母さんは僕らの存在に気づくと、駆け寄り、深々と頭を下げた。みかちゃんは須佐さんの前に立って、このお姉ちゃんに風船を取ってもらったの、と弾けるような笑顔を見せる。お母さんはそれにさらに恐縮して、再び頭を下げた。
「頭を上げてください。何事もなくて、本当に良かったです」
須佐さんはそれに笑顔で応じる。お母さんはもう一度深く頭を下げて、それからみかちゃんと手をつないで帰って行く。みかちゃんは公園を出るまでずっと後ろを向いて手を振っていた。
「よし、それじゃあ俺たちも帰るか」
二人の姿が完全に見えなくなったところで、八坂さんが口を開いた。
「そうだね。常世も一緒に帰ろうよ」
お姉さんが須佐さんを誘う。どうやら、二人も帰るところだったみたいだ。
「ごめん、私は二人と話すことがあるから」
はて、話すことなんてあっただろうか。ただ、隣の弁天は実はそうなんですよ、と頷いていたので追求はしなかった。
「そっか。気をつけて帰るんだぞ」
八坂さんとお姉さんはまた自転車に二人乗りをして帰って行った。夕焼けで朱色に染まった寂しげな須佐さんの瞳がその後ろ姿を静かに見送っていた。




