ハガキと不幸
ピンポーン、と子気味のいい音が鳴り響く。
やつが来たようだ。僕はおもむろに立ち上がり、玄関の扉を勢いよく開く。
「おじゃましまーす」
ピンクのパーカーを着たやつは僕の横を抜け一目散に家へ侵入しようとする。僕はなんだかそれが嫌で手を伸ばしてフードをつかんだ。やつはグゲッと蛙みたいな声を出すと、首をこちらに向けて距離を詰めてきた。その様相から怒りが分かりやすく見て取れる。
「万さぁん。何するんですか」
上目遣いで睨み付けてくる。
「いや、なんか家に上げたくなくて」
「家に上げたくないって……。昨日の仕返しかなんかですか?手伝わせて欲しいって言ったのは万さんですよね。自分から頼んでおいてその仕打ちは温厚な私も流石に怒りますよ?」
迫力を出そうとしているのは伝わるが、いかんせん、容貌と服装が幼く、むしろ可愛げさえ感じてしまう。せめて、ピンクのパーカーが黒スーツだったらまた違ったかもしれないが。あと、どこが温厚なのだろうとも思うがそれはスルーした。
「いや、昨日のやつはもうあそこで片がついたから関係ないって。そうじゃなくて、わざわざ僕のうちでやる必要はないんじゃないかと思って。別に公園とかでいいじゃん」
昨日、あのあと婦警さんに散々説教されて意気消沈した僕たちは、一応和解して二人乗りで帰ったのである。だから、仕返しとかそういうことではない。
それに弁天は大きな吐息をついた。
「あのですね。ハガキを公園で一枚一枚確認するって端から見れば不審者ですよ。私にはそんなことはできません」
「いや、最初僕の前に現れたときの格好の方が、よっぽど不審者に見えると思うけど……」
今さら何を言っているんだという話だ。
「取りあえずおじゃましますねー」
と、僕の横を弁天が華麗にくぐり抜けていく。
今度は僕の手がピンクのフードに届くことはなく、虚空を切る。僕は何も掴めなかった手のひらを呆然として立ち尽くす。
「早く来てくださいよー、万さん」
玄関に立って僕を呼ぶ声に我に戻ると、やれやれとため息をついて、それから家に入る。
僕が居間に行くと、既に束になったハガキが机の上に置かれていた。弁天が気合いを入れるかのように袖をまくる。
「よし、始めるとしましょう」
「いや、待ってくれ。僕はまだ確認できないぞ」
「おっと、そうでした。ちょっと待っててくださいね」
そう言って、右手を僕の前にかざす。弁天はこんな感じでいつも仰々しい方法を取るが、実際にそれが必要なのかは甚だ疑問である。前回負因子を振りまいていたときも、最後の方は疲れて投げやりになっていたし。
まあともかく、これで負因子を感知できるようになったわけだから、仕事をこなすとしよう。そう思いハガキに手を伸ばしたところで、ふと疑問が浮かぶ。
「僕は負因子をそこまで細かくは関知することはできないんだけど、それは大丈夫かな?」
負因子は色で感じ取っていて、細かな違いは分からない。
「ああ、それは大丈夫です。明らかにまずいのがあったら教えてもらえればいいので。ほんの少しの違いじゃ大して問題はないですから」
なるほど、と頷いて、それから僕はあれっと首を傾げる。いまの話からすると、多分、僕のハガキには見るからに膨大な量の負因子が込められていたと推察できる。なぜそんなミスが起きたのだろうか。
「では、始めちゃってください」
ここで追求したいのは山々だが、それで作業に支障が出て、というのも困る。だから僕はその疑問を胸の中にしまってハガキを掴んだ。
「って、あれっ。このハガキ、負因子が込められてないみたいだけど?」
目の前のハガキは真っ白で、あなたの人生に幸あれという呪いの言葉が書かれているだけだ。能力が使えていないのかとも考えたが、ハガキの束は真っ青に見える。
「そんなこと、ないと思うんですけどね。どれどれ、って、万さん。字が書いてあるところを掴んだら掠れちゃうじゃないですか」
そう指摘され、ハガキを机に置いて見てみると、たしかに「れ」の字が薄くなって、その周りが少し汚れてしまっていた。
「これ、鉛筆で書いてたんだな」
濃くはっきりとした綺麗な文字で書かれていたから、てっきり、ペン書きだと思っていたが違うみたいだ。その証拠に、僕の親指も少し黒くなっていた。
「ほんと、しっかりしてくださいよ」
「悪かったよ。それで、なんで負因子が消えたんだろうな」
「うーん、どうしてでしょう?」
弁天が不思議そうに首をひねる。もしかしたら、弁天が負因子を込め忘れたのかもしれない。こうして束になっていると、仮に一枚が白くてもなかなか気づかない。
弁天はなおも訝しげな表情で束の上からハガキを一枚手に取ると、目の前にかざして青いことを確認し、僕の方へ向ける。僕がそれを手に取った瞬間、ハガキはパッと白くなった。
「えっ、どうして……」
慌てて弁天に視線を向ける。しかし、当の弁天も驚きを隠せない様子で、目をぱちくりしながら固まっていた。
僕は取りあえずハガキを先ほど手に取ったものの上に重ね、一呼吸置くといましがた目の前で起きた出来事について考える。
ハガキが白くなったということは、負因子がハガキから消えたということだ。では、なぜ消えたのか。僕が触れた瞬間に負因子は消えた。僕が触れた瞬間に……。触れた……。
「「あっ」」
弁天と僕の声が重なる。どうやら弁天も同じ結論にたどり着いたようだ。この、とても残念な結論に。
「僕が、負因子を吸収したってことか」
「まあ、そうなりますねえ」
僕の言葉に冷静にうなずく弁天。しばらく向き合ってると、どちらからともなく僕と弁天は笑い出す。もう、本当に馬鹿みたいだ。僕も、弁天も。
「って、笑えないわー」
思わず声を張り上げて机を叩く。ど、どうしたんですか、と弁天は突然のことに驚愕していた。
「どうしたもこうしたもないよ。つまり、僕は負因子をまた取り込んだってことだよね」
はっとした表情の弁天。
「いや、まあ、その、前回に比べたら大したことはないですよ。ほんと、月とすっぽんですよ」
慣用句を使って必死にフォローしようとする弁天。だがそれは微妙に間違っている。月とすっぽんの比較はフォローにならない。月とすっぽんは足し算になっているのだから。負因子だから引き算といった方が正しいかもしれないが。
ただそんなことはどうだっていい。僕はもう止まらない。思いの丈をぶちまける。
「もう、やってらんねー。バカヤローーーー」
わめき散らす僕。慌てふためき止めに入る弁天。僕らの不毛な戦いはそこからしばらく続いた。僕が落ち着きを取り戻す頃には外は、高速で弁天が一枚一枚ハガキをめくってそれを確認するという手法でなんとかノルマを成し遂げたのだった。
そんなこんなで弁天が帰る頃には六時を回っていた。入れ違いに帰ってきた月夜さんに家事が全く何もできていないことで怒られたのはきっと、負因子のせいだ。




