悲しげな少女
おはよう、とかけた声が帰ってくることはなかった。
幸はこちらを一瞥して、それからなぜか一歩後ずさり、一人で通学路を歩いて行く。
「おい、ちょ、ちょっと待てって」
僕はその背中を追いかけ、肩をつかむ。
「や、やめろ。奴隷根性がうつる」
「誤解だー」
幸は案の定、僕のことを勘違いしていた。この間の一件の教訓から、僕はなんとか話し合いの大切さを説き、幸に弁解する場を作り上げた。そこまでに、十分以上もかかってしまったが。
「分かった。話を聞こう。この前の二の舞にはなりたくないしな。それであの子は誰なんだ?」
幸の質問は最もなものだった
しかし、果たしてここで弁天のことを話してしまってもいいものだろうか。そもそも、神という存在は荒唐無稽で、そのことを馬鹿正直に伝えたとしても、痛いやつだと思われるのが関の山だ。仮に、幸がこの話を信じてくれたとしても、今度はいろいろと別の意味でややこしくなる。つまり、ここから出せる結論は
「実はあの子は従兄弟なんだ」
「いや、お前、親戚とほぼ絶縁状態なんだから従兄弟と会ったりしないだろ」
「たしかに……」
一瞬で論破されてしまう。そうだ、万は僕の生い立ちを知る数少ないうちの一人だ。僕が月夜さん以外の親戚と関わりあいがないことも知っている。さて、どうしたものか。
僕が頭を悩ませていると、幸が僕の肩を優しく叩く。
「お前が下僕でも俺たち友達だからな」
「いや、待て、違う」
思い切り否定するが、幸は分かってるからと完全に誤解した様子でそれ以上は言うなとでも言いたげにうなずいている。
「ちーがーうー」
地団駄を踏んで抗議する。もう、最近こんなことばかりだ。これぞ僕の不幸のなせる技。
「ああ、分かってるよ。言いにくい話なんだろ。気になるけど、いつか教えてくれればいいよ」
幸がすっと優しげな表情で微笑んだ。不覚にもその顔が格好いいと思ってしまい、少し固まってしまう。
「どうした?」
「えっ、あー、いや。ありがとね。その、時が来たら話すよ」
「おう、気長に待ってるぜ」
それから、他愛もないことを二人で話し合う。なんだか、こういう時間が以前にも増してとても居心地が良くて、素晴らしいものだと感じた。きっとそれもこれも、弁天のおかげ。いや、弁天のせいか。始まりはあのハガキで、そこから様々なことがあって、いまに繋がっている。
あのときは憤りとか落胆とかそんな感情が大きかったけれど、終わってしまえば笑い飛ばせる、そんな思い出だ。
そんなことを考えているといつの間にか正門前に着いていた。正門を抜けようというところで、急に幸が止まる。
「どうした、幸?」
「えっ、あー、前に須佐さんがいて……。つい、な」
「えっ、どこ?」
視線を這わせるが須佐さんらしき人物は見つからない。
すると、ほら、あれだ、と幸が僕らの右前方を指差した。その先には肩口ほどまで伸びた黒髪を靡かせた少女が歩いていた。たしかに、言われてみれば須佐さんに見えなくもないが。
「後ろ姿だけじゃ僕には分からないよ」
「うん、そうか?まあ、あれかな。俺はずっとその背中を見ていたからなあ」
感慨深げな、それでいて、少し寂しげな声音でそう漏らす。僕は、なんだかまた幸が沈み込んでしまうような気がして、すぐにフォローを入れる。
「まだ、大丈夫だよ。須佐さんに相手がいるわけじゃないんだし」
「ありがとな、万。まあ、もう少し頑張ってみようかなあ」
少し、幸の表情が和らぐ。僕はそれに胸をなで下ろして、それから須佐さんに視線を移す。
ちらっと、その横顔が見えて、そして、思わず小さく声を漏らしてしまう。
「どうしたんだ、万」
「あ、いや、なんでもないよ」
とっさに誤魔化す。幸は少し不思議そうな顔をしていたが、それ以上は追求することなく、僕らは校舎へと足を運ぶ。
靴を下駄箱にしまいながら僕は先ほどの須佐さんについて思いをはせる。なんだか、とても悲しそうで寂しそうな表情をしていた。それは僕の気のせいかもしれないことで、幸に話すことは憚られたが、なんとなく、心にもやが残るような感覚がする。ただ、いまそのことを考えていても仕方がない。僕はそのことを心の隅にとどめて、教室に向かった。




