下僕
「よろず。もう、俺はだめだ……。明日から学校に行かない……」
夕下がりの河川敷。幸は、芝生に体育座りをしながら泣いていた。そして、僕はそれをかれこれ三十分以上慰めていた。実は、この話、もう五週目に突入していて、いい加減うんざりしてきたところだった。
「大丈夫だって、幸。女の子はこの世界に星の数ほどいるんだから、幸のことを受け止めてくれる人もいるって」
「しょ、しょうかなあ」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔で聞き返してくる。僕は笑いそうになるのをこらえて、うんうん、そうだよと優しく背中をさする。
「でも、須佐さんには振られちゃったし……」
また、落ち込み始める幸。浮き沈みが本当に激しい。
「いや、ほら。でもさ、単純に須佐さんはさ、幸のことを恋愛対象として見ていないって言っていたけど、チャンスはまだあると思うよ」
実は、須佐さんは幸の告白を断ったが、それは別に好きな人がいるとか、付き合っている人がいるという理由ではなかった。もちろん、それが本当か確かめる術はないが、清水さんに聞いた話では付き合っている人はいないらしい。
しかし、清水さん、口が軽すぎて本当に心配になる。
「ぞっか。ぞうだよな。まだ、おで、いけるかもしれないよな。頑張るよ」
そう言って、ぐちゃぐちゃになった顔で僕に抱きついてくる。よしよしと頭をなでながら、何か忘れていることがあるのではないかと、ふと感じる。しかし、思い出せない。
思い出せないということは、別にたいしたことではないのだろう。
僕は夕闇を映す川岸を眺めながら、そう結論づけて、そろそろ帰ろうと幸を身体から離して立ち上がる。すると、肩を軽く叩かれた。僕の横に座る幸かと思ったけど、その両手は僕の視界に収まっている。じゃあ誰だろう、と不思議に思いながら振り返ると、ピンクのパーカーを羽織った少女が立っていた。
「あの、どちら様ですか?」
見覚えのない少女に思わずそう尋ねる。すると少女はむっとした少女を浮かべて、僕に詰め寄ってきた。
「あなたが、あなたが今日ここに集合って言ったじゃないですか」
その声は聞き覚えがあって、なんなら、つい先日も聞いた声で、改めて少女の顔を見る。黒髪童顔な少女。
「もしかして、弁天、なのか」
「もしかしなくてもそうですよ。呼び出しておいてこの仕打ち。神の鉄槌をお見舞いしますよ」
僕は内心とても驚いていた。常に和服を身にまとっていたから、それがもう彼女の決まった格好で、そこに変化はないものだと思っていた。ただ、どうやら別の服を着ることもできるようだ。もしかしたら、周りの視線を気にしてのことなのかもしれない。日常風景の中に和服というのはとても目につく。
僕は改めて弁天を見る。ピンクのパーカーとはまた可愛らしい選択である。見た目と相まって、幼さがより強調される。
「って、聞いていますか、万さん」
べしべしと頬を叩かれて、はっとする。これが神の鉄槌というやつだろうか。いや、きっと違うはずだ。
「ごめんごめん、忘れてたよ。じゃあ、始めようか」
そう言って、弁天と世界平和の実現のために、歩みを進めようとすると、ガシッと肩を捕まれる。今度は、幸の手だった。
「待て、万。話が見えない。その子は誰だ。それから、その子とはどういう関係だ。まさか、彼女か」
立て続けにまくしたてる幸。そうだ、幸もいたのだ。面倒くさいことになった。どう説明すればいいのだろうか。
僕があれこれと悩んでいると、隣に立つ弁天がふっふっふと不敵な笑みをこぼす。
「万さんは、私の下僕です」
「いや、違う」
なにを言い出すのかと思えば、ひどい虚言だ。僕は慌ててそれに否定する。こんな見た目が幼女の下僕なんて、僕はまんまやばいやつじゃないか。
「でもですよ、万さん。私はあなたにいろいろと能力を授けてあげたわけですし、私の下に位置付いているというのはあながち間違いともいえないと思いますよ」
言葉に詰まる。たしかにそれは否定できない。下僕というのは言い過ぎだが、弁天の下についているということ自体はその通りだ。
僕が言い返せないでいると、幸がわなわなと震えて後ずさりする。
「万、お前いつからそんな感じになっちゃったんだよ……」
幸は完全に僕のことを引いていた。このまま勘違いさせてしまうのはまずい。
「ち、違うんだよ、幸。この子は――」
「よ、寄るな。ドエムがうつる」
幸は身体をのけぞらせると、そのまま反転して走り去ってしまった。あとには、芝生に手をついて項垂れる僕と幼女が残る。
ただ、幸にこれだけは言わせて欲しい。エムっていうのは、病気じゃないんだ、と。




