二人のおせっかい
「よし、万。行くか」
日曜日の夕方。月夜さんが僕の部屋へ襲来した。数学の問題から目を離す。
そういえば、昨日、外食に行くと言っていたな、なんて考えながら月夜さんの方へ振り返って驚愕する。いつも、家では半袖短パンの月夜さんがおめかししていた。
「ど、どうしたの。その服?」
紫のシャツに白のスカートを履いた月夜さんに、気がつけば、僕はそう質問をしていた。一体何なのだ。その、若者系雑誌で取り上げられそうな着こなしは。
「えっ、あー、これか。まあ、今日は結構いいお店に行くから少しな」
頬を染めて照れる月夜さん。本当にどうしたんだろ。熱でもあるのだろうか。
「ごほん、それより、万も少しは気合い入れた服を着ていけよ。いつものパーカーじゃなくてな」
わざとらしく咳払いする月夜さん。しかし、それはどだい無理な話だ。なぜなら、無類のパーカー好きな僕の部屋には、パーカーとシャツしかないからだ。たまに幸と服を買いに行くことがあったが、ジャケットとかそういう系統の服は買わなかった。その理由には、パーカーが好きなこと意外にも、家計的な問題で、成長期は安い服でしのがなければというのもあったが。
そうすると、消去法的に一番おしゃれなパーカーを選ぶ必要があるということか。僕はラックからお気に入りの白いパーカーを取る。純白のパーカーで、清潔感に溢れるデザイン。春という季節にもベストマッチしている。これなら月夜さんも文句はなかろう。
満面の笑みでパーカーを着て部屋を出た僕を見た月夜はとてもがっかりしていた。なんだか、とても申し訳ない気持ちになった。
「ところで、今日はどこに行くの?」
家の戸締まりを確認する月夜さんに尋ねる。結構いいお店というのは、きっとそこそこ値が張るお店なんだろうけれど、僕は記憶にある限りでは、そんなお店に行ったことはない。おそらくいままでの外食で一番高かったのは焼き肉店で三千円ほど。次点で回転寿司と言ったところか。だから、テーブルマナーなんてものは分からないし、そんなお店に入ったら発狂してしまうかもしれない。
ただ、月夜さんは真面目に答える気は無いようで、
「ついてからのお楽しみだな」
とだけ言って、ウインクした。いつもの格好だったら、年を考えろとかなんとか悪態をついていただろうけど、今日のおめかしした姿だと、それも様になっていて、なにも言い返せない。ちょっと、悔しい気分だ。
家から駅まで歩いて、電車に乗ること十分。そこからまた五分くらい歩いたところで不意に月夜さんが止まる。どうやら目的地に着いたらしい。
顔を上げて、そして、目を見張る。僕の目の前には僕とは縁がなさそうな煌びやかなお店がそびえ立っていた。
案内された席に座って辺りを見渡すと、店内は思いのほか静かだった。
静寂ではないが、落ち着いた雰囲気の会話が行われている。僕と月夜さんがたまに行く居酒屋とは大違いだ。あそこは酔っ払いがたくさんいてうるさいし、たばこのにおいが強烈だ。
比べてここはどうだろう。ゆったりとした店内。天井にはシャンデリアが吊されている。他の客席に目を移せば、みな、着飾っていて、アパレルショップの人形みたいだ。赤や白の液体が入ったグラスに、彩り豊かな料理の品々。なんだか、別世界に来たみたいだ。
月夜さんがおしゃれをしたのもうなずける。僕も、パーカーじゃなくてもっと違う服にすれば良かったと思うが、後の祭り。というか、そもそもそんな服を持っていない。今度、誰かおしゃれな人でも誘って服を買いに行こうと決意する。
それは、ともかくとして。隣に座る月夜さんを見る。僕たちの座る机は四人がけである。普通に考えれば、こういう場所では対面で座るのではないだろうか。横だと会話がしにくいと思う。それにまだ、注文をする気配もない。
「月夜さん。もしかして、ここに誰か来るの?」
僕は目の前の席を指さす。
「うん、実は、そうなんだ」
月夜さんはそれに曖昧な笑みを浮かべる。心なしか緊張しているようだ。
では、その誰かとは一体誰なのだろう。月夜さんはなんだかそわそわしているようにも見える。緊張とは縁遠い人種の月夜さんがである。誰が来るのかものすごい気になる。
果たして、僕が知っている人だろうか。いや、僕が知る月夜さんの知り合いと会うのに緊張なんてしないはずだ。
とすると、僕が知らない人が来る線が妥当か。しかし、一体どんな用事なのだろう。僕は改めて隣に座る月夜さんに目を移す。
やはり、いつもより気合いが入っている。間近で見ると、服装だけでなく、化粧もいつもよりしっかりしていることが分かる。もともと、結構きれい系な顔に磨きがかかっている。女性が身だしなみを整えるとき、どんなときがあるのだろう。
ふと、隣のテーブルに目を移し、はっとする。そこには、若いカップルであろう男女がにこやかに談笑する姿がある。男性は、スーツをかっこよく着こなしていて、女性の方は春っぽい明るい緑色のワンピースを着ている。
そうか、そういうことなのか。つい、大きく頷いてしまう。
「うん、どうしたんだ、万?」
「月夜さん……。今日彼氏を紹介してくれるんだね」
「はっ。な、何のことだ?」
少し、慌てた様子の月夜さん。図星みたいだ。
「別に、隠さなくたっていいよ。というか、そういう話なら僕にもっと早く言ってくれれば良かったのに。二日くらい、家を空けることだってできるし、彼氏さんと二人で旅行を楽しんできてくれても構わなかったのに」
僕に気を遣ってくれていたのか、月夜さんは一切そういう素振りを見せなかった。だから、まさか彼氏ができていたなんて驚きだ。正直なところをいうと、月夜さんはきれいな人なのに、そういう浮いた話を一切聞くことがなかったから、僕がいるからなのかと自分を責めたこともあった。結婚歴なしで子持ちなんて、普通の男性だったら飛び込んでいかないような案件だろう。本当に良かった。少し、目尻に温かさを感じる。こんなの、涙腺を緩ませずにはいられない。
「い、いや、あのな、万――」
「僕は結婚に大賛成だから、そのときはいつでも言ってね」
「いや、だからな、万――」
いや、待てよ。もしかしたら、今日この場が結婚の発表の場なのかもしれない。相手の方から月夜さんをくださいとかなんとか言われるのかもしれない。なんだか、弱冠十五歳にして、娘の嫁入り前の父親の気分になる。嬉しさと、それから一抹の寂しさがある。
「だから、聞けー」
べちんという鈍い音とともに、頭に衝撃が走る。月夜さんからの会心の一撃だと、僕はすぐに気がつく。顔を上げると、少し息を荒げた月夜さんの姿。
「えっ、どうしたの」
「どうしたじゃない。全てお前の勘違いだ」
勘違い。かん、ちがい……。
「つまり、結婚報告ではないと」
「違う。というか、なんで話が飛躍してるんだ」
やれやれと首を振る月夜さん。なんだか拍子抜けしてしまう。落ち着いて周りを見ると、いくつもの視線が僕らの机に集中していた。どうやら、騒ぎすぎてしまったらしい。気まずくなって、視線を机に落とす。月夜さんの方を見ると、月夜さんも同じように顔を赤らめ、俯いていた。とても残念な二人だ。
しばらく、俯いて視線を感じなくなるのを待っていると、上から声がかかる。
「ごめん、待たせたね。月夜」
ウェーブのかかった黒髪に淡い緑のワンピースを身にまとった女性から、そう声がかかる。
僕は、それに驚きを隠せない。いや、厳密にいえば、その後ろに立つ少年にだ。
「幸、どうして、ここに……」
ただ、驚いているのは、幸も同じようだった。目を見開き、立ち尽くしている。
僕は月夜さんの方をバッと勢いよく見る。月夜さんは僕の視線に気づくと優しく微笑んで、それから二人を椅子に座るように促した。
一体、これはどういうことなのだろうか。なぜ、二人がここに、いるのだろうか。
いや、答えは分かっている。月夜さんと幸恵さんが示し合わせたのだ。僕と幸の仲を取り持つために。そうでなくちゃ、こんなに幸が驚いた顔をしていない。
そして、そういう意味ではこの店を選んだのは正解だ。ここではあまり大きな声が出せないから、落ち着いた話し合いができる。
そう思った矢先、幸が幸恵さんに食ってかかった。
「これはどういうことだ、母さん」
その声に、再び視線が僕らの席に集中する。しかし、幸はそんなことは気にせずまくし立てる。
「それとも、これもお前の差し金か、万」
「ち、違う。僕じゃない」
手を振って否定する僕に、幸はそれに髪の毛を掻いて、舌打ちする。きっと、いま幸の頭の中では困惑といらつきがぐちゃぐちゃになっているのだろう。
「幸、座りなさい」
そんな中で、凜とした落ち着きを持った幸恵さんの声が響く。普段の様子からは想像できない鋭い声音だ。
「はっ、わけ分かんねーよ。どうして座んなきゃいけないんだよ。俺は別に――」
「ぐだぐだ言ってないで、座りなさい」
幸の反抗的な言葉に、先ほどよりもさらに一段と低い声音を重ねる。その鋭い双眸に、幸も悔しげな顔をしながら渋々椅子に座った。
幸恵さんはそれを確認すると、僕の方に向き直る。
「この間は悪かったね、万」
頭を下げる幸恵さん。僕それに慌てる。なんだか今日の幸恵さんは、いつもと全然雰囲気が違う。ただでさえ、こんな高級店にいるのに、その上なんて、すごい調子が狂う。
「それで、今日は話し合いをしようと思って、月夜に頼んでこの場を設けさせてもらったの。勝手にごめんね」
「あ、いえ。そのありがとうございます」
僕は深く頭を下げる。幸恵さんのこの好意は僕にとってとてもありがたいものだ。きっと、このまま子供同士のやりとりを続けていても、進展はなかった。だから、幸恵さんが謝るのは筋違いで感謝してもしたりないくらいだ。
「別に、話すことなんてなにもねーけどな」
幸がそれに水を差す。しかし、幸恵さんが一瞥すると、決まりが悪そうな顔でそっぽを向く。そんな様子にふと思う。僕は鳥居家の力関係を長い間勘違いしていたのかもしれないと。
「それじゃあ、本題に入ろうか。幸と万との間に何があったのか、私と月夜は断片的にしか知らないから、とりあえず幸から話そうか」
幸恵さんのその言葉で、幸がゆっくりと口を開く。
幸の話す内容は、ほとんど僕が考えていた通りのものだった。
僕が知らなかった内容といえば、須佐さんが着替えるために校舎内に戻るときに、幸は須佐さんが現れないことを不審に思い昇降口に行くところで、須佐さんが去ったあとに犯人が誰かを確かめたくて、昇降口から顔を出したことぐらいか。
そこで僕を見て、なにが起こったのかをなんとなく察したらしい。校舎裏で待っていた幸が現場に居合わせることはなかったのではないかと僕は考えていたが、それは外れだったようだ。ただ、自分で見たわけではなく、なんとなく確証を持てなかったが、クラスに戻るとその話で持ちきりだったようで、確信に変わったとのことだ。
もし、幸があの現場に居合わせていたら、あの場で詰め寄られていたのだろうか。ただ、むしろ状況説明がしやすくて何事もなく解決していたかもしれない。
しかし、清水さんは本当にいい働きをする人だ。きっと、あの現場を見て即座に教室に戻って話を拡散したのだろう。他クラスであるうちのクラスにまで広がっていたのだから。
「それじゃあ、次は万に話を聞こうか」
幸恵さんに促され、話を始める。一応、弁天のことなどところどころ省き、あの日からの僕の行動を順になぞっていった。須佐さんに水をかけてしまった件の真相。手を引かれて、須佐さんに迫るようなかたちになってしまったときの話。清水さんの話。
初めは不満たらたらだった幸の表情は、僕の話を聞くに連れて驚きへと変わっていき、最後には、俯いてしまった。
結局、自分の見たものが、聞いたものが真実だとは限らないのだ。そうなる過程であったりその結果自体が異なっていることだって往々にしてある。ただ、一度自分の頭が作った道筋が正しいと思うと、人はなかなかあとには引けない。
僕は話しながら、それを強く感じた。幸が今回僕の話に耳を傾けてくれなかった理由の一端がそこにあったはずだ。
幸恵さんは僕の話を聞き終えると、幸の方を見た。その視線からは冷たさよりも呆れが見て取れる。
「幸。なにか言うことは?」
「いや、でも。まだこいつが本当のことを言ってるかなんて分かんねーだろ」
最後のあがき。しかし、それも無意味だ。
「もしそう思うんなら、須佐さんや清水さんからも話を聞く?」
それにうっと口をつぐむ。須佐さんや清水さんはこちら側だ。多分、幸もその姿を見てうっすらとは真相に気づいていたのではないかと思う。ただ、引くに引けなかっただけで。
「幸。そんな風に育てた覚えはない」
幸恵さんが横から威圧する。幸は、顔を上げて、視線をしばらく彷徨わせていたが、覚悟を決めるように僕に視線を合わせると、勢いよく頭を落とした。
「すまなかった、万。いろいろと本当にごめん。それで、その、都合のいい話かもしれないけど、これからも友達としていさせてくれないか」
本当に都合のいい話だ。本当に。
「もちろんだよ、幸」
だから、僕はそれに笑顔を向けて、腕を出した。幸がその手をゆっくりと握る。
ようやく、仲直りが終わった。長い道のりだった。緊張が解けて、背もたれに体重を乗せる。ただ、すぐにやることを思い出して姿勢を正す。
「幸恵さん、月夜さん。改めて、本当にありがとうございました」
今回の仲直りは、二人のおかげでできたものだ、僕一人じゃ、きっとどうにもならなかった。だから、心からの感謝を口にする。
「むしろ、こちらの方こそうちの馬鹿息子がごめん。ただ、これからも友達を続けてくれると嬉しい」
幸恵さんが幸の頭に手を乗せる。僕はそれにもちろんと返して、それから改めて月夜さんを見る。なんだか、今日の月夜さんは珍しく静かに傍観していた。そんな彼女がいまどんな表情をしているのか、素直に気になったのだ。月夜さんはというと、綺麗な笑顔で親指を立てていた。だから、僕はそれに親指を立てて返した。
「さて、それじゃあ話も一段落ついたところだし、注文しようか」
「あ、あのー」
月夜さんがメニューに手をかけたところで、店員の声がかかる。いつの間にか、店員は僕らの机の横に立っていたらしい。全く気づかなかった。
「まだ、注文は決まってないので待ってください」
月夜さんがそう返すも、店員は一向に立ち去る気配がない。僕ら四人が顔を見合わせて首を傾げていると、店員がおもむろに話し出した。
「あ、えーっとですね。誠に申し訳ございませんが、当店は落ち着いた雰囲気を大切にしていまして、別のお店のご利用をお願いします」
辺りを見回すと何やらこちらを見ながらひそひそとしゃべり合う別の席の人たち。なるほど、僕たちはかなり周りのお客の迷惑になったということか。
しかし、この店員の物言いはどういう意味なのだろうか。静かにしろと注意するのとはまた違う気がする。別のお店をご利用くださいと言っているのだから。
「えーっと、月夜さん。これってどういうこと」
たまらず月夜さんに聞く。
「うん。これはつまり、出ていけってことだな」
僕ら四人はなにを注文するでもなく、高級店をあとにした。
その後、渋々訪れた近場のファミレスで不覚にも、パスタをすすりながら涙を浮かべてしまった。こんな日まで、僕は不幸みたいだ。




