宿屋の女主人と-1-
抵抗虚しくマリアに家からつまみ出された俺は当てもなくとぼとぼ歩いて、街沿いを流れる運河に架かった橋にたどり着いた。
呆然と欄干に掴まって下を流れる水面を眺める。
最悪だ。これからどうしよう。
まさかマリアに追い出されるなんて。
泣きそうだ。いや、もう泣いてる。鼻水出てきた。
垂れないようにズズっとすする。
この様を父さんが見たらなんていうだろう。
俺は周りには人間だと思われているけど実はインキュバスという魔物だ。
マリアすらそれは知らない。
人間はあまり魔物が好きじゃないから、これは俺と死んだ父さんだけの秘密だ。
父さんは、インキュバスの俺たちは絶対聖女から離れたらダメだって言ってた。
離れると自分の能力のせいで酷い目に遭うって。
俺は物心ついた時から聖女のそばで人間と同じ生活を送っていたから実際どう酷い目にあうのかはよく知らない。
父さんに聞いても大人になったら教えるって言うだけだった。
あげく父さんは聞く前に死んじゃったし図鑑を調べてもインキュバスなんて魔物はどこにも載ってなかったから未だに謎のままだ。
でも、夜中に先代の聖女に踏まれても、鞭で叩かれても、溶けたロウソクを垂らされても嬉しそうにしていた父さんが恐れるくらいだから聖女から離れたらインキュバスは相当酷い目に遭うんじゃないか!?
ずっとそう思いながら片時もマリアから離れないように生きてきた。
改めてマリアとこのまま別れる恐ろしさに背筋が震える
ダメだ。やっぱり何とかして彼女の所に戻ろう。
でもどうやって?
サラサラと流れる水が太陽の光で輝いてる。
まだこの時期なら冷たいだろう。
川に入って風邪を引いたら、優しいマリアの事だから治るまで家においてもらえるかも。
そしたらもう3日くらいはゴネることができると思う。
川の流れ、結構早そうだ。
最近雨が降ったから増水してる。
俺泳げないんだよな。
どっか水深が浅そうなところないかな。
身を乗り出して川の様子を見た。
「ちょっとあんた。早まるんじゃないよ。」
背後から声がして振り返ると、しゃんとした女性が買い物袋を抱えて立っていた。
俺より10歳くらい年上かな。
口元にほくろがある。
くっきりした二重に縁取られた少し吊り気味の瞳が丸く見開かれた。
「あれ、男かい。せっかく男に生まれたってのに、世の中になんの不満があって身投げするってんだ。」
「みなげ?」
「ちがうのかい?そんな思いつめた顔してさ。」
「違う。水に入って風邪を引こうかと思って。」
「はぁ?あんた変な奴だね。連れはいないの?」
「いない。」
「こんなとこ一人で歩いてたら攫われて娼館に売られるよ。馬鹿なこと考えてないで早くうちに帰りな。」
女の人は顎でそっぽをしゃくって言った。
その言葉に自分の立場を思い出してまた凹む。
「それが、家を追い出されて行くところがなくなったんだ。」
はあ、とため息をついて項垂れた。
「えっ、また馬鹿な女がいたもんだ。あんたとお似合いだね。」
「あはは……」
中々手厳しくものを言う人だな。
でも悪い人じゃなさそうだ。
話したおかげで少し気持ちが落ち着いた。
風邪を引く作戦は一旦考え直そう。
マリアにうつすかもしれないし。
「まあいいや。行くとこないならうちの部屋使いな。丘の上にある宿屋やってんだ。流行ってないから安くしとくよ。」
女性は街外れに向かう方向を指して言った。
確かこの道を行くと小高い丘があったはずだ。
そんなところに宿屋なんてあったんだな。
どうせ行くとこもないし、手持ち資金もそんなにないから安いのは助かる。
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
「決まりだね。アヴァリティア・ラティだよ。アヴィでいい。宿屋『ホワイトダリア』の主人さ。」
そう明るく言って、手を差し出してくる。
「よろしくアヴィ。俺はシルヴァ・マルス。無職、宿無し……だったけど今見つかった。」
カラカラと笑うアヴィと軽く握手をして、買い物袋を引き取ると俺は彼女の後を歩き出した。
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