ボクにとっての、“新潟の味”
もちろん、美味い米である。
『米処』と呼ばれているんだし。
だが、個人的なことを言うと、スイカである。
全国的にどの程度の生産量だか知らないが、スイカだ。
国道だか県道だかと海の間の砂の多い場所で、時折、スイカを植えてあるのを見たこともある。
でも、それは出荷を目的にした“畑”と呼べるような立派なものではなかった。
それでもスイカなのだ。
ボクの父親が新潟の人で、幼い頃から中学生の頃まで、毎年、夏には帰省に同行していた。
だからボクは、厳しい新潟の冬の姿は知らない。
昔の新潟は新潟弁が強くて、最近のテレビ番組の中で新潟の人がインタビューできれいな標準語で話すのを観て、驚いたことがある。
そして、毎年、特に幼い頃に、必ずあるやり取りがあった。
遊んでいると、なんとなく「あの辺りの家に住んでいる人」程度にしか知らないお婆さんに、呼び止められるのだ。
「ねらー(君たちは)、○○の家ん子かー?」
○○には、昔の人らしい『○之助』とか『○衛門』とかが入る。
たぶん家号みたいなものだと思う。
父の故郷は、1つの村に本家やら分家やらがたくさん住んでいた。
別に本家が威張っていたりすることはないが、同じ名字の家が多いのだ。
識別の為の目印みたいなものだろう。
『○之助』とか『○衛門』とかは、たぶん分家した当時の、家長の名前だと思う。
自分の家がなんという家号かは知っていたから「うん」と返事する。
すると、低い声で「大阪から来たんだっかー(来たのかい)?」と来て、細く高い優しい声になり「スイカ持ってけーやー(持っていきなよ)」と来る。
ほぼ、知らないお婆さんである。
「え、あの……」と戸惑ってしまう。
ここからだ。
苛立ったのか、そーゆー話し方が方言なのかは知らないが、ブチギレたかのような大声で「持ってけって言ってんだッやぁァァァァァッ!!!!」と叫ぶのだ。
そう、ほぼ叫びだ。
吼えると表現してもいい。
これが、幼心に、かなり怖い(笑)
迫力に気圧されてスイカを持って帰り父に報告すると、父はその家に出掛けて行って、帰省の挨拶といつまでかの報告とスイカのお礼を言う。
これが、帰省の挨拶を求めたきっかけ作りではなく好意である証拠に、帰省の間中、この差し入れは頻繁にもらえる。
最終日には、土産として2個になる。
おかげで帰省中は、かなりぜいたくなおやつタイムを過ごした。
このスイカが、砂地で見るスイカと違って、まるまると大きく立派なのだ。
切って切って切りまくらないと、冷蔵庫に収まらない。
雪国の夏らしい、暑くはないが明るい陽射し。
海沿いの村らしい涼しい風。
ちょっとたっぷりめに食塩をかけたスイカを次から次へとシャクシャクと食べる。
それが、ボクの子どもの頃の新潟のイメージだ。
あ! そうそう! 『桃太郎アイス』!
新潟以外では見たこと無いなぁ。
スティックの刺さった氷菓アイス(と言うのかな?)で、脆くて、気をつけて食べないと崩れて落ちるイメージが残っている。
売ってるお店の、冷凍庫の設定温度が悪かったのかな?
どピンク。
『桃太郎』だもん。
独特の香り付けがされてたような気がするけど、味はなぜか『たっぷりとシロップをかけたイチゴのかき氷』みたいだった気がする。
『桃太郎』なのに。
帰省中のボクらの友。
こんな時代だから改良されてるだろうけど、舌がピンク色に染まったような気がする。
遠い記憶だから、勘違いだろうか?
お魚、特にお刺身がとびっきりに美味しかったように思うが、子ども時代だったから、『スイカ』と『桃太郎アイス』が、ボクにとっての『新潟の味』なのだ。