魔王ちゃんと運命の決戦
「いい加減にしろテメェ、おちょくってるのか……?」
え?
声を漏らすこともできない。
勇者の気迫は怖い。距離があるのに首を押し潰されてるみたいな。
ゆらりと勇者は絨毯を歩く。
「どんな罠でも潰してやると付き合ったら、なんだあの茶番? 人を馬鹿にするのもたいがいにしろよ」
怒ってるすごい怒ってる信じられないくらい怒ってる。
怖い怖い怖い。
でも。
でも怖がってちゃダメだ。
魔王なんだから。
魔王はあたしなんだから。
運命の決戦なんだ。
玉座から立ち上がろうと思った。
立ち上がれなかった。
練習したセリフなんて、頭のどこにも残ってなかった。
口を開いたけど、声の欠片も出なかった。指が震えて動けない。息さえままならないくらい。
勇者が本気でにらんでる。
バルコニーで感じた怖さなんて比じゃない。
本当の本気で睨まれるっていうのは、こんなに怖くて怖くて、
動けない。
「勇者ァァ! 魔王様を怖がらせぴっ」
消え……? 違う。勇者が玉座の隣で屈んでいた。
腕を伸び切って、剣が振り抜かれてる。
首を傾げたメイドが、そのまま頭から倒れた。
それを見下ろす勇者の目が。
怖いくらい冷たくて。
「うるせぇんだよ。すっこんでろ」
「……ッ」
死ん、殺され……!?
次の瞬間、あたしの身体は宙に浮いてた。首が拳でぎゅっと押し潰されて、脇がこすれて痛みに燃える。目が回った次の瞬間には、背中から全身に衝撃が走った。
投げられたんだ。玉座から、階段下の床に。
勇者があたしを見下ろしている。剣をあたしに突きつけている。
「魔王。魔族がなにをやったか知ってるか?」
身動き一つできない。
怖い。
「俺がなんでお前に剣を向けるのか、分かるか」
勇者に対してだけじゃない。
わからなかったからだ。
勇者の言ったことも、勇者がなんで怒ってるのかも、わからない。
あたしは、自分が魔王ってことと、メイドの言うことしか、知らない。
「けっせん……」
「なんだ?」
「うんめいの、けっせんを……しなくちゃ。あたしは、まおうなんだから」
がちがちと歯の根が合わないし、指先まで力が入んない。怖すぎてもうわけがわかんない。
あたしにわかるのは、
あたしが魔王だってこと。
それだけ。
「運命の決戦、ね。その結果どうなるか、分かって言ってるのか」
勇者は鼻で笑ってあたしを見下す。
答えられない。考えたこともなかった。
「ああなる。俺たちのどちらかが」
勇者が顎で指した。
メイドが身体をねじらせて倒れている姿を。
「ひぐっ」
喉が鳴った。
「ひっ、ひぐっ、えぐっ」
しゃくりあげて止まらない。
怖い。怖い。嫌だ。
ああなるのも、
ああするのも。
「俺はな、自分が嫌いだ」
唐突に。勇者が言った。
「生まれた瞬間から、誰かを殺すためだけに生きる人間。そんなやつ、狂ってるだろ」
勇者の目つきは悪い。すごく悪い。
ありとあらゆるものを睨みつけているみたいに。
「好きで勇者になったわけじゃない。なのに周囲は期待するし、剣の腕がうまくなきゃ殴られる。魔族からも目をつけられて村は焼かれるし、両親は俺を逃がして串刺しになる。それで世界が救えるなら、だってよ。ふざけてるよな」
剣があたしに添えられる。痛い。冷たい。体温が金属に奪われるのを感じる。命を少しずつ奪われているみたいに。
「魔族は俺を見ると、逃げるか殺しに来るか、どちらかだ。人間は俺を見ると、絶対に殺せと持て囃す。そんなに俺に殺させたいか」
「なにを、言って」
にらまれた。
見られただけなのかも。分からない。
「だけど。俺と同じ運命のヤツが一人いると思うと、旅を続けられた。誰だかわかるか」
わかった。
「あたし……?」
勇者はうなずいて、でも首を左右に振った。
「だけど、違った。城下町に入ったら、ようこそと言われた。名物を食っていけと言われた。お土産をもらっていけと言われた」
勇者の剣が震えてる。ちくちくと痛みが上下する。
でも――怖い痛みじゃなかった。
「誰も、俺を殺そうとしなかったし、殺せとも言わなかった」
剣はあたしを斬っていない。
薄皮一枚裂かれない。こんなに震えているのに。
「出会った魔王は、バカだった。頭悪いセリフを準備して、だっさい衣装が似合ってなくて、とにかく料理を食わせようとする田舎のばあちゃんみてーな発想してる大間抜けだ」
勇者は、
「俺は、なんだったんだ……?」
泣いてた。
ど、どうしよう。
起き上がっても、勇者は剣を向けてこない。立ち上がる。
背の高い勇者は、背中を曲げて顔を隠していた。
えっと。
「よ、」
勇者に手を伸ばしてみる。背伸びをする。
「よし、よし。よしよし」
あってるかな……。
勇者の頭を引っ張り込んで、抱きかかえて、頭をぽんぽんとしてあげる。
「よしよし。つらかったね。でも、ずっと頑張ってきたんだね。みんなのために。期待に応えるために、嫌なことも、ずっと我慢してきたんだね。勇者は、えらいね」
息を止めていた。
怖くて強くてすごい勇者が。
「勇者はすごいね」
震えが、隠せてない。
ふと見れば、玉座の脇でメイドが不機嫌丸出しの顔で胡坐をかいてる。お行儀悪い。ものすごく不満なときメイドはああなる。
ていうか、メイド、死んでも生き返る系だったんだね。心配して損した。
「しー……」
あたしがメイドに合図すると、露骨にムスッとしたけれど、大人しく待ってくれるみたい。
声を殺して泣き続ける、強い勇者がまた立ち上がるまで。
「よーし、よし」
ぽんぽん。
あってたみたいで、よかった。
嫌なことも、ずっと頑張ってきたんだね。みんなのために。きみは偉いね。
ぽんぽん。
明日も更新します。