お招き預かりたき者
そもそも何を測るものなのか…?
テーブルの両端に置かれたプラスチック製の置物
それがきちんとカメラフレーム内の在るべき場所に収まっているのか?
れもんはカメラファインダーとテーブルの向こうを何度も行き来して、微妙な調整を繰り返す
本来なら収録前に行うべきこの様な段取りを、堂々と動画の冒頭に持ってきてしまう辺りが、臨場感を大切にする"れもんチャンネル"の醍醐味である
その様な評価を下した者が、もしかしたらこの世に一人ぐらい居たかも知れない
「……こんにちは… …れもんです…… えっと… 今日はゲーム実況…… していきたいと… …思いましりゅ……」
臨場感を大切にするので当然、台詞を噛んだぐらいでは録り直しなどあり得ない
ずぼらなのではなく、適当なの訳でもない
ただただ臨場感… ライブ感を大事にするスタンスが故だ
「えっと… 今日のゲームは…… ……なんだっけコレ? ……えっと…… ……オイル?」
事務所との契約を解除されたれもんにとってゲームは最早宣伝商材などではなく、従ってその実況とは完全に彼女の趣味嗜好に基づく配信となる
題材となるゲームは、必ずしも流行や人気のそればかりとは限らない事だろう
寧ろマイナーな部類を取り上げるケースが増える事が予想される
しかしそれは動画配信界の大人気コンテンツである"ゲーム配信"の大海の中に於いては、逆に存在感を示す好材料になる筈だ
ただ憂慮すべき点を一つ上げれば、彼女の規格外な迄ににエキセントリックな感性に因って、"ゲーム"が広義的な意味の範疇に収まらない可能性がある事だ
「オイル…… タイム…? ……タイマー…? そう、オイルタイマー…! オイルタイマー… 対決です!」
ババンと派手な効果音と共にタイトルコールは為された
フリーとなって初めてとなる今回のゲーム実況は、どうやら狭義の方に当てはまってしまった様である
「キレイですよね…… これ……」
それはインテリアショップで見初めたお洒落雑貨
満たされたオイルの中を色鮮やかな水玉が踊る… 何の為に存在するのか良く分からない… 恐らくは時間を… 見る者の時間を盗む為のクライムグッズ…
そしてれもんは物の見事に心と時間を奪われ尽くした
緑色の水玉達が小さな水車を撫でて落ちる一品と、桃色の水玉が列を成して坂道を下る一品…
取り分け魅入られたその二品に、とうとう財布の中まで奪われての両方買い…
今回の"ゲーム"とは、その二品の魅力の優劣を対決形式ではっきりさせる、というコンセプトなのだ
せっかく大出費したのだからネタに利用したい、などという浅ましさの発露では断じてない
「……それでは… …いきますよ……」
テーブルの向こうでれもんは両手にオイルタイマーを掴み上げ、それをクルリとひっくり返す
"いやいやちょっと待ってくれ… コレの何処がゲームで、いったい何の対決なのか…?"
そんな動揺を示す新参に…
"れもんチャンネルを再生してからにはそのリアクションは愚である… ここはそういう場所なのだ…"
…とベテランが諭す
光景は多分広がらない
「……スタートです!」
掛け声と共にオイルタイマーは再びテーブルに戻され、ゲームは多分開始された
一切の説明が成されぬままだが、推測するに恐らく、"先に水玉が全て落ち切った方の勝ち"、的なルールなのだろう …それしか考えられない
オイルタイマーはその名の通り時間を測るものではあるのだが、砂時計ほどの精密さは持ち合わせていない
今回対決の場に駆り出された二品はどちらも五分を目安として作られているのだが、その途中形状の違いもあって結構なラグが生じる
彼女はそこにゲーム性を見出だしたのかも知れない …それしか考えられない
果たして水玉が早く落ち切る事とオイルタイマー自体の魅力の間に、どんな因果関係が存在するのか…?
見る者全ての素朴な疑問を置き去りにしたまま、新生れもんチャンネル初のゲーム実況はこうして幕を上げた
「やべぇぞ、コレ……」
男は屈辱の呻きを上げた
それなりの場数を踏み、幾多の修羅場を潜り抜け、多少の事では動じないだけの経験値を積んできた矜持があった
そのプライドに傷が付けられたのだ
男の仕事は産業廃棄物処理業である… 平たく言えば…
生半可な気持ちでは決してこなせない、白黒ワーキング理論とは無縁の稼業である
捌いても捌いても尽き果てる事のないゴミの山…
社会の底辺のそのまた残滓を、濾して掬って口糊を凌ぐ… そんな屈辱感…
時には犯罪臭の漂う禍物を、またある時には手傷を負う様な危険物を、心を無にして扱わねばならぬ時もある…
はっきり言って堅気の業ではないその道を、ひたすら歩んできた自負が揺らいだのだ
「………こんな……」
次の呻きは主に抗議の成分で形成されていた
誰に対する抗議か、と問われれば答えに窮する
強いて言えば"神"…
こんなイレギュラーは人智の司る範囲ではない
己は決して未熟な訳ではないのだ、という自己弁護
それをしたくなるだけの理不尽さ…
「……マジかよ……」
三度呻く
男の取り扱う"産業廃棄物"は、一般で呼ばれるそれとは些か形状が異なる
産業廃棄物の定義そのものからもはみ出すかも知れない
それは虚無の大海原に日々と産み落とされ、波打ちと共に寄せては積もる膨大な芥…
ただそこは所謂塩の湖ではなく、電子情報の錯綜する仮想空間、インターネットの世界…
男の仕事はそこに"宝"を探す事
価値を見出だされる事なく遺棄され、または利用価値の残されたまま放棄された山盛りのツール、アイデア、コンテンツの中から、ビジネスの匂いを嗅ぎ付けるのだ
日がな一日パソコンに向かいインターネットの世界に埋没しているのは、傍目にはそう映ったとしても、決して現実逃避や持て余した時間の消費の為ではない
事実、そうやって今まで幾つもの金脈を探り当ててきたのだ
だが、そのキャリアとセンスが通じない事態…
「……………………」
ついに呻きも止む
今、男が着目し、注力しているジャンルの一つが、ユーチューバーを代表とする動画配信の分野である
既存の宣伝媒体に代わる新たな手法としての可能性に気付き、他の数多の野心家と共に未開のその地に分け入ったのは数年前…
競争激しい世界で同業者どもを出し抜く為、電子の産廃業者を自称してアプローチポイントを変えた男は、爆発的に増殖し続けるその中から埋もれた才能を発掘する事に精力を注いだのである
そうして出会ってしまったのがその一本…
まるで呪いのビデオの様に、男は心臓を冷たい魔の手で鷲掴みにされ、身動きを封じられてしまった
微かな噂も聞き漏らさぬ様、ネットの世界に耳を側立てては、多種多様な異人、変人、超人と呼ばれし者達の姿を文字通り目に焼き付けてきた
発掘した"才能"の欠片は両手の指では数え切れない程である
その豊富なキャリアを以てしても、モニターの隅に見切れるこの女…
膝を抱いたまま身動ぎもせず、テーブルの上の観賞玩具を見詰めるこの女の配信を理解する事はできなかった
果たしてこれは、動画配信界に革命をもたらす天女降臨の様なのか…?
それともインターネットの闇が産み出したクリーチャーの目撃なのか…?
その判断がつきかねていたのだった
「……いやいやいや、おかしいでしょ……」
冷め切ったコーヒーを漸く喉に流し込んだのは、動画終了から五分も後の事だった
「……ふぅ~………」
ずっと止めていたのかと錯覚する程の深いため息
同時に膝の拘束を解いて四つん這いになり、画面の中央にフェードインするれもん
視聴者の視界の半分以上を尻で塞ぐ格好はモニター越しとは言え失礼極まり、完全なる構図の崩壊でもあるのだが、今はやむを得ないのだ
"対決"がクライマックスなのである
「赤…… ピンク… の勝ち… ですね……」
ジャッジマンれもんの目の前でピンクの水玉の最後が落ち切った様だ
お陰でここまで付き合った哀れな視聴者にはその瞬間、彼女の尻の大写ししか見えていないという何とも酷い事態と相成った
「……ちょっと… 予想外……」
更には何処ぞの田舎の原初的吉凶占いにも通じる感のあるこの謎の競技とも言えぬ競技に、彼女なりの予想が存在したという驚愕の事実が視聴者の唖然に重ねて追い討ちをかける
しかも二者択一のそれが外れるのが"ちょっと"の相違だと宣うのだ、もう乾いた笑いも起こらない
「……えっと…… 如何でした… …か? あの… もっと… やって欲しいゲームがあったら…… ……コメント欄に… でも……ね…」
空の器を出されたのに味の感想を求められた様な不条理感…
加えて視聴者の疑念に改めて深いダメ押しのトドメを刺す"ゲーム"宣言…
何一つ説明も感想もないままの閉め展開…
「……バイバイ」
それらのモヤモヤを全て置き去りにして、最後の瞬間まで自分勝手を押し通すれもん
カメラに向かって手を振るその表情には疲労の色が若干混じり、疲れてんのはコッチ側だよ、という僅かな視聴者からの総ツッコミを距離的可聴音域の外で受けながら、今日の画面も暗転した
お洒落通りと呼ばれるその繁華街
とあるお店のフルハイトガラスを全身鏡に見立てて、身だしなみの最終チェックに余念がない一人の娘…
れもんである
これでも一応、年頃の娘として人並みにファッションへの造詣も持ち合わせており、今日のチョイス、白シャツワンピースとブラウンのショートブーツのコンビは、れもんの勝負服とも言うべき究極のお気に入りであり、最高格式のお洒落正装でもあるのだ
自身でも魅力補正+20と査定するそれに身を包むという事態はつまり、今日はれもんにとっての"特別な日"である事を意味する
「………………」
様々な角度からの見て呉の妙を、自分なりに研究を重ねた種々のキューティーポーズを取りながら確かめていく
アンニュイな私… クールな自分… エレガントなれもん……
一通り手応えを感じた後、ガラスに映るいつもとは違う己と真正面からアイコンタクトを交わし、後頭部に止まったオオムラサキ… を彷彿とさせる青い髪留めリボンの羽の角度を微調整する
この日の為、究極一張羅をアクセントで引き立てると見込んで調達したそれは、痛い臨時出費相応の効果は確かに発揮した
そう思ってれもんは満足の頷きを心に果たす
完璧なデキである
「「………………」」
その様の一部始終を板ガラスの向こう、そのレストランで一番見晴らしの良いせっかくの席で見せられ続けたカップルは、挙動不審な女が背を向け立ち去った事で漸く二人の時間を取り戻す事ができた
「……やばっ 時間…!」
三ヶ月ぶりに身に付けた腕時計、それを覗いたれもんは歩みを速めた
待ち合わせの時間まで五分を切っている
気合いがまたしても微妙に空回りだ
自戒の意味を込めて側頭部をコツンと叩く
今回は遅れる訳にはいかない
何せもう散々待たせたのだ
待たせはしたのだが、間接的には自分も被害者であると思う
何故ならあの歪んだ自分縛りが原因だからだ
駆け出し動画配信者としての不安と葛藤から逃れる為に課したマイルール、投稿動画に対するレスポンスは丸一日確認しない、はフリーとなり最早新人とは呼べなくなった今でも継続しており、寧ろその開放感と世俗に流されない孤高の表現者ライクな自己陶酔が癖になり、今では二日、三日とルール適用期間が伸びていた
要は気にしなければ気にしない程、動画配信者として成長できた気分になれたのだ
確かにそれにはなかなか認められぬ境遇に世を拗ね、いじけ行動の側面もあったのかもだが、今の志は最初期よりも遥か高みにある事も間違いない
しかしながら、手前で動画のコメント欄にメッセージを寄せろ、と宣いながらその間接的無視にあたるマイルールの適用は当然ながら副作用も生む事ななる
数少ない視聴者のコンタクトに塩対応となるのもそうだが、今回の様なケース…
ビジネスパートナーとしての申し出… アポイントメントを黙殺するという非礼を犯してしまう事態もだ
"貴女に興味が湧きました お手伝いさせて欲しい 会ってお話したい"
…そんな意味の文言と連絡先を認知したのは動画投稿から三日後、就寝前のリラックスタイムに氷水に黒糖を振り掛けただけのオリジナルドリンク、"波照間ティー"を堪能していた時だった
正直、事務所から契約を解除された後、主に資金繰りの面で動画配信活動の限界を感じていたれもん
親元を離れて分かるその有り難み… 的な慚愧の念を、ひしひしと身に染みて感じていた今日この頃…
マネージメント事務所代表を名乗る者からのその申し出はまさに渡りに船であり、同時にまだ自分に対して興味を持ってくれる業界関係者が存在した事実が、れもんの心を大きく揺さぶった
それは口に含んだ砂糖水をモニター上に満遍なく噴霧する程の衝撃であったのだ
…なのに ……それなのに…
そんな大事な船とラブコールを丸三日間放置してしまったのだ
まさに痛恨事
三等客室がお似合いの無名底辺、普通に考えるなら船にはもう乗り遅れで、手配師の興味も既に他に移ったと考えるのが妥当だろう
次回動画のネタと食生活の足しとで一石二鳥だなどと称し、もやしの育成などに現を抜かして、結果目の前に差し出されていた極甘の鳴門金時に気付かなかったという訳だ
れもんはそんなよく分からない喩え話を頭の中に膨らませてから、後悔の念の赴くままに側頭部を何度も殴打した
ダメ元で送った遅れ馳せながらの返信
例えダメでもシカトと言う訳にもいかない
一応、体調不良で伏せっていたとの偽りの弁明も添えた
最低限の大人のマナーと思ったのだ
"お身体を大事に 快気してからお会いしましょう"
だがなんと、幸運の女神はまだれもんを見捨ててはいなかった
奇跡とも言うべきか、そんな意味の再返信を受け取る
そこまでに自分の才能に惚れ込んだのか?
或いは仮病の嘘が余りに迫真過ぎたのか?
少し余裕が出ると途端に擡げる自己陶酔を再び側頭部への打撃で振り払うと、れもんは額面の意味通りに運命の人との逢い引きを決意したのだった
「軒多さん!」
待ち合わせの時間よりほんの少し遅れて喫茶店へと入ってきた女
慌てた様子で店内を見回すその姿を認めて、男は立ち上がり手を振る
「!!」
まるで化け物にでも出会ったかの様な、ギョッとした表情
目を見開き、信じられないと言わんばかりの顔で此方を見詰める
男はイケメンを自認する程ではないが、人並み以上に身嗜みは整えているつもりだった
何がそれ程までに驚かせてしまったのか見当もつかないが、今度はできるだけ優しい笑顔を意識して手招きする
「は… 初めまして…… の… ……申します」
男の座る席に寄ってきた女は多分、その場で自己紹介をして見せた
両手で何か… 四角い箱を…? 広げて…? 差し出す… 感じの意味不明な謎ジェスチャー… 何かをプレゼントしてるつもり…? なのか… を交えながら、聞き取れない程のか細い声でボソボソと呟くその姿は、ある意味彼女の動画から抱くイメージそのままで、その点は評価できると早くも心の採点票に丸を一つ付けた
多くの女性配信者が武器とする、"動画キャラ"という名の変身スキル
可愛らしく、時にツンデレで、またある時は不思議ちゃんになる、主に男性視聴者の歓心を買う為のポピュラーな手法
だが、この男にとってそれはマイナス査定の要因となる
男はできるだけ"賞味期間"の長い"商品"を望むのだ
その上で、無理なキャラ造りは直ぐに齟齬を生み足枷となる事を知っているのだ
要はやる方も見る方も疲れてしまう
素朴且つ淡白な普及品の方が、洗練された高級品より愛用されるという事は間々にして起こる
それは宣伝媒体としての動画配信者も同じなのだ
「どうも、呉山です… さぁ どうぞ座って」
ただ、動画そのままの面妖過ぎるオーラに因って、早くも周囲の客が訝しげな様子を見せ始める
少なくとも素朴で淡白な要素は目の前にない
男はそれを察して素早く席に付かせた
「飲み物、何かどうぞ」
メニュー表を渡す
まずは緊張を解いてやろうという訳だが、それ以上に玉の様な汗をかく彼女の体調が少し心配だった
「身体の調子、大丈夫?」
受け取ったメニュー表を開いた女… 軒多れもんは、そこに向けられていた視線をチラリと此方にくれると
「お… お陰様で……」
苦悶とも照れ笑いともつかない不可思議な表情で呟いた
なんとなく大丈夫には見えないが、静観するしかない
彼女の代わりにアイスコーヒーをオーダーしてやる
「………あの…」
「…ん?」
二三、雑談でもしてから、と思った所に彼女の方からの切り出し
「どこかで… お会い… ……しました ……っけ?」
男はほんの少し焦る
これまで面談に及んできた"廃棄物"達の数は百を下らない
面談にまで至らなくとも、パイプ作りの為に参加したオフ会なる懇親会の場で挨拶程度を交わした"物"なら更にその数倍…
正直、その全ての対象を記憶しているかと問われれば、自信がないとの答えが本音
もしかしたら非礼の可能性も…
だが、男は直ぐにその疑念を解くかの様に頭を振る
「…いえ、初対面ですよ」
当たり前である
こんなインパクトのある女、会って忘れる筈がない
そうそう居てたまるか、との思いもある
思いはあるのだが
「一度会ったら忘れる訳がないですよ、こんな美人さんの事…」
大人の男としてのマナーから、極めて凡庸な社交辞令に変えてその理由とした
確かに目の前の女は不美人のカテゴリーではなかろうが、女性配信者としては取り立てる程の事もない
少なくともその見て呉だけでは人気を博するのは不可能であろうと、心の採点票にある容姿の欄に三角印を付けていた
「ブフォッ!?」
多分、何も口に含んでいなかった筈だが、目の前の女は何かを口から豪快に吹き出した
正体不明の飛沫が男の顔を襲う
「だ、大丈夫?」
「す… すびません……」
赤面しながらハンカチを取り出し、男の顔を拭おうとする彼女に、気にしないでと聞かせて席に戻した
「……でも、どうしてそんな事?」
多分、社交辞令を真に受けて感情が沸騰したのだろう
沸騰しそうな女だ
その結果の醜態
だが、女に恥をかかせるのはポリシーに反する
然して興味は無かったが空気を変える為、丁度運ばれてきたコーヒーを啜りながら敢えての質問返しに踏み切る
「………いえ… 随分と… …フレンドリーに… 声を掛けて頂いたので……」
「ブッホォッ!?」
今度は男が豪快にコーヒーを噴霧した
「だ… 大丈夫… ですか…!?」
再びハンカチを差し出す彼女のその手首を、男はむんずと掴んだ
「君の"それ"はいったいどこまでが本気なんだい?」
射る様な視線だったと思う
どうしても心の奥底を覗きたかったのだ
キャラ造りではないのはもう分かった
だがしかし、動画も含めて本当に彼女のこの全てがノンフィクションなのか?
台本も筋書きも一切存在しないのか?
それが知りたかった
不自然と不可思議が過ぎて余りにもナチュラル
査定されているのは実は俺の方?
この出会いの席も彼女のフューチャーダイアリー的なものに則ったデイリーミッション的なもので、ネット界の風雲児を自任するこの俺を弄んで手玉に取り、己の哲学的独尊自慰世界の背景の一つに取り込んで、あまつさえあの珍妙極まるインチキ自己啓発セミナーライクなチャンネルのネタに使わんとしているのではないか?
そんな何とも上手く表現できない疑念… 狐に騙されているかの様なそれが次々と湧いて出た
「……それ… とは?」
男の困惑には当然気付く訳もなく、そうポツリと反芻して手にしたハンカチを見詰める女
「違う、君のユーチューバー… 動画配信者としての本気度を知りたいんだ」
姿勢を正して、今度は真正面から彼女の顔を覗き込む
「……本… …気…… …度?」
女もそう呟いて俺の顔を見詰め返した
「君は動画配信者としていったい何がしたいんだい? どうしてどんな存在になりたいんだい? その答え次第で、僕の本気度も変わってくる」
全くの嘘だった
ユーチューバーなど、動画配信者など、宣伝手法の一つとしか考えていない
何になるも糞もない、ユーチューバーはユーチューバーにしかならない
それより上も下もない
それが持論である
そしてそれが金になるからプロデュースする
ただそれだけ
本気度も糞もこれまたない
だからその質問は、全くの純粋な個人的関心からのものだった
いったい何の為に、何がしたくてあの様な… "凶行" …とも言うべき動画投稿に及んだのか?
その真相が純粋に知りたかったのだ
「………………」
項垂れる様に視線を落とす女
恐らくこれまで、面と向かってこんな質問をされた事などなかろう
考えた事もなかろう、それも分かっている
答えは今この瞬間に見つけてもよいのだ
それを聞かせて欲しいのだ
複雑だが、それが自分自身の知見の範疇にあって欲しいとの願いでもあった
多分少し、目の前の女に対して純粋な恐怖を抱いていたのだと思う
得体の知れないものに対するそれと似た様な…
「……嘘!? これ八百円する!?」
その女の口を突いて出た言葉は理解不能だった
彼女が飲み掛けのアイスコーヒーに両手を添えた所で、それが眼下に広がったメニュー表から察したその値段の事だと理解できた
「……すいません… ……私!」
なんで謝られたのか分からなかった
「え……? あぁ 良いよ気にしないで」
奢って貰う気満々だったという事だろうが、こっちも初めからそのつもりだし、というかそんな事を意識してすらいなかった
「……それより…」
答えが知りたかった
「あぁ… ……どうして私… いつもこんな…… こんな… なんです…… 気が回らなくて… …どうしてこんな高いもの……」
椅子の上でのたくり始めた女
「……散々待たせた挙げ句…… 今日も待たせて… その上こんな高いもの…… …というか、何でこんな高いんです?」
頭を抑えながら此方に向けてきたその瞳は充血が始まっていた
「……そんなに高くないよ… 普通」
今まで見てきたどの動画よりも饒舌な気がする女
「……すいません… ほんと、どうして私……」
何度も謝罪を重ねる女と、それを強いてる様に見える男の元に、周囲の視線が吸い寄せられていく
「……お金が… 欲しいのかい、軒多さん?」
それらには届かぬ様、小声で囁いた
ポピュラーな理由だと思うし、悪くもないとも思う
寧ろ生活に実直している分だけ、やる気と根性が期待できる
失礼な質問だとは理解しているが、そろそろ結論が欲しい
「……………………」
再び沈黙を伴って俯いた女
きっとその顔は赤面していた事だろう
「悪くないと思うよ そういう素直な欲望は成功には不可欠だ 少なくとも空虚な理想を語るよりは見る所がある …と思う」
それはただのフォローではなく多分に本音だった
「……タカアシガニの涙って…… ご存知ですか……?」
メニュー表を覗き込んだが、それらしきものは見当たらなかった
何かとてつもない独り語りが始まるのを予感して、男はウェイターを手招きした
「サンドイッチも食べる? ゆっくりと君の話を聞かせて欲しいんだ」
少し驚いた様子で目線を上げる女
「大丈夫、値段の事は一切心配ない これは今日の君への"報酬"だ」
細心の注意を払ってナチュラルな笑みを浮かべた
こんなドキドキやワクワクは久しぶりだ
あの奇っ怪極まる軒多れもんチャンネルの最新未公開が見れると思えば、安すぎる出費だろう
いったい俺は何をしているのか?
そんな懐疑の訴えが心になかった訳ではないが、この目の前の産廃にはそれを無下にできるだけの価値がある様な気がして、思わず姿勢を正さずには居られなかった
「…………す、すみません…… あ、いえ… お気遣いなく……」
女もかなり歪な笑顔と共に、男の申し出を受けいれた