第6話 守護者の鼓動 6
「これはこれは、ようこそおいでなさいました、お嬢さん」
学園の屋上を覆う空は、夜の色に、染まりつつあった。
ネイビーのトレンチコートを羽織り、帽子を目深に被った、鷲宮イクトの貪婪な視線が、あった。
鷲宮は、口元には、柔らかい笑みさえ、浮かべていた。
冷たい風を、頬に感じながら、綺亜は、レイピアを、構えた。
「決闘と、参りましょう」
鷲宮のコートが、ばたばたと風に揺れた。
「こんなことをして、学園の皆を巻き込んで……許せない。貴方は、一体、何がしたいの?」
と、綺亜が、言った。
屋上まで駆け上がってきたため、綺亜の息は、乱れていた。
「いつぞやの時に、言った通りですよ」
と、鷲宮は、言った。
「倉嶋レイアには、随分と前に、借りがあるのですよ。それを、返したいのです」
「……」
綺亜は、押し黙った。
「残念なことに、当の倉嶋レイアは、過去の人だ。だが、彼女の忘れ形見である、貴女は、いる」
と、鷲宮は、言った。
「格好悪いわね。要は、仕返しがしたいってこと?」
と、綺亜が、言った。
鷲宮は、にやっと笑って、
「どう捉えてくれても、構いませんよ。私は、私のしたいことを、するまでです」
綺亜は、鷲宮と対峙しながら、状況を、把握しようとした。
鷲宮の攻撃は、影を媒介とするもので、"影法師"は、対象者の影と、その意識を縛る魔術である。
体育館での襲撃では、影そのものを針に変換することでの、物理攻撃をも、行ってきた。
綺亜は、屋上を、見渡した。
屋上には、フェンスととベンチと給水塔と階下に続く扉があった。
(影は、たくさんある……どこから、攻撃がくるのかわからない以上、迂闊に、攻め込むのは、危険だわ……)
と、綺亜は、考えた。
(フェンスの影が届いていない、この場所から、隙を突いて、一気に決める)
相手を睨みつけたまま、綺亜は、迎撃の態勢をとった。
鷲宮は、肩をすくめた。
「動かないつもりですか。勇猛果敢な物言いとは逆に、何とも、後ろ向きな戦い方だ」
と、鷲宮は、笑った。
「安い挑発は、止して、ささっとかかってきたら?」
と、綺亜が、言い返した。
「それも、そうですね。そちらから来ないのならば、こちらから、行かせてもらいましょう」
ゆっくりと歩を進める鷲宮を、視界に捉えながら、綺亜も、レイピアを構えた。
「くくっ。貴女は、本当に、あの倉嶋レイアの娘なのですかねえ」
と、鷲宮は、笑った。
「だったら、何よ」
「いえ。どのくらいやるのかと、少し、楽しみにしていたのですが、全然、足りません」
気付けば、鷲宮の影が、綺亜のところまで、伸びていた。
「しまっ……」
と、綺亜が、声をあげた。
鷲宮の影が、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐のように、濁った。
「足元が、お留守ですよ」
突如、鷲宮自身の影から生成された、影の縄が、綺亜の、右脚を絡めとった。
「あぅ……っ!」
綺亜の白いふとももに巻き付いた、影の縄が、さらに、きつく食い込んだ。
綺亜は、右手に握ったレイピアで、影の縄を断ち切ろうとしたが、新たな影の縄に、右手を、絡めとられた。
綺亜の身体が、影の縄に、強引に引っ張られて、鷲宮との距離が、一遍に狭まった。
「……!くっ」
左手に持ち替えた、レイピアを前に突き出した、綺亜だが、それよりも速く、鷲宮の影から、生み出された、影の剛拳が、綺亜の腹に、突き刺さっていた。
「……ぐ……!」
綺亜は、苦痛に、目を大きく見開いた。
「蛙の鳴き声のような声をあげて、お嬢様が、はしたないですよ」
と、鷲宮が、言った。
息が詰まって声が出ない、綺亜の身体が、かたかたと揺れていた。
「弱いですねえ」
と、何とか放った、綺亜のレイピアの一撃を、難なくかわした鷲宮が、すれ違いざまに、言った。
「"守護者"の力、どれ程のものかと思えば、この程度ですか」
レイピアの下からの薙ぎ払いも躱した鷲宮は、ぐっと綺亜の腕を、掴んだ。
「母親から受け継いだのは、その美貌だけですか」
と、鷲宮が、言った。
「汚い顔を、近付けないでよ!汚らわしい」
と、綺亜は、鷲宮を、睨みつけた。
鷲宮は、綺亜の罵倒を楽しむように、受け流して、
「なるほど。上品さも、足りなかったようだ」
膝をついた、綺亜の顔を突き出させた鷲宮が、笑った。
鷲宮の影から、新たに、影の腕が、三本、生み出された。
三本の影の腕は、綺亜の胸と腹と脚を、順々に、打った。
「……あ……ぐ!」
綺亜が、苦悶の声をあげた。
三本の影の腕が、今度は、一度に、綺亜の鳩尾を、激しく打った。
綺亜の口から、乾いた絶叫が、漏れた。
綺亜の左手から、レイピアが、落ちた。
鷲宮は、気を失いかけた、綺亜の髪を、乱暴に掴んで、顔をあげさせた。
「娘が、この様では、倉嶋レイアも、浮かばれませんねえ」
「……!」
綺亜は、薄れていく意識の中、鷲宮を、睨みつけた。
「反抗的な目だけは、一丁前ですね」
影の拳が、綺亜の身体に、めり込んだ。
「……ぁ!」
「良い表情だ。悪くない気分ですよ、お嬢様」
と、鷲宮が、冷笑した。
綺亜は、度重なる痛みに、意識が、白濁しかけていた。
「貴女は、稀代の騎士、倉嶋レイアの、残り滓です」
と、鷲宮は、言って、
「いや。こんな出来損ないを遺した、母親も、やはり、戦いに憑りつかれただけの出来損ないかな」
「お母様を……侮辱……するな!」
苦痛に顔を歪めながらも、声を絞り出した綺亜の胸に、鷲宮の拳撃が、加えられた。
「侮辱では、ありませんよ。思いきり小馬鹿に、しているのです」
鷲宮に、蹴り飛ばされた、綺亜の身体が、ごろごろとコンクリートの地面を転がった。
仰向けに倒れたまま、綺亜は、動けなかった。
「あまり、苦しませるのも、不憫だ。この辺りで、終わりにしましょう」
と、鷲宮が、言った。
(私は……"守護者"……なのに)
左腕が、綺亜の顔を、隠していた。
綺亜は、自身の瞳が、潤んでいるのを、感じた。
(何も……何も……)
不意に、肩の辺りが軽くなった感覚がして、綺亜は、はっとした。
綺亜は、温かさを、感じた。
気付けば、綺亜は、後ろから支えられる格好になっていた。
「か……な……た……?」




