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第4話 巡り合いの交錯 7

 地下五階である。


 (おおやけ)にはされていないフロアである。


 そのフロアに、その極秘の研究施設はあった。


 研究施設の存在を知っているのは、ごく(わず)かの者のみである。


 地下五階は、炎の海に包まれていた。


 その中で必死の形相(ぎょうそう)でパソコンのキーボードを叩いている人物が、いた。


 四十代のオールバックの男性である。


 北条製薬の臨床開発部の丹野だった。


 丹野は、


「くそっ!」


 と、毒づいた。


 鬼気迫(ききせま)るそのものである。


「くそっ……っ!」


 舌打ちなどは、とうに飛び越している。


「くそっ……!」


 悪態そのものである。


「くそ……ぉっ!」


 丹野の悪態は、叫びに近かった。


 なりふり構わず、そういう叫びだった。


「くそ……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉっ!」


 叫びながらも、パソコンのキーボードを叩き続ける丹野だった。


 なかば半狂乱になりながらも、パソコンのキーボードを叩き続ける。


 すさまじい速さのブラインドタッチだった。


「……くそがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……っ!」


 綺麗に整えられていた丹野のオールバックの髪は、乱れていた。


「春野の奴め……!」


 丹野は、吐き捨てるように言った。


「本当に、気がふれたか」


 次々とパソコンの画面に表示される情報を、次々に確認していく。


 すさまじい速さである。


「研究記録の全てを、暴露する気だったのか」


 丹野の言っていることは、まさに言葉通りである。


 研究施設の研究データの機密保持プログラムのロックが、最大レベルで解除されつつあった。


「このセキュリティロックマンドも、受け付けないか……!」


 丹野は、苛つきながら、キーボードを、叩き続けた。


「面倒なことをしてくれる!」


 丹野は、会社の中では、いわゆる、たたき上げの部類である。


 上司や同僚や部下を、蹴落としたり、利用したり、犠牲にしたりしてきた。


 だが、それは必要悪であるというのが、丹野の持論だった。


 丹野にとって、出世街道を邁進(まいしん)するのに、建前や綺麗事は邪魔だった。


 実力で勝って、ポストを奪った上司から、逆恨みを受けたこともあった。


 本人に落ち度のない部下を、丹野自身の利益のために、排除したこともあった。


 表に出せないようなダーティーな仕事も、任されてきた。


 そうして、丹野は、この研究施設の極秘の研究に携わるプロジェクトリーダーにまで、昇りつめたのである。


 そんな丹野にとって、部下の研究員の春野は、馬の合わない人物だった。


 なにかと掲げてくるものは、すべて丹野が好みもしないものだった。


 お題目。


 綺麗ごと。


 体裁。


 すべて、丹野が今まで歩んできた過程で切り捨ててきたものだった。


 そんなものを臆面もなく前面に出されるのが、不快だった。


 不快を通り越して、わずらわしかった。


 それでも、春野を切り捨てなかったのは、春野の研究員としての優秀さがあったからだ。


 そう判断したのも、丹野自身である。


 だから、自身が招いた結果ともとれた。


 それが、逆に癇に障った。


 自身が招いた失態。


 それに苛まれている。


「くそっ!」


 悪態をつきながらも、丹野は、作業を進めていった。


 炎のせいだろう。


 身体が、熱かった。


 自身の息も、焼けてしまっているのではないかと思えるほどに、肺が熱く、苦しかった。


「この研究が世間に公開などされたら、何もかも、おしまいだ」


 と、丹野は、独り言ちた。


 丹野は、早いキータッチで、キーボードの音を鳴らしていく。


 炎が、天井の配管を舐めるように這っていく。


 コンクリートの壁が、熱でひび割れていた。


 警報が絶え間なく鳴り響く。


 赤いランプの明滅が、薄暗い研究室を、血のように染めている。


 丹野は、画面の中に映し出されたコードの列を睨みつけた。


 息が乱れる。


 汗が額を伝い、目尻に落ちる。


 視界がにじんでも、彼は瞬きさえ惜しんでいた。


「……くそ……やりやがったな、春野……!」


 画面の中央には、赤い文字で表示される警告文である。


 ロック解除プロトコル進行中という内容だ。


 進捗は、87%である。


 もう、猶予はない。


「……ふざけるな!」


 モニターを叩く拳が、鈍い音を立てた。


 耳の奥で、炎の唸りが響く。


 意識が遠のきそうになるたび、自分の頬を叩いた。


「……まだだ。まだ終わらせん!」


 丹野は、キーボードに向かい合う。


 画面の文字が流れ、丹野の顔に赤い光が踊る。


 まるで、血の色が、丹野を染めていくようだった。


 遠くで何かが爆ぜた。


 天井から鉄骨が落ち、火花が散る。


 丹野は身をかがめながら、ディスプレイを守るように覆いかぶさった。


 そうして、作業を続けていく。


 やがて、たんとボタンを叩き終わった。


 プログラムのロックの解除を、停止したのだ。


(何とかなったな)


 と、丹野は、思った。


 それから、大きく息をついた。


 舐めるように、炎が、床全体を、浸食し続けていた。


「プログラムのバックアップは、ある」


 と、丹野は、言った。


 その言葉は、まるで自身に言い聞かせているようでもあった。


「ここの研究施設は、廃棄だ。この混乱に、乗じて……」


 炎の轟音の中、丹野の耳に、


「そこまでです」


 と、凛とした声が、響いた。


「……だ、誰だ!」


 丹野の声が、上ずった。







 目の前に綺麗に整った顔立ちの制服姿の一人の少女が、立っていた。


 七色だった。


 しかし、丹野は、七色の顔を知らなかった。


 だから、丹野の目には、その少女は、場違いな存在にしか映らなかった。


 しかし、明確にわかることが、あった。


 それは、場違いに見えても、場違いではないということである。


(どこの学園だったか……)


 少女の学生服は、見覚えがあるような気もしたし、そうではないような気もした。


 少女は、立っている。


 そこに、焦りや動揺はない。


 この火の海の中で、こちらを向いたまま立っている。


 明確な意思と目的をもって、立っている。


 明らかに、普通の学生ではない。


「貴様、何者だ?」


 と、丹野は、言った。


「どうやって、ここに?」


 聞きながら、丹野は、この状況をどうするのか、考えていた。


「この数カ月の"爛"の異常顕現」


 と、七色が、言った。


「……」


 丹野の目付きが、変わった。


「原因は、ここでしたか」


 七色の髪が、火災による風で大きく揺れる。


「貴様、その言葉……」


 丹野は、腹をくくって、目の前の七色を凝視した。


「いや、ここに来ているということは、ある程度のことを、知っているということか」


 そう言った丹野は、


(この女は、消す必要があるな)


 と、冷静に、思った。


「人工的な"爛"の力の研究……ですか」


 と、七色が、言った。


「人類が一歩踏み出すための、偉大な研究だよ」


 と、丹野が、言った。


「一歩を踏み出すために、どれだけの犠牲を出したのですか」


 丹野は、


「いつの世だって、前進には、ある程度の犠牲は、つきものだよ」


 と、肩をすくめた。


 丹野は平気な顔で、そういうふうにうそぶいてみせた。


 実際のところそんなものだろうというのが、丹野自身の考えでもあった。


春野美香(はるのみか)さんを、知っていますか?」


 丹野は、にやっと笑って、


「知ってるよ」


 と、返した。


(なるほど)


 丹野は、納得した。


 目の前の少女は、春野美香という名前をピンポイントで聞いてくる。


 この時点で、相手はどの程度までかは確定できないが、ある程度までは知っているということだ。


 そして、そのある程度とは、丹野にとって致命的な程度なのだ。


 ならば、へんにとりつくろう必要もなかった。


「上で騒ぎを起こしている、春野研究員の娘だろう?」


 丹野は、吐き捨てるように言った。


 書棚の何十冊もの本に、炎が、燃え移った。


 丹野は、


「あれだけ目をかけてやったのに、恩を仇で返すとは、このことだ」


 と、忌々しげに、言った。


「やっぱり、美香さんは……」


「ご明察の通りだ」


 にやっと笑った丹野は、


「春野美香は、サンプル検体として、十二分に、我々の研究に役立ってもらったよ」


「……あの子のことをそんなふうに言う資格は、あなたには、ない」


 丹野は、眉をひそめて、


「そんなふうにとは?」


 と、言って、


「サンプル検体と言ったのが、そんなに、気に入らないのかね?」


 七色は、少し間をおいて、


「……あの子は、普通の女の子だった」


 と、言った。


「……普通に、学級委員長を頑張って、普通に、同じクラスの男の子に恋をして、一生懸命に頑張っている女の子でした」


「検体になる前までは、そうだったのかもしれないな」


 丹野は、七色を煽るように、笑った。


「だが、置かれた境遇が、悪かった。運がなかったということだ」


「……」


「ただそういう話なだけだ」


 七色は、丹野を見据えて、


「"爛"に関する知識は、一体どこで手に入れたのですか?」


 と、聞いた。


「答える必要はないな」


 と、丹野は、オールバックの髪を乱したまま、言った。


 丹野は、自身のスーツの内ポケットから、拳銃を取り出した。


「……」


 と、七色は、小さく息をのんだ。


「この至近距離だ。外しはせんよ」


 と、丹野は、笑った。


「まあ、冥途の土産に、聞かせてやろう」


「……」


「情報提供者が、いるんだよ。いや、君が、言うように、知識、と言ったほうが、良いか」


 と、丹野は、言った。


「"影法師"……奴は、そう名乗っていた」


 丹野は、拳銃を、七色に、向けたまま、一歩進んだ。


「それ以上のことは、知らない」


「……"影法師"」


 聞き覚えのある言葉に、七色は、先日の出来事を思い出していた。


 七色の脳裏を、ネイビーのトレンチコートの男の姿が、掠めていった。


 炎に耐え切れなくなった、ガラス棚が、激しい音を立てて、崩れていった。


「奴のことを知ろうとした、私の部下がいたが、ある日の夜に、飛び降り自殺をしていたよ」


 丹野は、思い出すように、言った。


「勿論、自殺をするような、奇特な奴じゃなかったから、"影法師"に、消されたんだろう」


 七色は、黙って聞いていた。


「それは、やつのメッセージのように思えた。知ろうとすれば殺す、そういうメッセージだよ」


「……」


「だから、私は、知ろうとはしなかった。まあ、知りたいとも思わなかったな」


 七色は、黙って、丹野の話を聞いていた。


「興味があったのは、奴の提供する知識だけだったしな」


 丹野は、


「話は終わりだ」


 と言って、引き金に手をかけた。


 そうして、


「なるほど。お前が、"爛"を討つ者"月詠みの巫女"か」


 重たい声が、炎の海の中で、響いた。


 丹野の身体を、後ろから、漆黒の槍が貫いていた。


 丹野の手から、拳銃がこぼれ落ちた。


「……」


 丹野の口から、無言の驚きの声が漏れる。


 その口から、血が、どっとこぼれ出した。


 丹野の身体から、槍が、引き抜かれた。


(何が……起きて……)


 と、七色は、動揺した。


 丹野は、己の身に起こったことを確認しようした。


「……」


 と、自身の胸の空洞を見て、振り向こうとした。


 だが、倒れ込み、そのまま事切れた。 

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