第4話 巡り合いの交錯 3
午前中の授業が終わり、昼休みになった。
「いやー。やっと昼飯かあ」
彼方の前の席に座っている、級友の乃木新谷は、気だるそうに言った。
新谷は、長めの髪をオールバックふうにしている。
顔立ちは、いわゆるイケメンふうの美男子である。
ただし、但し書き付きである。
それと言うのも、軽薄そうな態度が外見のプラス要素をマイナスしてしまっている、そういうタイプでもあるのだ。
彼方と新谷とは十年来の付き合いである。
言わば、肯定的な意味合いでの、悪友でもある。
彼方と新谷とは、良くも悪くも、本音で言い合える仲である。
「昼飯、学食いくか?」
「今日はいい」
「最近、付き合い悪くね?」
「そんなことはない。もとから悪いよ」
「まあ、そうか」
「そうだよ」
「偉そうに言うなって」
新谷は、肩をすくめて教室を出て行った。
彼方も、廊下に出た。
そこで、
「朝川さん」
と、御月七色が、彼方に、言った。
彼方は、廊下で、御月七色と待ち合わせをしていた。
七色は、彼方の同級生である。
七色は、人形を思いおこさせる、綺麗に整った顔立ちと艶やかな髪をもつ少女である。
七色は、高嶺の花と呼ばれていた。
綺麗に整った顔立ち。
光を織り込んだような肩までの艶やかな髪。
雪のように白い肌。
三拍子どころか四拍子五拍子と揃っていた。
まぎれもない美少女である。
その言葉が指し示す通りのその容姿は、人形の端整さをも思わせた。
また、人形が言葉を発することがないように、寡黙だった。
表情を変えることも、少なかった。
結果として、容姿端麗のその少女、御月七色は、他人を寄せ付けない雰囲気を、自然とその身にまとっていた。
クラスは、彼方が三組で、七色が五組である。
七色は、弁当の入った巾着袋を、二個、持っていた。
(ありがたいな)
と、彼方は、思った。
朝川家は現在、彼方の一人暮らし、という状況だった。
両親は、仕事の関係で、長期出張に出ている。
彼方も両親に一緒に付いていくという選択肢もあった。
しかし、葉坂学園からの転校ということを考えると、時期的に中途半端だった。
それに、新しい生活に慣れる手間や労力を考えると、場所を移らない現状維持の一人暮らしに、落ち着いたのである。
両親からの連絡は、ほとんど来ない。
月に二回ほど、メールが、あるのみである。
多いか少ないかと言えば、少ない部類だろう。
この連絡の少なさは、よく言えば、彼方を信頼していることの裏返しであり、悪く言えば、放任主義である。
しかし、放任主義の彼方の両親も、多少なりとも、学生である息子一人を置いていくのには、不安があったのだろう。
家政婦の女性に、週三日ばかり来てもらうように、手配してくれていた。
その家政婦の女性が、御月佳苗である。
週に三度程、家に来て、炊事、洗濯、掃除といった家事全般を、こなしてくれるのである。
日曜日には、一週間分の買い出しに、出かけてくれている。
先日のことだが、佳苗が風邪をひいてしまって、佳苗の娘である七色が代わりに家政婦をしてくれたこともあった。
そういう成り行きで、七色とは知り合ったのだ。
なかなか入り組んだ経緯である。
栄養が偏るからと、週二回は佳苗が弁当を持たせてくれている。
今までは、佳苗から弁当を受け取っていた。
だが、そのような成り行きを経て、最近は七色が弁当を持ってきてくれるようになっていた。
七色は、少し上目づかいに、
「屋上で良いですか?」
と、聞いた。
聞いてきたものの、その聞きかたは、相変わらずの淡々としたものである。
無味乾燥、それを地で行っているような物言いだ。
「そうしようか」
と、彼方が、言った。
彼方は、最近、七色が作ってきてくれる弁当が、楽しみだった。
とにかく美味しいのである。
「今日のおかずは、じゃがいものコロッケです」
と、七色が、言う。
七色の弁当は、和洋中が、バランス良く取り入れられて、一品一品が、丁寧に作られている。
見栄えも良く、味も良い。
まさに、目でも美味しく口でも美味しい。
彼方自身、料理はそれこそあまり得意でないくちなので大きなことは言えないが、その七色の料理の腕前は母親の佳苗譲りなのかもしれない。
ふと、
「か、彼方」
と、彼方の後ろから、声が、かかった。
綺亜だった。
心なしか、幾分緊張したような面持ちだった。
そのような綺亜を見て、彼方は、
「どうしたの、綺亜?」
と、聞いた。
「この前は、色々と、ありがとう」
ためらい気味の綺亜の言葉である。
「その……商店街でのこととか、色々……」
彼方は、笑って、
「大丈夫だよ。気にしないで」
と、返した。
「あのね」
と、綺亜は、続けて、
「時田が、サンドイッチを用意してくれてね」
彼方は、言葉を聞きながら、時田という人物を思い出していた。
(……)
時田は、綺亜の家の執事長を務めている男性である。
彼方は、先日、時田と会っている。
黒の執事服をかっちりと着込んだ老紳士だった。
自然、時田との会話が思い出された。
「倉嶋家は、元々、用心棒で財を成した家系で、そのルーツは、平安末期まで遡る」
「用心棒?」
「まあ、そうだな」
「現代風に言えば、要人の警護、ということになるかな」
「……ボディーガード、のような?」
「その認識で概ね合っている」
「綺亜お嬢様は、グループの次期トップとなられる御方だから、色々と勉強していただかなければならない」
「護衛というのも……」
「今回の護衛の件も、その後継者教育の一環というわけだ」
「そして、不本意ながら、君に付き合ってもらうことになった。よろしく頼む」
「君は、ただ黙って、お嬢様に護衛されてくれていれば、それで良い」
「……」
「ありないが、仮に有事の際には、我々が、対応する」
(……)
時田の不本意という言葉から、察するに、彼方は、この老紳士には、歓迎されていないようではあった。
彼方は、そんなふうに思い出していた。
「量が少し多いから、彼方にも、分けてあげようかなって」
綺亜は、両手で持った長方形の綺麗なバスケットを前に突き出すようにして、彼方に、見せた。
「か、勘違いしないでよね!」
と、綺亜は、声を上げた。
「え……?」
綺亜の勢いに少し気圧されたようになる彼方だった。
「べ、別に、彼方のために多めに持ってきたとか、そんなんじゃないんだからね!」
と、まくしたてるように、綺亜は、言った。
「……」
彼方の影に隠れてしまっていた七色が、顔を出した。
すっという感じで、である。
綺亜は、
「あ……」
と、声をもらした。
動揺のニュアンスだだもれである。
完全に意表を突かれたというリアクションそのものである。
綺亜には、七色の姿が見えていなかった。
たった今、その場にいたということを認識した形だった。
そんな綺亜の様子を気にしているふうでもなく、
「こんにちは、綺亜さん」
と、すらりと会釈した七色だった。
七色の澄んだ目と、綺亜の目が、合った。
「七色……いたんだ」
と、言って、綺亜は、気まずそうにしてそれでも、
「こんにちは」
と、丁寧に挨拶した。
綺亜の視線が、七色の二個の巾着袋で止まった。
「……あ、その」
綺亜の声のトーンが、急に下がっていった。
なかなかの下がり具合だった。
それこそ、膨らんでいた風船が空気を抜かれて急速にしぼんでいく、そんな調子である。
「あら」
新たな声がかかった。
彼方が、振り返った。
彼方と同じ天文部の好峰杏朱が、黒のランチバッグを携えて、立ち止まっていた。
「奇遇ね。彼方」
と、杏朱は、笑って、言った。
腰までかかる長い艶やかな黒髪。
聡明さを物語る切れ長の黒い瞳。
そのような漆黒が印象深い少女、同級生で同じ天文部の好峰杏朱だった。
杏朱は、天文部の一員ではある。
だが、部室の中で本を読んでいることが多かった。
杏朱は、図書委員会の方がお似合いではないかというほどに、天文部らしい活動はしない。
しないのだが、それでいていざとなると、披露する天体の知識の量は、他の部員を圧倒していた。
杏朱は、彼方と七色と綺亜とを順に見て、
「これはこれは」
と、微笑した。
「タイミングばっちりというところかしら」
思いきり茶化すような調子である。
まったく遠慮する素振りもない。
そんな調子だ。
彼方は、肩をすくめて、
「なんのタイミングだよ」
と、言った。
「こういうタイミング? もしくは、そういうタイミング?」
からかうようなはぐらくそうな杏朱のふわふわとした言いかただった。
(こいつ……)
彼方は、心中うめいていた。
とりとめのないようにとらえどころのないようにそういうふうに言うのは、杏朱の十八番だった。
杏朱は、宙に目をやって、
「いずれにしても、ばっちりなタイミングということで、お引き取り願いたいところだわ」
と、言った。
「……僕としては、その杏朱の強引なところ自体、お引き取り願うけどね」
「器が小さいのね」
と、杏朱は、嘆息するように言った。
「小さくて結構だよ」
杏朱は、彼方に向かって、肩をすくめた。
もうこのやりとりは不要、そう言いたげな感じである。
(……まったく)
彼方も、杏朱の性格はわかっていた。
だから、それ以上の追及もしなかった。
こういうことは、ある意味、予定調和だった。
織り込み済みというやつである。
「御月さん。こんにちは」
「こんにちは」
会釈した七色だった。
杏朱は、綺亜を見て、微笑んだ。
「倉嶋綺亜さん、かしら?」
綺亜は、少しためらいがちに頷いた。
おそらく、杏朱とは面識がないのだろう。
杏朱が、あまりにもフレンドリーに話しかけてきた。
それで、少しとまどっているようだった。
当の杏朱は、そんなことはお構いなしの調子で、
「はじめまして、好峰杏朱よ」
と、自己紹介した。
「……はじめまして、好峰さん」
と、綺亜が、言った。
「杏朱で良いわ」
と、杏朱は、さらりと言った。
それから、
「ふーむ」
と、少し考え込むような仕草の杏朱である。
それから、綺亜のことをまじまじと見つめている。
「あの……なにか?」
綺亜は、ややためらいがちに、そう聞いた。
「ハーフのとびきりの美少女転校生という噂を聞いていたけれども、まさに、その通りね」
「そ、そんなこと……」
初対面の杏朱に、堂々と遠慮のない言葉を投げかけられて、綺亜は、動揺しているようだった。
「朝川君たちも、これから、お昼?」
と、杏朱が、言った。
「そうだよ」
「私も、ご一緒して、良いかしら?」
「私は、大丈夫、です」
と、七色が、彼方を見ながら、事務的に言った。
「私も、構わないわ」
と、綺亜が、彼方を見ながら、ためらいがちに言った。
「じゃあ、決まりね」
彼方に、杏朱の髪の匂いが、届いた。
「モテすぎるのも、考えものね、ハーレムの王様」
彼方が、
「からかわないでくれ、杏朱」
と、困ったように、言った。
「だって、両手に花でしょう? まさに」
と、杏朱は、大げさに目を丸くした。
何を言っているのかと言わんばかりの調子である。
「朝川さんは、両手に花だと、そのような認識なのですか?」
と、七色が、彼方を見ながら、聞いた。
「それは……」
と、彼方は、七色に振り向きながら、言い淀んだ。
「彼方は、王様気取りなんだ?」
と、綺亜が、彼方を見ながら、聞いた。
「そんなことは……」
と、彼方は、綺亜に振り向きながら、言い淀んだ。
「あらあら」
と、肩をすくめた杏朱は、
「はぐらかすなんて、駆け引きとしては、二流よ?」
と、彼方を見ながら、呆れたように、言った。
「杏朱が、話を、ややこしくしているんだよ!」
と、彼方が、声をあげた。
結局、四人で屋上で昼食をとることに、落ち着いた。
屋上には、既に何組かのグループがいて、昼食をとっていた。
「良い天気ねぇ」
と、杏朱は、満足そうに、息を大きく吸った。
杏朱は、
「あっちに座りましょう」
と、ベンチを指差した。
四人で、ベンチに、腰を下ろした。
彼方の左側に七色が、右側に綺亜が、綺亜の横に杏朱が、座った。
七色が、
「どうぞ」
と、持参の弁当を、彼方に渡した。
「ありがとう」
と、彼方は、お礼を言った。
七色に手渡された弁当箱の蓋を、開ける。
すると、優しい香りが、彼方の鼻孔に、飛び込んできた。
そぼろご飯。
コロッケ。
卵焼き。
サラダ。
バランス良く綺麗に、詰められている。
綺亜は、素知らぬふうで、横目で、七色の作った弁当を視界に捉えて、
(むぅ……)
と、心中うめいていて、
(女子力、高い)
と、思った。
それが、素直な感想だった。
そんな綺亜を、杏朱は、横目で捉えて、声をたてずに笑っていた。
そんな三者三様には思いがいたらない彼方は、
「いただきます」
と、言った。
「どうぞ」
と、七色は、静かに言った。
彼方は、卵焼きを食べると、ほど好い卵の甘さが、口いっぱいに広がった。
自然と表情が緩んでしまうのが、自身でもわかった。
そんな彼方を、まじまじと見ていた杏朱は、
「朝川君のお弁当の卵焼き、とても美味しそう。一つ貰っても良いかしら?」
と、言って、彼方の返答を待つわけでもなく、卵焼きを一つ、口に含んでいた。
「……」
無言のままの七色の表情は、変わらなかった。
「あら、この卵焼き、すごく美味しいわ」
と、杏朱は、感嘆の声をあげた。
「ふんわりと優しい甘い味わい、御月さんの気持ちが、こもっているということかしら」
「ごほ……っ!」
思わず咳き込んだ彼方は、
(余計なことは、言わないでくれよ)
と、思った。
「別に余計なことを言っているつもりは、ないのだけれども?」
と、杏朱は、彼方の心を見透かしたように、言った。
七色は、抑揚もなく、
「はい。気持ちを込めて作りました」
と、言う。
「ほら、ごらんなさい」
「御月さんも、杏朱の言葉にのっからなくていいから!」
ふと、
「彼方」
と、綺亜が、言って、
「そのお弁当って、七色に、作ってもらったの?」
と、気になっていたのか、遠慮がちな声で、聞いた。
(まさか、家政婦さんとして、たまに家に御月さんに来てもらっていることは、言えないな)
と、彼方は、考えて、
「僕の母さんと、御月さんのお母さんが、知り合いでね。その縁で、こうして、御月さんに、お弁当を、作ってもらったりしているんだ」
とだけ、言った。
なかなかのパワープレイだなと、彼方は、自身で言いながらそう思っていた。
なかなかに強引な説明である。
しかし、嘘はない。
事実ではある。
そのすれすれのラインを取ったがゆえの説明になっていた。
「そ、そう、なんだ」
綺亜の返答は、ぎこちないものだった。
だが、それ以上は、聞いてこようとはしなかった。
「倉嶋さんのサンドイッチも、一つ、いただいて良いかしら?」
と、少し噛み合わない会話をよそに、悪戯好きの猫のように微笑んでいる杏朱は、言った。
「あ、はい、どうぞ」
我に返った様子の綺亜が、返事をすると、杏朱は、ミックスサンドを口に含んで、
「とても美味しいわ」
と、言った。
「洗練された味わい、というのかしら」
「そ、そう?」
杏朱に絶賛されて、少し戸惑い気味に綺亜はそう応じた。
「朝川君も、いただいたら?」
「はい。彼方と七色にも、あげるね」
と、綺亜は、ミックスサンドを、彼方と七色に渡した。
「ありがとうございます」
と、七色は、礼を言って、ミックスサンドを、口に含んだ。
「あ、うん。ありがとう」
と、彼方も、礼を言った。
とても美味しいサンドイッチだった。
「美味しいです」
と、七色が、言った。
口元に、僅かに、微笑みが浮かんでいる七色である。
それを見て、彼方は、
(これは、相当、感動しているなあ)
と、思った。
表情を変えることが少ない七色ではあるが、その微妙な表情の変化が、彼方には、少しわかるようになっていた。
そうはいってもやはり、少し、という話である。
「美味しいよ、綺亜」
と、彼方も、素直な感想を、述べた。
「良かったわ」
綺亜は、ほっとしたような笑顔を、浮かべた。
四人とも、昼食を食べ終わった。
周りのグループも、昼食を取り終わって、立ち上がり始めていた。
「倉嶋さん」
屋上から、園舎に戻る時に、綺亜は、杏朱に、小さな声で呼び止められた。
「何?」
「あまり自分の気持ちに臆病になりすぎても、いけないと思うわ」
と、杏朱は、言った。
「……どういう意味?」
と、綺亜は、目を細めて、聞いた。
杏朱は、
「良くわかっているはずよ?」
と、綺亜を試すように、笑った。
「……」
「恋に素直になりすぎても可愛いままでいられるのは、女の子の特権よ」
「……別に、そんな……」
と、綺亜は、言い淀んだ。
「良いわ。あなたが、あなたの意志でスタンスを選んでいるのだから」
「……」
「でも、ライバルは、もう一人いるかもしれないから、気を付けてね」
「……」
「そうね、例えば、黒髪のからかい好きの乙女、とか」
「……」
「私の見立てでは、レースは、寡黙な可愛い女の子が、半歩リードしている感じかしら」
綺亜は、黙ってしまった。
「冗談よ」
と、杏朱は、微笑んだ。
そうして、綺亜の先を歩いていった。




