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第3話 雷光のお嬢様 9

 雨が降っている。


 綺亜は、空を見上げながら、


「すっかり暗くなっちゃったわね」


 と、言った。


 濃い灰色の空の中、雨は、本降りになりつつあるようだった。


「時期も時期だから、日が落ちるのも早いからね」


 と、彼方が、言った。


 雨の勢いは、激しい。


 夕立のような雨音が、ざあざあと響いていた。


 コンビニで買った透明なビニール傘に、雨の雫が、写り込んで、黒い空を背景に、幾重もの線になって流れていた。


「ごめん」


 と、傘を持った彼方が、言った。


「店に、傘が、一本しか残っていなかったから」


 彼方の右横に、並んで歩く綺亜は、


「別に構わないわ。濡れなければ」


 と、笑った。


「そう?」


「ええ」


 頷いた綺亜の声色は、何故か、嬉しそうだった。


「途中まででいいから。時田に、迎えにきてもらうわ」


 さして大きくない一本の傘である。


 その傘に、二人で入っている。


 自然と、服と服とが触れ合って、衣擦れの音がたった。


 雨の音は、少しずつ、大きさを増してきているようだった。


「……」


 二人で歩いている。


 その足音は、雨音でほとんどかき消されている。


 歩いていて、


「……」


 と、綺亜は、無言だった。


 もっとも、


「……」


 と、彼方も、無言であったが、ふと、歩く速度が速すぎるかもしれないと思った。


 彼方と綺亜とでは、歩幅が違う。


 ましてや、この雨の中である。


 だから、歩く速度について話を投げかけるつもりで、


「あ……」


 と、言いかけるも、


「あっ……!」


 と、綺亜に、遮られた。


 そして、遮った当人の綺亜も、尻切れトンボに言いよどんだ。


「ええと……」


「……」


 少しとまどった彼方だったが、気をとりなおして、 


「あ……」


 と、言いかけるも、


「あっ……!」


 と、綺亜に、遮られた。


 そして、遮った当人の綺亜も、尻切れトンボに言いよどんだ。


 謎のテイクツーである。


(……?)


 彼方がわけがわからずにいると、


「あ、相合傘(あいあいがさ)とか言うつもりでしょっ」


 と、思いきったように、綺亜が、言った。


「え?」


「……だから、相合傘(あいあいがさ)


 今度は、消え入りそうな声である。







 その時だった。


 ふと、


「さっきは、世話になったな、ねーちゃん」


 と、前方から、低い声が、かかった。


 声の主は、商店街で出会った、茶色のライダースジャケットを着た男だった。


 男が、歩を進める。


 すると、からからと、鈍い音がたった。


「……」


 前方を見た綺亜の目つきが、鋭くなった。


 彼方は、


(とんでもないものを、持ってきて……)


 と、思った。


 自身の身長ほどの長さの鉄パイプが、男の右手に、握られていた。


 鉄パイプは、得物(えもの)とでも言えばいいのだろうか。


 物騒なこと極まりなかった。


 往来(おうらい)でこのような携えていていいものではないだろう。


「お楽しみのところ、わりぃんだけどさ」


 と、ライダースジャケットの男が、言って、


「俺らと、少し、遊んでくれねーかな?」


 男の左右には、別の二人が、控えていた。


 屈強そうな長髪の男と短髪の男である。


 綺亜は、


「はあ」


 と、息をついた。


 雨の勢いは、激しい。


 夕立のような雨音が、ざあざあと響いている。


 コンビニで買った透明なビニール傘に、雨の雫が、写り込んで、黒い空を背景に、幾重もの線になって流れている。


 綺亜は、


「ようするに、お礼参りってわけね」


 と、つまらなそうに、言った。


 彼方は、


「……倉嶋さん」


 と、神妙な面持ちで、言った。


「何よ?」


「気を付けて……」


 と、彼方は、言った。


 綺亜が、前方の男たちから彼方に視線を移して、


「だから、何を気を付けろって、言うのよ?」


 と、聞いた。


「……こいつら、少し変だ」


「変?」


「うん」


 暗闇に乗じて、学生二人を襲おうというのだ。


 だから、その時点で、既に、正常ではない。


 だが、男達の目に、それ以上の何か、言いようのない不安感を、彼方は、感じた。


 彼方にも、確信があったわけではなかった。


(何だ……この感じは……)


 彼方の中で、捉えどころのない違和感が(くすぶ)っていた。


 うまくは言えない。


 それでも、ざわつく感覚があった。


 不安感と違和感。


 それらが、ふらふらと漂っていて、濁った水面から、不鮮明な水底を覗くような感覚だった。


 綺亜は、臨戦態勢をとって、 


「人数が、増えただけでしょ」


 と、言った。


「どうということはないわ」


 それに応じるように、


「減らず口が叩けるのも、今の内だろうよ」


 と、ライダースジャケットの男が、笑う。


 そうして、自身の左右の男達を、促した。


 二人の男達が、無言で近付いてくる。


 それから、いきなり殴りかかってきた。


「結局、濡れちゃうってオチね」


 綺亜は、傘から飛び出した。


 次の瞬間、


「しつこいんだってっ!」


 綺亜の蹴りが、一人目の長髪の男の身体を捉えていた。


 男の体が、宙に舞った。


 その綺亜の蹴りの動作のフォロスルーを狙いすましたかのように、もう一人の短髪の男が、綺亜に襲いかかった。


 だが、


「えあっ!」


 綺亜の華奢な身体が、くるりと回転する。


 そのまま、綺亜の回し蹴りが、放たれた。


 二人目の短髪の男が、倒れ込んだ。


 一瞬の内に、二人の男たちが、アスファルトの地面に倒れ込んでいた。


「たいしたことない。見かけ倒しじゃない」


 と、綺亜は、言った。


「そいつは、どうかな」


 ライダースジャケットの男が、不敵な笑みを浮かべたかと思うと、次の瞬間には、


「……っ?」


 眼前に、男の姿を捉えた綺亜が、声にならない声をあげていた。


 あっという間に、綺亜との距離を詰めていたのだ。


 ぶんっと鈍い音がした。


 男の力強い鉄パイプの一振りを、すんでのところで、避けた綺亜は、


「何……こいつっ!」


「倉嶋さんっ」


 と、彼方が、叫んだ。


 綺亜は、


「……さっきとは、動きが、全然違う!」


 と言いつつ、一歩後退した。


 男の体裁きは、別人のようだった。


 男の鉄パイプの一撃は、とても重い得物から繰り出されたものとは思えないほど、鋭敏だった。


 軽々と振り回したのだ。


 それこそ、大人が子供用のプラスチック製のバットを軽々と振り回しているような感じである。


 そして、アスファルトの道路に鉄パイプによってぽっかりと空けられた穴は、人の力以上の、何かを物語っていた。


 彼方の中で、不安感と違和感が、ある確信へと変わった。


 再び、ぶんっと鈍い音がした。


 男の力強い鉄パイプの一振りだった。


 それをなんとか回避した綺亜は、


「……っ!」


 そこに、間髪入れずまた、鉄パイプが襲いかかる。


(やっぱり)


 彼方は、戦慄(せんりつ)していた。


(並の人間の力、じゃない)


 脳裏をかすめる、一つの言葉が、あった。


("(らん)"……!)


 と、彼方は、思った。


「あっ」


 綺亜が、いつの間にか立ち上がっていた短髪の男に、後頭部を殴りつけられて、声をあげて、地面に倒れこんだ。


 ライダースジャケットの男に気を取られすぎていて、後ろからの攻撃に対処しきれなかったのだ。


「はい、不意打ちゲットー!」


 と、ライダースジャケットの男が、嘲りの声をあげた。


「くそ生意気なガキ一名様、地べたに、ご招待ー!」


「倉嶋さんっ」


 綺亜は、立ち上がろうとした。


 だが、吐き気がして、すぐに起き上がることもできない。


 ただ相手を睨みつけるだけとなった。


 服は、泥だらけになっていた。


 髪も、雨と泥で乱れていた。


「……どうして?」


 と、綺亜は、うめいて、


「あの蹴りを受けて、しばらくは立てもしないはずなのに……」


「お高くとまるのも、大概にしろや」


 綺亜を見下ろしたライダースジャケットの男は、


「ガキの軽い蹴りなんざ、大して、効くわけもねーだろ」


 と、言った。


 長髪の男も、無言でゆっくりと、立ち上がっていた。


 綺亜は、アスファルトの地面に倒れ込んだまま、三人の男たちに囲まれてしまっていた。


「おいおいおい、さっきまでの威勢のよさは、どうしたんだ、ああ?」


 と、ライダースジャケットの男は、煽るように言って、


「とっとと、はじけろ!」


 と、鉄パイプを、振りかぶった。


 鉄パイプが、倒れ込んだままの綺亜に襲いかかって、鈍い音がした。


「ああっ?」


 と、ライダースジャケットの男が、不愉快そうに、叫んだ。


 割って入った彼方の傘が、男の鉄パイプを、受け止めていた。


 ライダースジャケットの男は、


「ヒーロー気取りで、でばってくるんじゃねーよ」


 と、鉄パイプに、力を込めた。


「……ぐ!」


 こういった手合いは素人の彼方が、鉄パイプを受け止められたのは、たまたまだ。


 言わば、不意をついたからにすぎない。


 ライダースジャケットの男が、


「無様な姿を、晒したくなかったら、おとなしく黙ってろや!」


 と、激高した。


 彼方の握る傘が、一気に、折れ曲がった。


 だが、その反動ごと、男の一撃を、彼方の傘が、受け流していた。


「そういうわけにもいかないんでね」


 と、彼方が、乱れた呼吸のまま、言った。


「……やるじゃない」


 彼方が、見ると、綺亜が、震える足を庇いながら、立ち上がっていた。


 綺亜の膝頭に、血が、うっすらと滲んでいた。


「ほんの……まぐれ、だよ」


 と、彼方は、力なく、笑った。


「小さい頃、剣道を、やっていたことが、少し、役に立った……」


 事実、傘を握っている彼方の手は、痺れていて、ほとんど感覚がなくなっていた。


 傘は、男の一撃で、ひしゃげていた。


 雨が、一層、激しくなっていた。


 風も強く、少し横殴りの雨模様になっていた。


 彼方は、目に、大粒の雨が入って、瞬きをした。


 綺亜は、濡れてしまった髪を、かきあげた。


 長髪の男が、ゆっくりと、歩き出した。


 長髪の男の目は、空ろだった。


 長髪の男は、おもむろにブロック塀を掴むと、その一部分を、握りとった。


 男の爪から、血が、噴き出した。


「……嘘……でしょ……」


 と、綺亜が、言った。


 爪の何枚かが、肉から、剥がれ落ちている。


 それでも、長髪の男は、一言も発しなかった。


「痛みを……感じていないの……?」


 更に、短髪の男は、屈んで、地面のアルファルトを、素手で削り取った。


 自身の両手を、血まみれにした、短髪の男の目も、空ろだった。


「……こいつらは」


 綺亜が、言い終わらないうちに、長髪の男が握った電柱のコンクリートの破片が、綺亜の頭上で、揺れていた。


「……っ!」


 男の手が振り下ろされて、コンクリートの破片が、地面に飛び散った。


「この……!」


 綺亜の掌底が、男を捉えて、男の巨体が、吹き飛ばされた。


「倉嶋さん。大丈夫?」


 彼方は、鉄パイプを握ったライダースジャケットの男に、応戦していた。


 男の獲物である鉄パイプを、傘で受け止めることはできない。


 攻撃を回避しながら、傘による攻撃を、打ち込むといった具合だった。


「自分の心配を、しなさいよっ! こっちは、大丈夫だから」


「でも……!」


 彼方が、相手をしているのは一人だ。


 一方の綺亜は、二人の男達に、囲まれていた。


「このぐらい、何とかしなきゃ、あんたの護衛者失格よ!」


 旗色は悪かった。


 彼方は、自身がもうもたないのがわかっていた。


 なんとか奇跡的になんとかなっているだけだった。


 すぐにでも、決着がついてしまうのは、明白だった。


 それも、よくないほうに、である。


「……っ」


 雨が、綺亜の目に入って、一瞬の隙が、生じた。


 後ろからの短髪の男の一撃が、綺亜の背中を捉えて、綺亜は、


「きゃ……っ!」


 と、前のめりに、倒れた。


 泥だらけになった服で、頬の擦り傷の血をぬぐった綺亜に、更に、正面からの一撃が入って、綺亜の身体が、ごろごろと転がった。


「倉嶋さん……っ」


「彼氏面してると、怪我するぜ!」


 彼方は、鉄パイプの一撃を、胸部に、受けて、


「ぐ……ぇ」


 と、呻き声をあげた。


 彼方は、その場に崩れ落ちた。


 一気に意識が遠のいていく。


 どんどんと視界が濁っていく。


(まず……い) 


 俯せに倒れた綺亜は、地面に倒れたままだった。


 ライダースジャケットの男が、


「はい、お二人様ご臨終ー!」


 と、笑った。


 仰向けに倒れた彼方は、自身の背中に、水たまりの冷たさを感じた。


「にしても、もう終わりかよ。意外と呆気なかったな」


 ライダースジャケットの男が、肩をすくめた。


 その時、小さな笑い声が、した。


 声の主は、綺亜だった。


 綺亜の笑みに、茶色のライダースジャケットの男が、


「あ?」


 と、いぶかしげに、目を細めた。


「……ちょっと、本気を出す」


 ゆっくりと立ち上がった綺亜は、その手に、細い刃身のレイピア状の剣を、携えていた。


「倉……嶋さん……?」


 剣を構えた綺亜は、倒れ込んだままの彼方に向かって、自信たっぷりに、微笑んで、


「倉嶋の護衛の力、見せてあげる」


 と、言った。


 目の前で、剣が、一人の少女の手に、握られていた。


 あまりに唐突で非日常な光景だった。


 それでも、綺亜が口にした言葉の意味が、彼方には、何となくわかってしまっていた。


「ふん」


 男が、鉄パイプを、上段に構えて、


「その得物が、見てくれだけじゃないことを、期待してるぜ」


「はあああああっ」


 綺亜は、レイピアを構えたまま、男に向かって(はし)った。


 ライダースジャケットの男は、鉄パイプを、振りかぶった。


 綺亜は、レイピアをすいと突き出した。


「ばかかよぉっ!」


 ライダースジャケットの男が、


「そんなか細い剣で、受け止めれるわけねえだろうがよぉっ!」


 と、笑った。


 男が振り下ろした鉄パイプとレイピアが交錯して、鉄パイプの軌道が、逸らされた。


 男は、鉄パイプを振りぬいた体勢と勢いのまま、大きくよろめいた。


「見てくれだけなのは、そっちのほうでしょ」


「なにっ」


 綺亜の回し蹴りが、男の腹を、捉えた。


 鉄パイプは、男の手を離れて、ライダースジャケットの男の身体が、くらりと揺れる。


 そのまま、アスファルトに、倒れこんだ。


「なかなか……やるじゃねえか」


 ライダースジャケットの男は、立ち上がって、残りの二人の男たちが、その横に、並んだ。


「だが、そこの寝ているガキは、もう頼りにならないぜ。三対一。てめえに、勝ち目はねえよ。俺らは……」


 男が、言いかけた言葉を、綺亜は、人差し指を立てて、


「あなたは、『まだ負けていない』と言う」


 と、遮った。


「なん……だと……?」


 と、ライダースジャケットの男が、言った。


「まだ気付いていないのかしら?」


 綺亜は、目を細めて、


「自分たちが、既に、青の螺旋の中に、捕らわれていることに」


 いつの間にか、男達と綺亜の間に、両端を繋ぐ青白い一本の線ができていた。


 そこにあってそこにないような、光の線である。


「"スティングレイ"、起動しなさい!」


 綺亜が、レイピアを振るって、号令する。


 雷光の線が、空間を薙いだ。


「ぐあああああっ」


 男たちは、光に焼かれて、前のめりに、倒れた。


「"スティングレイ"、機雷術式の爆導線。これが、魔術の本当(リアル)よ」


 と、男達を見下ろしながら、綺亜が、言った。


「大丈夫、朝川君……」


 綺亜は、彼方に、かけ寄ろうとしたが、自身の異変に、気が付いた。


「……なにこれ……動けない……?」


 綺亜は、足を、前に出そうとしたものの、動き出せなかった。 


「身体が……重い……」


「ふむ。所詮は、小賢しいだけの小娘ですか」


 倒れたまま、そう言ったライダースジャケットの男の口調が、変わっていた。


 綺亜は、はっとしたように、自身の足元を、見た。


 綺亜の影は、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐のように、濁っていた。


「影を縛られて……?」


『"影法師(かげぼうし)"』


「……対象者の影と、その意識を縛る魔術……"影法師(かげぼうし)"……?」


 と、綺亜は、うなだれたまま、自問するように、言った。


『ご名答』


 と、ライダースジャケットの男が、笑った。


『あなたが、相手をしている三人の男たちは、私の"影法師"の支配下に、あります。そして、今、あなたの影も、捕らえた』


 ライダースジャケットの男の言葉は、ライダースジャケットの男の声ではあるが、ライダースジャケットの男のものではなかった。


「……油断したわ」


 と、綺亜は、悔しそうに、唇を、噛んだ。


『油断?』


 と、長髪の男が、ゆっくりと起き上がって、言った。


『違いますね。それが、あなたの実力ですよ』


 こちらも同様だった。


 長髪の男の言葉は、長髪の男の声ではあるが、長髪の男のものではなかった。


「……どうりで、こちらの攻撃が、通らないはずだわ」


 綺亜は、男たちを睨みつけながら、


「こいつら、痛覚も操られて、痛みを、感じていない……」


 短髪の男が、ふらつきながら、綺亜の方に、一歩前に出て、


『良い雨だ』


 と、言った。


『この雨のおかげで、私の操影の魔術"影法師"の気配を、上手く消すことができた』


 ライダースジャケットの男が、


『雨のせいで、貴女に隙ができたのは、事実だ。それも、実力の内です。あなたは、なるべくして、傷を負った』


 と、続けた。


 綺亜は、三人の男たちに、囲まれた。


 だが、動くことが、できなかった。


『正直、興ざめです』


『あなたが、かつての"守護者"、倉嶋レイア(くらしまれいあ)の忘れ形見ですか?』


 綺亜の瞳に、不安と動揺の色が、奔った。


「……どうして、お母様の名前を……」


 綺亜の声には、怯えすらあって、ライダースジャケットの男は、その反応を、楽しむように、


『倉嶋レイアには、随分と前に、借りがあるのですよ』


 と、言った。


「……」


 綺亜は、押し黙った。


『私は、"虚影(きょえい)指揮者(しきしゃ)"鷲宮(わしみや)イクト。あなたの立ち位置からすれば、"爛の王"と呼ばれる存在です』


 と、ライダースジャケットの男が、言った。


「わざわざ、名乗りを上げて、どういうつもり?」


『宣戦布告、ですよ。借りがあると、言ったでしょう? それを、返したいのです』


 と、言った短髪の男が、突如、吐いて、その身体が、小刻みに震え出した。


『この男の身体も、もうもたないようですね……だが』


 長髪の男が、綺亜の前に立った。


『無力な哀れな少女一人を、血溜りに沈めてあげることぐらいは、できそうだ』


 回線が切れたような鋭い音が、した。


 見覚えのある銀の剣が、地面の、男の影を、斬っていた。


「ぐおおおおおおおっ」


 男は、大きく吼えた後、その動きが、ぴたりと止まった。


 乾いた雑音が、響いた。


 男の影の、電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐が、一際激しく揺れて、やがて、かき消えた。


『……邪魔が、入りましたか』


 と、ライダースジャケットの男が、言った。


『まあ、こんなところでしょうかね』


 と、長髪の男の口から、擦り切れるように、嘆息の声が、漏れた。


「……これって……一体?」


 と、綺亜が、呻いた。


『本日の余興は、これにて、終幕です』


『楽しんでいただけましたでしょうか?』


『またお会いしましょう』


 男達の身体が、傾いて、そのまま、一斉に、崩れ落ちた。


 くすんだ雨の匂いが鬱陶しくて、綺亜が目を細めると、靴音が、した。


 少女が、立っていた。


 綺麗に整った顔立ちと光を織り込んだような肩までの艶やかな髪は、人形の端整さをも思わせる、少女である。


 葉坂学園の制服姿のその少女を、綺亜は、知っていた。


「御月……七色……さん?」


 と、綺亜が、途切れ途切れに、確認するように、言った。


 七色の両手には、(ふた)つの剣が、あった。


 七色の剣が、雨の中、鈍い光を、放っていた。 


「……退いたようですね」


 と、七色は、言った。


 七色は、倒れている男たちを見て、


「気を失っているだけのようです」


 と、言った。


「……普通の力じゃなかった。この人は、"爛"……なの?」


 と、彼方は、聞いた。


 いいえ、と、七色は、首を振った。


「この男性達からは、"爛"の力を、感じません。何者かに、操られただけだと思います」


「……操られていた?」


 七色は、静かに、頷いた。


「かなり強い存在の"爛の王"だと、思います」


 七色は、慎重に、言った。


「"爛の王"……」


 と、彼方は、言った。


「はい。"爛"よりも、もっと高位の存在です」


 黙っていた綺亜が、口を、開いた。


「……ありがとう」


 綺亜は、控えめに、頭を下げた。


「一応、お礼は、言っておくわね」


 七色は、綺亜を、見た。


「いえ……」


 七色と綺亜の視線が、交錯して、二人は、しばらくの間、黙ったままだった。


「"虚影の指揮者"と名乗っていたわ」


 と、綺亜が、言った。


 七色は、俯いただけだった。


 沈黙を、破るように、綺亜が、


「それで、名乗りなさいよ」


 と、言った。


「御月七色、です」


「それは、知っているわ。……貴女が、何者なのか……真名を知りたいのよ」


「……"月詠みの巫女"、です」


 と、七色が、言った。


「……そう、あなたが、"月詠みの巫女"……"爛"を討つ者、か」


 綺亜は、自身に言い聞かせるように、言った。


「はっきり宣言しておくわ」


 俯きながら、それでもはっきりとした口調で、綺亜は、言った。


「朝川彼方君は、私が、護衛する」


 降りしきる雨で濡れた髪に隠れたその顔は、彼方からは、見えなかった。

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