第3話 雷光のお嬢様 6
二人の待ち合わせ場所は、公園の広場だった。
町村麻知子は、待ち合わせの相手が、自身に向かってぱたぱたとかけて来ているのを、見た。
かけてきているのだが、すぐには来ない。
ようは、かけている当人は一生懸命にかけているのだが、いかんせん、速くない。
どちらかと言えば、鈍足である。
やがて、やっとその人物が、麻知子のところまで来た。
麻知子は、
「十八分の遅刻ですね」
と、腕時計の針をはっきりと相手に見せながら、言った。
待ち合わせの相手は、籠原能登である。
「ご、ごめんねえ。待たせちゃったよね」
息を切らせながら、籠原能登が、謝った。
「しっかりしてもらわないと、困ります」
麻知子は、露骨に、不愉快な顔をしてみせた。
(上司である籠原能登の査定は、部下である私の査定にも、繋がる。まったく、面倒なことだ)
と、麻知子は、思った。
能登は、
「ごめんなさいっ!」
と、両手を合わせて、拝むような格好で、謝った。
この能登のアクションには、嘘偽りがない。
一切の虚構がない。
つまりすなわち、本気で本当に心の底から謝罪しているのである。
麻知子は、能登を見下ろすような恰好になって、
(……形で、謝罪しているわけではなく、本当に、心から謝っているのだから、始末が悪い……)
と、思った。
町村麻知子は、二つの顔を持っていた。
一つの顔は、普通の学生としての顔である。
通学をして勉学に励む、学生である。
麻知子は、文武ともに成績は優秀であった。
麻知子の得意科目は、数学である。
もう一つの顔は、世界の理の外の存在である"爛"の殲滅機関の一員としての顔である。
麻知子は、機関の中では、情報を扱う部署に配属されていた。
目の前にいるのは、上司の籠原能登である。
年は、能登が二つ上である。
麻知子も能登も、普段は、普通の学園生活を送っている。
今、二人は、制服姿である。
意気消沈した様子の能登を見た麻知子は、ため息をついた。
「次からは、時間厳守で、お願いします」
と、麻知子は、言った。
「優しいねえ、麻知子ちゃんは」
と、やっと顔をあげた能登が、言った。
「先輩。本題に入りましょう」
麻知子は、肩をすくめて、
「お互い、暇な身でもないでしょう」
「そうだよね」
と、能登は、手にしていたビニール袋を、開けた。
「今日は、ちょっとお買い得になる日だから、すごい混んでたんだよ」
と、能登は、笑った。
「……」
「じゃーん!」
能登は、にこにこ顔である。
満面の笑みである。
「シックスツーのアイスクリームカップだよっ」
袋の中身は、アイスクリームだった。
「トリプルのカップにしてみたんだー」
ハミングでもしそうな能登は、嬉しそうだった。
「……」
「えっと。こっちは、チョコミントとラズベリーとバニラのカップ!」
「……」
「それで。こっちは、メロンとキャラメルとラムレーズンのカップ!」
「……」
能登は、嬉々とした調子で、
「どっちにする?」
麻知子は、すっとアイスクリームのカップを見て、
「先輩」
と、言った。
「うん?」
麻知子は、トーンを抑えながら、
「まさか。これを買ってきたから、遅れた、というわけではないですよね?」
と、聞いた。
笑顔の能登が、
「……どっちにする?」
と、冷や汗をかきながら、聞いた。
麻知子は、トーンを抑えたまま、
「これを買ってきたから、遅れた、というわけではないですよね?」
と、聞いた。
笑顔の能登が、
「……どっちかなー?」
と、冷や汗をかきながら、聞いた。
「まあ、いいでしょう」
と、麻知子が嘆息する。
能登も、ほっとした表情を見せた。
「チョコミントが入っているほうを、いただきます」
と、麻知子は、言った。
能登は、ぱあっと顔をほころばせて、
「良いよね、チョコミントのフレーバー!」
能登は、チョコミントとラズベリーとバニラのカップを、麻知子に差し出した。
「大人の味って感じがするんだよね」
「ありがとうございます。座りましょう」
能登の言葉には、答えず、礼を述べた麻知子は、能登を促した。
二人は、ベンチに座った。
麻知子は、ノートパソコンを開いた。
「ここ最近の"爛"の情報ですが、二件あります」
「うん」
と、能登は、麻知子の言葉に頷いた。
「まず、一件目は、"爛"高瀬容之」
「ええと。風を操る"爛"……だっけ?」
と、麻知子の横でパソコンの画面を見ながら、能登が、言った。
「そうですね」
麻知子は、首肯して、
「発現したのは、風の刃を起こす異能です」
と、続けた。
「高瀬容之は、同じ学園の生徒による、いじめにあっていました。その現状から抜け出したいという願いが、"爛"としての顕現のきっかけに、なったようです」
「うん」
能登は、相槌をうって麻知子の話を黙って聞いていた。
「高瀬容之は、"月詠みの巫女"に、討滅されています」
麻知子は、キーボードを叩いた。
「後は、もう一件、気になることが、あります」
と、麻知子が、言った。
「高瀬容之とは、別の"爛"の存在を、捉えて、調査中でした」
「うん」
「ですが、その存在の追跡が、できなくなりました」
「え?」
と、目をぱちくりとさせた能登だった。
「反応が、消えたのです」
「ええと。反応が、消えたっていうのは……」
麻知子は、能登の言を継いで、
「はい。順当に考えれば、"爛"は、第三者によって消滅せしめられた、ということです」
と、言った。
「集めた情報から総合的に推し量るのならば、高瀬容之と同様に、"月詠みの巫女"が討滅した可能性が、高いですね」
と、麻知子は、慎重な言いかたをした。
それから、チョコミントのアイスを、一口、食べた。
「チョコミント、美味しそうだね。私も、食べたいな」
「……先輩。私の話は、聞いていますよね?」
麻知子は、手元のチョコミントのアイスと能登の顔とを見比べるようにした。
「え? う、うん……」
「頑張って聞いていたものの、唐突にチョコミントが気になって、話が頭から飛んでいた……といったところでしょう?」
「う……」
「本当に嘘がつけない質ですね。顔にありありと出ています」
「えぇっ?」
麻知子は、息をついて、
「両方のカップにチョコミントを入れれば、良かったでしょう」
「そうすると、フレーバーが、一種類減っちゃうよ?」
「なんの話ですか?」
能登は、麻知子のカップに目をやって、
「そっちは、チョコミントとラズベリーとバニラのカップ」
「……」
能登は、自身のカップに目をやって、
「こっちは、こっちは、メロンとキャラメルとラムレーズンのカップ」
「……」
能登は、麻知子を見て、
「両方のカップにチョコミントを入れたら、五種類になっちゃうよ?」
それは困るでしょうと当たり前のような表情の能登だった。
「……」
対照的に呆れ顔の麻知子だった。
「六種類あったほうが楽しいと思うんだよね」
「……」
「ね、こっちのキャラメル、少しあげるから、ちょっともらっても良いかな?」
「……シェア前提なのですか」
呆れ顔の麻知子から、了承を得た能登は、嬉しそうに手を伸ばした。
そうして、チョコミントのアイスクリームを、一口、
「んーっ」
と、美味しそうに食べた。
(こいつ……)
麻知子は、心の中で小さく頭を振った。
それでも、なんとか心の中で気を取り直した。
「二件目については、情報が、不足しています」
と、麻知子は、言った。
「ですが、通常の"爛"とは、性質が異なるようなのです」
「性質が異なる……?」
と、能登が、おうむ返しに、聞いた。
「観測された"爛"の力の波長が、既存のものにはないパターンなのです」
麻知子は、パソコンの画面の波長を示した折れ線グラフを、人差し指でなぞった。
「例えば、ここの部分など、その違いが顕著です」
「たしかに。全然違うね」
「数か所の差異について総合的に勘案していくと、やはり、通常の"爛"とは異なっていると、分析されます」
「つまり?」
「そうですね。誤解を恐れないで言えば……」
と、麻知子は、慎重に、言って、
「本物に似せた、模造品」
と、言葉を、続けた。
「模造品?」
「はい」
「……イミテーション的な?」
麻知子は、能登を見て、
「まがい物ですね」
と、言った。
「掛け軸で言えば、本物は、勿論、書いた本人によって、描かれたもの」
「……」
「模造品つまり贋作は、赤の他人によって、本物であるかのように、作られたもの」
麻知子は、パソコンの画面の波長を示した折れ線グラフを、見た。
「この"爛"には、そういった、赤の他人というか、作為的な第三者の要素が、感じられるのです」
「……」
能登は、麻知子を見た。
「力のあり方が、今までの"爛"とは、何か違う」
能登の不安げな視線。
麻知子の怜悧な視線。
それらが、ぶつかった。
「勿論、偶然の可能性もありますが、私たちの組織の諜報機関で入手した、ある噂の信憑性が増した、ともとれます」
麻知子は、空を、見上げた。
「人工の"爛"の精製です」




