第2話 夕暮れの贈り物 7
「ごめんなさーい」
と、少年たちの声がした。
サッカーボールで遊んでいた少年たちは、三人だった。
一人の少年が、元気良くかけて来た。
「蹴ったの君かな?」
と、七色が、聞いた。
「うん。勢いよく蹴りすぎちゃった。ごめんなさい」
「じゃあ、取って。責任取ってください」
「えっ?」
「取らない場合、もちろん私たちは抵抗する」
少年は、リアクションに困っているようで、それでも、
「……どう抵抗するの?」
と、聞き返していた。
ぺちん。
それは、七色が拳を打ちつけた音だった。
そうして、
「拳で」
と、静かに言ったので、
「ちょっとちょっとっ!」
と、彼方は、声を上げていた。
「御月さん」
「はい」
「なんなの、今のくだりは」
「この本に、公園デートでそこで遊んでいる子供たちのボールが転がって来るイベントの項目が、載っています」
「そんな項目ないよねえ! それに、イベント名がピンポイントすぎるっ!」
「このイベントが発生した時は、拳で抵抗するとベター、と書いてあります」
「なに、拳で抵抗って? そんなこと書いてあるのっ?」
「ここに書いてあります」
「もうどんな本だよ!」
ツッコみが追い付かなかった。
やがて、彼方は、
「はい」
と、ボールを、少年に手渡した。
「ありがとう、兄ちゃん」
と、ボールを受け取った短髪の少年が、言った。
少し遠くにいる別の少年が、
「直人。全く、お前の必殺シュートは、かっ飛びすぎるんだよ」
と、言った。
彼方たちの前に来た少年は、直人という名前らしかった。
たいして悪びれる様子もなく、直人と呼ばれた少年は、笑いながら、
「悪い悪い」
と、言った。
「必殺シュート、ね」
と、彼方が、言った。
直人は、胸を張って、
「そうだよ」
と、自慢げに、言った。
「俺の必殺シュート。この前の学校の試合でも、四点も、入れたんだからな」
「凄いね。四点か」
と、彼方が、笑って、七色を見ると、
「四点を一試合で取るのは、凄いです」
と、七色が、言った。
「そう!」
持ち上げられた形となった直人は、得意げだった。
「俺の"レッドドラゴンローリング"を止められるキーパーなんて、いないぜ」
どうやら、件の必殺シュートは、"レッドドラゴンローリング"と命名されているらしい。
彼方は、苦笑した。
この命名の類は、あるあるなのだ。
彼方自身にも、覚えがないわけでもなかった。
少年たち三人が、彼方と七色の前に集まっていた。
直人の肩を軽く叩いた少年が、
「直人は、攻撃力はすさまじいけど、守備力がなあ」
と、冗談まじりに、言った。
「ばっか!」
直人は、大声で言った。
「フォワードは、攻めてりゃ、良いんだよ」
「そうかなぁ?」
「そうだよ。守備は、スイーパーのお前に、任せてるんだから」
「ま、まあ……そうだよな!」
七色は、表情を変えていないようにも見えた。
見えたが、少し微笑んでいるようにも見えた。
「姉ちゃん。すごい美人さんだね!」
と、直人が、言った。
「うんうん。すげー綺麗」
と、別の少年が、直人に、同調した。
七色は、とまどったように、
「……ありがとうございます」
と、言った。
直人は、
「兄ちゃんの彼女なの?」
と、七色と彼方を交互に見ながら、からかうように聞いた。
まったくして遠慮のない問いかけである。
ある意味、子供ならではの遠慮のなさを地で行くような、ストレートな問いかけである。
「そういう質問は、あまり……」
と、彼方が苦笑すると、七色は、
「いえ」
と、短く言った。
そうして、
「彼女では、ありません」
と、淡々と答えた七色である。
(……)
彼方は、黙った。
即答だった。
なかなかに辛辣な一撃である。
わかっていたこととは言え、なかなかのストレート加減である。
「うわ。即答だよ」
「兄ちゃん、脈なしだよ」
「諦めよう」
七色が、
「ですが、今日は、デートです」
と、言った。
「ええっ?」
「彼女じゃないのに、ええと、デート?」
「はい」
「ええっ?」
七色は、『超完全必勝版デート・マニュアル』のページをめくって、
「たしか、このページ……お試しデート編、になると思います」
と、すんと言った。
そのかたわらで、彼方が、
「御月さん。その本からは、もう離れて」
と、ツッコみ気味に、言った。
直人が、
「そうだ」
と、ふと思いついたように、言った。
「兄ちゃんたちにも、俺の必殺技を、見せてやるよ」
七色が、小首を傾げて、
「必殺技……?」
「ああ」
得意げに頷く直人である。
「うん、見せてみて」
テレビのヒーローものとか戦隊ものの必殺技の真似でもするのだろうか、と、彼方は、微笑んだ。
「さっき言っていた、"レッドドラゴンローリング"ってやつかな。ローリングだから、すごく回転が、かかるとか」
直人は、
「いや、もっといいもんさ」
と、不敵に笑った。
「いくぜ……っ!」
直人が、低く腰を沈めた。
「最終奥義……必殺……」
そうして構えをとった直人だ。
「こぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」
直人の髪が少し逆立った、ような気がした。
直人の足元の小石がいくつかぴしぴしと音を立て震えた、ような気がした。
直人がなにかのオーラをまとった、ような気がした。
ような気がするのオンパレードだが、そのような雰囲気がぴしぴしとそれっぽく生じていた。
他の二人の少年たちから、
「マジか! やるのかっ?」
「禁断のあの技の封印を、解くつもりか! 今、ここでっ?」
と、どよめきの声が、漏れた。
「"ギャラクシー"……」
ますます直人の髪が少し逆立った、ような気がした。
ますます直人の足元の小石がいくつかぴしぴしと音を立て震えた、ような気がした。
ますます直人がなにかのオーラをまとった、ような気がした。
ような気がするのオンパレードだが、そのような雰囲気がぴしぴしとそれっぽく生じていた。
瞬間。
直人が、吠えた。
「"スカート・ブレイカー"……っ!」
一陣の風。
風が、舞った。
七色の白のワンピース。
それが、綺麗に下からまくれあがっていた。
「……!」
刹那。
すべての時が停まったような感覚が場に生じていた。
七色の白のワンピース。
それが、ゆるやかに動いた。
そして、白い肌色があらわになっていた。
白い肌色。
それが、七色の脚だとわかるのに、数秒かかった。
そして、純白の色、七色の下着が、彼方の目に自然と映った。
「……」
一瞬。
時が停まったかのような沈黙。
それは、直人の会心の一声で、破られた。
「……よっしぁぁああああああああああああああ!」
それは、勝利宣言の雄たけびのようだった。
「"ギャラクシー・スカート・ブレイカー"、成功だぜ!」
七色は、放心したように小さく口を開いていた。
いたものの、
「……!」
と、我に返って、紅潮した顔のまま、ワンピースの裾を押さえた。
「さすがだぜ、直人!」
「綺麗な姉ちゃん相手でも、容赦なしかよ!」
周りの少年たちの喝采に、直人も、満足そうに頷いていた。
「……」
一方の七色は、呆然とした様子で一言も発しなかった。
その時、
「こらー!」
と、大きな声がした。
幼い怒号が、彼方達の前方から、飛んできた。
「うわっ、春野!」
少年たちと同じくらいの歳の少女だった。
「また、悪戯したんでしょっ!」
直人が、
「待て!」
と、慌てた様子で、手を振った。
「待たない!」
「違うって、必殺技を……」
「それを悪戯って言うの!」
間髪入れず、少女のチョップが、直人の頭に、突き刺さった。
「……ぐっはぁああああっ」
直人が、派手にその場に倒れ込んだ。
「ああっ!」
「直人っ?」
残りの二人の少年が、悲痛な叫び声をあげた。
そこに、間髪入れず、少女のチョップが、突き刺さった。
「……ぐっへぁああああっ」
「……ぐっほぁああああっ」
二人の少年たちも、派手にその場に倒れ込んだ。
流れるような三連続チョップである。
少女は、彼方と七色に向き直って、
「あのっ……ごめんなさい、お姉さん、お兄さん!」
と、頭を下げた。
「ええと……」
「あ……」
彼方と七色は、少女に合わせるように応じていた。
「私、春野美香って言います」
少女の名前は、美香というらしかった。
「こいつの、いえ、この南条直人君の同級生です」
美香は、はっきりとした口調で、
「南条君たちが、ご迷惑をおかけして……本当に、ごめんなさい!」
と、続けた。
美香は、起き上がりかけている直人に向かって、
「南条君も、早く、謝りなさい」
と、言った。
美香にたしなめられた直人は、面倒そうに、
「うるさいんだよなー、春野は……」
「南条君!」
少女の大きな声に、気圧される感じになった直人は、
「……わかったよ」
と、応じていた。
「……春野の言う通りだ。確かに、調子にのりすぎた……」
と、直人は、うなだれた後、七色のほうを向いて、
「姉ちゃん、ごめんなさい」
と、謝った。
「……ごめんなさい」
「本当に、ごめんなさい」
二人の少年たちも、直人に続く形で謝った。
三人とも、素直な少年のようだった。
「……大丈夫、です」
七色は、微笑んで言った。
七色の言葉に救われたように、沈んでいた少年達の表情がぱあと晴れた。
そうして、
「だよな!」
「そう、見せる分はただだもんな!」
「ああ、まったく問題ないぜ!」
と、流れるように言い合ったかと思えば、
「……ぐっはぁああああっ」
「……ぐっへぁああああっ」
「……ぐっほぁああああっ」
三人の少年たちは、再び派手にその場に倒れ込んだ。
流れるような三連続チョップである。
それから、
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
と、三人は、言った。
「南条君。こっちに来て」
美香は、直人の腕を引っ張った。
「それでは、失礼します」
と、美香は、直人と一緒に帰っていった。
「やれやれ」
「……ありゃあ、いつものお説教コースだぜ」
「さすがの直人も、学級委員長の春野さんには、頭があがらないみたいだからな」
美香に、この少年たちの言葉はしっかりと届いていたようで、
「あんたたちも、同罪だからね?」
と、声がした。
「……まあ」
「そうだよな……」
少し青い顔をした顔を見合わせた二人の少年たちも、解散していった。
気付けば、先程のまでの騒がしさは、嘘のように消え去っていた。
公園の空は、茜色でもなかった。
もう、夕暮れの色が、夕闇に染まりはじめていた。
彼方は、
「御月さん」
と、話しかけた。
「……」
「あの。御月さん」
彼方は、もう一度、話しかけた。
彼方の呼びかけに、七色は、我に返ったようになって、
「……すみません。少し、ぼーっとしてしまいました。何でしょうか?」
「僕は、何も見ていないから」
「……」
しばらくの沈黙があった。
「ええと……御月さん?」
七色は、彼方のほうを向かずに、うつむき加減に、
「……そういうことは言わないでいただけると、助かります」
と、言った。
「……ごめん」
彼方と七色は、しばらくの間、ベンチで座ったまま地面を見ていた。
「行こうか、御月さん」
「……はい」
言葉少なに、七色は、答えた。
この状況、一口で言い表すのならば、気まずい、だった。
気まずかった。
そのようなぼんやりとした気まずい雰囲気を抱え込みながら、帰途についた彼方たちだった。
七色の表情が、変わった。
「どうしたの?」
と、彼方は、言った。
聞きながら、七色の顔が緊張しているのが、わかった。
七色は、見渡すようにして、
「この気配……近い」
七色の口調に、彼方は、緊張した。
(この声音は、知っている)
と、彼方は、思った。
(いつもの御月さんじゃない)(……"月詠みの巫女"の御月さん……)
七色は、空を、見上げた。
「まさか……"爛"……?」
と、彼方が、聞いた。
静かに頷いた七色に向かって、彼方は、
「わかった。一緒に行こう」
と、言った。
先日の出来事を、彼方は、思い出していた。
「危険です」
と、七色が、言った。
「朝川さんは、帰って下さい」
「……」
"爛"高瀬容之のことを、彼方は、思い出していた。
"爛"は、星に願いをかけた者。
そう、七色は、言っていた。
"爛"は、星への願いの果てに、世界の理の外の力を得た者である。
人は、与えられたものだけで、満足できるのだろうか。
答えは、満足できない、だろう。
人は、願わずにいられない。
だから、人は、今の自分にないものを得ようと努力をして、または向上心を持って、あるいは自分を奮いたたせたりする。
それは、人の欲求であり本質だと、彼方は、思った。
何かを得ようとするには、対価が、必要になってくる。
もちろん、対価は絶対ではないし、ましてや万能でもない。
対価は、努力であったり、時間であったり、金銭であったり、何かを失うことであったりするだろう。
対価と、得るものが、帳尻が合わない場合もある。
程度は、様々だ。
勉強ができる者が、知識を広げたいと、願う。
勉強が不得手な者が、せめて人並みになりたいと、思う。
昨年の地区大会の第一戦敗退の野球少年が、今年の甲子園出場に、夢をかける。
社会人が、キャリアアップに、躍起になる。
(今は、考えるのは、よそう)
途方もないのだ。
人の数だけ願いの数もあるのかもしれない。
きりがないわけではないが、半永久的にきりがない。
無限ではないが、無限に近しい有限である。
だから、例は、枚挙にいとまがないだろう。
今は、それを考えている場合ではない。
彼方は、背筋を伸ばした。
「僕も、行かせてくれ」
と、彼方は、言った。
「でも……」
「僕が、行ったところで、何ができるのかわからない」
余計な言葉は省いていた、
「でも……御月さんの役に、立ちたいんだ」
端的に、彼方は、自分の気持ちを言った。




