第2話 夕暮れの贈り物 4
取引の場所は、高級住宅街の一角だった。
取引の内容は、情報の授受である。
四人組のスーツ姿の男たちが、いた。
四人とも一様に、その目つきは鋭かった。
いわゆる、普通ではない、と形容される雰囲気である。
四人組の中のリーダー格の男は、月の光りの眩しさに目を細めた。
リーダー格の男は、
「悪くない空だ」
と、言った。
リーダー格の男は、薄い色のサングラスをかけ直した。
男たちは、マンションの屋上にいた。
マンションの名前は、サンガーデン桶野川である。
「……サンガーデン、か」
髪をオールバックに綺麗になでつけたリーダー格の男は、何とはなしの調子で言った。
一等地に構える、瀟洒な風格の高級マンションである。
サンガーデンの名称の由来なのか、連絡通路に専用の庭があった。
木々の配置にこだわりが感じられるしゃれた雰囲気である。
スーツの男が、
「いかにも小金持ちどもが喜びそうな庭ですね」
と、つまらなそうに言った。
「そう言うな」
と、リーダー格の男が、淡々とした調子で言って、
「そういうやつらがいるから、我々の仕事も成り立つんだ」
お待たせしました、と、男たちの背後から声がかかった。
ネイビーのトレンチコートを着た男が、立っていた。
トレンチコートと同じ色の帽子を目深にかぶっている。
そのため、男の表情ははっきりしない。
だが、その口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。
ただし、人を食ったような笑みだった。
「……五分の遅刻だ」
と、リーダー格の男が、言って、
「これは、ビジネスだ。約束の時間ぐらい守ってもらわないと困る」
と、続けた。
「失礼しました」
と、トレンチコートを羽織り帽子を目深にかぶった男は、言って、
「時間は厳守でなくて、いいのですか?」
「ふん」
リーダー格の男は、いまいましそうにして、
「時間通りに来たことのないきさまに言っても無駄だろう?」
と、吐き捨てるように言った。
「だから、表現上譲歩した……そんなところですか」
「持って回った物言いだな」
「性分なものでして」
と、言ったトレンチコートの男は、柔らかく笑った。
「こんな遅くまで、お勤めご苦労様です」
トレンチコートの言葉使いは、丁寧である。
「サラリーマンの鏡ですよ。皆さんの勤勉さには、頭が下がる思いです」
丁寧なものの、慇懃無礼を地で行くような物言いだった。
四人組の中の一人が歩を進めようとしたのを、リーダー格の男が制した。
「茶化すのは止めてもらおう」
と、四人組のリーダー格の男が、言って、
「早速、取引に入らせてもらう」
リーダー格の男に促された別の男が、アタッシュケースを開いた。
ケースには、整然と敷き詰められた大量の札束があった。
「五千万」
と、リーダー格の男が、短く言った。
「これが、今回の報酬だ」
アタッシュケースが、トレンチコートの男の足元にかたりと置かれた。
「いつもすみませんねえ。では、こちらも」
と、トレンチコートの男が、小さな封筒を投げた。
リーダー格の男が、放られた封筒を掴んだ。
「情報が入ったフラッシュメモリーです。中身を確認しますか?」
「いや、いい。そこは、ビジネスパートーナーとして、きさまを信頼している」
「結構です」
と、トレンチコートの男が、笑った。
「臨床実験のほうは、いかがですか?」
「安定している」
と、リーダー格の男が、答えた。
「人工の"爛"の精製の研究は、順調だ」
「それは重畳」
飄々(ひょうひょう)としたトレンチコートの男の物腰だった。
(こいつ……)
リーダー格の男は、苦虫を噛み潰したような思いだった。
上から物を言うような態度が、どうにも癪に障った。
「私はね」
と、トレンチコートの男は、言って、
「ただ手助けをしているだけですよ。星への願いを掴みとれるようにね」
と、続けた。
「嬉しい悲鳴じゃないですか。こちらも、知識の提供のしがいがあるというものです」
「……」
「薬は、研究員のかたの身内に、投与しているのですよね?」
「ああ」
「研究員のかたも、研究の礎として、わりきったことをしますね」
リーダー格の男は、
「彼に、"爛"の進行を抑えるための薬と、説明しろと言ったのは、きさまだぞ。白々(しらじら)しい」
と、言った。
トレンチコートの男は、
「そのかたは、ご自身の身内のかたが"爛"になりかけていると誤認している」
と、頷いて、
「そんな彼に、"爛"の進行を抑えるための薬と言って、"爛"となる試験薬を渡す」
「……」
「救おうとしているのにそのじつ泥沼の中に誘っている……悪くないシチュエーションです」
(……悪趣味だな)
リーダー格の男は、内心うんざりしながら、
「いずれにしても、彼には、賭け事で作った七百万の借金を我々に肩代わりしてもらったという負い目がある」
と、言って、
「だから、我々の言うことは聞くさ」
「いいですね。経過をお聞きして、私も満足しています」
トレンチコートの男は、少しかがんだ。
アタッシュケースが、四人の男たちの足元に、大きな音を立てて投げつけられた。
アタッシュケースが、無造作に放られたのだ。
その中身は、五千万円の札束である。
開いたまま放られたものだから、いくばくかの札束があたりに散乱してしまっていた。
「……何の真似だ?」
「全部で五千万」
「知っている」
「あなたがたで分けて下さい」
リーダー格の男は、
「……何の真似だと聞いている」
と、苛立ちを隠さずに、言った。
「正直、金には苦労していないのです。今夜の私は、気分がいい。気まぐれです、どうぞ受け取って下さい」
「馬鹿なことをするな」
「洒脱な酔狂と、言って下さい」
と、トレンチコートの男は、笑った。
「あなたがたがこのような紙切れのために頑張ってそれでいて翻弄されているのを見るのは、滑稽です」
「……」
「単なる紙切れに命さえ賭ける、無様ですらあります」
「……言葉は、選んでもらおう」
「お気に召しませんか?」
「……我々は、ビジネスパートナーだと、認識している。そこまでの侮蔑を受ける覚えはない」
「これは困りましたね」
と、トレンチコートの男は、肩をすくめた。
「価値観を押し付けているつもりは、ないのですがねえ。お気を悪くされたのでしたら謝ります」
「わかればいい」
「ですが」
トレンチコートの男が、指を鳴らした。
ざりっという音がした、ような気がした。
「私の気分を害しないほうがいいですよ」
突如。
リーダー格の男の影が、うごめいた。
電波を受信できない時のアナログテレビの画面の砂嵐のように、濁った。
「……なっ!」
レーダー格の男の驚愕の声がした。
「私の影が、勝手に動いている……っ?」
リーダー格の男の顔色は悪く、額に汗が浮んでいた。
この異様な光景に、理解が追い付いていっていなかった。
焦燥が、全身を駆け巡っていった。
「なぜ、だ? い、いや、身体も勝手に……!」
リーダー格の男の言葉は、言葉通りだった。
つまり、リーダー格の男の身体は、彼自身の意思とは無関係に動いていた。
周りの男たちからも、焦燥の声があがった。
「答えは、簡単です」
「……」
「私が、あなたの影を……」
トレンチコートの男は、まるで指揮者がタクトを振るうようにして、
「操っているからですよ」
リーダー格の男は、自身のスーツから銃を取り出すと、自身の右脚を撃った。
それから、
「ぎゃあっ!」
と、悲鳴が、上がった。
他の三人の男たちが、狼狽の声を、上げた。
「サイレンサー付きですか。音も立たないから、ちょうどいい」
と、トレンチコートの男が、言った。
トレンチコートの男が指を鳴らすと、リーダー格の男の影は、元の普通の影に戻った。
「あなたたちは、こうはなりたくないでしょう?」
「き……さま……!」
「では、今後ともよろしくお願いいたします」
帽子に手をあてた男は、四人に背を向けて歩き出していた。
「ああ、そうそう。一つ、言い忘れていました」
と、トレンチコートの男が、言った。
「実験の検体ですが、あれはもう駄目だと思いますよ。次の検体を探すことを、お薦めします」
トレンチコートが、風に揺れた。
「身体がね、もたないだろうから」