第2話 夕暮れの贈り物 3
御月佳苗は、朝川家の、雇われ家政婦である。
朝川家は現在、彼方の一人暮らし、という状況だった。
両親は、仕事の関係で長期出張に出ている。
彼方も両親に一緒に付いていくという選択肢もあった。
しかし、葉坂学園からの転校ということを考えると、時期的に中途半端だったし、新しい生活に慣れる手間や労力を考えると、場所を移らない現状維持の一人暮らしに、落ち着いたのである。
両親からの連絡はほとんど来ない。
月に二回ほど、メールが、あるのみである。
連絡の少なさは、よく言えば、彼方を信頼していることの裏返しであり、悪く言えば、放任主義である。
しかし、放任主義の彼方の両親も、多少なりとも、学生である息子一人を置いていくのには、不安があったのだろう。
家政婦の女性に、週三日ばかり来てもらうように、手配してくれていた。
その女性が、佳苗というわけだ。
週に三度程、家に来て、炊事、洗濯、掃除といった家事全般を、こなしてくれるのである。
日曜日には、一週間分の買い出しに、出かけてくれている。
また、御月佳苗は、御月七色の母である。
御月七色は、朝川彼方の同級生である。
七色は、人形を思いおこさせる、綺麗に整った顔立ちと艶やかな髪をもつ少女である。
同級生の御月七色は、高嶺の花と呼ばれていた。
綺麗に整った顔立ち。
光を織り込んだような肩までの艶やかな髪。
雪のように白い肌。
三拍子どころか四拍子五拍子と揃っていた。
まぎれもない美少女である。
その言葉が指し示す通りのその容姿は、人形の端整さをも思わせた。
また、人形が言葉を発することがないように、寡黙だった。
表情を変えることも、少なかった。
結果として、容姿端麗のその少女、御月七色は、他人を寄せ付けない雰囲気を、自然とその身にまとっていた。
彼方と七色は、桶野川市の葉坂学園の同級生同士である。
クラスは、彼方が三組で、七色が五組である。
学園の廊下で、彼方は、七色に呼び止められた。
「朝川さん」
覚えのある透き通った声に、彼方は、立ち止まって、
「あ、御月さん、おはよう」
と、言った。
「おはようございます」
七色の透き通った瞳は、彼方を真っ直ぐに捉えていて、無機質な感じさえ受けた。
朝の挨拶があったかと思うと、
「母に、今度の日曜日の買い出しは、朝川さんと行くようにと、言われています」
と、事務的な調子で、七色が、切り出した。
「え?」
彼方は、少しとまどって、そんなリアクションになった。
初耳だった。
いきなりと言えば、いきなりだった。
しかし、である。
いきなり用件から入るのは、七色らしいと言えば、七色らしかった。
確かに、佳苗の買い出しには、たまに付き合わされていたのだ。
彼方は、
(……佳苗さんの荷物持ちでね……)
と、心中苦笑した。
七色が、
「母から、メールがありませんでしたか?」
と、聞いた。
彼方は、七色にそう言われて、チェックしてみる。
はたして、確かに、佳苗からメールが届いていた。
「ごめん」
と、彼方は、佳苗からのメールを、開いた。
「佳苗さんから、メール、もらっていたよ。うっかりしていた」
「いえ」
彼方は、早速メールを読んでみた。
『彼方君へ。いつもお世話になっています。今度の日曜日の買い出しは、七色ちゃんと、一緒に行って下さい』
「ええと……確かに、御月さんが言ってくれた内容のメールが、きているね。それと、続きが、あるみたいだ」
『私が行かない理由? たまには、さぼりたいからです。てへ☆』
思わず、脱力した彼方は、
「……お仕事放棄ですよ、佳苗さん」
と、言った。
『ごめんね。本当の理由を、書きます』
急に、文体が、真面目になった。
なので、彼方は、眉をひそめた。
(僕に、メールでしか、伝えられない内容なのかもしれない……)
と、彼方は、思った。
「どうかしたのですか?」
と、七色が、聞いた。
「大丈夫だよ」
彼方は、七色を、安心させるように、柔らかく言った。
『ダ〇〇〇〇の一番下のルートの攻略が、どうしてもしたいの』
「……ええと」
と、彼方は、言葉に、詰まった。
「朝川さん。どうか、しましたか?」
「……いや。大丈夫だよ」
と、彼方は、続けて、
「これは、魚型のメカがたくさん出てくるシューティングゲームだったかな……」
『クリアはしてるんだよ? 私ぐらいのシューターになれば、ノーコンテニューノーミスクリアは、標準装備だからね。ハイスコアを目指していて、なかなかうまくいかないの』
佳苗のメールの文面は、まだ続いていた。
『〇ルートと〇ルートでの、稼ぎが、もう少し工夫できると、思うんだよ。彼方君なら、わかってくれるよね?』
「……今一、わかりません」
『後、買い出しは、一人でも、良いんじゃないかって? 答えは、ノンノンだよ。買い物は、二人で、楽しむものだからね』
佳苗のメールの文面は、ここで、終わっていた。
「佳苗さんは、今日は、家にいるの?」
「はい。ハイスコア、ですか……? それをとるのだと」
「ああ……」
あの、と、七色が、言った。
「母は、二人でと、言っていますが、ご都合悪ければ、私一人で大丈夫ですから」
「それは、申し訳ないよ。一緒に行くよ」
「そうですか?」
「日曜日は、駅前のロータリー……そうだな、バス停の近くで待ち合わせで、どうかな?」
七色は、
「でも、ご迷惑では……」
と、言い淀んだ。
「全然だよ。せっかくの機会なのだから、一緒に、行こう」
「わかりました。では、よろしくお願いします」
七色が、俯きがちに、かすかに赤面したことに、彼方は、気付かなかった。
七色と別れた彼方は、自身の教室に、入った。
「で、何なんだ?」
彼方は、教科書を、鞄から出しているところで、級友の乃木新谷に、声をかけられた。
新谷は、長めの髪をオールバックふうにしている。
顔立ちは、いわゆるイケメンふうの美男子である。
ただし、軽薄そうな態度が外見のプラス要素をマイナスしてしまっている、そういうタイプでもある。
彼方と新谷とは十年来の付き合いで、言わば悪友である。
彼方と新谷とは、良くも悪くも、本音で言い合える仲である。
「おはよう、新谷。何なんだって、何が?」
「おいおい」
と、新谷は、笑った。
「知らないとは、言わせないぜ」
「僕が、知らないって?」
「どうした、テンション低いみたいだが」
と、新谷は、肩をすくめた。
「新谷みたいに、能天気な性分じゃないしね」
「お前、たまに、さらっとキツイこと言うのな。お前らしいって言えば、そうなんだろうけどさ」
新谷は、にやっと笑って、
「さっき話し込んでいただろう」
新谷は、肘で、彼方を、突っついた。
「御月さんだよ。あのクールビューティーと、そんなに親しかったっけ?」
「挨拶をしただけだよ」
と、彼方は、言った。
「最近、御月さんと良く話してるじゃねーか」
「そんなことないよ」
と、彼方は、言って、鞄の中の教科書を取り出して、机の中にしまった
「そんなことあるって。大体、挨拶だけって、その挨拶だけでも凄いっての。あの美少女特有の近寄りがたさをものにしない、っていうのがさ」
新谷は、続けて、
「例えば、隣のクラスの糸川、知ってるだろう」
と、言った。
「ああ、うん」
「あのプレイボーイと名高い糸川さ」
と、新谷が、言った。
「面食いのアイツが、珍しく本気で御月さんに告白するも、『ごめんなさい。興味ないです』のクールな一言で、五秒で撃沈されたそうだぜ」
「そうなんだ」
彼方は、内心半ば腑に落ちていた。
なんだか目に浮かぶようだったからだ。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
「……それにしても、さすが、御月さん。激可愛いだけでなく、断り方も、格好良いよなー」
糸川の一件は、良く色々と色恋沙汰の噂を耳にする糸川自身に問題があるように思えたが、七色のその返答は彼女らしいと思えて、彼方は、内心苦笑した。
「まあ、そんな感じなわけよ」
と、新谷が、身を乗り出すと、
「おはよう」
と、二人に、声が、かかった。
クラス委員長の立海凛架だった。
「おはよう、委員長」
と、彼方が、言った。
「おはよう、朝川君、乃木君。朝から、楽しそうね」
「糸川事件の話を、していたんだよ」
と、新谷が、言った。
凛架は、目を細めて、
「なんの話? っていうか、なにそのネーミング」
「いや、語呂がいいかと思ってな」
「語呂の問題なの」
新谷と凛架の話のテンポはスムーズだ。
なんだかんでバランスが取れているのだ。
そんなふうに思うと、彼方は、内心苦笑を禁じえなかった。
凛架は、
「ああ。糸川君が、五組の御月さんに声をかけたってやつ?」
と、言った。
「あまり興味なさそうだな、委員長」
と、新谷は、不思議そうに、言った。
「女子って、こういう話、のってくるヤツ、多いけどな」
「どうかしら」
と、凛架は、肩をすくめて、
「そういうのが好きな子もいるんでしょうけど、私は、あまり興味ないわ」
と、言った。
「ドライだねえ」
新谷は、ふむと息をついて、
「もしかすると、委員長には、早い話だったか。誰が誰を好きとか嫌いとか」
「男子がそういう話を大声でしているのが、格好悪いと思うだけよ。それに、私だって、好きな人とか普通にいるし」
と、凛架は、面倒そうに、言った。
「へえ」
と、新谷が、言った。
「委員長、好きな人いるんだ」
俄然興味がわいたというふうに、新谷は、身を乗り出した。
凛架は、新谷を試すように、
「話を、続けても良いけど?」
「マジで!」
「組手をしてくれたらね」
目を細めた凜架の白い脚が僅かに動き、紺のスカートが揺れた。
凛架の白い脚が、少し揺れていた。
まさに蹴りの構えである。
新谷いわく、立海凛架は空手の有段者である。
新谷は、これも当人談ではあるが、彼女と死闘を繰広げたことがあるらしい。
もっとも、その武勇伝を語った時の新谷は、震え声だった。
(一方的に、新谷が、やられたとしか思えないけれども)
というのが、彼方の見立てだった。
そういう経緯があるせいか、ぼやきつつも、新谷は、委員長には頭があがらない様子だった。
新谷は今でこそ落ち着いているが、かつて悪かった時期がありめっぽう喧嘩が強いことは、彼方も知っていた。
その新谷が、敵わないという様子なのだ。
だから、凛架の力は相当なのだろう。
新谷は、
「……あっそ」
と、青ざめながら、言った。
「噂話してるようじゃ、モテないわよ、乃木君」
「俺は、自分が好きなヤツにモテてりゃ、それで良いよ」
「……ふーん。そう」
と、凛架は、不意を突かれたように、少し戸惑いがちに、言った。
「ま、委員長の言う通りだな。噂話は、良くない。この話は、終わりにしよう」
と、新谷は、言った。
「とにかく、御月さんと、お話している、羨ましいお前には、放課後、何か、俺に奢るの刑だ」
「本当に、挨拶ぐらいだよ」
と、彼方は、言った。
「なんだ」
少し興味を失ったように、つまらなそうな表情になった新谷は、
「ま、冷静に考えりゃ、そうだよな」
と、言った。
「彼方みたいな、ごく普通の一学生が、あの御月さんと、お近づきになれるわけもなし、か」
「……」
「ああっ!また、『新谷が馬鹿なこと言ってるから無視しよう』的な態度に、落ち着くんじゃない!」
「良く、わかってるね」
「彼方のその台詞その冷静さが、たった今、俺の心を深くえぐったぞ」
とにかく、と、新谷は、続けて、
「話せないから、知ることもできない、ミステリアス。そんなところも、クールビューティーの御月さんの魅力だとは、思うけどな」
彼方は、席につきながら、
(御月さんのことを……知らない……か)
ほんの数週間前までは、彼方も、新谷と同じような認識しか、持ち合わせていなかった。
高嶺の花と呼ばれている同級生、それが、御月七色だった。
この前の出会いで、それが、呆気なく、くつがえった。
(……"月詠みの巫女"……)
世界の理の外の存在である"爛"を討つという"月詠みの巫女"、と、七色は、名乗った。
頭の中で言葉だけ並べていると、あまりに現実離れしている。
アニメとか漫画とかドラマとか小説みたいである。
教室の窓の外の朝の光に、彼方は、目を細めた。
("爛"……)
と、彼方は、心中呟いた。
いやおうなしに、あの眩いイチョウ色の光が、思い出された。
あの夜の光景が、彼方の頭の中でちらついた。




