第2話 夕暮れの贈り物 2
町村麻知子は、二つの顔を持っていた。
一つの顔は、普通の学生としての顔である。
通学をして勉学に励む、学生である。
麻知子は、文武ともに成績は優秀であった。
麻知子の得意科目は、数学である。
もう一つの顔は、世界の理の外の存在である"爛"の殲滅機関の一員としての顔である。
麻知子は、機関の中では、情報を扱う部署に配属されていた。
目の前にいるのは、上司の籠原能登である。
年は、能登が二つ上である。
麻知子も能登も、普段は、普通の学園生活を送っている。
今、二人は仕事の打ち合わせをしていて、制服姿である。
二人は、ファーストフードの店内の、目立たない窓際の席に、座っていた。
午後の六時という時間帯のためか、店は、下校途中の学生でいっぱいだった。
近くに女子校があるので、店内の客は、女生徒が多めだった。
能登は、顔をほころばせて、
「見て見て、麻知子ちゃん! じゃーん!」
と、言った。
「新発売の、エクセレントエッグバーガーですっ」
「……」
麻知子の塩対応などなんのそのの感じで、能登は、ハンバーガーをむんと掲げて、
「このエクセレントな貫禄にひれ伏すがよいっ!」
と、宣言するように言った。
「ひれ伏しませんよ」
と、麻知子は、あきれたように言った。
目の前に、新発売だというハンバーガーを披露された麻知子は、
「だいたい、どのへんがエクセレントなんでしょうか?」
と、言った。
「こう、バーっとしてて! ドーンとしてて! ジャーンな感じっ!」
「先輩、語彙力」
能登の言葉を脇に置くようにした麻知子の冷たいツッコミに、能登は、
「うぐ……」
と、うめいた。
「どうも、先輩の話は主観によりすぎています。こういう時は、客観性も重要です」
麻知子は、
「説明書きを見ますか」
と、トレイに敷いてある広告を見た。
「卵を贅沢に二つも挟み込んだ一品のようですね」
「そう、それだよっ」
水を得た魚のように、能登は、くっと身を乗り出して、
「私が言いたかったのは、それなんだから!」
と、声高に言った。
「……そういうことにしておきましょう」
「食べるのがもったいなくなるね」
と、言いながら、能登は、ハンバーガーを一口食べた。
しかして、能登は、満面の笑みである。
それこそ、数秒前の麻知子の言など、どこかに置き去って来たかのように、満面の笑みである。
「でりーしゃすっ♪」
アニメや漫画などだったら、背景に効果音が入りそうなくらいの上機嫌っぷりだった。
「それはよかったですね。美味しいですか?」
と、麻知子は、聞いた。
能登は、ハンバーガーを、二口、口にしてから、
「うんー、とっても、美味しい!」
と、言った。
「麻知子ちゃんは、何を頼んだの?」
(私のトレイを見れば、わかるだろうに)
と、麻知子は、思いながら嘆息した。
「私は、ホットコーヒーとポテトの小さいサイズです」
「それで足りるの?」
能登は、きょとんとした顔で聞いた。
麻知子は、ブラックのコーヒーを一口飲んで、
「先輩」
「なに?」
麻知子は、
「私たちは、今、仕事の打ち合わせをしているんですよ?」
と、とがめるように言って、
「しているんですよね?」
「うん」
と、能登は、ほほ笑みながら頷いた。
「何故そんなに楽しそうに返事をするんですか?」
「だって、麻知子ちゃんと一緒に食べるの、好きなんだもん」
能登は、即答した。
麻知子は、
「私たちは、今、仕事の打ち合わせをしているんですよ?」
と、とがめるように言って、
「しているんですよね?」
「うん」
と、能登は、ほほ笑みながら頷いた。
(……駄目だ。ループしているだけだ)
麻知子は、げんなりしながら、
「時間を有効に使いましょう。早速はじめますよ」
と、言った。
「えー。真面目だなあ」
「……怒りますよ?」
「あ……う、うん。はじめよう!」
麻知子の険のある声に、能登は焦りながら、ガッツポーズをとった。
「まったく。油断も隙もありませんね」
「でも、実はその前に、相談があるの。いいかな……?」
と、能登が、言った。
(あれっ)
と、麻知子は、思った。
能登は、随分と真剣な表情をしていた。
(これは、きちんと聞いたほうがいいな)
と、麻知子は、考えて、
「失礼しました。それで、相談というのは?」
と、言った。
「あんまり大きな声では言えないから、耳を貸してもらえないかな」
と、能登は、声のトーンを下げた。
「はい」
(このお気楽な先輩がこんな深刻な顔でここまで言うからには、相当な……)
能登は、こそと、
「……あのね」
「……はい」
「……ブラのカップなんだけど、また大きくしなくちゃならなくなったみたいで」
「……は?」
一瞬、麻知子の思考が停止した。
能登は、恥ずかしそうに顔を赤らめて、
「だからね、胸……また、大きくなっちゃったみたいで……!」
「……」
「どうしよう、麻知子ちゃん?」
能登は、真剣な表情のままだった。
麻知子は、能登の胸を見た。
麻知子は、さらに自身のあまりふくらみのない胸を見た。
言うまでもなく、差は歴然である。
「それは、私に対する当てつけですか!」
思わず、大きな声を、麻知子は出していた。
能登の胸は、女性の麻知子から見て、形がよく豊満だった。
(それでいて、女性らしく締まっているライン……身体つきに関しては、正直、魅力的と言わざるをえないな)
と、麻知子は、思った。
「ひぃう! ま、麻知子ちゃん……?」
能登も、驚いて、声をあげた。
周りの客も、何事かと、麻知子たちに視線を向けていた。
麻知子は、気恥ずかしくなって、下を向いた。
(……これだから、天然な人は、困る。ずけずけと……)
麻知子は、ぼんやりとしたわだかまりにいらいらしながら、
(胸の大きさを気にしているとか……なんて、うらやまし……いえ、くだらない悩みを抱えているんだか)
と、思った。
能登は、綺麗にウェーブのかかった肩までの髪を揺らしながら、
「でも、真面目に話をしてるんだよ」
と、言った。
「これって、深刻な女の子の悩みだと思うんだけど……」
麻知子は、はあと大きく息をついた。
「わかりました」
麻知子は、オーケーというふうに大げさに肩をすくめてみせた。
「百歩譲って、深刻な悩みだとしましょう。でも、女子トークをするには、TPOを、弁えて下さい。今は、その時ではないと、考えます」
「ティーピーオー?」
「Time(時間)」
「へー」
「……Place(場所)」
「おー」
「……Occasion(場合)です」
「なるほどー」
「……」
麻知子は、心中頭をかかえていた。
この能登のリアクションには、麻知子は
一切の虚構がない。
つまりすなわち、本気で本当に麻知子の話に感心しているのである。
(本当に、たちが悪い)
麻知子は、げんなりとしていた。
能登と話をしていると、疲弊する。
心底疲れるのだ。
精神にポイントがあるとすれば、そのポイントをげっそりと削られる感じである。
「時と場所と場合を考えて、行動せよ、という意味です。ちなみに、和製英語ですから、海外では通用しにくいです」
「そうなんだー。さすが、麻知子ちゃん!」
麻知子は、気を取り直して、
「今は、仕事の話、先です。今の相談は、後回しです」
と、言った。
「……はい。ごめんなさい」
能登も、麻知子に一喝させて、急に、しおらしくなった。
麻知子は、ノートパソコンを、開いていた。
(頼りにならない上司のお守りも、疲れる)
麻知子は、自身が、計算高い性格であると、自認していた。
それが、悪いと思ったことは、一度もなかった。
また、麻知子は、自身が、出世欲が強く、その機会を虎視眈々と狙っていることも、自認していた。
人は、多種多様で、その多様性が、お互いを補完し合っているのだというのが、麻知子の持論である。
(私は、私のやり方で、のし上がるだけだ)
ノートパソコンのキーボードをテンポ良く叩く音が、した。
「ふぁぁぁ~っ」
と、能登が、感嘆した。
「すごいっ! この画面の中の、丸いぽっちが、"爛"の出現ポイントなんだね」
「ええ、そうです」
と、麻知子が、答えた。
目を丸くして、画面に見入る能登の横で、淡々とパソコンを操作する麻知子は、
「この検索システムがあれば、この街における"爛"現象の発生パターンも、分析可能です」
「ま、麻知子ちゃん、すごい!」
と、能登は、目を輝かせて、
「これで、"爛"への対策も、ばっちりだね!」
と、能登が、感嘆の声を、上げた。
「声が大きいですよ、先輩」
「ご、ごめんなさい」
「大体、こんな話を、こんな場所でするのは、どうかと思いますよ」
「うぅ……お腹が、すいていたので、つい……」
能登の心から感心したような声に、麻知子は、心中、嘆息していた。
(素直に謝ったり、この馬鹿正直なところ、苛々してくる)
麻知子は、心の声を、抑えて、
「この検索法を踏襲すれば、任務能率も向上すると思います」
と、言った。
「うん」
「ひいては、我々の目的である、"月詠みの巫女"とのコンタクト、その者の所在もつかみやすくなるものかと」
「うんうん……って、えぇっ?」
と、能登は、驚いた様子で、
「"月詠みの巫女"って言ったら、"爛"を一瞬でやっつけちゃう、すごく怖い人でしょ?」
と、声を上げた。
「……なんですか、その捉えかたは。まあ、間違ってもいないようにも思えますが」
麻知子は、歯切れ悪く応じていた。
「そんな人と、接触なんて」
「接触自体は、先輩がお願いします」
と、麻知子は、淡々と、言った。
能登は、大きく目を見開いて、
「ふぇぇっ、どうして私?」
「元々は、先輩の任務でしょう?」
「……うっ。それは……」
「でしょう?」
麻知子は、念押しするように言った。
「……そうかも」
「かもじゃなくて、そうなんですよ」
「……はい」
「私は、そのサポートをさせてもらっているだけです」
「だ、大丈夫かなぁ。私になんか、やれるのかな……」
と、能登が、言った。
「やれるかやれないかは、問題ではありません」
麻知子は、鋭い目つきに、なった。
「やるんです」
気弱な声を上げた能登は、そのままかくりとうなだれた。
「……ぅぅぅ、わかってるよ。これも、お仕事ですから」
能登の言葉は、自身に言い聞かせる台詞のようだった。
「そりゃあ、他の皆さんも、色々と忙しいのはわかりますけど……はぁぁーっ」
長いため息を付いて、地面に目を落とす。
「"月詠みの巫女"を探し出して、コンタクトを取れ…かぁ」
指をおりおり、与えられた命令を復唱する。
「その際の弊害になり得るものは、全て、実力で排除せよ…かぁ」
麻知子は、首肯した。
「今の桶野川市の"爛"現象は、異常です」
麻知子は、ノートパソコンのキーボードを、小気味良くたたいていく。
「この街で何かが起こりつつあると見るのが、妥当です」
パソコンの画面に細かい情報のウインドウが、次々と開いていく。
「上層部もそのように判断したので、私達を、この街に派遣したのでしょう」
開かれた情報を、素早く見返していく麻知子だった。
「任務遂行を円滑なものにするために、この地を古くから裏舞台から護り続けている"守護者"である倉嶋家と、協力体勢をしいています」
「倉嶋……どこかで、聞いたことある……テレビの、CM、だったような」
「……三十点の回答ですね、先輩」
「うぅ……」
良いでしょう、と、麻知子は、ため息をついた。
「魔術師の大家です。現当主の倉嶋高明氏は、この桶野川市に居を構えています」
と、麻知子は、続けて、
「倉嶋家は、この地の主要な霊脈を管理及び統治しています」
と、言った。
「この霊脈の管理及び統治によって、桶野川市は、護られています。もっとも、これは、表には出てこない事実ですね」
能登は、頷いた。
「表向きは、倉嶋家といえば、倉嶋グループです。都内の一大オフィス街に拠点を構える、世界有数の政財界の巨塔です」
と、麻知子が、言った。
「倉嶋商事、倉嶋重化学、倉嶋電機、といったグループ企業は、いずれも有名で、その数は枚挙に暇がありません」
「へー」
「グループの母体企業は、倉嶋警備です」
「おー」
「倉嶋家は、元々、用心棒で財を成した家系で、そのルーツは、平安末期まで遡ります」
「なるほどー」
「これが、先程の裏の顔にも繋がってきます」
「そうなんだー」
麻知子は、心中頭をかかえていた。
この能登のリアクションには、嘘偽りがない。
一切の虚構がない。
つまりすなわち、本気で本当に麻知子の話に感心しているのである。
(本当に……)
麻知子は、げんなりとしていた。
能登と話をしていると、心底疲れるのだ。
精神にポイントがあるとすれば、そのポイントをげっそりと削られていて、もう残量は少ない感じである。
能登は、うんうんと頷きながら、
「ふぁぁ。勉強に、なったよ」
と、両手でもってガッツポーズをとって、
「ありがとう、麻知子ちゃん」
と、言った。
素直に純度百パーセントの感謝の言葉である。
そのような感謝の言葉をぶつけられると、麻知子としては、
「……どういたしまして」
という、返しに落ち着いていた。
麻知子は、瞑目して、
「いずれにしても、私のサポートがあれば、問題ありません。任せて下さい」
能登は、
「そ、そうだよね!」
と、両手で持ってぱんとして、
「麻知子ちゃんが、頑張ってくれているんだもん。私も、頑張るよ!」
と、応じた。
それにしても、と、能登は、麻知子に笑いかけて、
「凄いよね」
「なにがですか?」
能登は、麻知子のノートパソコンに目を向けて、
「私、パソコンとか全然わからないから、麻知子ちゃんみたいに、ぱぱーっとできちゃう人って、本当に羨ましいなぁ」
屈託のない笑顔だった。
(純度百二十パーセントの笑顔か)
と、麻知子は、思った。
(素直すぎて、見ていられない……)
そのようにやきもきしている麻知子にはてんで気付かない調子の能登である。
はたして、
「あ、ポテト、少しもらっても良いかな?」
「……」
ほわほわとした笑顔の能登に向かって、麻知子は、
「籠原先輩」
と、呼びかけた。
「はい?」
「私は情報部署の人間」
「うん」
「そして、先輩は、私の直接の上司です」
「……? そう、だね?」
麻知子の言葉の意味を把握しかねているような能登は、首を傾げた。
「この程度のプログラムを扱えきれないで、どうするんです」
「ぅ……で、でもでも、私がカラッキシでも、麻知子ちゃんがいるから大丈夫だよ。無問題」
「そういう問題では!」
「ひぅっ!」
「それになんですか、無問題って。死語とまでは言えませんが、現代の一般的な日本語の表現としては、あまり一般的ではないかと思いますよ」
「えぇっ?」
麻知子は、
(わからない)
と、内心、首をかしげた。
(何故、自分が、この籠原能登のサポート役に甘んじなければならないのか。少なくとも、自分の能力が、劣っているところなど、1つもないことは、確実なのだ)
「うぅ……今日の麻知子ちゃん、少し怖いかも……」
上層部からの命令は、絶対である。
それに、逆らうことはできない。
(まあ良い。この機会に、上層部の連中には理解させてやります)
麻知子は、コーヒーを、飲んだ。
(この町村麻知子が、いかに優秀な人材なのかを、ね)