第2話 夕暮れの贈り物 1
時計の針は、夜の十一時を回ろうとしていた。
玄関が開く音がした。
うとうととしていた少女は、目を覚ました。
(帰ってきた)
と、少女は、思った。
遠慮がちな足取りで出迎えた少女だった。
それから、すでに廊下に充満しつつあったアルコールの匂いに、顔をしかめた。
(またか……)
と、少女は、思った。
(どうして、わかってくれないんだろう)
苛立ち。
諦め。
悲しみ。
期待。
そういうものがごちゃごちゃに混ざり合った、抑えきれない気持ちが、少女の心を暗いものにしていた。
「また、お酒、飲んできたの……?」
と、少女は、小さな声で言った。
会社の付き合いだから仕方がないんだよと、逆に悪態をつかれた少女は、コップに水を注いで、そっと差し出した。
「頭、痛そう……大丈夫?」
コップを持った少女の手が、乱暴に振り払われた。
コップが、無造作に廊下に転がった。
水びたしの廊下に、少女は、悲しそうに目を落とした。
「どうして……」
と、少女は、言った。
「どうして、こんなことするの?」
水は、少女の水玉模様のパジャマも濡らしてしまっていた。
「水じゃなくて、お酒……欲しいの?」
少女は、小さく首を横に振った。
「駄目だよ、そんな……」
ビールの空の缶が、間髪入れずに飛んできた。
それは、少女の左腕に当たってから、廊下をがらがらと転がった。
少女は、さして驚いたふうでもなかった。
「……」
慣れてしまっていた。
こんなことは、日常茶飯事だったからである。
そして、慣れてしまっていることが、嫌だった。
少女は、何事もなかったかのように、黙ったまま、そっとビール缶を拾い上げた。
重い足取りで、少女は、台所まで行った。
とんとんと自身の重い足取りが耳に響いてきた。
少女は、流し場で缶を中をすすいでから、静かにゴミ袋に入れた。
「……早く帰ってきてくれないかな、パパ……」
ぽつりと自分に言い聞かせるように、少女は、呟いた。
パパはここにいるだろうと、苛立ちに満ちた声を上げられた。
少女は、弱々しく首を振った。
「違うよ」
と、少女は、消え入りそうな声で言った。
少女は、寂しそうにほほ笑んで、
「今のパパは、パパだけど……」
と、言った。
少女は、泣きそうになっていた。
「パパじゃないの」
一生懸命こらえていないと、涙があふれだしそうだった。
「本当の、昔のパパ……に帰ってきてほしいんだよ」
少女は、こめかみを押さえた。
(頭が、痛い)
少女は、顔をしかめた。
ここ数カ月の間、少女は、頭痛に悩まされていた。
慢性的な頭痛だ。
少女は、立っていられなかった。
「……っ」
思わず、ソファーに倒れ込んだ。
顔をソファーにうずめた少女は、目を閉じた。
目の奥が、痛むのである。
「……ぃた」
自然と痛いという言葉が口をついて出ていた。
ずきんずきんとかずくんずくんという表現にでもなるのだろうか。
血の流れに合わせるように、こめかみの痛みが、少女を襲った。
(目の奥、ずきずき……する)
とめどもないとんでもない痛みだった。
(……よっちゃんは、がんせいひろうって教えてくれたけど……痛い……)
よっちゃんは、少女の級友で、吉子という少女である。
少女は、こめかみを押さえながら、ソファーから立ち上がった。
少女は、棚にしまってあった薬箱を開いた。
少女は、父親が用意してくれた、顆粒の薬を、水で流し込むようにして飲んだ。
(にがい……)
と、少女は、コップの水を飲みほした。
(口の中、ぱさぱさする……)
少女は、その場に、膝を抱えて座り込んだ。
しばらくすると、薬が効いてきたのか、少し落ち着いてきた。
玄関からは、物音がしなかった。
父親は、玄関で寝てしまっているようだった。
キャビネットのガラスに、少女自身の姿が、映り込んだ。
(ひどい顔してるな、私……)
少女は、泣いていた。
(苦しい……ママ、苦しいよ……)
少女の母親は、すでに一年前に他界していた。
(苦しい時は楽しいことを思いなさい……って。ママが、言ってたな)
と、少女は、思った。
重い足取りで、少女は、玄関まで行った。
とんとんと自身の重い足取りが耳に響いてきた。
少女は、玄関で眠っている父親に毛布をかけると、自室に戻った。
少女は、勉強机の引出から、薄いブルーのラッピングの袋を取り出した。
少女が用意した、級友への誕生日プレゼントである。
(喜んでくれるかな、あいつ……)
そういうふうに無理やり楽しい考えごとをしていると、いくぶんか気が紛れた。
(メッセージカード、何を書こう……)
少女は、ラッピングを、丁寧に元の場所に戻した。
(……眠いな)
と、少女は、思った。
薬が本格的に効き始めたようだった。
やがて、眠気が、少女をゆったりと包み込んだ。
徐々にまどろんでいく。
「……」
ベッドの毛布に、少女は倒れ込んだ。
少女は、眠りに落ちていった。