第3話 不均等な分配
第3話 不均等な分配
「……ですから落ち着いてください。本当にクモになったわけではありません。あくまでクモを模したS型探査機です。地球人と同レベルの五感システムも搭載して――」
異星人がなにやら説明している。だが、それがどうしたっていうんだ?
爪楊枝並に細い腕……いや脚を、水晶体を模したレンズに映す。
間近でみると、全身が黒いパーツで構成されているのがわかる。
表面は薄い金属板で覆われ、細かいシボがあった。人間の身体とは似ても似つかない。
俺は肉体を失った。
その衝撃の事実が発覚してから、どれくらいの時間が過ぎただろう。
放心状態の俺に、相沢が熱心に話しかけてくる。
悪いが、右から左である。
相沢が本当に宇宙人だっただの、地球に来るのに五年かかっただの、目的は異性のパートナーを求めるためだの、探査機はあくまで機械だからだの、石で頭を打った俺を助けるための措置だっただの。そんなのは今どうでもいい。
むなしい情報が、むなしく耳を通り過ぎていく。
いや、正確には耳ではなく、集音機だっけ。
『はあ……』
「――というわけです。って、せっかく説明しているのに、ため息ばかりつかないでくださいよ」
『ため息もでるわっ。どうしてよりによってクモ型なんだよ。気持ち悪すぎるだろ』
相沢はむっとしたのか、眉を八の字に寄せた。
「それは物事の上面しかみていません。クモは素晴らしい生き物なんです。均整のとれた美しいフォルム。なにより種の保存にこれほど貪欲で誠実な虫はいませんっ」
白い指をぴんと立てて力説する相沢。
「種の保存には、まず生殖活動が欠かせません。つまり交尾ですね」
『いや、俺はそういうことを問題にしているんじゃ……って、おい。そのエロい手のジェスチャーはやめろっ』
突っ込みを無視して、相沢が話を続ける。
「でも、どんなに個体数が増えても、天変地異には対応できません。そこで、次に重要になるのが全滅リスクの軽減です」
たとえば、Aの島でどんなに増えても、その島が沈めば種は絶滅。
だから、一カ所に留まるのではなく、Bの島、Cの島と、居住エリアを広げていくことが種に求められる。そう相沢は主張した。
「その点において、クモは優秀です。こんな研究結果があります。火山噴火で新たに島ができたときに、最初に確認できる生き物はクモだったそうです」
『眉つばだな。羽もないのに、どうやって島まで移動したっていうんだよ?』
「バルーニングですよ」
『ば、バル……?』
耳慣れない単語である。
「気球や風船をバルーンといいますよね。それと同じです」
相沢曰く、糸疣――と呼ばれる腹の先にある部位から、クモは数本の細い糸をだす。それらの軽い糸が、上昇気流を捕まえるそうだ。
「そうっ。クモは風に乗って空を飛ぶのです!」
目をきらきらさせて熱弁を振るう相沢。
『わかった! クモは素晴らしいっ。ビューティホゥー!』
爪のついた金属の脚をカチカチ打ち鳴らし、拍手ならぬ【拍脚】をする。
これ以上相手のペースに付き合ってられない。
全力で同意して、脱線した話にブレーキをかける。
『状況は理解できた。それでなんだけど』
訊くのが怖い。でも訊かずにはいられない。
相沢のおおきな瞳をみて問う。
『俺はっ。元の姿に戻れるのか? まさかこのまま……』
クモの姿のまま一生を終えるくらいなら、今すぐ死んでしまいたい。
断崖絶壁から身投げするくらいの覚悟で訊いた質問。
その答えはあっさり返ってきた。
「ええ。戻れますよ」
『へっ?』
あまりに難なくいうものだから、てっきり聞き違いかと思った。
『ほ、本当に戻れるのかっ。嘘とかいわないでよ?』
「失礼な。嘘は嫌いですって」
相沢が渋面を作った。
彼女の調べた情報によると、俺の肉体は総合病院に運ばれ、現在はベッドの上に寝かされているらしい。
陽だまりのような安堵が全身を満たす。
『いやー、ありがとう! それなら問題ないよっ』
不安だった分、喜びもひとしおだ。
共働きの両親の顔が、心に浮かんだ。息子の意識が回復しないことで、さぞや気を揉んでいるだろう。はやく安心させてやりたい。
元の肉体にさえ戻れば、クモ型探査機になったことなんて、きっと悪い夢だったと思えるんじゃないだろうか。
いや、もしかすると、これすらも夢かもしれない。
はっと目覚めたら、石橋の下でマンガ雑誌を枕にして寝ていたり……。
「ただ……」
相沢の言葉に空想が遮断される。
眉をひそめた彼女がいいにくそうにいった。
「そのエネルギーを貯めるのに二年かかります」




